サッチャーはよしとしてるのか?これ [映画マ行]

『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

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『燃えよ!ドラゴン』でのブルース・リーの有名なセリフに
「考えるな、感じろ」
というのがある。この映画の中にまるでそのセリフを受けたかのような、サッチャーの発言がある。

「…についてどう感じるか?」という質問の言葉尻を捉え、
「最近は、どう感じるとか、どういう気持ちとか、フィーリングが物を考える事より優先されてる」
と苦言を呈し、牧師だった父の言葉を引用する。
「考えが言葉となり」
「言葉が行動を生む」
「行動は習慣となり」
「習慣は人格を形づくる」
「そして人格が運命を決定する」
「だから考えることから始めなければならない」

サッチャーは言葉の持つ強さを意識してた政治家だったのだろう。
ただでさえ、日本の国会などとは比べ物にならないほどの野次が飛び交うイギリスの議会で、しかも声の細い女性が発言し、衆目を集めるためには、明解で相手を射抜くような言葉が必要なのだ。
映画の中のセリフにはなかったが
「言ってほしいと思うことは男に頼みなさい、やってほしいと思うことは
女に頼みなさい」
など、ウィットに富んだ発言もしてる。

日本の政治家には、言葉を使いこなせる人が少ない。語彙が足りないのだ。橋下知事のような言葉を武器にしてきた人が政治家になると、だから強い。
ディベートを行っても、相手をやりこめる術を持ってる。
言葉を持つ政治家が、いい政治を成すかというのは、また別の話ではあるが。
それは人を引き付ける言葉を持つサッチャーが、最終的には舵取りを誤るという事実に現れている。


1959年、34才で下院議員に初当選し、1979年、54才にして、イギリス初の女性首相にまで登りつめる。
その20年間に、男ばかりの政治の世界で、どのような苦闘があり、どのような戦略を立てて、存在感を増していったのか?
俺はこの部分をきっちり描いてくれてたら、見応えある伝記になってたと思う。
この映画ではエピソードの一部として、さらりと触れられるだけだ。

サッチャーの政治家としての功罪は、すでに語られていて、現在はネガティブな評価が多い。
この映画では、認知症を患う老女としての日常を描きつつ、サッチャーの政治家の日々を回想していく手法がとられてる。
国家で最も権力を持っていた人間が、いまはその記憶も失いつつある、孤独な老後を送ってる、その哀れを見せることで、意地悪な見方をすれば、強引な政治手法を推し進めたサッチャーの、政治家キャリアへの免罪符のように感じられもする。

それこそメリル・ストリープによる細密な演技によって、老いたサッチャーの日々に引き込まれて見てはしまうが、それなら、政治家としての回想部分などなしに、権力者の黄昏の日々のみに、カメラを据えればよかった。
マーガレット・サッチャーは政治家なのだ。しかも権力のトップにあった。
彼女の判断や行動が国民の生活や、もっと大げさに言うと生き死にを左右する、そういう存在だったのだ。その人間を描く時に
「いいこともあったし、悪いこともあった。でも今は呆けてしまった」
というようなアプローチでいいんだろうか?


視点として「サッチャーは批判を受けてるが私は断固支持する」とか
「彼女がイギリスという国の病状を悪化させた」とか
「首相だろうが何だろうが、今はひとりの認知症の老人」とか、
描く側がどこのポディションにも腰を据えてないと感じる。

映画として破綻があるわけではなく、製作者のアプローチの仕方もわからんでもないが、見終わって一人の人間に対して、何か感銘を受けるものがあったかというと、ない。
好きになったでも、嫌いになったでもないし、こういう人生を生きた女性がいました、という以上のものが迫ってこない。すべてをきれいに纏めようとしてるからだ。


この映画は母親が認知症を発症してることに気づいた娘のキャロルが、2008年にそのことを含めて記した回顧録を元にしてる。
政治家は公人という扱いではあるが、政治の世界から身を引いた後はどうなのか?
この映画化に関しては、娘キャロルの了承は得てるとしても、サッチャー自身は「認知症の自分が描かれる」なんていうことは、もちろん分かってなかったのだろう?
もう自分の伝記が作られるということすら、理解できる状態になさそうだし。

でも認知症を患ってはいても、本人は存命中だし、映画での描かれ方を本意じゃないと感じたとしたら、こういうのは悪趣味ではないかなと、俺は思うのだ。


夫のデニス・サッチャーを演じるジム・ブロードベントは、2001年の『アイリス』で、アカデミー賞の助演男優賞を獲得してるんだが、その時の役も、75才でアルツハイマーを発症した、イギリスの女流作家アイリス・マードックを献身的に支える夫を演じてた。

この映画では先立たれたことがわからなくなってる、老いたサッチャーの幻影として登場するが、生前も彼女を陰から支えてたのだなと思わせる、ユーモアと優しさを感じさせ、人となりを偲ばせる演技を見せている。
ジム・ブロードベントは先日見たマイク・リー監督の『家族の庭』でも、そんな演技を見せてた。

1984年10月に、保守党党大会で滞在中の、ブライトンのホテルで、IRAの爆弾テロに遭い、九死に一生を得るという場面がある。
サッチャーが夫に呼びかけると、デニスは革靴を両手に持って、パジャマ姿で粉塵の中から現れる。
この映画のラストで、去っていく夫の幻影に、サッチャーは
「あなた、靴を履いてないわよ!」
と呼びかける、その場面につながる描き方は上手いと思った。

2012年3月27日

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