TIFF2012・6日目『ゴミ地球の代償』他 [東京国際映画祭2012]
東京国際映画祭2012
『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』
『ゴミ地球の代償』
『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』(ワールドシネマ)
フランスの写真家であり、映像作家でもあるこの人のことを知らずに見た。
彼の映像作品としては、『アフリカ、痛みはいかがですか?』と『モダンライフ』は、日本でも紹介されてるが、見ていない。
だがこれを見終わった時には、今年70才になる、この爺さんのことが、すっかり好きになってしまった。
この作品は現在のドゥパルドンの、写真家としての活動と、彼が過去に残してきた膨大な報道フィルムや写真などを、整理・再構築して、その足跡を辿るという構成になってる。
その素材をつなぎ合わせてく作業を、1986年に録音技師としてドゥパルドンに雇われ、以来公私ともに「一心同体」のパートナーとなるクローディーヌ・ヌーガレが担当。
彼女はナレーションも務めている。
いわゆる名のある人物の足跡を辿る、他のドキュメンタリーと感触が異なるのは、
「妻が夫のことを語る」ところに拠る。
キャリアを振り返って、それを賞賛するという、ありがちなトーンではなく、
「亭主のことなんですけどね」
という、身近な人間を語る心おきなさが、現在はひとり車で被写体を探して、フランス東部を巡ってる、ドゥパルドンから滲み出る人柄と相まって、肩肘張らない雰囲気を作品に与えている。
ドゥパルドンは報道写真家のキャリアは終えて、懐かしい風情のある建物などを車で探して、写真に収める。
彼のツボにはまるのは、1950年代から60年代の趣を残す、タバコ屋な、農場や、食料品店など、市井にあるものだ。
「ビューカメラ」と呼ばれる、昔かたぎの写真屋にある、記念写真撮るようなカメラね、あれを車に積んでるのだ。
セッティングにいちいち手間がかかるが、
「これはエクササイズみたいなもんだよ」と。
「常に光に目を凝らすこと」
だが被写体を写す時に
「待ちすぎると、実物以上の写真になってしまう」
「美しすぎるのは危険なんだよ」
これは含蓄のある言葉だなあ。
俺は別に写真もやらなきゃ、映像も作らないが、言葉の意味が腑に落ちる。
映画でも、カメラはやたらに美しいのに、一向に伝わってくるものがない、そんな映画って、けっこうあるからね。
三脚立てて撮影に臨んでも、きっきりなしに車が行きかう。
「車さえなければ、フランスは最高の国なんだが」
そういう自分も車を運転しながら、被写体探してるんだけどね。そういう旅の最中に
「いまどこにいる?」とケータイで尋ねられても困るという。
「どこ走ってるのかわからないんだよ」
「この車がカプセルで、周りは宇宙なんだ」
「いつもどこかの軌道上にいるってことだ」
この飄々とした爺さんが、若い頃から、世界各地の紛争地帯に出向き、その最前線にカメラを持ち込んでることが、過去の素材からわかってくる。
1963年のベネズエラ内戦に始まり、中央アフリカ共和国、イエメンから、『ブラックホーク・ダウン』の舞台となった、ソマリア、モガディシオに至るまで。
1969年のチェコ、プラハでもドゥパルドンは、民衆の中でカメラを回していた。
ソ連が主導する「ワルシャワ条約機構軍」の戦車隊が、プラハの町を占拠し、「プラハの春」と呼ばれた民主化を力で押さえつけた、「チェコ事件」の現場だ。
アフリカの砂漠を愛したというドゥパルドンは、1975年チャドで、ある事件の当事者となる。
彼が密着取材を続けていたツブ族のゲリラが、現地を訪れていた女性考古学者クロストルを誘拐・監禁する。
ドゥパルドンは、ツブ族と粘り強く交渉を重ね、監禁中のクロストルへの取材を行う。
彼女は「私を助けようとしない人たちへの怒りを抑えて過ごしている」
と涙を浮かべ、その映像はフランスのテレビで放映された。
国民の間でその事件は騒然とした話題となり、時の大統領ジスカール・デスタンは、政府批判ととれる内容に激怒。
帰国したドゥパルドンは直ちに逮捕される。
デスタンは「同胞を見捨てて帰ってきた」と禁固刑に処した。
その3年後にクロストルは解放されている。
紛争の場だけでなく、彼は写真ジャーナリスト集団「ガンマ」を設立し、精力的に取材の場を広げていった。
1970年代の、劣悪な環境下にあった、イタリアの精神病院を取材したフィルムは、フレデリック・ワイズマンの『チチカット・フォーリーズ』を思わせる。
ドゥパルドンはその後もパリの精神病院などを取材している。
一方で、ドゥパルドンのカメラは町に出ると、かならず女性を追っている。
女性たちが美しいと思うからだ。
硬派一辺倒ではない、男の愛嬌を感じさせるのがいい。
ドキュメンタリーなんだけど、風通しのいい部屋にいるような、そんな心地よさを感じる映画だった。
『ゴミ地球の代償』(naturalTIFF)
一人暮らしだし、自炊しますわね。
スーパーで食材買ってきて、料理し終わって、毎回いやになるくらい出るのが、プラスティック容器のゴミなのだ。
ほぼすべての食材がラッピングされて売ってるし、そのラップの残骸と一緒に、ドサッと捨てることになる。
このドキュメンタリーの中では、廃棄される膨大なプラスティックが、処理の過程でダイオキシンを発生させる、それがもたらす戦慄的な光景を、検証しながら語っていく。
レバノンの地中海沿いに延々とそびえるゴミの山の中に、俳優ジェレミー・アイアンズが佇む冒頭場面からインパクトがある。
ここでは1975年以降にゴミの投棄がはじまり、有害な廃棄物の周辺土壌や、海洋への流出が深刻になってる。
投棄されたゴミは、海を漂って地中海沿岸の国々へと流れ着いている。
イタリア・トルコ・ギリシャ・エジプトなど、それらの国々は懸念を表明してるが、レバノンのゴミの山は減る兆しがないという。
俳優活動の傍ら、早くからゴミ問題に強い関心を持ち続けてきたという、ジェレミー・アイアンズが、この『ゴミ地球の代償』の製作総指揮を務め、自ら世界各地のゴミ処理施設や、ゴミ投棄・埋め立ての現場に足を運び、周辺住民の声に耳を傾けている。
ハリウッドスターでも、エコに関心が強いという人はいるが、実際にゴミの山にまで出向いて、その現状をフィールドワークしようという人は他にいないんじゃないか?
身を固めて取材に臨むとはいえ、どんなアクシデントで、ゴミから感染したりというリスクは、ゼロとはいえない。
俺は昔から彼の声のファンでもあるんで、きっとナレーションも自分で行ってるだろうと思い、これを見ようと決めてたのだ。
予想通り、ナレーションも彼によるものだった。
レバノンから、欧州最大のゴミの埋め立て地がある、イギリス、ヨークシャーや、グロスターシャーの、有害ゴミ処理施設、フィンランドのイーサフィヨルズォルの町など、世界中どこの国でも、等しく大量のゴミに囲まれて暮らす生活がある。
ダイオキシンなど、ゴミから発生する有害物質が、人体にどんな影響を与えるのか、そのこと事態を取材したドキュメンタリーは、テレビでも流されてはいるし、目新しいものではない。
だがベトナム戦争下で、アメリカ軍がジャングル地帯に投下した「枯葉剤」の影響によって、今でも奇形児が生まれているという、そういう子供だけを収容する施設への取材では、目の当たりにする光景に気持ちがすくむ思いがする。
顔そのものの形状が失われてる子供もいる。
目のあるべき部分はただ窪んでいて、口だけがはっきりと認識できる。
ダイオキシンが人間の体に取り込まれると、それが完全に消えるまでには「6世代」を経なければならないと学者は言う。見ていて暗澹となってくる。
ヴァンゲリスの音楽が黙示録的な色彩を帯びて流れている。
ヴァンゲリスは以前から、ネイチャー・ドキュメンタリー系の音楽を担っていて、脚光浴びた1981年の『炎のランナー』からあよそ10年間に渡る、映画音楽の仕事は、あまり本意とするところではなかったようだ。
2012年10月25日
『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』
『ゴミ地球の代償』
『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』(ワールドシネマ)
フランスの写真家であり、映像作家でもあるこの人のことを知らずに見た。
彼の映像作品としては、『アフリカ、痛みはいかがですか?』と『モダンライフ』は、日本でも紹介されてるが、見ていない。
だがこれを見終わった時には、今年70才になる、この爺さんのことが、すっかり好きになってしまった。
この作品は現在のドゥパルドンの、写真家としての活動と、彼が過去に残してきた膨大な報道フィルムや写真などを、整理・再構築して、その足跡を辿るという構成になってる。
その素材をつなぎ合わせてく作業を、1986年に録音技師としてドゥパルドンに雇われ、以来公私ともに「一心同体」のパートナーとなるクローディーヌ・ヌーガレが担当。
彼女はナレーションも務めている。
いわゆる名のある人物の足跡を辿る、他のドキュメンタリーと感触が異なるのは、
「妻が夫のことを語る」ところに拠る。
キャリアを振り返って、それを賞賛するという、ありがちなトーンではなく、
「亭主のことなんですけどね」
という、身近な人間を語る心おきなさが、現在はひとり車で被写体を探して、フランス東部を巡ってる、ドゥパルドンから滲み出る人柄と相まって、肩肘張らない雰囲気を作品に与えている。
ドゥパルドンは報道写真家のキャリアは終えて、懐かしい風情のある建物などを車で探して、写真に収める。
彼のツボにはまるのは、1950年代から60年代の趣を残す、タバコ屋な、農場や、食料品店など、市井にあるものだ。
「ビューカメラ」と呼ばれる、昔かたぎの写真屋にある、記念写真撮るようなカメラね、あれを車に積んでるのだ。
セッティングにいちいち手間がかかるが、
「これはエクササイズみたいなもんだよ」と。
「常に光に目を凝らすこと」
だが被写体を写す時に
「待ちすぎると、実物以上の写真になってしまう」
「美しすぎるのは危険なんだよ」
これは含蓄のある言葉だなあ。
俺は別に写真もやらなきゃ、映像も作らないが、言葉の意味が腑に落ちる。
映画でも、カメラはやたらに美しいのに、一向に伝わってくるものがない、そんな映画って、けっこうあるからね。
三脚立てて撮影に臨んでも、きっきりなしに車が行きかう。
「車さえなければ、フランスは最高の国なんだが」
そういう自分も車を運転しながら、被写体探してるんだけどね。そういう旅の最中に
「いまどこにいる?」とケータイで尋ねられても困るという。
「どこ走ってるのかわからないんだよ」
「この車がカプセルで、周りは宇宙なんだ」
「いつもどこかの軌道上にいるってことだ」
この飄々とした爺さんが、若い頃から、世界各地の紛争地帯に出向き、その最前線にカメラを持ち込んでることが、過去の素材からわかってくる。
1963年のベネズエラ内戦に始まり、中央アフリカ共和国、イエメンから、『ブラックホーク・ダウン』の舞台となった、ソマリア、モガディシオに至るまで。
1969年のチェコ、プラハでもドゥパルドンは、民衆の中でカメラを回していた。
ソ連が主導する「ワルシャワ条約機構軍」の戦車隊が、プラハの町を占拠し、「プラハの春」と呼ばれた民主化を力で押さえつけた、「チェコ事件」の現場だ。
アフリカの砂漠を愛したというドゥパルドンは、1975年チャドで、ある事件の当事者となる。
彼が密着取材を続けていたツブ族のゲリラが、現地を訪れていた女性考古学者クロストルを誘拐・監禁する。
ドゥパルドンは、ツブ族と粘り強く交渉を重ね、監禁中のクロストルへの取材を行う。
彼女は「私を助けようとしない人たちへの怒りを抑えて過ごしている」
と涙を浮かべ、その映像はフランスのテレビで放映された。
国民の間でその事件は騒然とした話題となり、時の大統領ジスカール・デスタンは、政府批判ととれる内容に激怒。
帰国したドゥパルドンは直ちに逮捕される。
デスタンは「同胞を見捨てて帰ってきた」と禁固刑に処した。
その3年後にクロストルは解放されている。
紛争の場だけでなく、彼は写真ジャーナリスト集団「ガンマ」を設立し、精力的に取材の場を広げていった。
1970年代の、劣悪な環境下にあった、イタリアの精神病院を取材したフィルムは、フレデリック・ワイズマンの『チチカット・フォーリーズ』を思わせる。
ドゥパルドンはその後もパリの精神病院などを取材している。
一方で、ドゥパルドンのカメラは町に出ると、かならず女性を追っている。
女性たちが美しいと思うからだ。
硬派一辺倒ではない、男の愛嬌を感じさせるのがいい。
ドキュメンタリーなんだけど、風通しのいい部屋にいるような、そんな心地よさを感じる映画だった。
『ゴミ地球の代償』(naturalTIFF)
一人暮らしだし、自炊しますわね。
スーパーで食材買ってきて、料理し終わって、毎回いやになるくらい出るのが、プラスティック容器のゴミなのだ。
ほぼすべての食材がラッピングされて売ってるし、そのラップの残骸と一緒に、ドサッと捨てることになる。
このドキュメンタリーの中では、廃棄される膨大なプラスティックが、処理の過程でダイオキシンを発生させる、それがもたらす戦慄的な光景を、検証しながら語っていく。
レバノンの地中海沿いに延々とそびえるゴミの山の中に、俳優ジェレミー・アイアンズが佇む冒頭場面からインパクトがある。
ここでは1975年以降にゴミの投棄がはじまり、有害な廃棄物の周辺土壌や、海洋への流出が深刻になってる。
投棄されたゴミは、海を漂って地中海沿岸の国々へと流れ着いている。
イタリア・トルコ・ギリシャ・エジプトなど、それらの国々は懸念を表明してるが、レバノンのゴミの山は減る兆しがないという。
俳優活動の傍ら、早くからゴミ問題に強い関心を持ち続けてきたという、ジェレミー・アイアンズが、この『ゴミ地球の代償』の製作総指揮を務め、自ら世界各地のゴミ処理施設や、ゴミ投棄・埋め立ての現場に足を運び、周辺住民の声に耳を傾けている。
ハリウッドスターでも、エコに関心が強いという人はいるが、実際にゴミの山にまで出向いて、その現状をフィールドワークしようという人は他にいないんじゃないか?
身を固めて取材に臨むとはいえ、どんなアクシデントで、ゴミから感染したりというリスクは、ゼロとはいえない。
俺は昔から彼の声のファンでもあるんで、きっとナレーションも自分で行ってるだろうと思い、これを見ようと決めてたのだ。
予想通り、ナレーションも彼によるものだった。
レバノンから、欧州最大のゴミの埋め立て地がある、イギリス、ヨークシャーや、グロスターシャーの、有害ゴミ処理施設、フィンランドのイーサフィヨルズォルの町など、世界中どこの国でも、等しく大量のゴミに囲まれて暮らす生活がある。
ダイオキシンなど、ゴミから発生する有害物質が、人体にどんな影響を与えるのか、そのこと事態を取材したドキュメンタリーは、テレビでも流されてはいるし、目新しいものではない。
だがベトナム戦争下で、アメリカ軍がジャングル地帯に投下した「枯葉剤」の影響によって、今でも奇形児が生まれているという、そういう子供だけを収容する施設への取材では、目の当たりにする光景に気持ちがすくむ思いがする。
顔そのものの形状が失われてる子供もいる。
目のあるべき部分はただ窪んでいて、口だけがはっきりと認識できる。
ダイオキシンが人間の体に取り込まれると、それが完全に消えるまでには「6世代」を経なければならないと学者は言う。見ていて暗澹となってくる。
ヴァンゲリスの音楽が黙示録的な色彩を帯びて流れている。
ヴァンゲリスは以前から、ネイチャー・ドキュメンタリー系の音楽を担っていて、脚光浴びた1981年の『炎のランナー』からあよそ10年間に渡る、映画音楽の仕事は、あまり本意とするところではなかったようだ。
2012年10月25日
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