パリの家政婦は見た [映画ヤ行]

『屋根裏部屋のマリアたち』

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この映画は昨年の「フランス映画祭」で上映されてたが、その時にはスルーし、「文化村ルシネマ」で一般公開された時にも見逃した。
ようやく横浜でつかまえて見た。

昨日コメント入れた『桃(タオ)さんのしあわせ』もルシネマで上映されていて、家政婦映画を同じ年に2本かけてたことになる。
どちらもいい映画だ。だがテイストは異なっている。

この『屋根裏部屋のマリアたち』は、60年代パリのアパルトマンを舞台にした、ブルジョワの雇い主と、屋根裏住まいのスペイン人メイドたちによる、一種のユートピア映画。

軽やかな人生賛歌の趣きがある。
こんないい気分に浸れる映画をスルーしてたとは、俺のバカ。


ジャン=ルイは、祖父の代からの証券会社を経営してる。
パリの古いアパルトマンには妻と二人暮らし。
息子二人は格式ある寄宿学校に入れている。

ジャン=ルイはブルジョワ層の身分だが、妻のシュザンヌは田舎育ちで、そのコンプレックスから、ブルジョワ的暮らしに強いこだわりを持ってる。
ジャン=ルイは淡々と仕事をこなし、生活に不満もないが、情熱も沸き起こらない。

彼の唯一のこだわりは、朝食に出されるゆで卵の、「3分半」というゆで時間のみだ。

先代から仕える年配のメイドは、家の中の一切を仕切ってたが、料理は下手で、卵のゆで時間が守れない。
だがそのメイドは、シュザンヌが亡き義母の部屋を改装するのに反発して、仕事を辞めてしまった。

奥様連中とのランチで、シュザンヌはその件をボヤくと、いまはスペイン人がメイドの主流だと教えられる。
1962年当時パリには、フランコ独裁政権下から、自由と仕事を求めて、多くのスペイン人が逃れてきていた。
アドバイスを受けて、パリにあるスペイン教会を訪れたシュザンヌは、叔母を頼ってパリに出てきたばかりの、若いマリアに声をかける。


メイドとしての適正をテストされる初日に、マリアはジャン=ルイの云う通りに、ゆで卵を3分半きっかりに出した。
夫婦が出かけた後は、同じアパルトマンの屋根裏部屋に暮らしている、叔母たち住人に声をかけて、膨大な家事を手分けしてもらい、無事に正式採用となった。

給与を示すジャン=ルイに、マリアは強気で交渉する。
スペイン女性はタフだった。
それでもジャン=ルイが彼女を雇い入れたのは、ゆで卵の件だけでなく、マリアが若くてきれいだったことも、もちろんあっただろう。


マリアはジャン=ルイ夫妻の部屋の裏手にある使用人階段を上って、屋根裏部屋の寝室をあてがわれた。
雇い主がその階段を上がることなどなかったし、屋根裏部屋の住人たちがどんな暮らしをしてるのか、知る由もなかった。

屋根裏の物置を覗きにいったジャン=ルイは、そこで初めてスペイン人のメイドたちと顔を合わせた。
彼女たちは気さくだったが、生活環境は苛酷だった。
狭い部屋には暖房もなく、お湯も使えず、共同トイレは詰まったまま。

そのトイレの惨状にショックを受けたジャン=ルイは、すぐに修理を呼んだ。
それがきっかけで、ジャン=ルイと階上の女たちは、少しずつ交流を深めていく。

6人のスペイン人はそれぞれに過去や悩み事を抱えており、ジャン=ルイは手の及ぶ範囲で、彼女たちの力になってやった。
気分が乗るとみなで唄いだすような、陽気な彼女たちといると、表情の乏しい生活を続けてきたジャン=ルイの気持ちも、不思議と浮き立つようだった。


ホームパーティで客を招いた際には、ウェイターがマリアに言い寄るのを見て、激しい嫉妬に駆られた。
そんな感情が自分の中に湧き上がるとは。
ついマリアに辛辣にあたり、しばらくは口もきいてもらえなくなる。

ジャン=ルイはそれでも、階上の彼女たちの助けにはなり、DV夫から逃れるメイドのために、新しい住み込みの職を世話してやる。
その入居祝いに招かれたジャン=ルイは、同じく駆けつけたマリアと和解することができた。


最近夫が妙に活き活きとしてると、怪訝に感じていた妻のシュザンヌは、夫の顧客で色気を振りまく未亡人との浮気を疑った

妻の勘違いを敢えて否定することもせず、家を追い出されたジャン=ルイは、なんと屋根裏部屋に移り住む。
もちろん妻はそれを知らない。
住人のスペイン女性たちは、呆れはしたが、まあ気の済むようにと眺めてる。

だがジャン=ルイとマリアの距離が近づいていることには危惧もしていた。
所詮は身分も背景もちがう者同士。どちらにとっても幸せな結果は得られるはずもない。

そしてジャン=ルイは知らなかった。
若いマリアは未婚の母で、息子は養子に出され、資産家の元に暮らしてることを。

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ジャン=ルイを演じるのは、エリック・ロメール作品の常連で、多彩な役柄をこなすベテランのファブリス・ルキーニ。
俺は出演作の中では『百貨店大百科』が印象に残ってるが、彼は喜怒哀楽がはっきり出ない顔をしてる。
昨年スピルバーグがフルCGで『タンタンの冒険』を作ったが、若い頃のファブリス・ルキーニなら、実写で主役にハマると思う位の「タンタン顔」だと思ってる。


その彼の最小限の表情で、心が動いていくさまが、見る者に伝わってくる、そこにこの映画の「描きすぎない」良さが表れてるのだ。
人情話として、もっと濃い味に仕上げることも可能だが、そこをいい塩梅に抑えている。

でもエピローグでは「そうだよね、そうあってほしいよね」と観客が思うであろう結末を用意してる。
ここですっかり気持ちよくなってしまうのだ。

こういう映画は作れそうで、なかなかこんな風には仕上げるのは難しいだろう。
フランス映画というと、個性的な映画監督がいて、「作家主義」的に語られることが多いが、映画をほどよく語る上手さも見逃せない美点だと思う。
今年前半に見た『ある秘密』にも通じてる。

この映画の細やかさは、妻のシュザンヌの存在を、マリアとジャン=ルイへの「アンチ」として描いてはいない所だ。
シュザンヌ自身は身につかないブルジョワの生活に、いまもストレスを抱えてる。

スペイン人のメイドたちが、ジャン=ルイと交流するように、彼女もブルジョワのジャン=ルイと、生活を共にすると決まった当初は、環境や身分の違いに身がこわばっただろう。
ジャン=ルイとの関係は、だからメイドたちと実はそう変わらないのではないか。

マリアを演じるナタリア・ベルベケは、芯の強さと可憐さが同居していて、これは惚れてまうだろという納得のキャスティングだ。

2012年11月8日

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