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ラテンビート映画祭2011『ブラック・ブレッド』 [ラテンビート映画祭2011]

ラテンビート映画祭2011

『ブラック・ブレッド』

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森の中で馬車がフードを被った何者かに襲われる。馬のたずなを引いてた男は殺され、そのまま馬は目隠しをされ、崖の淵まで引いて来られる。
馬は脳天にハンマーの一撃を食らい、前足の膝を折る。
馬の重心が前にかかった事で、馬車の荷台も前に傾き、重みで馬は荷台もろとも崖下へ転落する。

事故に見せかけるための手段なのだが、荷台には殺された男の、まだ小さな息子が乗っていた。
転落した馬車を発見したのは11才の少年アンドレウ。
虫の息でなにかをつぶやいているのは、アンドレウの顔見知りの少年クレットだった。
クレットが最後に発した言葉は「ピトルリア」

この転落事故の真相を明らかにする途上に、スペイン内戦直後のカタロニアの、小さな山村の複雑な人間関係が炙り出されていく仕掛け。
正直、ほんと因果関係がややこしくて、呑み込みの悪い俺は、1回見ただけじゃ腑に落ちない部分があるのだ。
ただそのこととは別に、俺のまったく独断として、この映画にはテーマが2つあると感じたのでそのことを。

1つはね「覗いてばかりいると、不幸せになるよ」という教訓。

主人公の11才のアンドレウ。とにかくこの少年、よく覗いてるんだよ、いろんな場面を。最初の馬車にしても「なんだろう?」と覗きに行ってるわけだね。
アンドレウが発見したことで、警察が動き、アンドレウの父親に嫌疑がかかっちまう。
そのことで父親と母親が言い争いになるんだけど、「でも愛してる」ってことでふたり抱き合って…って所もアンドレウ覗いてるね。

父親はフランスに逃げることとなり、母親とともに祖母の家に身を寄せるんだが、隣に住む従妹のヌリアが、半裸でベランダにいるのも覗いてるね。
学校の帰り道で、森の中を走る人影を追うと、全裸の青年が水浴びをしてる、その姿もアンドレウ覗いてるね。

夜中に幽霊の気配を感じ、行っちゃいけないと言われてる屋根裏部屋を覗いてみたら、フランスに逃げたと思ってた父親が隠れてたり、結局連行された父親の嘆願書を持った母親が、警察署長に会いに行くんだが、昔から母親に気があった署長に「悪いようにはせんから」と服を脱がされ、
そんな一部始終もアンドレウ覗いちゃってるし!

あと作劇上これはどうかな?と思ったんだが、少年クレットの発した「ピトルリア」って言葉。
これは洞窟に住む幽霊の名なんだけど、ピトルリアの正体がわかるくだりがある。
実は過去に、村の有力者の息子と同性愛関係にあった青年がいて、ふたりは洞窟で逢瀬を重ねてたが、それが有力者の知るところとなり、青年は村の男たちに取り押さえられる。
裸にされ、豚の去勢に使うワイヤーでキン●マを縛りつけようとするが、勢いあまってキ●タマを引きちぎってしまうのだ。
直接描写されるわけじゃないが、男の俺からしたら「ギャーッ」な話だが、その男たちの中に父親もいたということを、アンドレウが「夢で」知ってしまうのだ。

夢ん中でも覗いてるのか!
というか、これだとアンドレウに何か特殊能力が備わってることになっちゃうぞ。
で、その青年はそのまま洞窟に置き去りにされたらしく、その恨みが幽霊話に繋がってる。

とまあ覗けば覗くほど、大人の世界の醜さを知ることとなり、幸せな少年時代から遠のいていくことに。
ことの真相までは書かないが、映画のラストで、アンドレウが教室の窓から母親の後ろ姿を眺める場面。
その窓に息を吹きかけ、曇らせて姿をぼやけさせる。
これはもう何かを覗いても、良いことは起きないのだという、彼なりの覗き終了宣言だね。


それで2つ目は、テーマというのとはニュアンス違うが、あの「ピトルリア」にも関わること。

フランコ独裁政権における弾圧は過去の映画においては、政治思想が対象になってたが、この映画では「同性愛者」への弾圧が描かれてる。
それだけでなく、映画全体にそれとはなしにゲイ・テイストが漂ってるんではないか。

まず少年アンドレウね。女には冷淡なんだよね、母親も含めて。
従妹のヌリアは気を引こうとモーションかけてくる。彼女は手榴弾で片手を失ってることもあり、どこか自暴自棄で、アンドレウに
「村に火を放って二人で逃げよう」なんてことを言う。
彼女が森の中で、隣に寝そべるアンドレウの手を、自分の股間にあてがおうとする。

「先生は私のあそこをナイチンゲールの巣って呼ぶのよ」
と言われ、彼女が学校の教師とイケナイ事をしてると悟ったアンドレウは
「不潔だよ!」と手を払いのける。

そんなこんなで、村中の人間が嫌になるアンドレウが唯一心を許すのが、裸の水浴びを覗いた、あの青年だった。青年は村のはずれにポツンと佇む、結核の療養所の住人だった。
青年は感染するからと、アンドレウに近づかないよう言うが、最後にはその言葉も振り払って、アンドレウは青年の胸にしがみつくのだ。
この青年が美しい顔立ちをしてて、アンドレウが、あの「ピトルリア」の青年と同一視してるんではないか、と思わせるような演出ではあるなあ。

アンドレウが有力者の婦人の養子になることを承諾して、寄宿学校に入るんだが、その制服も、萩尾望都の
『トーマの心臓』な雰囲気出てるね。

この映画はスペイン国内で最も権威ある映画賞の「ゴヤ賞」を作品賞はじめ9部門も受賞してて、今回の映画祭でも俺が見た回はほぼ満席だった。
来年公開が決まってるし、普通に見れば、スペイン内戦の悲劇を、子供目線で描いた名作という評価になるんだろうが、俺はこの映画、秘められたるゲイ・ムービーとして語り継がれていくんじゃないかと思ってる。

2011年10月15日

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ラテンビート映画祭2011『MISS BALA 銃弾』 [ラテンビート映画祭2011]

ラテンビート映画祭2011

『MISS BALA 銃弾』

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メキシコの麻薬組織の手による凄惨な行為の数々はネット上でも度々取り上げられてる。
軍隊なみに武装してるため、警察も歯が立たず、報復を恐れて、警官の職を辞す者が後を絶たないという。

この映画は2008年に麻薬と武器所持の現行犯として、麻薬組織の大物とともに捕まり、世間を騒然とさせた(と言っても俺は知らなかったが)元ミスコン女王ラウラ・スニガをモデルに、現代メキシコの闇を描いている。


アメリカと国境を接する、バハ・カリフォルニア州のミスコンテストにエントリーしたラウラは、女友達のズスと出かけたナイトクラブで、麻薬組織の襲撃に遭遇する。
トイレに居て難を逃れたラウラは、翌朝ズスの安否をパトロール警官に尋ねるが、警官が彼女をパトカーに乗せ、連れて行った先には、前夜クラブを襲撃した麻薬組織の男たちがいた。
ラウラを事件の目撃者と知ったリーダーのリノは、有無を言わさぬ口調で、彼女の名前、住所、家族構成を聞き出し、言った。
「ミスコン女王になりたいなら、手を貸してやる。
その代わりお前も俺たちに手を貸すんだ」

三大映画祭2011で上映された『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド』でも、警察学校の生徒の過酷な体験が、一人称の語り口で描かれてたが、この映画でも、ラウラに降りかかった災難を、彼女に常に寄り添う形のカメラ目線で捉えてる。

リノはラウラがミスコンを狙える美人であることを有効に利用しようとする。だから脅しはするが、手荒に扱うことはしない。
ラウラが命じられた最初の大きな仕事は、札束をウエストに巻きつけて、セスナで国境を越え、アメリカ側で取引の品を積んで、帰りは車で検問所を通って戻ること。
アメリカ側からメキシコへ入る方が、検問がユルいからだ。

無事仕事を済ませ、メキシコ国境の町へ入ったラウラの車に数発の銃弾が。シートに身を伏せて、成すすべもない彼女をリノが救い出す。
そこでは麻薬組織同士の市街戦が勃発していた。
放心状態のまま、ラウラはバハ・カリフォルニアのミスコン会場へ連れて行かれる。
リノが主催者に口利きをしたのは、途中出場のラウラが、そのまま女王に選ばれたことで明らかだった。
そしてリノはミスコン女王を手の内に置くことで、さらに過激なシナリオを描いていた。


この映画では2つの場面が、対のように描かれてる。
1つはラウラがミスコン女王となったその晩、リノの車で夜道を行く場面。
「こんな風にミスコンになれても嬉しくない」
と言う彼女に、リノは
「降りてこの道を真っ直ぐ歩けば大通りに出る。俺は追わない。
後はお前の好きにすればいい」

ラウラは道を歩き始めるが、しばらくして踵を返し、リノの車に戻る。
彼女はなぜ車に戻ったのか?
リノが約束を守ると思えず、どのみち手の内から逃れることはできないとの諦念からか、あるいは、銃撃戦から身を守ってくれたリノに優しさを感じ、リノのそばにいれば、金にも困らないという打算も働いたのか?

だがリノは、オトリ捜査官を突き止め、縛り上げて、その首にロープを巻いて、車で引き摺って殺し、その死体にメッセージを巻きつけて、橋の欄干から吊るすということを平然とやる、残忍な男でもあるのだ。

もう1つは映画のラスト。警察長官殺害計画に利用されたラウラが、その計画を長官に耳打ちしたことで、銃撃戦の末、麻薬組織メンバーはリノを除き射殺。
彼女は危険を知らせたにも関わらず、組織の一員だったと、警官隊から袋叩きに合い、そのまま記者会見に引きずり出される。
そして車に乗せられ、身柄を保護されることもなく、メキシコの路上に置き去りにされるのだ。

利用価値を見出しながらも、ラウラに最後に選択の余地を残した麻薬組織のリーダーと、庇護することもなく彼女を捨て去った警察。
2008年に捕まったラウラに、結局選択の余地は無かったのだということを暗示させるような、2つの対照的な描写だった。

2011年10月14日

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ラテンビート映画祭2011『雨さえも ボリビアの熱い一日』 [ラテンビート映画祭2011]

ラテンビート映画祭2011

『雨さえも ボリビアの熱い一日』
劇場公開題名『ザ・ウォーター・ウォー』

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俺の書く文章みたいに前置きが長くない、物語の設定がすぐに把握できる脚本が優れてる。

ボリビアの山間の村にジープがやって来る。
「おいおい、こんな並んでるぞ」
ジープに乗るのは映画撮影の一行だ。この村でコロンブスの南米大陸征服の映画をロケするために来た。
長い列を成してるのは、映画エキストラ募集に集まった先住民たち。日当が出ると聞いていた。
プロデューサーのコスタは、監督のセバスティアンに
「いちいち面接してる時間はないから、列から適当に選んで帰らせろ」と言う。

数人を選んで切り上げようとするセバスティアンに、小さな娘を連れた男が食ってかかる。
「このために遠くからやってきたんだ。面接を受けるまでは動かないぞ!」
その剣幕に周りの人間たちも呼応し、騒然となる。
セバスティアンはダニエルという名の男の強い眼差しに「彼を出演させよう」と決める。
だがプロデューサーのコスタは、映画の現場を取り仕切ってきた経験から
「あの男はトラブルメーカーになる」と難色を示した。

折しもその村では外資系企業の、いわゆる「水メジャー」による、利益優先の水道事業が、先住民との間に激しい軋轢を起こしつつあった。
ダニエルはコロンブス率いる軍に、弾圧を受けるインディオの役で映画に出るが、撮影の合間には、町に出て、水道事業者に対するデモ隊の先頭を担うようになる。
デモは次第に激しさを増し、映画撮影にも影響を及ぼすようになり、コスタとダニエルは対立していく。

デモはやがて市街戦へとエスカレートして、外国人が標的となる危険が高まり、映画撮影クルーは撤収を決める。
土地を去ろうというその時、コスタは、ダニエルの妻から、娘がデモに巻き込まれて、怪我をしたと告げられる。車で町へ助け出しに行ってほしいと。
市街戦のただ中へ向かうのは自殺行為だ。だがコスタは、制止するセバスティアンを振り切り、ダニエルの妻を乗せて、町へと向かうことにした。


2000年初頭にボリビアで起きた「水戦争」に材を得て、劇中劇で描かれるコロンブスによる先住民族の弾圧と、現代の「水メジャー」による搾取と、長い時を経ても、同じ構図が続いていることを、見る者に問いかけている。

日本でも女性ファンの多いガエル・ガルシア・ベルナルが映画監督役で出てるが、主演はプロデューサー役のルイス・トサルの方だ。コリン・ファレルとメル・ギブソンをミックスしたような風貌でスキンヘッズ。少ししゃがれた低い声もメル・ギブソン似。
DVD発売済の2009年作『プリズン211』では、刑務所内で暴動を起こす囚人たちのリーダーをカリスマティックに演じてた。
画面に写るだけで、視線を釘付けにする、パワーの漲る演技を見せる「いい役者」だ。

ハリウッド映画に呼ばれても悪役を振られてしまいそうが、この『雨さえも…』のような、コワモテだけど頼りになる男の方が絶対ハマる。
映画の終盤は、ルイス・トサルの男気溢れる演技が見もので、ガエル・ガルシア・ベルナルは若干ヘタレな印象に。ファンからしたら微妙な気分だろう。

ダニエルを演じるホアン・カルロス・アドゥヴィリは実際にボリビアの先住民族の出身で、この映画の大役に抜擢された。
1984年にカンボジア内戦を描いた『キリング・フィールド』で、演技経験のない産婦人科医ながら、新聞記者の現地助手を演じたハイン・S・ニョールのような存在だ。

映画の中で、コスタがダニエルのいる前で、電話の向こうの出資者に英語で
「先住民たちは2ドルやれば喜ぶ」
などと、彼らを見下した発言をする。だがダニエルは会話の内容を理解してて
「俺は2年間アメリカで働いてた」
と、コスタに失望の眼差しを向ける。
この場面などは素人と思えない表現力を見せてた。

この映画は来年、正月第2弾として公開が予定されてる。

2011年10月13日

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ラテンビート映画祭2011『チコとリタ』 [ラテンビート映画祭2011]

ラテンビート映画祭2011

『チコとリタ』

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3DCGアニメ『リオ! ブルー 初めての空へ』のコメントで、ラテン音楽世代が孫と一緒に楽しめると書いたけど、
このもう1本のアニメ作品『チコとリタ』は、孫にはまだ早い、パーカッションの効いたラテンビートが全編を彩る、
大人だから楽しめる逸品だった。

若き日にはキューバでも指折りのジャズ・ピアニストだった老人が、安アパートのラジオから流れてきた、昔愛した女のために作った曲を聴き、回想にふけるという構成。
俺はジャズには明るくないけど、最初に歌手が唄ってるのが『ペサメ・ムーチョ』だという位はわかる。
1940年代から50年代に革新を遂げたアフロ・ジャズ・シーンが背景になってるという。


主人公のジャズ・ピアニスト、チコは、ある晩クラブで歌うリタの声に魅了される。
「彼女と組めば絶対成功できる」
最初はつれないリタだったが、チコのピアノのタッチに才能を認め、二人の距離は急速に縮まる。
だがチコには深い仲の女がいることを知り、ちょうどその時期に、彼女の才能に目をつけていたアメリカ人から、ニューヨークに誘われ、リタは船に乗る。

リタを忘れられないチコは、彼女の後を追うようにアメリカへ。
リタはすでにアメリカのショウ・ビジネスの世界でも脚光を浴びる存在となってて、映画出演のためハリウッドに向かった。
チコもニューヨークでディジー・ガレスビーの楽団の一員として、世界をツアーする日々を送る。

褐色の肌の歌手はミュージカルで主役を張っても、白人からは差別の視線を浴びせられる。
心が疲れていたリタは、久々に再会したチコに安らぎを感じ、仕事にも意欲を失いつつあった。
危機感を感じた芸能事務所の社長は、チコに麻薬所持の濡れ衣を着せ、キューバに強制送還させてしまう。


ハリウッドでミュージカルの主役を張るというリタのモデルは、『ウエストサイド物語』などでスターとなった、ベネズエラ出身のリタ・モレノがモデルかも知れない。

ストーリーも大人向けのちょっとホロ苦いテイストだけど、とにかくこのアニメは、その絵柄がなんとも言えなく渋いのだ。
人物は最小限の線だけで表現されていて、リキテンシュタインのポップアートの、あの顔の感じ。
最近の日本のアニメは、ジブリもしかりで、細部に渡るまで描きこみがなされていて、背景など実写のようなリアルさで表現されてるけど、このアニメは、省略する部分は大胆に省略していて、イラスト的な感覚。

配色も、明るい茶系統の建物に、深緑とか、濃い青のバックを合わせたり、目の疲れない色合いに統一されてる。
線も直線ではなく、わざと手書き感を出す感じで歪ませてあったり、そうやって描かれるキューバの街並みが、明るい活力に溢れて、ほんとにこのアニメの中の町に入り込んでみたいと思ってしまう。
50年代当時の流線型のバスや自動車、音楽ホールなど、美的感覚が今より鋭敏だったのが50年代だったんじゃないかと、見てて思ったね。

ジャズが好きな人が見れば、いろんな小ネタに反応できそう。
でなくても、ほぼ全編音楽に溢れてるし、絵的にとても洒落てるんで、部屋でただ流してるだけでも気持ちいいと思う。
DVDでもブルーレイでも出たら即買いしたい。
今回の映画祭で、上映終了後の拍手が一番多かったし、一般公開も決まるといいけど。

2011年10月12日

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ラテンビート映画祭2011『カルロス』 [ラテンビート映画祭2011]

ラテンビート映画祭2011

『カルロス』

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70年代の世界を震撼させた、伝説のテロリスト、コードネーム「カルロス」こと、イリイッチ・サンチェス・ラミレス。
この映画は、謎の部分が多い、その実像に関して、交友関係などはフィクションを交えて描いていると、最初に但し書きが出る。
本人はじめ、登場人物は実名に基づいてるため、「これが事実」というような描き方は、どこからクレームがつくとも限らないという配慮があったのか。

元々は5時間のTVシリーズとして作られていて、それを165分に編集しての上映。
5時間版は以前WOWOWで放映されてるようだが、俺は見逃した。

監督はフランス人のオリヴィエ・アサイヤス。『夏時間の庭』や『クリーン』など、日本ではミニシアター系の人という印象だが、カルロスの内面描写などには時間を割かずに、どう行動したのか、どういう状況に置かれたのか、その部分のみを、当時のニュースフィルムを挿入しつつ、辿っていく。
70年代半ばという、あの『ブラック・サンデー』が作られた時代と合致することもあり、ジョン・フランケンハイマーの演出で見てるような、乾いたタッチがいい。


1973年からのおよそ10年間に、14件のテロ事件の関与したと言われるカルロスだが、この編集版でメインとなるのは、1975年パリのアパートで、DST(フランス国土監視局)の捜査官2人と、カルロスを売ったエジプト人計3人を射殺した事件と、同年12月ウイーンのOPEC本部での総会襲撃事件。
5時間版の方では日本赤軍と共闘したとされる、テルアビブ空港乱射事件や、オランダ、ハーグでの、フランス大使館占拠事件なども描かれてるのかも知れない。

OPEC襲撃では、オーストリア政府に、ラジオを通じて声明を流させ、各国の要人たちをDC-10に乗せ、アルジェリアに向かい、身代金を要求する段取り。
その真の目的は、人質の中のサウジアラビアのヤマニ石油相と、イランのアモウゼガル石油相の殺害だった。
だがアルジェリアから先に、飛行機を迎え入れる国は無く、リビアに強制着陸するものの、リビア要人の付き人を殺害したことにカダフィ大佐は激怒。
滑走路から一歩も出られず、進退極まったカルロスは、サウジ側からの2千万ドルの身代金提示を受け入れ、人質を解放してしまう。

石油相殺害の任務を遂行できず、身代金の受け入れを独断で判断したことは、作戦を立案したPFLP(パレスチナ人民解放戦線)の特別作戦グループのリーダー、ワディ・ハタッドの叱責を受けることとなり、カルロスは組織を追われる。
この各国の思惑に翻弄されるDC-10の機内の場面は、息のつまるような臨場感に満ちていた。

PFLPを離れフリーランスとなったカルロスは、ドイツ極左テロ組織RZ(革命細胞)メンバーの女性と結婚、
1979年以降は、旧ソ連、東ドイツ、シリアなどの機関と接触。
大義ではなく、金のために依頼された仕事をこなす、職業軍人ならぬ「職業テロリスト」へと変貌していく。


ベネズエラ人俳優エドガー・ラミレスが、殺しには躊躇しないが、女には優しくモテたという、カルロスのカリスマ性を実感させる好演。
活動してない時期は「無為な生活は苦手だ」と本人が言うように、余分な肉がつき、しまりのない体つきに。
エドガー・ラミレスが体重を調整しながら、カルロスの様々な時期の肖像を体現してる。

キャストで強い印象を残すのは、カルロスと共にOPEC襲撃に加わる、ドイツ人女子大生ナーダを演じるジュリア・ハマー。
とにかく警官を憎んでいて、後ろから銃を突きつけ「あんた警官?」と尋ね、頷くと即座に後頭部を撃ち抜く。
国境の検問所でも警官と見ると問答無用に射殺という、男以上の凶暴さで、カルロスすらその存在を持て余すというキャラクターを猛演してた。

俺はドンパチ映画が好きだが、それは互いが戦う用意があって相まみえるという前提があってのことで、時にカルロスが反時代的なヒーローのように映るにしても、戦う用意のない相手への銃撃や、不意打ち的なテロ行為を、痛快な気分で見ることはできない。

これだけテロの嵐が吹き荒れてた70年代を、のほほんと過ごしてきた俺だが、むしろこれからの世界に、テロの季節が再び巡ってこないとは言い切れない。
年金の給付年齢を70才に引き上げる法案が立案されようとしてる今、若い世代の不公平感は増長されていくばかりだろう。彼らがこの先の日本に、明るい展望を持てるような要素がどこにあるのか?
その鬱屈が沸点を超える瞬間が訪れるのは、そう遠くないことのように思う。

2011年10月11日

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ラテンビート映画祭2011『トレンテ4』 [ラテンビート映画祭2011]

ラテンビート映画祭2011

『トレンテ4』

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その国のことを知る一つの判断規準にいいのは、その国で作られるコメディ映画を見ること。
どんな笑いが国民にウケるのか、どんなキャラが人気を博すのか、結構国によって違いが出るもんだよ。

例えばフランス。日本に入ってくるのは、ミニシアターが似合うしゃれおつな映画やブランド監督の映画だが、フランス人が一番詰めかけるフランス映画は、
『アステリックスとオベリックス』という、人気漫画原作のコメディ。
シリーズでもう4作できてるが、日本では2作目『ミッション・クレオパトラ』が、モニカ・ベルッチが出てるという売りで公開されたのみ。ほんとベタにドタバタな内容だ。

70年代でも日本じゃドロンやベルモンドがスターだったが、フランスで一番人気があったのは、
1972年の日本未公開作『ノッポで金髪で黒い靴をはいた男(原題)』でブレイクしたコメディ役者ピエール・リシャールだった。

この映画は1985年に、トム・ハンクス主演『赤い靴をはいた男の子』としてリメイクされてる。
リシャールは1974年『おかしなおかしな高校教師』、1975年『冒険喜劇・大出世』とジェーン・バーキン共演の2作が日本公開されてるが、ヒットはしてない。この人も基本ドタバタ芸が持ち味。

イギリスであれば「モンティパイソン」シリーズに代表されるような、ナンセンスと毒気をふくんだ笑いがウケるし、アメリカ映画の今の主流は、ジャド・アバトー製作による「冴えない男子」の自虐系ネタのコメディ。
本国で大ヒットするような作品がほとんどDVDスルーになっちゃうのは、映画の内容は男には「あるある」と共感持てるネタが入ってても、女性がそれを見たいか?というとこでね。
ベン・スティラーやセス・ローゲンやウィル・フェレルの顔を、劇場まで見に行きたいという女性も(俺はいい趣味だと思うが)少ないだろうねえ。

じゃあ、日本映画のコメディでウケるのはどんなものかと思うと、例えば三谷幸喜の作品とか、
『ハッピーフライト』などの矢口史靖監督の作品、クドカン脚本や『キサラギ』など、役者というより、物語で笑わせる映画が人気を得てる。
テレビで毎日のようにお笑い芸人を見てるから、映画でおんなじようなキャラで笑わせる要素は求められてないんだね。

前置きが相当長くなったが、ではスペインではどんなコメディが人気なのか?
それがわかるのがこの『トレンテ4』なのだ。
4とついてるからには、シリーズ4作目で、トレンテは主人公の名前だ。
風体はね、イメージしやすいのはチーチ・マリンかな。マリファナ・コメディで人気博したコメディ・コンビ
「チーチ&チョン」のチーチ。ドン・ジョンソンの刑事ドラマ『ナッシュ・ブリッジス』の相棒、あのチョイハゲ、小太りのオヤジ。彼に近いね。


トレンテは元警察官らしいが、今は警備員のバイトとして、大富豪の娘の結婚パーティの現場にいる。
だが映画開始10分ほどで、その花嫁に寝室でフ●ラさせてる。
その後パパラッチを見つけて、会場内を破壊しつつ追いかけ、パーティ客をプールに落とし、デカい電飾に足ひっかけて電飾をプールに落とし、客を感電させ、逃げ去ってく。
まあそういう出だしです。

翌日はストリップ劇場に行って、掃除係りのポワンとした男に
「マスかきたいから金貸せ」と言ったり、ホームレスの子供たちを突き飛ばして残飯のポリバケツを漁り、テラスのレストランに立ち寄って、片付いてないテーブルのワインの残りをグラスにかき集め、家族連れにちょっかい出し、家族たちがモメて立ち去ると、
「まったく夫婦ってやつは」と残った皿を平らげる。

アパートを借りてるんだが、その部屋を不法移民のアジア人に「また貸し」してて、10畳ほどの空間に30人位いて、中で闘鶏とかやって盛り上がってる。
黒人のことはニガーと呼び、オバマが大統領になるとはアメリカも終わりだなと公言し、映画の最初に着てる服は、刑務所にいる以外の場面ではずっと同じで、シャツについたシミも最後までそのまま。

そういう主人公の映画が大ヒットしてるという。スペイン人はかなり手ごわいぞ。
サッカーに関しては、もう当分勝てそうもないのもわかるくらい国民性として手ごわい。

あの突撃大ヒンシュクコメディ『ボラット』のサシャ・バロン・コーエンが、このトレンテを、自分が演じるリメイクに動いてるのも何となく納得だよ。
オナラを手掴みして相手に嗅がせるギャグが何度も繰り返される。
小学1年生が大ウケしそうなギャグがほとんど。
そうかと言えば定期的に女たちが出てきてオッパイ見せてくという。
まあ子供もオッパイ好きだけどな。

金に釣られて殺しの仕事を請け負ったトレンテが罠にはめられ、刑務所送りに。
シャワー室で右隣の黒人に色目使われるが、
「こいつの方がいいよ」と左隣の白人の足元に石鹸を落とす。
背を屈めた白人を見て黒人襲いかかる。この場面でア●ルと裏キ●タマが画面に大写しに。
これコメディ映画だよな?コメディどころか映画で裏キンを目にするなんて前代未聞だよ。
これに国民が詰めかけてるんだろ?スペイン人手ごわすぎるぞ。

刑務所でもめげることなく、『ショーシャンクの空に』みたいにポスターの裏の壁からトンネル掘ってる囚人と話をつけて、脱獄計画を練る。
トレンテ曰く『勝利への脱出』作戦。
あのスタローンの映画みたいに、刑務所内でサッカーの試合を催し、ハーフタイムの間に抜け出すというもの。
脱獄は成功するのか?


とまあ、ギャグはほんとくだらないんだが、トレンテの破壊的なキャラのせいで、結構楽しく見れてしまうからおそろしい。
ウンコとオナラとキン●マとオッパイが主成分といってもいい、このコメディはまず、日本で一般公開されることはないだろう。

一番笑ったのは、殺しを請け負ったトレンテが、地元の暇な奴らを集めて手伝わせようとする場面。
殺しの講義をして、手近なハサミや石を手に
「こんものを使うのは素人だ」
「地下鉄の切符でも頚動脈が切れる」
と言って、一人にかかってこさせる。
そいつに思いっ切り首を締められ、頚動脈狙って切符を振るうが、ペナッと折れる、さらに首を締められ続け、失神しそうになって、結局さっきのハサミをそいつの腕に突き刺す、そんな場面。

トレンテを演じるサンティアゴ・セグーラは監督も兼任。
ボラットと同じように、このキャラも自分で作り上げたものなんだろう。

2011年10月10日

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ラテンビート映画祭2011『ブルー 初めての空へ』 [ラテンビート映画祭2011]

ラテンビート映画祭2011

『ブルー 初めての空へ』

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絶滅危惧種に指定されてる「アオコンゴウインコ」を主役にした3DCGアニメ。
フォックス社製作だが、俺はこの監督の『アイスエイジ』とか『ロボッツ』とか見てないし、ピクサーのも、見たり見なかったり。
このCGアニメを見る気になったのは、俺もブルーボタンという種のインコを飼ってるから。
コンゴウインコは大型の種だが、ウチのはセキセイより一回り大きいくらいかな。
飼ってる人間が見ても、インコの仕草とか、毛並みの質感とか、よく観察されてる。


ブラジルのリオデジャネイロ郊外の、大きな森に生まれたアオコンゴウインコのヒナが、密輸業者に捕獲され、アメリカへ。
輸送トラックから箱ごと落ちて、ミネソタに住む少女リンダが拾って育てることに。
見た目そのまんまにブルーと名づけられ、彼女とともに成長して15年後。
リンダが営む小さな古本屋の看板インコとなったブルーを、偶然見かけたのが、ブラジル人の鳥類学者チュリオ。
ブルーが種の最後のオスの1羽で、リオの研究所に最後のメスの1羽が保護されてるから、是非ペアリングさせて子孫をと言う。

半信半疑ながらも、チュリオの情熱に押されて、リンダとブルーはリオデジャネイロへ。
15年ぶりの故郷だが、ブルーはずっと屋内で人間同様に育ったため、飛べないし、自分と同じインコもミネソタには居なかったから、恋もしたことないのだ。
この草食男子ならぬ「草食インコ」にはワイルドすぎる冒険が待っていた。


これは本来は3DCGで製作されてるが、今回は2D版での上映だった。
リオの町の起伏に富んだ景観や、ブルーが飛ぶ訓練をするため、リオの山の上から、ハングライダーの翼の上に乗っかったりしながら、コルゴバードの丘のキリスト像をかすめ、イパネマ海岸まで滑空してく爽快な場面なんかは、3Dの臨場感が効果を発揮してただろうな、とは思う。

ブルーを安易にすぐ飛べるようにはせず、最後の方までその設定を守っていくのがいい。
飛べないインコが、そのハンデにめげずに、冒険を通して逞しいオスに成長してくのが、ちゃんと表現されてるのだ。
出会った当初は「草食」ぶりをバカにしてたメスのジュエルと、一時は密輸業者に捕らえられ、足を互いに鎖で繋がれながらの脱走劇も、二羽の気持ちが近づいてくのには巧い設定。
クライマックスの輸送機の場面は、鳥や動物がしゃべるようなアニメを見てる、いい歳の俺が、なんでこんなに感動してるんだ?という事態に陥るくらい感動したよ。

このアニメのもう一方の主役は、カラフルな彩色が踊るリオデジャネイロの都市の景観そのものだろう。
観光名所や、リオのカーニバルの熱狂もCGで再現してるし、町の中心部から丘陵にへばりつくように無数のバラックが建てられてる、あの有名な貧民街ファベーラまでも、脱走劇の舞台として再現してる。
これはリオデジャネイロ出身という監督カルロス・サルダーニャの、
「光も影もみんなひっくるめて、これが自分の育った場所、それをみんなに見てほしい」
という、思いの表れなんだろうね。
桜並木が連なる坂を、縫うように進む路面電車の屋根の上で、ブルーとジュエルが、いいムードになりかかる場面も、絵的にとても綺麗。


このアニメはもうすでにDVD、ブルーレイの発売日が決まっていて、一般公開は見送られたっぽい。
勿体ないと思うよ。音楽もラテン系でノリがいいし、「イパネマの娘」とか、セルジオ・メンデスの楽曲とか、俺よりひとつ上の、ラテン音楽ブームに湧いた世代の人も楽しめるよ。
人によってはもう孫がいる歳だろうが、孫を連れて見に行くには絶好の1本だと思うがなあ。

俺が見た2D字幕版は、ブルーの声を「草食系」の代表みたいなジェシー・アイゼンバーグがやってて、まさにハマり役。
気の強いメスのジュエルの声はアン・ハサウェイ。彼女もほんとに巧いんだよな。
二羽を助ける鳥のコンビのちっちゃい方の声をジェイミー・フォックスがやってて、路面電車の場面では1曲ノドを聴かせてる。
3Dアニメは一般公開の時はほとんど日本語吹替版になっちゃうので、貴重な機会ではあったかも。
もし公開されるようなことになったら、もう一度、今度は3Dを楽しむために見に行きたい。

ちなみに大型のインコは50年くらい生きるんだよ。
だからこの物語は年齢設定もちゃんと考えてある。

2011年10月9日

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ラテンビート映画祭2011『気狂いピエロの決闘』 [ラテンビート映画祭2011]

ラテンビート映画祭2011

『気狂いピエロの決闘』

気狂いピエロの決闘.jpg

スペインはじめラテン系諸国の日本未公開作を集めた好企画。
今年は東京、京都、横浜の3都市のシネコンで開催。俺は日程の都合で新宿バルト9での上映には行けなかったんで、横浜のブルク13での上映に通うことに。

その一発目がアレックス・デ・ラ・イグレシア監督の新作だったが、いやこの監督はやっぱ凄いわ。
俺は『どつかれてアンダルシア(仮)』や『マカロニ・ウェスタン 800発の銃弾』をこよなく愛する立場だが、この監督のテーマにある「嫉妬と暴力」が一段と狂い咲き方向に加速してってる。


祖父も父もピエロをやってたハビエルは、少年時代、軍に捕らえられ、炭鉱で命を落とした父を真近に見て、笑顔を失った。
小太りで冴えない中年となり、ピエロの役を得ようと、サーカス団を訪れるが、団長から
「悲しみを経験した者は、子供を笑わせられない」
と、泣き役のピエロとして雇われる。

団長自身もピエロで、普段は子供好きのいい男なんだが、酒が入るとどーしょうもなく、美しい踊り子である妻のナタリアをレストランでもかまわず殴る蹴る。
その後、謝りに戻って、店の中でセックスという有様だよ。
そんな暴力ピエロの相方として、ショウで泣かされることで、子供たちの笑いを得るハビエル。
だが入団した日に、目の前の柱からクルクルと回って降りてきたナタリアに、心を奪われてしまったハビエルは、夫の暴力ピエロから彼女を救い出すという一念に駆られ始める。

ここから先は、小心者の小太りハビエルが、しだいに狂気の武装ピエロへと変貌し、ナタリアへの妄執を炸裂されてく過程が、怒涛の如く描かれていく。
物語の骨格は1999年の『どつかれてアンダルシア(仮)』と似てる。
あの映画のボケとツッコミのお笑い芸人の、殺し合いにまで至る関係を、二人のピエロに置き換えてる訳だ。

暴力ピエロはハビエルによって顔が変形するまで殴打され、そのハビエルも自分で顔に酸をかけ、おぞましい形相の白塗りの二人が、決着の場へと突き進む。
この二人の面相を見て即座に連想するのは『ダークナイト』のジョーカーだね。
決着の場の巨大な石像を二人のピエロとナタリアがしがみつくように登ってく場面はヒッチコックの
『逃走迷路』か。
映画マニアでもあるイグレシア監督ならではの引用だろう。


ところでピエロ恐怖症という人がいるらしいね。マクドナルドのドナルド君すら見るのが怖いという。
日本人の感性だと、ピエロの風貌で笑い誘われる感じはないよなあ。
滑ったり転んだりを見せて笑いとるのはわかるけど。
スティーヴン・キングの『IT』とか、ピエロがトラウマそのものっていう描かれ方されてるし。
なのでそういう人は間違っても見てはいけません。

サーカスとピエロといえば、まずフェリーニの映画ということになるし、『道化師』という映画を作ってる位だが、この映画のイグレシア監督のタッチは、言ってみれば
「フェリーニ監督がコカインやりながら撮ったような」映画。

見る者の首根っこ掴んで、引き摺ってくようなハイテンションと、縦横無人に動き回るカメラ。
エミール・クストリッツァやマーティン・スコセッシの映画が好きなら、このノリはむしろ快感だと思う。
俺はもう武装したハビエルが町のカフェの家族連れの前で、いきなり機関銃乱射するとことか、笑い出しちゃったが、みんなあまり笑ってなかった。ドン引きしてたのかも。
しかしラストシーンはなんかジンとくるんだよな。狂ってるんだけど。
これは一般公開はないかもな。

2011年10月8日

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