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ロマポル⑫泉じゅんと総評 [生きつづけるロマンポルノ]

『天使のはらわた 赤い淫画』

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5月12日から6月1日まで、渋谷ユーロスペースで開催されてた「生きつづけるロマンポルノ」だが、その上映期間中に、「あなたが選ぶ日活ロマンポルノ」という投票が行われていて、結果、最多の得票を集め、最終日の最終回に上映されたのが、この映画。

俺は今回上映された32本の中から選ぶのかと思ってたら、そうではなく、すべての日活ロマンポルノ作品が対象だったんだな。
この『天使のはらわた 赤い淫画』は32本の中には入ってなかったのだ。

蓮實重彦、山田宏一、山根貞男という高名な映画評論家3氏がセレクトした今回の上映作以外から、観客が選出したというのは皮肉なもんだが、一つにはロマンポルノを代表するアイドル女優・泉じゅんの作品が1本もないじゃないかという不満と共に、2010年12月に自ら命を絶った、池田敏春監督を追悼したいという気分も、ロマンポルノファンの間にあったのだろう。


石井隆原作・脚本の「名美と村木」の物語である『天使のはらわた』の、映画化4作目となる、
1981年作。ヒロイン名美を演じる泉じゅんは、ロマンポルノでデビューした後、一時ヌードを封印して、一般映画に出てた。
俺はその時期に彼女が出た、伊藤俊也監督の怪作ホラー『犬神の悪霊(たたり)』くらいしか見てない。
泉じゅんがロマンポルノにカムバックした後に出たのがこの映画だ。
デビューした頃の写真なんかと比べると、当たり前に大人びてるが、ぽっちゃりした童顔のかわいさは残ってる。


池田敏春監督は冒頭、名美が人影に怯えて帰路に着く夜の場面から、画の切り取り方がシャープだ。
自分が付け回されてるという不安には、根拠があった。名美は以前デパートの同僚の女性店員から、モデルの代理を頼まれて、行った所がビニ本の撮影だったのだ。
無理矢理に写真を撮られ、あられもないポーズが満載のビニ本も売り出されてしまった。それ以来、誰かに付けられてると感じてるのだ。部屋に無言電話もかかるようになった。

だがあの屈辱の体験は、名美の体に淫靡な火を灯してもいた。
名美は部屋に入ると、ストーブにあたり、コタツの中で、自然に手は股間をまさぐっていた。

一方、安アパートの一室で、無職の青年・村木は、名美のビニ本を見つめていた。村木は名美の表情に取り憑かれてるようだった。
向かいの家の2階の部屋では、女子高生が生卵を使ってオナってる。村木が覗いてるのを承知してるかのように、カーテンは開け放ちてた。
村木はその様子を見た後に、再び名美の顔に視線を戻す。そして抑えが効かなくなる。
一人でやってると、名美の白い手が伸びてくる。村木と名美はローションプレイでもするように、互いがヌメヌメになりながら、やがてその妄想の中で果てる。


名美は売り場の主任と不倫関係にあった。だが主任はどこから手に入れたのか、名美のビニ本を持っていた。
いつものように名美をホテルに呼び出すが、そこで
「ビニ本が自分の所に送られてきた。従業員が出てると」と切り出した。
「上に報告するか、自分の所で止めておくか」
「だがそれも容易じゃない」
「これを機に、君の部屋で会わないか?ホテル代もバカにならないし、君に渡してる小遣いもね」
名美は恐喝まがいのセリフにきこえ、申し出を拒否する。
翌日、主任は上司に報告し、名美は職場を追われた。

盛り場をふらふらと歩く失意の名美を、村木は見かけて追いかける。名美は村木を例のストーカーだと思い、逃げ続ける。
だが自宅まで追いかけられ、窓から覗くと、村木はドシャ降りの雨の路上に立ち尽くしていた。
公園のジャングルジムに座り込む村木に、名美はそっと傘を差し出す。
「もう来ないで」
「私はビニ本の女なんかじゃないのよ!」
「話をきいてくれ、僕は付け回したいわけじゃないんだ」
「じゃあ、その手にしてるビニ本、破いてよ!」

村木は言う通りにするが、破いた紙切れを拾い集める。
「ばかじゃないの?」
そう言うと、名美はジャングルジムの中で、服を脱ぎ始めた。
「したいなら、していいわよ」
村木は名美を押し倒す。雨は降り続けてる。だが
「僕はこんなことしたいんじゃない」
「明日の夜7時、もう一度会ってほしい」
と言い残して立ち去る。


村木の向かいの家の女子高生が、帰宅の途中でいきなり男に襲われた。
男は少女の頭部を何度も建設現場の角材に打ち付ける。
絶命した少女を裸にして事に及ぶと、さらにその死体に放尿する。完全にイカれてる。
通行人が目撃して、男は姿を消す。

折から、村木のアパート周辺では下着泥棒が出没していて、村木に嫌疑がかかっていた。
娘が死体で発見されたと聞き、逆上した父親は猟銃を持ち出した。
そして丁度帰宅した村木に向けて引き金を引いた。


「名美と村木」のありがちな展開と見てたので、女子高生が殺されるくだりの唐突感には驚いた。
男が服を引きちぎる様子をローアングルで捉えていて、バックに副都心のビルの無数の明かりが灯ってる。
80年代初頭はまだあの辺は開発途中で、空き地や建設現場も点在してただろう。
死角となる場所は多かったはずだ。それにしてもの酷薄すぎる描写だったな。

名美と村木が対峙するジャングルジムの演出はよかった。
鉄柵ごしに雨が降りかかる仰角のアングルとか、そのシルバーとコントラスト見せる赤い傘。
ほかにもコタツの熱源の赤など、池田敏春監督の、その後の映画の色のこだわりに通じる要素が見てとれる。

性的な場面の演出では、絡みの体位とか、ねちっこさよりも、「あの部分」の音にかなりこだわってる。
ロマンポルノを見た中でも、こんなに生々しい音をつけてるのは他になかった。
池田監督にとっては、セックスは肉体が液状化するものというイメージがあったのか。
ラストの泉じゅんの表情が美しかったな。

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「生きつづけるロマンポルノ」通い終えて

結局今回の上映で32本中19本見たことになる。
期間の前半は気合入ってて、週末は日に4本とか見てたんだが、ロマンポルノのいい所は、大方の映画が80分以内ということ。だからハシゴしても、あんまり体に負担がかからない。
だがさすがに男女の絡みが必ず入るという同じフォーマットのものを、短期間に集中して見ることに、胸焼けも起こして、期間の後半は息切れした。

当初見ようと思ってた『赤線玉の井 ぬけられます』『濡れた荒野を走れ』『美少女プロレス 失神10秒前』を見逃してしまったのは悔いが残る。

この特集上映のコメントの1回目にも書いたが、俺はレズシーン以外には興奮しない性質なので、男女の絡みがバンバン出てきても、体は反応しない。
今回は客席内に「女性専用シート」を設けたこともあり、女性客の入場も目立ってて、満席の回などは、隣席に女性が座ることもあったが、場面に生唾のむようなこともほとんどないので余裕かましてられた。
それで19本見たけど、ロマンポルノというのは聞きしに勝るくらいに「レズシーン」に冷淡だね。
まあ70年代~80年代というと「レズNG」な女優がほとんどだったろうし、監督も関心がない人が多かったのか。
そういう意味では予想してた通りとはいえ、残念ではあった。

もともと絡みはどーでもよく、それ以外の描写に、面白みを見出そうと臨んでたわけだから、ロマンポルノの見方としちゃ、本末転倒というか、倒錯的ではあったんだが、「それ以外」の部分が見応えあったわけだし。

もう映画も40年近く見て来て、まだ「日活ロマンポルノ」という大きな鉱脈に手を触れてなかった、その今更ながらの「発見の歓び」は充分に味わえた。
魅力的な女優に何人も出会えたしね。

近年の日本映画は、肌触りはよくなってるけど、全体的にブリーチ施されて、画面から匂いが伝わってこない。
ロマンポルノには「映画にかぶりついてみろ!」という、野卑なまでのパワーが漲ってたんだなと実感した。もっと色んな作品を見てみたいが、DVDだと絡みの部分は早送りしてしまうから、やっぱりスクリーンで見たい。
今回とまた異なったセレクションで開催してほしい。

2012年6月7日

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ロマポル⑪神代辰巳監督の3作 [生きつづけるロマンポルノ]

今回渋谷ユーロスペースで特集上映された「生きつづけるロマンポルノ」において、神代辰巳監督作は『赫い髪の女』のほかに3作見た。
いずれも、神代演出というのは、絡みの場面がねちっこいなという印象だ。他の監督に比べてスケベそう。そこがいいんじゃない、ってことなんだろうが。



『一条さゆり 濡れた欲情』

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1972年という「ロマンポルノ黎明期」にいきなり誕生したマイルストーンという位置づけと捉えていいのかな。
公然わいせつでの検挙なんか日常茶飯事だったという、伝説のストリッパー、一条さゆりの名を題名に冠していて、本人も出てるのに、主役は、野心だけはメラメラとある、後輩ストリッパーを演じる伊佐山ひろ子だった。

一条さゆりに女優めいたことをさせるより、彼女はストリッパーとして厳然と存在してるのだから、彼女の芸と、その実像の部分を収めておければいい。
だがそれではドキュメンタリーになってしまうんで、彼女を蹴落とそうとする、若いストリッパーの物語を絡めて、肉体ひとつでしたたかに生きる女たちを活写するに至った、神代辰巳自らの脚本の戦略が見事だと思った。

俺は一条さゆりのことは詳しく知らなかった。彼女の「ローソクショー」をカメラは舐めるように捉えてるが、さすがに迫力あった。見てて生唾呑み込んだもの。

伊佐山ひろ子は同じ年の『白い指の戯れ』でデビューしてるが、あの映画の時はまだ演技というレベルではなく、素材で勝負してる感じだったが、この映画では神代監督に相当しごかれたのか、はっきりと役のキャラクターが見える演技をしていて、その成長ぶりには驚かされる。


伊佐山ひろ子演じる、若いストリッパーのはるみは、「私、お姉さんのこと尊敬してますねん」みたいなこと言って、取り入ろうとしながら、一条さゆりの履物を隠したりと、姑息な手段で、花形ストリッパーの座を狙ってる。
先輩の過去を調べて、自分も同じ養護施設にいたなどと、偶然をアピールしてみたり。
その養護施設出身というのは、実際の一条さゆりのエピソードらしく、虚実が交錯する。
だが野心を見透かされ、冷たくあしらわれることで、はるみはいよいよ闘争心に燃える。

ピンとしての技量が足らないと、「レズビアンショー」をやらされてるんだが、その相手の白川和子と、道端で大ゲンカとなる場面がすごい。はるみは
「レズなんて芸やない!大体あんたの匂い嗅ぐだけで、いつもアゲそうになるんや!」
「なんやて?あんたのもんかて、臭くてかなわんわ!」
みたいなエグい発言を、往来でわめき散らしてる。

結局踊りの完成度では一条さゆりには勝てないと思ったのか、「花電車」系のスキルを身につけようと頑張ることになる。

警察の手入れを逃れるために、衣装トランクの中に隠れたものの、表通りに出た所で下り坂を、滑車のついたトランクがどんどん転がっていき、交差点の真ん中で、異変に気づいたはるみが、トランクからほぼ裸で出てくるという場面も可笑しい。
阪急野田駅周辺で、これはゲリラ撮影してるんだろうが、伊佐山ひろ子も度胸がいいな。

ストリップの場面のほかにもセックスシーンがあるんだが、それもなにかストリップの舞台のように演出されてた。例えばはるみがヒモの男と、ラブホに入るんだが、回転ベッドになってて、まぐわう様子が回り舞台のように見える。

その後、新しいヒモに乗りかえたはるみが、その男とデパート屋上のゴトゴト動くコースターの座席で事に至る場面も、町を一望というより、町全体から見られながらセックスしてるという描写になってる。
セックスの見せ方に工夫があるんで、退屈しない。



『恋人たちは濡れた』

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外房のうら寂れた海岸沿いのじゃり道を、若い男が自転車こいでる。荷台には映画のフィルム缶が詰まれてる。
スーツを着た男とぶつかりそうになり、その拍子に自転車が倒れ、フィルムが転がる。このオープニングから、いい感じだね。
1973年作だが、全編通してポルノというより、アメリカン・ニューシネマの匂いを感じる青春映画の感触だった。

主人公は克という名だったが、この港町には5年ぶりに戻ってきて、地元で唯一の映画館で、フィルム運びの職にありついた。
洋ものポルノをかける、しがない小屋だったが、克は街中に出て、自作の歌とギターで呼び込みなんかもしてた。閉館後の館内で、舞台に上がり、三波春夫の真似なんかしてる。伸びやかな声で上手い。

主演の大江徹という人はミュージシャンらしい。この映画の音楽も担当してる。
何日か前のこのブログで、「ミュージシャンの主演するロマンポルノ」と題して『おんなの細道 濡れた海峡』と『白い指の戯れ』を取り上げたけど、これもそうだったな。

この克は故郷に戻ってきてるのに、友達や知人に会っても
「自分は克なんて奴じゃない」と頑なに否定するのだ。幼なじみからは怒ってボコられたりするのだが。
映画館主の妻のよしえは、当初この若者の得体の知れなさに、警戒していた。
「あんた過激派とかじゃないの?」
「なんか犯罪おかしてきたんでしょ」
「なんだよお、失礼だろお?」

二人はソリが合わないように思えたが、亭主の映画館主は、外に若い女を作っていて、ほとんど仕事場に寄り付かなくなってた。
よしえは淋しさから克と肉体関係を結んでしまう。そうなると今度は、克の得体の知れなさが、ミステリアスな魅力に見えてしまうのだ。
だが克の方は、この年上の女に入れ込むわけでもない。

克が海岸線沿いをブラついてると、草むらの中で、カップルが青姦に及んでた。
克は距離をつめていき、その行為を覗くが、次第に覗くというようなつつましいもんじゃなく、すぐ背後でガン見する。男は気づいて
「やめろよお!」「あっちいけよお!」と言ってるが、ガン見し続ける。
終わった男にボコられる。這って帰ろうとする克に、車で来てたカップルは「乗ってくか?」と声をかける。
青春だねえ。
克はそれ以来、カップルの光夫と洋子と、なんとなくつるむようになる。


洋子を演じるのは中川梨絵。今回の上映で初めて見た。
『(秘)色情めす市場』の芹明香のことを「タイムレス」と書いたが、この中川梨絵は、まさに70年代初頭の女の子の雰囲気だ。バタ臭いルックスで、ベルボトムのジーンズが似合う。
「平凡パンチ」や「レナウンガール」のイメージだね。すごく可愛い。

劇の終盤で3人が砂浜で延々と馬とびをする場面があるが、彼女だけが次第に服を脱いでいって、最後はスッポンポンで馬とびしてる。こういうのを妄想するのが神代辰巳のスケベ魂だろう。
克が自分の正体を認めない理由が唐突にわかるのがラストなんだが、この場面では中川梨絵を前に乗せて、自転車こいでる。『明日に向って撃て!』だよねえ。

その中川梨絵もいいんだが、見せ場という意味では、映画館主の妻を演じた絵沢萌子が持ってく。
克が洋子たちと町を出ると告げると、3人の乗る車をひたすら追っかけてくのだ。
ほんとどこにそんな健脚がという位に、町はずれまで走る走る。
絵沢萌子の走りっぷりは、この映画のハイライトといっていい。

その後、すべてを諦めて、ハシゴを持ち出した彼女は、なにか高台にある施設の建物に、ハシゴを立てかけ、踏み台の上の方にヒモを括って、首に回す。
死ぬつもりだったが、踏み台が折れて、それも叶わず、そのふがいないという表情がね。
今回の特集上映で絵沢萌子は何度も見たが、この映画の彼女が一番よかった。
不思議と後を引く映画だったな。



『四畳半襖の裏張り』

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永井荷風が書いたとされる戯作『四畳半襖の下張り』を、1972年に月刊誌「面白半分」に掲載したことで、当時の編集長だった野坂昭如が、刑法175条「わいせつ文書販売の罪」で起訴されたことは、おぼろげに憶えてる。
この映画はその荷風の原作をもとにした1973年作だが、見る限りどこが「わいせつ」と起訴までされるのか、ピンとこなかった。

頻発する米騒動や、連合国の要請に沿ったシベリア出兵など、不穏な空気に包まれる大正時代の置屋を舞台にしてる。
「男は金と思え」「初めての客に入れ込むな」など、芸者の心得とともに、芸者たちの悲喜こもごもが描かれる。

宮下順子は、その初めての客の男のすごい「床わざ」につい我を忘れてしまう芸者の役。
だがこのセックスシーンが長い。わざに反応してる様を細かく表現はしてるんだが、どうも興味が湧かない。
宮下順子は『赫い髪の女』とか『実録阿部定』とか、自分から攻めに入ってる時の方が本領が出るんじゃなかろうか。

絵沢萌子演じる置屋のおかみが、見習い芸者の芹明香に、女の武器の性能を高めるため、訓練させる場面もある。そのおかみも、段々と客もつかなくなり、そのフラストレーションを見習いへのレズ行為で晴らそうとする。
ロマポル久々のレズシーンかとテンション上がりかけたが、芹明香がこわばって震えてるだけで、早々に場面も切り替わった。つまらん。

あと幼なじみの芸者のもとに通ってくる兵隊のエピソードがある。来ても芸者の体が空いた頃には軍隊に戻らなきゃならない。軍隊での訓練場面もあるが、その過酷さが伝わるような描写じゃない。
なので、兵隊は明日はシベリア出兵で、もう戻れないかもしれないと、幼なじみの芸者と泣きながらセックスする場面も、芝居くさいと見えてしまう。

全体として、コメディタッチなのか、シリアスなのか、ねっとりなのか、俺には散漫に思えてしまって、世評ほどには感じられなかった。

あと『実録阿部定』のコメントした時に、山谷初男の幇間(たいこもち)のエピソードが、定の行為につながるなどと書いたんだが、それはこっちの映画のエピソードだった。
いやもう短期間にロマンポルノばかり見まくったんで、ごっちゃになってるのだ。どっちも宮下順子だし。
と言い訳しつつ訂正いたします。

2012年6月6日

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ロマポル⑩宮下順子はホラーだ [生きつづけるロマンポルノ]

『赫い髪の女』

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石橋蓮司演じる土木作業員の運転するトラックが、道路沿いの店じまいした安食堂の軒先で、座り込んでラーメンをすすってる、赤い髪をした女を拾う。
やがて女は土木作業員の借住まう、カビくさいアパートに転がりこんで、男の帰りを待つ。
ふたりはひたすらセックスに耽る。
男の帰りが待ちきれないと、女は男の靴下やパンツに顔をつけて自慰。
帰るや否や股間にすがり付いてくる。

さすがに飯もできてないんで、男は怒鳴る。
だが赤い髪の女はインスタントラーメンしか作らないのだ。
他のものは食べる気もないようだ。
「スーパーで安売りしてたから、たくさん買ってきちゃった」
と買ってくるのもインスタントラーメンだ。

下の部屋にはヤク中の夫婦が住んでる。女房の吼える声が床板を突き抜けてくるようだが、セックスの声なのか、禁断症状によるものか、わからない。
だが赤い髪の女は次第にその声にも興奮してきたようで、さらに男を求めてくる。

男の留守中、洗濯した下着を干そうとして、下の部屋の庭先に落とす。
丁度ヤク中の女房の鼻先に落ちたんで、女房は怒鳴り声とともに、女の部屋の戸を叩きまくり、開けた途端に掴みかかってくる。
亭主が止めに入らなかったら殺されてる所だ。
だがここを逃げ出そうという気持ちもない。


土木作業員の男は、女を連れて、用事で郷里に戻る。
どのあたりか、四万十川にかかるような橋を渡ってるが。

男は姉夫婦だか、妹夫婦だかと食事をして、赤い髪の女も同席してるが、
「あんた以前このへんに住んでなかったかい?」
と尋ねられ、女は顔色を曇らせる。否定するが、その後は居づらくてならない。

帰りの橋の上で、女は初めて男の前で感情を吐き出す。
なんで泣いてるのか、この女の過去に何があったのか、男は聞こうとはしない。
それを知ってしまったら、こいつは居なくなってしまうかもしれない。そう思ったのか。

カビくさい部屋に戻ったふたりは、セックス以外にすることもなかった。
土木作業員が、同僚の若い男に女を抱かせるような真似をしても、そりゃ最初は激しく抵抗するし、さすがに部屋を出ていくが、銭湯で体を洗って戻ってくる。
女はひと言「へんたい」と。


この宮下順子はセックスさえしてられればいいのだ。
石橋蓮司もまあ絶倫だったから、ああもエンドレスで応じることもできるんだろうが、インスタントラーメンしか作らないんでは、体も壊すわな、そのうち。
土木作業員の男は昼間は現場でまともに物を食べてたようだが、力仕事の二毛作みたいな毎日だろ、どこまで続けられるのかと思うよ。

肉体だけで結びついた男と女を描いて、その純度の高さが語り継がれてる映画だが、俺はこんな女と出会ったこともなければ、こういう生活も経験がない。
これからもないだろうと思うと、俺にとっては一種のファンタジー映画なのだ。
惚れられてるんだろうが、肉体に執着されてるとも思えるし、過去は怖くて問えないし。
飯を作るのは苦手というだけなら、しかたがないが、この赤い髪の女の場合は「食」そのものに関心がないわけだ。一緒に暮らす女がそれではきつい。

石橋蓮司はあのまま吸い尽くされて、『異人たちとの夏』の風間杜夫みたいになっちまうんでは?
宮下順子が怖いのは、たぶんそうなっても、男は抗えないだろうなと思わせる所。


俺には怖い映画だったが、宮下順子がトンネルの向こうから歩いてきて、道ゆくトラックに赤い髪がなびいて、バックに憂歌団の歌が流れる、このオープニングは最高だ。
憂歌団とロマンポルノといえば、俺が思い出すのは、学生時代に聴いてた深夜放送だ。

TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」の、3時からの第2部で毎週火曜だったか、林美雄がDJをやってた通称「ミドリブタパック」をよく聴いてた。

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林美雄という人は、時流に関係なく、自分がいいと思うものは、とことん番組でプッシュし続けてた。
憂歌団も一番早い時期に惚れ込んで、番組で流してたんで、俺もレコード買ったりしてた。
音楽でいえば「ニューミュージック」系のアーティストを、いち早く紹介してたのもこの番組だった。

映画にも精通していて、「日活ロマンポルノ」の芸術性をさかんに語ってた記憶がある。
だから中学生の俺でも、題名や監督名は耳にしてたのだ。実際は見に行けなかったが。
俺が十代の頃に一番影響を受けたのが林美雄だったな。
できるなら、当時の放送をもう一度聴いて、またロマンポルノを見直せるといいのだが。



『実録阿部定』

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『赫い髪の女』と同様、とことん男と、男の肉体に殉じるような女を宮下順子が血肉化してる。
こっちの怖さはもっと直截的なもので、惚れすぎて、逃げられるのが怖くなって、首絞めて男を殺しちゃうわけだが、その後にイチモツを切り取って、後生大事に懐に隠して持ち続けてる。

これだけ愛されれば本望と思うか、しかし殺されてるわけだからね。
やっぱりもう少し別の愛情表現でひとつと、お願いしたいものですよ。

山谷初男演じる幇間(たいこもち)が、一番の性的エクスタシーは、首を絞められて死ぬ間際に訪れるなんて逸話を、酒の席で披露して、
ダンナに「じゃあ、お前が実際やってみせろ」なんて殺生なことを言われるのが、阿部定の行為の伏線になってるあたりの描写は面白い。

イチモツを切り取ってからの定の行動に、この映画は時間を割いていて、あの行為ばかりがクライマックスではないのだという視点に立ってる。
警察の捜査の手が及ぶ中で、定は神社に参ったり、ひとり宿をとったりしながら、紙に包んだ男の「しるし」を愛おし気に眺めたりしてる。

それは狂気には違いないんだが、「こうするよりほかなかった」という、定としての成就の仕方で、宮下順子は、その幸福と哀れを同時に体現していて、表現力において、ロマンポルノの女優の中でも、抜きん出たものを感じる。

こういう女に愛されることは男冥利に尽きるのかもしれんが、やっぱりおっかない。
宮下順子は貞子なんかより、よっぽどホラーなのだ。

2012年6月4日

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ロマポル⑨室田日出男に泣かされる [生きつづけるロマンポルノ]

『人妻集団暴行致死事件』

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舞台となってるのは、荒川中流域の架空の地方都市だ。1978年の映画だから、河川敷などはガンガン造成が進んでいて、話の中心となる3人の若者のうち、昭三はその建設現場で働いてる。

ここ近年、日本映画の潮流の一つとしてあるのが「北関東映画」というものだ。
『SR/サイタマのラッパー』シリーズや、『サウダーヂ』、『川の底からこんにちは』『ヒーロー・ショー』など、高い評価を得る作品が目立つ。
埼玉・群馬・茨城・栃木という、地理的かつメンタル的に、東京に近くて遠い、独特の風土が色濃くドラマに反映されている。
この映画はそれらの映画の源流にある風景を見てるような思いがした。


古尾谷雅人が演じる昭三は、窃盗の前科があり、職を転々としてる。東京での一人暮らしから早々に舞い戻ってきた。父親との折り合いは最悪だ。
20才の昭三の2コ下の礼次は家が農家で、適当に畑の手伝いをしてれば、食うには困らない。
二人は久々に礼次の先輩となる善作と会う。善作は勤め人をしてたが、やはり仕事が続かない。彼女はいるにはいるが、ガードが固い。
3人は荒川沿いの、この冴えない風景から脱け出すこともなく、燻り続けている。

映画では度々、線路を行き来する列車を映す。旅客列車や貨物列車、見てると同じ色合いの列車が映ることがない。さまざまな人や物や人生が、急き立てられるように、列車に運ばれて行くが、昭三たちの日常は停滞したままだ。

背の高い昭三は女にはモテるんで、高校時代の同級生の女友達を呼び出して、礼次や善作にあてがったりする。このあたりは青春映画の乗りで、登場人物たちが、やたら声を張ってセリフを言うのも、日テレでやってた「学園ドラマ」っぽくて、気恥ずかしい感じはある。

3人が悪ふざけで、河川敷で細々と養鶏を営む江口の車から、卵を盗んで売ろうとしたことがバレて、警察にしょっぴかれる。だが江口は訴えは出さないという。農家を営む礼次の親が賠償金を払ったのだ。3人は保釈され、それから江口とのつきあいが始まった。

江口は熊のような見てくれで、凄めば迫力もありそうな中年男だった。昔は浅草でテキ屋をやってたというが、江口を知る者は「あいつは心根が優しくてヤクザには向かん」と話した。

江口は昭三たちを怒るどころか、庇うそぶりまで見せ、釈放されたての3人に焼肉まで奢った。
半端者の3人に、若い頃の自分を重ねて見るのか、江口は若者3人とよくつるむようになる。
投網で川の鯉を捕ってみせると、若者たちは歓声を上げた。


江口の家はバラックのようだったが、彼には妻がいた。
枝美子という名で、美人だったが、少し「とろい」所があった。
枝美子は以前怪しげな料亭で働き、客を取らされていた。江口は枝美子を見初め、そんな環境から救い出したのだった。
だから貧相な生活ぶりであれ、枝美子はそんな江口の傍にいるだけでよかった。

江口は居酒屋で飲んだ後、若者3人を家に連れて来た。イタチに殺された鶏で、枝美子にスープを作らせ、昭三たちに振舞う。枝美子の表情には怯えの色が浮かんでいた。
夜ふとんに入り
「あの人たち嫌い、なんか怖い」
そんな枝美子を江口は抱いた。
枝美子は背中に爪を立て、終わった後も喘ぎは止まらなかった。
「おまえは本当にこれが好きなんだな」
江口は改めて愛しさが溢れてきた。


その夜は江口は妻とふたりで新しい投網を縫っていた。
昭三たち3人が「泰造さん、飲みに行こう!」と誘いに来た。
「今夜は行かないで」
枝美子はそう訴えたが
「男のつきあいなんじゃ」と江口は家を出る。

昭三が女友達を呼んで、江口にもあてがおうと思ってたが、あてが外れ、江口はしたたかに酔って、3人に介抱されて戻ってきた。家の外で大の字で眠りこける江口。
「なあ、あの嫁さん、やっちまうか」
「頭も弱そうだし、アレが好きだって話だぜ」
3人は家に上がりこみ、「ダンナが外に寝てるから」と奥の部屋にふとんを敷かせ、
その枝美子を背後から襲った。


青春映画のテイストだったのが、室田日出男が演じる江口が登場してからは、この夫婦の描写にフォーカスしていく。江口と枝美子のセックスの場面はよかった。
俺は何度も書いてるが、セックスシーンには退屈してしまうんだが、この場面は夫婦の情愛が伝わってくるようで、興奮するというより、ちょっと心が動かされる感じだった。

枝美子は3人に輪姦される最中に絶命してしまう。
なにが原因なのか3人にはわからず、気が動転するところに、酔いから醒めた江口が入ってくる。
3人は必死で言い訳もしたが、観念もしていた。「殺される」と思った。
だが江口は「さっさと出てけ!」と言う。

ふたりだけになった江口は、目を見開いたまま動かない枝美子を風呂に入れ、体を洗った。
礼次から事の次第を聞かされた祖母は、様子を見に行った。
すると風呂の中で、妻の死体を抱いて体を上下させてる江口を見た。
礼次の祖母は「泰造はいかれてしもうた!」と駆け戻ってきた。


3人は逮捕され、警察署で江口は妻の死因が心臓麻痺と聞かされた。
検死を行った医者によると、枝美子は心臓に持病があったと。
江口は「そうだったのか…」と呆然となった。
セックスの時、喘いでたのは、よかったからじゃなく、心臓が苦しかったのだ。

裁判で昭三には実刑、礼次と善作には執行猶予がついた。
半年後、江口は妻の写真を握ったまま、家の中でこと切れていた。
善作はガードの固かったガールフレンドとも結ばれ、青春を謳歌していた。


江口は妻を「とろい」と思ってたが、実は「とろい」というか「鈍い」のは自分の方だったのだ。
一緒に暮らし、セックスもしてるような間柄なのに、心臓が弱いことも気づかないのは、相当「鈍い」。
江口は粗暴な男ではないし、そういう「鈍い」男と「とろい」女が、片隅で肩寄せ合うように暮らしてる。
ありがちな映画であれば、そういう「とろさ」をピュアネスとして、あるいは聖性を象徴させたりして描くところなんだが、この映画はちがった。

江口が「鈍い」男でなければ、この悲劇は防げていたはずだ。
3人に妻を会わせた時に「こいつは心臓がちょっと弱いんだよ」とかひと言あれば、若者たちも無茶はしなかったろう。江口は悪い人間ではないが「鈍い」のだ。

それは江口と若者3人のつきあい方にも見られる。最初は「俺も昔はやんちゃでな」と3人に懐の深い所を見せて「泰造さん!」と慕われるようになる。
若者3人にしても「他の大人は気に食わないけど泰造さんはちがう」と思ってただろう。
だがつきあいが頻繁になれば、江口の暮らし向きもわかるし、昭三が「泰造さんに若い女を抱かせよう」とする時点で、主導権が若者側に移ってきてる。

師匠と弟子的な気分から「仲間」という、目線の位置が同じ高さになってるのだ。
枝美子を襲ったのも、「仲間に抱かせるくらいOKじゃないか」程度の気持ちになってただろう。

ここには若者とつるむ中年に対する、冷ややかな考察がある。
この映画の翌年1979年の秀作『十九歳の地図』の、本間優二と蟹江敬三の関係を連想した。


ともかくその江口を演じた室田日出男に尽きる。枝美子を風呂に入れる場面は涙出そうになった。
今回ロマンポルノを20本近く見たが、泣けるような思いに捉われたのはこの映画だけだ。

その枝美子を演じた黒沢のり子は、初めて見たが、いや不幸の影の刺し具合が半端ない表情で、圧倒的だったな。美人だし、肉感的だし、でもロマンポルノ出演はこの一作だけで、あとは一般映画やドラマに出てたんだね。

田中登監督は『(秘)色情めす市場』の時の芹明香もだけど、どうやって女優を見つけてくるのか、こんな演技を引き出せるのか、すごい人だね。
死んだ後、ずっと目を見開いたままで、風呂に入れられたりしてるんだが、よくまばたきもせずと、そんな所も感心してしまった。

2012年6月3日

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ロマポル⑧芹明香、芹明香と連呼したい [生きつづけるロマンポルノ]

『(秘)色情めす市場』

ロマポル芹明香.jpg

田中登監督による、1974年の「モノクロ」作。大阪西成のあいりん地区で、ほぼゲリラ撮影で貫徹されたという。
通天閣からカメラが下界に降りていき、ドヤの入り組んだ坂道に入りこみ、アーチ状にしつらえた階段にふたりの女が腰掛けてる。母と娘という設定だ。

母親を演じる花柳幻舟は、まあ当時の女優という雰囲気なんだが、手前に映る芹明香の佇まいというのが、まったく時代を感じさせない。
「今風」というより、なにか「タイムレス」な感じなのだ。
そこにまず驚く。こんな女優がいたのかと。

芹明香が演じるトメは、このドヤ街で売春婦をしてる。母親も同じ稼業だ。
トメには父親の違う弟がいる。
多分、父親が誰かもわからないのだろう。実夫という名の弟は精薄だが、身体は十代後半の成長を示してるから、性欲はある。
トメの胸に吸い付いたり、下着越しに股間に顔を埋めたりして、言葉にならないうめき声を上げてる。
トメは客に抱かれてる時も、普段街を歩く時も、人と話をする時も、まったくの無表情だが、弟の顔を体に埋めてやってる時だけは、表情が和らいでる。


とにかく「どんづまり」の世界に生きて、だがここから抜け出そうという気概があるわけでなく、だが売春の元締めに対しても、なんらへつらう様子もない。
全身から発せられる「だから何?」という空気。

女によるハードボイルドの極北にいるんじゃないのか。

母親が「こんな年寄りよこしやがって」と客からクレームつけられると、平然とチェンジに現れる。
そそくさと服を着る母親に「闇夜の夜もあるんやで」とメンチ切られてる。
もうどんな親子だよ。
その母親が妊娠(またしても)してしまい、堕ろす金を都合してくれと言われても、トメは
「ウチんときみたいに、また路地で産み落とせばいいやんか」
と言い放つ。もうどんな親子だよ。


トメと同じアパートにやってくるのが、宮下順子演じる文江。彼氏がいるんだが、金がないんで、文江が売春して稼ぐことに。
だが大人のオモチャを売ってる地元のヤクザに気に入られ、自分の女にさせられてしまう。
彼氏には文江を奪い返す気迫もなく、ヤクザに「これを代わりにしろ」と、ダッチワイフをあてがわれる。しかも穴が開いてて、ガスで膨らませても、空気が漏れる。
彼氏は文江とヤクザの後を、ダッチワイフ抱えて尾け回すしかない。

解体された煙突跡の中で、ようやく彼氏はマッチに火を点け「文江を返せ」と。ヤクザはそのマッチを奪って、タバコをふかし、文江をまさぐる。
捨てたマッチがダッチワイフに引火し、爆発。煙突跡から大きな噴煙が巻き上がる。
すごい、このあっけなさ。宮下順子救いがない。


トメは実夫のいきり立った一物を、手ぬぐいでくるんでしごいてやる。
その時の実夫の表情を見上げるトメの顔。
その芹明香の顔は聖母だよ、菩薩だよ。

母親が客の男に殴る蹴るの暴行を受け、流産する様子を真近で見たトメ。
トメは実夫とついに一線を越える。
「好きなようにしたらええ、ウチはゴム人形なんやから」


姉と一線を越えてしまった実夫は、不意にドヤを抜け出す。多分初めて見る「外界」
ここで映画はカラーとなる。
実夫は大事に育てているニワトリに縄をつけて、大阪の雑踏をさまよう。
いつしか通天閣に辿り着くと、一心不乱に階段を上る。ドヤ街を一望できる高さまで上った時、ニワトリを解放そうとするが、飛ぶことのできないニワトリは、縄を首にくくられたままだ。
実夫の後を追ったトメは、通天閣にその姿を見た。

だがそれは幻だったのか。実夫は西成の商店街の一角で、首を括って死んでいた。
商店街の店はすべてシャッターを下ろし、まったく人影もない。

もう実夫がいなくなったら、この街には誰も見えなくなった。
トメはそうつぶやいた。


絶望すら感じていないような日常の中で、唯一実感のこもる存在だった弟の死。
実夫がドヤを抜け出して通天閣から見た風景は、体を一つに重ねたトメの魂が見たものだったのか?
再び映画はモノクロに転じ、トメが客をとる日常が繰り返される。

空き地でスカートをはためかせ、くるくると回るトメ。
回転の止むことのない無間地獄のように。


ロマンポルノを見に映画館に入った客が、これを見て普通に興奮とかできたんだろうか?
男と女がまぐわってる描写よりも、ドヤの殺伐感とか、ヒロインのキャラクターの強さとかが、明らかに画面を圧してるんだが。
にしても芹明香だ。ほんと今頃になって言うのもなんだが、俺にとっては「発見」としか言いようがないんだからしょうがない。
もし70年代の日本映画のヒロインを5人挙げろと言われたら、真っ先に挙げるよ。
あとの4人は今すぐには浮かばんけど。


俺はこの映画を見ていて、なにかに似てるなあと漠然と思ってたんだが、うちに帰って思い出した。

1988年製作のインディーズ映画『追悼のざわめき』だ。

追悼のざわめき(未使用).jpg

もう誰かがすでに指摘してるかもしれないが、『追悼のざわめき』も西成でロケした(多分ゲリラ的に)モノクロ映画なのだ。
特にトメと弟の関係性が、インスパイアの元となってるんじゃないか?
この映画にも兄と妹が近親相姦に及ぶ描写がある。兄は妹を殺して、その肉を食べてしまうんだが。その後、兄は妹を再現しようとして、マネキンの股間をくり抜く。そして女性を殺しては局部を切り取って、マネキンに埋め込んでるのだ。
そのマネキンの存在を知ったホームレスが勝手に使ってしまう。怒った兄は、マネキンの局部に刃物を仕込んでおき、ホームレスは挿入すると「グギャ~ッ!」って描写があったな。

俺は『追悼のざわめき』は初公開の時に「中野武蔵野ホール」で見てる。細長いパンフも買った。
とにかくタブーを全部ぶちまけてやるというような姿勢で作られてる映画だった。
ダッチワイフとマネキンの類似性とか、『追悼のざわめき』の中で、廃墟のビルに放火して、本物の消防車が出動してくる場面を映してるんだが、ここなんかは、解体された煙突跡の爆発場面を模してるように感じた。

2012年5月31日

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ロマポル⑦三井マリアと鹿沼えり [生きつづけるロマンポルノ]

『わたしのSEX白書 絶頂度』

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1976年の曾根中生監督作で、プログレ・バンドのコスモス・ファクトリーが音楽を担当、劇中にライヴシーンもある。男女の絡みにあうような、しんねりむっつりな劇伴ではなく、エッジの立った音が映画を前のめりにザクザクと進ませてく感じが、曾根監督独特のタッチとなってる。
音楽ともに、多分京急の湾岸沿いだと思うが、スクラップ&ビルドの建設重機の音が、意識的に大きめに挿入されてる。

主演してる三井マリアももちろん俺は初めて見た。彼女は山城新伍の「チョメチョメ」を生んだ伝説のエロ番組『独占!男の時間』で、カバーガール的なことをしてたようだ。
俺もこの番組は見てたが、まったく印象にない。

しかしこの映画の彼女はいい女だった。女優という感じがあまりしない。
「市井の美人」というのか、表情も固めだし、だがセックスシーンなどは、かなり気持ちが入ってる印象で、そのギャップがいい。ルックスは櫻井淳子を思わせる。

彼女は健康上の理由から女優を早くに辞めてしまい、これが唯一のロマンポルノ出演作となってるのだという。なので作品もカルト的人気を誇ってるようだ。
主人公を病院の採血係としてるのもユニークだな。「男の血を吸う女」というメタファーか。


採血係のあけみは、病院での働きぶりはしごく真面目で、しかも美人なので、医者からも言い寄られるし、仕出しの弁当屋からも結婚を迫られてる。だがあけみは態度をはっきりさせない。
あけみは湾岸沿いの古びたアパートに、予備校通いの弟とふたりで暮す。弟を「あんた」と呼ぶこの姉弟の関係もいわくありそうだ。
向かいのマンションにはストリッパーと、そのヒモのヤクザが住んでる。ヤクザはエロ写真と売春で稼いでおり、あけみの弟も、エロ写真を依頼者に手渡す手伝いをしてた。

ヤクザは弟とのつきあいから、あけみを知り、こんな美人ならと仕事を持ちかける。最初は話に乗るそぶりもなかったあけみだが、ヤクザが弟に渡してくれと差し出した封筒を開けると、セックスを写したスナップが入ってた。
それを見て思わず一人で始めてしまうあけみ。
弟が帰ってきてもそのまま続行、弟は誘われるが腰が引けてて、押入れから懐中電灯で、姉の下半身を照らしてる。十分いわくありげな関係である。

そんなこともあり、あけみはヤクザに再度会った時
「私、仕事やってもいいわよ!」と応える。
この工事現場の場面がよかった。煮詰まってくような日常を叩き壊す、ふんぎりをつけるような、あけみの内面が、建設重機の凶暴な音とシンクロしてると感じた。

ヤクザの斡旋する売春相手との行為にのめりこむあけみ。会社社長と、その運転手を巻き込んでの3Pは見ものだった。ただの3Pじゃないのだ。

あけみをバックから攻める社長が、運転手に「おい、いまだ!」と命ずると、運転手はあけみじゃなく、社長に挿入。レゴじゃないんだから。
ここは場内笑いが起こってた。
曾根監督はちょいちょいセックスシーンに笑いを放りこんでくる癖があるね。
おまけにあけみが尿意を催すと「運転手の顔にしろ」とか言ってるし、この変態社長。

最終的に弟も家を出ていき、空しさを抱えたまま、あけみはヤクザに身を任せる。
ヒモがほかの女と寝てるんで、ストリッパーも悔しくて、二人に水ぶっかけたりするんだが、まあ最後には3Pへとなだれ込むわけだ。
ストリッパーを演じるのは『(秘)色情めす市場』が圧巻だった芹明香だ。

この3Pの場面はかなりな熱度で撮られていた。三井マリアは演技もぎこちない部分はあるんだが、声が低めで落ち着いた感じがあって、そこもよかったな。



『宇能鴻一郎の浮気日記』

ロマポル浮気日記.jpg

若い世代だと、この官能小説の大家のことを知らないだろうから、宇能鴻一郎という男の主人公が浮気する話と思われそうだな。
思春期の頃に、今のように簡単にエロ動画も画像も手に入りにくかった、70年代当時において、父親の買ってくる週刊誌に連載されてる、宇能鴻一郎の官能小説の威力は絶大なものがあった。

この時代にはもう一人、川上宗薫というやはり大家がいたが、そちらは文学的というか、かついかにも中年男目線で、中学生あたりにはちょっと油がきつい感じがあった。

宇能鴻一郎の戦略の上手さは、小説の文体を、ヒロインの女性の「体験告白談」の体で「ですます」調で統一してたことだ。
「私、部長にヘンなとこ触られちゃったんです」みたいな。
中学生としては「大人のお姉さんがそんなことされちゃったのかあ」と、鼻息荒くなるわけだ。
この映画は宇能鴻一郎の文体を忠実になぞっていて、主人公の人妻ゆり子のモノローグが挟み込まれている。

ゆり子を演じる鹿沼えりがまたエロかわいい。

映画は1980年製作で、劇中に「多摩テック」のゴーカートに乗る場面があったり、京王バスで駅まで行ったりしてるから、高幡不動とか、多摩ニュータウン近辺の住宅地でロケされたんだろう。
この映画の3年後には、やはり町田の新興住宅地を舞台にして、高い視聴率を稼いだ不倫ドラマ『金曜日の妻たちへ』が放映されてる。
「新興住宅地」「若い夫婦」「浮気」の3点セットをさきがけたような内容になってる。

内容とはいっても、まったくシリアスな部分はなく、「他愛ないにも程がある」と見れば思うだろう。
イタリアの艶笑コメディの乗りだね。

今回の特集上映「生きつづけるロマンポルノ」の32本の中に、映画評論家3氏がなぜこれを選んだのか、理由は書かれてないが、俺が思うに、「ロマンポルノ」という名前に、映画好き以外の人が、イメージするとしたら、こういうものではないか。

ポルノでありながら、芸術性を高く評価されるに至った、神代、田中、曾根、小沼などの「作家の映画」がクローズアップされがちなロマンポルノだが、道行くサラリーマンや親父たちが「作家性」を求めて、映画館に入ったりはしないのだ。
商品としての「ロマンポルノ」のスタンダードも選んでおこうという意図があったのかも。


鹿沼えり演じる人妻も「そもそも人妻になるのがまちがい」という、身持ちがユルすぎるというか、来るモノは拒まずというか。
夫は勤めに出てる昼間を持て余してしまうんで、夫にせがんで、結婚前に勤めてた会社に再就職することになるんだが、同僚の男たちに波状攻撃を受けるはめに。

近所になぜか望遠鏡でゆり子の行動を監視し続ける主婦がいて、ゆり子が会社の同僚に車で送ってもらったのを見たと、ゆり子の亭主に告げ口。浮気の現場を押さえようと亭主を引っ張って、ゆり子の後を尾けたりする。

証拠は挙がらないが、ゆり子が新人男性社員と1泊の研修旅行に行くとなって、さすがに亭主も気を揉むことに。結婚して数年たつが、なんか最近色気が増してるし。
気を揉む亭主のもとに、なぜか近所の主婦がビール持って上がりこむ。
「ぜったい浮気してるわよ~」と言いながら、自分が人の亭主に迫っていく。

すると彼女の亭主が窓からそれを覗いてる。かなり年上の官能作家なのだ。
「ウチの嫁は浮気してみたくてしょーがないんだよ」
「ひとつよろしく頼みます」などと言ってる。

つい勢いでしてしまったものの、ゆり子の亭主は激しく後悔。
出張から帰ったゆり子に浮気を告白する。
ゆり子も出張先で、新人くんの筆おろしをしてあげてたんで、亭主を許して一件落着である。

まったくバカバカしいが笑ってみてられるし、鹿沼えりがとにかくエロい。この数年後に古尾谷雅人と結婚してるが、男が放っとかないのはわかる。
彼女の「されちゃったんです」調のモノローグの声がまたいいのだな。

ゆり子の亭主を演じてるのは金田明夫。「金八先生」の同僚教師とか、近年は大河ドラマにも出てる、中間管理職の似合う役者だが、この映画では髪も長めでイケメン風亭主をコミカルに演じてる。
近所の主婦に迫られる場面のリアクションとか上手い。さすが劇団あがりだ。
鹿沼えりとのセックスシーンは、かなり際どい体位までこなしてた。

ロマンポルノをここまで見て来て、1970年代前半のものは、修正条件が厳しくて、男女が腰を動かしてるだけで、マスクがかかったりしてたが、この映画の1980年ともなると、かなり修正条件も緩和されてきてるのがわかる。

2012年5月27日

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ロマポル⑥ミュージシャンが主演する2作 [生きつづけるロマンポルノ]

『おんなの細道 濡れた海峡』

ロマポルおんなの細道.jpg

今回の特集上映で見てきたロマンポルノの中で、俺が今のところ、一番気に入ってるのが
この『おんなの細道 濡れた海峡』
田中小実昌の『島子とオレ』『オホーツク妻』を原作に、陸中海岸沿いでロケしてる。

俺は田中小実昌の、名画座通いをエッセイにした映画本のシリーズが大好きだったんで、多分この映画にも、あの人の独特の文体が感じられるんじゃないかと、見てみたのだ。

時折独白が挟まれるこの映画の主人公は「ボク」だ。フォークシンガーの三上寛が演じていて、これは原作者・田中小実昌の分身のようなことだろう。
ヤクザの女房であるストリッパーを寝取ってしまったボクは、許しを得るため亭主のもとへと挨拶に行くが、若い者にシバかれそうになり逃げ出す。
でもストリッパーの島子が心配だし、忘れられないので、行くあてもなく、バスに乗ったりしてウロウロしてるうち、安宿に泊まり合わせた漁師の女房とか、バスに乗り合わせた自殺志願の女とか、出会ってはつい寝ることになってしまう。

そのたび「ポロポロだよ、父さん」とつぶやく。
ボクの父さんは牧師なのだ。「ポロポロ」とは本当は「パウロパウロ」と言いたいのだ。
だが「盗むなかれ、姦淫するなかれ」と教えられてるのに、人の女は盗むは、すぐに誰とでも寝ちゃうわで、とても教えを守れない。そんな自分は「ポロポロ」だと。

漁師の女房と酒を飲みながら
「ポロポロって、ボロボロより寂しいねえ」
「ポロポロのおっぱいは寂しいねえ」
「ポロポロのオ●ンチンも寂しいねえ」
などと言い合う場面がいい。

全く関係ないが、ワーナーマイカルのシネコンに行くと、イオンカードのCMが必ず流れるんだが、その中で蒼井優が「これが今の私のお財布、パツンパツン」「パツンパツンは悲しい」と言ってて、それを不意に思い出した。

その漁師の女房と寝んごろになってる所に、亭主が帰ってきちまうんだが、なぜか亭主は怒らない。怒らないことに怒った女房は出て行ってしまい、部屋にはボクと漁師の亭主が残される。
「あいつはよかったか?」
「…よくありません」
亭主はちゃぶ台ひっくり返す。だが殴られるわけでなく、そのまま一緒に飲む。
「ちょっと小便に」
すると亭主は尿瓶を持ち出し「こんなかにしろ」
互いに尿瓶に小便出し合い
「あんた、まだ若いから勢いあるな。色もいい」などと言われる。

崖の上でバスから降りた若い女は、自殺したのかと思ってたら、またバスで乗り合わせた。ボクは
「あと1ヶ月もすると私、目が見えなくなるの」
というその女とホテルへ行く。せめて子供を残したいと、逆立ちしてボクの精子を子宮に定着させようとしてる。
「やめてくれよお、ボクみたいな意気地なしがこの世に生まれるなんて、耐えられないよお」
ボクは床を転げ回って悶絶する。

島子の声が聞きたくてストリップ小屋に電話した時に、若い者に「今度見かけたらブッ殺すぞ」と言われたのに、またストリップ小屋に舞い戻ってしまったボク。
この時顔をよく見られないように、黒いニット帽をかぶるのがいい。
田中小実昌といえば、ニット帽がトレードマークだったのだ。
ヤクザの亭主はいい根性なのかバカなのかと呆れてる風情だったが、島子の気持ちを察して、二人を出ていかせる。


三上寛が演じる「ボク」のキャラクターがとにかく面白い。飄々としてるというのか、度胸があるというわけでもないのだ。
島子のことが好きなことは間違いないんだが、逃げるしかないという状況でも、逃げてくわけではない。なんというのか、自分のことに対して「他人事」な感じがある。
流れにまかせちゃうというのかな。

草薙幸二郎が演じるヤクザの亭主の前でも、石橋蓮司が演じる漁師の亭主の前でも、ひどい目に遭わされそうで、でもそこにいることでそうはならない。
女に対しても、男に対しても「人たらし」な所があるのかも。

それは三上寛の独特の佇まいによることろが大きい。朴訥としながらも、どこか肝が据わった感じもあるし。出会った女が身構えることもない。
こてこてのイケメンよりも、こういう男が本当はモテるんではないかと思わせるね。
セックスシーンを見てると、背中とか尻とかデカいんだよな。
ここぞという時は「オス」の表情になってる。
この映画の三上寛は凄いわ、男の理想像だろ。

田中小実昌という人も、あの風貌だったから、あんまり嫌われたり、疎ましがられたりってこともなかったんじゃないか?
もしコミさんを今誰かが演じるとしたら、粘土細工の得意な酒井敏也が適任と思うが。



『白い指の戯れ』

ロマポル白い指の戯れ.jpg

後に優作の「遊戯」シリーズで一世風靡する村川透監督作で、オープニングの、アクション映画乗りの音楽のつけ方に片鱗が現われてる。
伊佐山ひろ子演じるヒロインゆきが、渋谷の明治通りと246の交差点角にある喫茶店から、スクラップにされる車が運ばれてくのを見て涙を流してる、この場面のカメラワークも不思議で面白かった。

スリで捕まって最初の方で映画から退場してしまう二郎を演じる役者のセリフ回しに顕著だったが、日活アクションの登場人物のような物言いで、ポルノというより青春映画の風情がある。

ゆきはこの喫茶店でナンパされて二郎とつきあうんだが、二郎は刑務所に送られ、そのことを伝えた洋子と、ゆきは行動をともにする。
洋子は、19才でまだウブな部分が残るゆきを気に入っていて、レズに誘い、ゆきも拒まなかった。
ゆきは二郎を待つように、交差点沿いの喫茶店に通いつめるが、ある日、二郎と留置場で知り合ったという拓から声をかけられる。拓も同じくスリだったが、その手口は組織だっていて、巧妙だった。
ゆきは二郎のことは忘れ、拓に身体を預けていく。

拓は優しいが、冷たかった。それでも「私おんなでよかった」とゆきは初めて思った。
拓はスリ仲間にゆきを抱かせるような真似もした。
ゆきはスリの技術を身につけようとした。拓から「自分の身は自分で守るんだ」と言いつけられていたのだ。
その言葉を反芻しながら、何度も何度も部屋で練習した。

警察にマークされてる拓は東京から身を隠し、拓に会えない寂しさから、ゆきは単独でスリを行い、それを刑事が目に止めた。刑事は井の頭公園のベンチに佇むゆきに、サラリーマンを装って声をかける。巧みに身の上話を聞きだすが、ゆきがスリ一味と繋がってると踏んで、泳がせることにした。
再び東京に戻った拓は、ゆきと再会するが、刑事がゆきを張ってることを見抜き、刑事に近づくと「女をだますなんて汚いぞ」と言って、立ち去る。

ゆきはスリ一味がアジトとしてるアパートに顔を出す。男も女も興が乗って、裸になると、バスルームでみんな泡まみれになって乱交に及ぶ。ギターをかき鳴らして即興の歌を唄ってた拓もそれに加わった。

数日後、拓とゆきはコンビを組んで、バスの中でスリを働こうとした。だがスラれた中年のサラリーマンが、降りる前に財布がないとことに気づき、そばに立ってた拓が問い詰められる。拓はスッた財布をすでにゆきに手渡しており、服をさぐられても平然としてる。サラリーマンは焦ってくる。
拓は言いがかりだと逆ギレし、車内は騒然としてくる。
その時ずっと様子を見つめてたゆきは「私がやったのよ」と言って、拓の前から警官に連行されていく。

数日後、渋谷のあの交差点で、拓と刑事がすれちがう。刑事に声をかけられた拓は
「あいつどうしてます?」
「まだ自分がやったと言い張ってるよ」
「だが俺はお前を諦めちゃいないぜ」
刑事と別れた拓はタバコを吐き捨てる。


今月号の「映画秘宝」に『白い指の戯れ』に関する村川透監督へのインタビュー記事が出ている。
伊佐山ひろ子は、この映画のヒロインと同じように、フーテンのような子で、撮影中に逃げ出さないように、寝泊りさせて見張ってたようだ。
彼女はこの後の『一条さゆり 濡れた欲情』でも熱演して、この2作で「キネマ旬報」の主演女優賞を受賞するという快挙を成し遂げてる。
演技が上手いというわけではないし、そんなに美人でもないんだが、あっけらかんとドライな色気がある。
クセになる可愛さとでもいうのか。

拓を演じる荒木一郎は、俳優のほかにも音楽や執筆活動など、マルチな才能を持ってることは認める所だが、この映画に関しては「なんでそんなにカッコつけちゃってるかな」という演技でね。
演技の上手い下手よりも、時代の気分をまとってた人なんだろう。

全体的にフットワークの軽快なタッチで綴られてるが、泡まみれ乱交の場面と、最後のバス車内の場面は、演出が粘っていて、見応えがあった。

ロケーション中心の撮影なので、当時の東京の様子がわかるのも楽しい。渋谷の交差点角の喫茶店は、今は本屋になってる。渋谷から新宿、丸の内線の方南町あたりがロケの中心か。ゲリラ撮影だったんじゃないかな。

井の頭公園で懐かしかったのは、井の頭線が頭のすぐ上を通る、すごく橋梁の背丈の低い場所が映ってたこと。ガキの頃一時、吉祥寺に住んでたんで、よく井の頭公園に連れて行ってもらっては、あの橋の下から電車が通るのを待ってたもんだ。

2012年5月26日

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ロマポル⑤谷ナオミ登壇『花芯の刺青 濡れた壺』 [生きつづけるロマンポルノ]

『花芯の刺青 濡れた壺』

ロマポル花芯の刺青.jpg

『生贄夫人』に続いて、この映画の上映終了後にも、谷ナオミが登壇し、撮影裏話を聞かせてくれた。
これも小沼勝監督とのコンビ作だが、監督は『生贄夫人』から2年後のこの映画で、谷ナオミの女優としての表現力が、明らかに高まってることに感銘を受けたと言う。
それは裸の見せ場に限らず、なにげない場面での仕草やセリフに感じたと。
小沼監督が一番好きな場面は、彼女が親友でクラブのママをやってる花柳幻舟と、カウンターでせんべいを分け合って食べるくだりだそう。


この映画はSMでも「緊縛」ではなく「刺青」がテーマだ。
谷ナオミ演じるみち代は、江戸千代紙人形師の後妻で、夫亡き後は、先妻の娘と一緒に暮らしている。
千代紙人形の技術を受け継ぎ、評価も得ていた。みち代は元々、歌舞伎のかつら職人の家に生まれたが、十代の頃に、歌舞伎舞台の奈落で、娘道成寺の蛇面をまとった珠三郎に体を奪われた。その記憶は今でも不意に甦り、胸をしめつけた。
忌まわしい記憶のはずなのに、珠三郎に対する相反する気持ちに心がかき乱されるのだ。

義理の娘たか子が、車との接触事故に遭い、病院に運ばれた。駆けつけたみち代は、加害者が今は亡き珠三郎の一人息子、ヒデオであると知り動揺を隠せない。その面影は珠三郎そっくりだったのだ。
幸いたか子のケガも軽く、それが縁で、みち代はヒデオの家で、珠三郎の遺品を見せてもらう。
その中にあの娘道成寺の蛇の衣装を見つけ、みち代は肉体の昂ぶりが抑えられなくなり、その場でヒデオに身体を預けてしまう。

だが義理の娘たか子もまたヒデオに惹かれており、ヒデオの家を訪れると、挑発するような視線を投げかけた。
たか子の声を聞いて、物陰に隠れていたみち代は、吹き抜けとなる2階の部屋から、下の部屋で裸で絡み合う若い二人を見るうち、思わず自慰に及ぶ。

みち代は敗北感に苛まれていた。たか子は性にも奔放で、ヒデオは彼女の若い肉体に抗うことはできないだろう。血は繋がってなくても、自分の娘のように愛情を注いできたが、今やたか子は、みち代にとって恋敵としてしか見れなくなった。

みち代は放心したようにドシャ降りの雨に打たれ、雨宿りの軒先で偶然出会った、彫師の辰の仕事場へと付いて行く。辰から見せられた、刺青の図柄の妖しい美しさに魅入られる。
みち代は辰に言った。
「私の肌に道成寺を彫ってください」


有名な刺青師の凡天太郎が、実際に刺青を入れる様子をカメラに収めており、その刃が肌に刻まれる音が、ちょっと表現しにくい音で、身震いするような感覚がある。
血の滲むさまもすべて本物なので、「縛り」とちがって、見てる方も痛覚を喚起される。

このくだりは非常に粘り強く描写されており、彫師の辰を演じる蟹江敬三の目力もすごい。
この映画の蟹江敬三は、浅黒く野性味があり、他の映画の印象とまったく違う。
『ピアノ・レッスン』の時のハーヴェイ・カイテルを連想させるものがあった。

彫り終わり、みち代が風呂で身体を洗う場面は、その湯による痛みに悶絶する、谷ナオミの演技がリアル。火傷と同じような状態に、肌の表面はなってるのだろう。
谷ナオミの柔肌に描かれた刺青は、風呂につかっても色が落ちない。
これは絵心のある、日活の大部屋俳優(名前は失念)が7時間かけて描いたものだそうだ。
水に溶けない特殊な絵の具を使ってると。

その肌の隅々、局部にいたるまで、刺青をまとったみち代は、挑みかかるような視線で、ヒデオの前に裸身を晒す。この場面の谷ナオミの勝ち誇ったような身体のくねらせ方が圧巻だ。
刺青が生き物のように躍動してる。
これは海外の観客にも大ウケするんじゃないか?


実際、数年前に谷ナオミの主演作の特集上映が、フランスで開かれることになり、多くの観客を集めたというが、その際、小沼監督からホテルに電話があり、
「パリジェンヌの前で仁義を切ってこい」
と言われた谷ナオミが、上映の舞台挨拶でやってみせたら、拍手喝采だったという。

撮影が手がこんでいるのも印象的だ。2階の部屋の手すり越しに、下の部屋が見える建物の作りというのは、テレビドラマ『鹿男あをによし』で、玉木宏と綾瀬はるかが下宿してる、長屋みたいなアパートの構造を思わせた。
1階でまぐわって、2階で自慰という、立体エロティック構造のワンショットが見事。
ラストで叩き割った鏡台の鏡の破片に、いくつものみち代の顔と、柔肌の刺青が映されるカメラもいい。


小沼監督はトークショーで、特にみち代と辰が出会う、雨宿りの場面の描写を強調してた。
辰がみち代を眺めてるんだが、その視線が彼女のうなじにうっすら滲む汗を捉え、濡れた足袋を脱ぐ足元を捉える。こういうエロスを表現することが、最近の映画には無くなったと語っていた。

『生贄夫人』においても、谷ナオミが夫から、石切り場で縛られる場面があるんだが、それをロングで捉えていて、目を奪われる。
小沼監督の作品は、ロマンポルノという、セックスシーンが売り物でありながら、即物的な感覚はなく、映画を見てるという濃密な時間が味わえた。

トークショーで谷ナオミが
「映画監督の方はみなさんサディストのような気がするんですが」
と振ると、小沼監督は
「僕はマゾだと自分では思いますよ」
「映画監督はイメージとはちがってマゾが多いと思う」
「日活ロマンポルノの監督で唯一のサディストと思うのは曾根中生だね」
この発言には会場内も妙に納得な空気になってた。

2012年5月24日

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ロマポル④谷ナオミ登壇 『生贄夫人』 [生きつづけるロマンポルノ]

『生贄夫人』

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現在渋谷のユーロスペースで開催中の「生きつづけるロマンポルノ」に通ってるんだが、なにせこの歳になるまで、スルーしてきたままだったので、女優も初めて見る人ばかりなのだ。

当然谷ナオミの映画も見たことがなく、彼女の顔も知らなかったが、主演作2本が連続上映される日に、トークショーが急遽決まって、ご本人が熊本からこのために駆けつけてくれた。
着物に髪を結った彼女は、年齢のことは失礼になるので記さないが、随分と若く見える。
肌がきれいなのだ。女優を引退した後、熊本でスナックを経営して、もう28年になるという。
映画を離れても「お客」の前に立ち続けている、その気構えが若さにつながってるのか。

それに客あしらいが慣れてるというのか、自分でドンドン進行していくので、聞き手で舞台に上がってる轟夕起夫が「これは何の放置プレイでしょうか」と自嘲するほどだった。

今回の特集上映では、「女性専用席」を2列設けてあることもあり、女性客も目立った。
谷ナオミは、以前神戸で「女性だけの上映会」で登壇した時も感じたそうだが、自分の出てる映画を、女性が、それも自分が引退した後に、生まれたような世代の人たちが見に来てくれてることに、感慨がこもってる様子だった。
そりゃあ封切り当時の日活の映画館には男の観客しかいなかっただろうし。
セリフのニュアンスなど、女性ならではの感想が聞けたのも嬉しかったと。
女性の観客が「美しい」と思って見てくれたことが、自分の励みにもつながったと言う。
「自分が一番きれいだった頃を、フィルムに残してもらったし、今もお店には、当時のファンの方が遠方から訪ねてきてくれる」
「ロマンポルノに出たことは、私は誇りに思ってます」
と言って拍手を浴びていた。

この日上映された2作は小沼勝監督の作品で、監督も一緒に登壇となった。
腰が悪いということで、人に支えられてではあったが、撮影当時の裏話などは、谷ナオミとの微妙に呼吸の合わないやりとりで、ユーモラスに語られた。

『生贄夫人』は、『花と蛇』に続く、コンビ2作目だった。
『花と蛇』は原作者・団鬼六から「描写が手ぬるい」と叱責を浴び、「日活には原作の映画化を許可しない」と言われてしまう。
小沼監督と脚本の田中陽造が、捲土重来の意気込みで、SMの世界に再度チャレンジしたのが、この『生贄夫人』だった。
もちろん原作は団鬼六ではなかったが、これを見た団鬼六は「やればできるじゃないか!」と絶賛。
日活も信用を取り戻すこととなったという。


谷ナオミ演じる秋子は、失踪中の夫が、川原で幼い女の子とともにいるのを目にする。今は女中と二人で暮らす秋子は、気づいた夫の国貞に声をかけられても、無視して立ち去る。
その後、川原にいた女の子が「おじちゃんがいなくなった」と泣いてるのを見た秋子は警察に保護してもらう。
後日刑事が秋子の家を訪ねてきた。あの女の子は誘拐されて、長いこと連れ回されていたのだと。
刑事は何でそんなことまで調べたのか
「女の子の局部が異常発達してた」と。
「長きに渡って愛撫を繰り返されてたようだ」
秋子は耳を塞いだ。国貞が小児性愛者だということは薄々感じてはいたが、事実として突きつけられるのは耐えられなかった。

母親の墓参りに出かけた秋子は再び国貞と出会う。警戒する秋子に「プレゼントがあるんだ」と、国貞は金属製の指輪を手渡す。断ろうとする秋子の指に無理やり嵌めると、指輪は抜けなくなり、それはチェーンによって国貞の手へと繋がっていた。
「あなたを連れて行きたい場所があるんです」
国貞は言葉遣いは丁寧だが、態度には有無を言わせぬものがあった。

指輪によって拘束された秋子が連れて行かれたのは、奥多摩の森深くにポツンと残る廃屋だった。
不安におののく秋子を後ろ手に縛り、国貞は監禁状態におく。
トイレが我慢できなくなると、ほとんど衝立もない庭先のトイレでしろと言う。
「あなたがするのを見ていたいんですよ」

夫が完全なる変態であることを思い知った秋子は、風呂に入れられる際に、落ちていた古いカミソリで国貞を切りつけ、廃屋から逃げ出す。
森を走り、通りかかったハンターの二人に助けを求める。だが秋子のあられもない姿は、男たちを欲情させ、その場で暴行されてしまう。
後を追ってきた国貞は、放心状態で倒れこむ秋子を抱えて、連れ帰る。

汚れを落としてやった後は、麻縄で裸の秋子を縛りあげ、本格的な責めに入る。
自分では考えられないようなポーズにさせられ、柔肌にロウソクがたらされ、秋子は羞恥心のすべてを剥ぎ取られていった。

毎日のように責めが続いたある日、国貞は森の岩場に横たわる男女を発見する。
薬を服用しての心中のようだ。国貞は躊躇なく、若い女の下着を取り去りことに及んだ。
すると行為の最中に女は息を吹き返した。仕方がないから国貞は、女を抱えて廃屋へ。
「また面倒なお荷物をしょってきたものね」
と呆れる秋子。もうこの頃になると不思議なもので、羞恥プレイにも順応してきていた。

その秋子は、国貞が若い女を、秋子と同じように縛る様子を見ながら、嫉妬にも似た感情を湧き上がらせていた。「私以外の女にするなんて」
縛ってる最中に、なんと心中相手の男が戸口に立ってるではないか。だが朦朧とするのか、すぐに倒れこんでしまい、若い男も気がつくと国貞に縛られていた。
だが男なので、縛って放置されてるという扱いだった。

国貞は若い女を天井の梁に渡した縄で縛り上げ、腰を突き出すような体勢にした。クレゾールと何かを混ぜたような液体をデカい注射器に注ぎこんでる。
意識を取り戻した心中相手の若い男は、目の前の光景に絶叫するが、目を逸らそうとしても、つい見てしまう。
国貞は注射器の液体を若い女に注ぎ込んでる。若い女は腹部の異変に苦悶し始める。
「彼氏に恥ずかしい所を見られたくなければ我慢しなさい」
国貞はそう言うと、秋子には
「今度はあなたが世話をするんです」
と言って、ビニール袋を広げて、若い女の背後で待機させる。
若い女の我慢も限界に達した。その光景を見た心中相手の男は、屈辱感に泣きつつも、身体は正直に反応してしまってた。
それを見た秋子は、若い男の上に跨るのだった。


すべてを終えた4人が、翌朝廃屋の中で、食卓を囲む場面などは、もはや突き抜けたコメディとなってるが、まあとにかく国貞という男が「変態の総合商社」のようなキャラだからね。

演じてる坂本長利は、ごく普通の冴えない中年男という印象で、そこが逆にリアルなのかも。
これだけドイヒーな行いに徹しながら、言葉遣いはいたって丁寧だ。本物の変態は折り目正しい所があると、なんかで読んだことあるな。

心中する若い女を演じてるのは、これが映画デビューとなった東てる美だ。
彼女の父親の知り合いが、谷ナオミのマネージャーをやってた縁で、この世界に入ったという。
撮影時は18才だったが、高校の卒業試験の追試を受けてる最中で、制服姿で現場に来てた。
谷も小沼監督も最初は心配してたが、現場でいきなりタバコ吸ってるのを見て「こりゃ大丈夫だ」と思ったそうだ。
しかしデビュー18でいきなりクレゾール注入とはエグいな。

トイレの場面にも監督やスタッフのこだわりが込められていたそうだ。「小」ではなく「大」の方をする設定だったので、「モノ」を実際作った。
監督によると「美人のは太い」ということで、形状や色にも心血注いだらしいが、撮影が終わってから、映倫が、その描写には許可出さないとわかり
「そんならそうと最初に言ってくれ」と監督も憤慨した。
それでも4コマだけ残したので、一瞬わかるようになってる。

谷ナオミもそんな監督の話を楽しそうに聞いてたが、俺はSMというプレイに関心がなかったんで、今までちゃんと見たこともなく、この映画のように、SMと排泄はセットということだと、やっぱり無理だなあ。奥が深すぎるわ。
だがここまで見てきたロマンポルノでは、男と女がただまぐわう場面がどーしても退屈してしまうんで、そういう面では目先が変わってて、飽きることはなかった。

谷ナオミは苦悶の表情をし続けることになるが、どれだけのことをされても、美しさが立ち上ってくるようで、彼女がこの分野で「女神」のように扱われるのもわかる気がした。

2012年5月23日

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ロマポル③「名美」を描く曾根・相米の2作 [生きつづけるロマンポルノ]

『天使のはらわた 赤い教室』

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初日の曾根中生監督のトークショーにおいて、『天使のはらわた 赤い教室』撮影時の衝撃的エピソードが、監督から淡々と語られた。
これは原作者・石井隆のライフワークと呼べる「名美シリーズ」の1作で、石井隆は脚本も担当してる。そんな彼の思い入れを知ってか知らずか、曾根監督は、脚本としても肝であるはずの結末部分を、勝手に変更してしまったのだという。

ビニ本を製作してる村木は、同業者から秘密の撮影会に呼ばれる。それは音の入ってない8ミリフィルムで、いわゆる「ブルーフィルム」というヤツだった。ひと気のない学校の廊下で、女性教師が数人の男子生徒に囲まれる。彼女は理科室で生徒たちに押し倒され、服を剥ぎ取られて集団暴行されるというものだった。彼女は「実習生」の腕章をつけていた。

フィルムは作り物にしては生々しかった。なにより村木は、その女性教師の顔が焼きついてしまった。
業者の男に、このモデルの連絡先を教えてほしいと頼んでも、「それは無理なんだよ」と断られる。
あれはモデルではなく、本当の女性教師だったのではないか?

村木は悶々として過ごすある日、いつもビニ本の撮影で使用するホテルに、空き室を確認する電話を入れると、受話器の向こうの声にハッとなる。
「あの女性教師?」
しかしあの8ミリフィルムは音が入ってなかったんだから、声聞いたって本人かわかる訳ない。
第六感ということなんだろうか。
その予感通りに、ホテルの狭い受付に座ってたのは、まぎれもなくあのフィルムの女だった。
名前は名美といった。

名美は最初、露骨に警戒を示した。彼女は暴行現場をフィルムに撮られ、それが流出したことで、多くの男たちに顔を知られてしまった。仕事先を変えても、すぐに見知らぬ男から脅迫される。
行き場を失った名美は、金で身体を売るようになっていた。

村木は自分が名美をなんとか「ドン底」から救おうとするが、名美に新しい人生を約束するはずの待ち合わせの日、村木は未成年のモデルを使ったとの容疑で、警察にしょっぴかれてしまう。

村木は3年後に、場末のバーのカウンターに、人相もすさんだ名美を見つける。
だが名美は自分だと認めない。
彼女はこのバーの2階で男たちに身体を売っていた。村木はそれを襖ごしに覗く。

何人もの男が群がり、ひとりが「順番がこねえよ!」と文句言うと、店の男が床下を開ける。制服を着た少女が縛られたまま、男たちの輪の中に放りこまれる。
叫び声を上げる少女を、名美はうつろな目で眺めてるだけだ。ここは鬼畜たちの巣窟だった。

この後、問題の結末に至るラストシーンとなる。
身体を売ったあとに、ようやく村木と二人で話しをする名美。
「俺と一緒に帰ろう」
「この日を3年も待ってたんだ」
「私はあの日、3時間待ったわ」
「ここは君のいる場所じゃない」
「じゃあ、あなたがこっちに来る?」
名美は村木に背を向けた。村木はひとり立ち去るしかなかった。
空き地の水溜りに自分の姿が映ってる。名美は足を水に入れて、自分をかき消した。

これが映画のラストなんだが、石井隆の脚本では、名美は村木の説得に応じて、一緒に帰ることになっていたのだと。山根貞男が
「なんで結末変えちゃったんですか?」と訊くと
「あそこまで堕ちてしまった女が、おためごかしの説得に応じるはずない。」
当然この改変には石井隆も納得せず、大喧嘩になったそうだ。
「まあラストを変えても、石井隆につきものの、女が夜の雨に打たれてるという場面はおさえてたから、それでいいだろうと」

『天使のはらわた』はその後シリーズ化されるが、曾根中生が監督に呼ばれることはなかった。
石井隆が自分で監督もするようになったのは、このいきさつがあったからでは?

ラストの水溜りの場面のアイデアは、撮影監督のもので、そのほかにもビニ本撮影のホテルで、ワンカットで昼から夜になるように見せてるのは照明スタッフのアイデア。
「だからこれは僕が作ったというより、撮影スタッフみんなで作り上げた感じでしたね」

名美を演じるのは水原ゆう紀で、当時としちゃ「こんなゴージャスな美人があられもない姿で」と衝撃だったろう。
曾根監督によれば、彼女は今は「占い師」になってるそうだ。
村木は蟹江敬三が演じてた。



『ラブホテル』

ロマポルラブホテル.jpg

相米慎二監督が「名美」を撮った、彼のフィルモグラフィ中唯一の「成人指定」作。
この映画で村木を演じてるのは寺田農だ。

出版社の資金繰りに行き詰まり、闇金に頼った村木が、返済が滞ってると男たちに事務所に踏み込まれ、妻の良子は暴行される。
村木は絶望し、自殺を図るが果たせず、ラブホテルにデリヘル嬢を呼ぶ。
自暴自棄となってた村木は、妻がされたように、女を暴行して殺し、自分も果てようと思っていた。
明るい口調であいさつしたデリヘル嬢は、いきなり縛り上げられ、その様子のおかしさに動揺する。
だが抵抗むなしく村木にされるがままに。
村木は用意してたヴァイブを突き立てるが、デリヘル嬢にはすでに恐怖はなく、激しく身体をしならせている。
村木は死ぬつもりの空虚な心に、「生」が思わず沸き起こったことにうろたえ、女をその場に残して、逃げるようにラブホテルを立ち去った。


2年後、村木はタクシー運転手となってた。妻に取り立ての手が及ばぬよう、離婚して、安アパートに暮らす。妻の良子は、たびたび食事を持って、村木のもとを訪れていた。
村木は偶然、見憶えある女が別のタクシーに乗り込むのを見て、後を尾ける。彼女のマンションの前で車を停め、しばらく待つ。
すると帰宅したあと再び、どこかに出かけるのか、マンションの玄関を出てきた。
村木は「流し」を装い、タクシーでゆっくり傍に近づくと、女は手を上げた。
「海が見たいの。横浜まで行って」

長い道中で、村木は切り出した。そして彼女も村木の顔を思い出した。だが2年前にあんな真似をされたのに、村木を憎悪する素振りはない。

彼女は名美と名乗った。OLとして働いてるが、職場の上司と不倫状態にあった。
あのデリヘルは、一度だけのアルバイトのつもりだったが、あの体験が心に傷を残したことは間違いなかった。
村木は「あなたのおかげで救われた。あなたは天使です」
と言うが、名美は困惑する。
村木から受けたあの行為のせいで、名美はその後まともな恋愛ができなくなってた。

村木は贖罪の気持ちにかられ、名美のために、何でもしてやりたいと思っていた。
興信所を雇って夫の浮気相手をつきとめた上司の妻から、仕事場に押しかけられ、掴みかかられたり、その上司からは別れ話を切り出されたり、名美は憔悴してた。
村木は上司夫婦の家に強盗まがいに乗り込み、興信所の資料を出させようとした。
名美を守るため、なりふり構わなくなっていた。

名美は「あの夜の続きをやってほしい」と村木にせがむ。
ラブホテルに着ていった、黄色のカーディガンを身にまとい。だが村木はそんな風には愛せない。
村木が名美に抱く贖罪の愛と、名美が求める愛は別のものになってしまっていた。


『天使のはらわた 赤い教室』が村木を軸の「男目線」で描かれてたのと対照的に、『ラブホテル』では、名美の心情を、相米監督ならではの長回しで見つめる描写が印象を残す。

村木の妻の良子と名美が、村木のアパートの前の階段ですれちがうラストシーンにも見るように、村木を巡る「女目線」の一作になっていた。
ポルノではあるが、性描写はそれほど激しいものではなく、石井隆の「名美」シリーズにつきまとう「男の妄想」の臭味が、他の映画化作ほどに漂ってはこない。

劇中に流れる山口百恵の『夜へ…』も、もんた&ブラザースの『赤いアンブレラ』も俺は初めて耳にした。洋楽ばかり聴いてきたから、邦楽のいい曲というのに触れてきてないなあと痛感したよ。
どちらもしみじみいい曲だった。

特に村木と名美が夜の横浜の埠頭で落としたらしい指輪を、別の日の昼間に探す場面で『赤いアンブレラ』が流れてるんだが、この場面のカメラが素晴らしいな。
あの埠頭も、地面がくりぬかれてるようになってて、余った部分に二人が立って、探してるんだが、画的にスリリングだし、海面とのコントラストもいい。ここ名場面だったね。

名美を演じる速水典子は新人で、どうしてもセリフ回しとか拙いんだが、なにかその固さが、裸をさらしていても、変に「仕事っぽく」なくて、新鮮に映ってた。
寺田農の村木は時にユーモラスでもあり、他の映画の村木には感じられない味があって良かった。
アパートに妻を迎えて、ズボン脱いでももひきに履き替えるとことか、名美だけでなく、良子との描写があることで、ストーリーに奥行きが出たのだと思う。

2012年5月20日

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