ミニシアター閉館に思う(下) [映画雑感]

ミニシアター閉館に思う(上)から続き

それこそ相当な本数を見に行った「シネヴィヴァン六本木」が早い時期に閉館したのには驚いたが、
同じ六本木にあり、俳優座の舞台がはける夜の時間帯に映画をかけてた「俳優座シネマテン」
青学の交差点の角のビルにあったが、数年で閉館となった「キノ青山」
中野ブロードウェイ探索とセットで行ってた「中野武蔵野ホール」
終わりの方はアスミックの配給作品の封切り館になってた「後楽園シネマ(館名代えてたかも)」
旧有楽シネマを買い取った「シネカノン」
エスカレーター使って渋谷マークシティの中を抜けていけば、道玄坂の上り坂を歩かないで着けた
「シネマアンジェリカ」
普段は芝居をやり、定期的に映画の特集上映を行なってた千石の「三百人劇場」
こういったミニシアターでも、いい映画には沢山出会った。

「営業努力が足りないから潰れた」
という見解は、そうなのかもしれない。だがそもそも映画館を、それも個人単位で経営するのは、決して美味しい商売じゃないだろう。
「なんか日銭が稼げる商売をやろう」と手を出すようなものとは違う。

かける映画も誰もに通じやすい娯楽映画ではなく、時には地図で探してもすぐにはわからないような国の映画を、どのくらいの人が興味を持ってるのか、手探りの状態でかけてみたり。
「映画を見てもらいたい」という情熱がなければ、続けるのもしんどいはず。
俺は何度も客が数人しかいない中で見たが、館主は胃が痛くなるだろうな。


「ミニシアターのつくり方」という本が出てる。
主に東京以外の全国の都市でミニシアターを経営する館主に、経営のいきさつや現状を取材してる。
どこも決して楽ではなさそうだが、継続させることで固定客も獲得できる。
東京の都心にあるミニシアターとの大きな違いは「地代」じゃないか。
都心のビルに映画館を作ろうとなれば、150席程度でも、それなりの坪数、スクリーンの高さを確保するには、フロア2階分は必要だろう。
自社ビルの中に作るんなら別だが、テナント料は重くのしかかってくる。

駅に近い「地代」の高い場所を避けて作ると、場所を認知されるまでに時間を要する。
たまたま見たい映画があったというだけで来た人は、次に来るまでに場所も忘れてしまうだろう。
映画よりも、「そのミニシアターでかかってるから」という理由で来る客を作る。
それにはとにかく営業を継続しなければならない。

最近シネコンでも、たまにミニシアターで評判を呼んだ映画をかけることがあるけど、客足は鈍いね。
たまにしかかからないから、そういう映画もやることを認知されてないんだよ。
映画は娯楽だから、その最たるハリウッド映画を見ときゃ十分という人は多いと思う。
俺も好きだし見に行くけど、ハリウッド映画で描かれる人物像のバイアスのかかり方は気になるよ。

顕著なのは、アクション映画なんかにおける悪役の設定。
ここ数年、ハリウッド映画や、フランス人のリュック・ベッソンが製作する准ハリウッド活劇では、ウクライナ人やセルビア人が悪役となるケースが目立つ。
少し前まではイスラム系だったし、その前はロシア人、さらに遡ってドイツ人。
アメリカ人が、なんとなく脅威を感じ易い対象を悪に仕立てる。

ソ連崩壊以降の東ヨーロッパの情勢は混沌としてて、ほんとにわかりにくい。
特にヨーロッパにおいて、ウクライナやセルビア人による犯罪が目立ってきているというのは、事実なのかもしれないが、その民族すべてにネガティブなイメージを与えかねない、娯楽映画の設定というのは、シリアスな内容じゃないだけに、逆にイメージが刷り込まれやすいという所がある。

ミニシアターで『サラエボの花』のような映画がかかれば、ソ連崩壊がきっかけで民族間の内戦に発展した、東ヨーロッパの国々の内情を知る手掛かりにもなるし、自分らと同じように生活してる普通の人々がいることも、当然のように認識できる。
イスラム系の国々の映画にしても同じ。


それと日本には映画のパンフレットを売るという文化がある。どうもこれは世界中でも日本だけのことらしい。
なぜ映画を見れば済むことなのに、パンフレットを買おうと思うのか。
それは「グッズ」とか「記念品」が好きな日本人の特性もあるが、特にミニシアター系のパンフレットには、映画の背景や、読み解くテキスト的な文章が書かれていて、つまり、映画のことを知りたい、映画の舞台の国のことを知りたいという、「知る」ことへの欲求が、同じように日本人の特性にあるからじゃないか。

俺は映画は、映画館でもDVDでも、ケータイの画面でなければ、どんな条件で見たって構わない。
ただミニシアターで上映されたような映画は、あまりDVDなど借りて見ようという率先した気分にならなかったりする。

今年、観客を集めた映画に『木洩れ日の家で』がある。

こもれび.jpg

90歳の老女優が主役で、全編モノクロの、ポーランド映画。これ以上ないような地味な要素ばかり揃っていながら、年配の客中心に満席になることもしばしばだったという。
これは映画の内容の良さが、さざ波のように広がっていったのだろう。
もし映画館で上映されず、DVDのみの販売やレンタルだったら、これほどの話題となっただろうか?

俺は映画館、特にミニシアターで映画を見るということの中には、
「大々的に宣伝してる娯楽映画ではなく、こんな地味な映画に、自分と同じように、見たいと思う人がいる」
ということへの、共感意識もあるんじゃないかと思ってる。
もちろん観客同士がそこで会話を交わすわけじゃないが、自分の部屋で、借りてきたDVDを一人で見ることでは味わえない感じ。
それはスノビズムというのとはちょっと違うんだよな。

知りたいという気持ちが映画館まで向かわせる、そういう思いの共有なんじゃないか。
いろんな国の映画に出会うということは
「ものの価値観は一つではない」ということに気づかされることでもある。
だからいろんな国の映画が上映されている環境は無くなるべきじゃないと思うのだ。

2011年9月23日

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