TIFF2012・8日目『エヴリシング・オア・ナッシング 知られざる007誕生の物語』 [東京国際映画祭2012]

東京国際映画祭2012

『エヴリシング・オア・ナッシング 知られざる007誕生の物語』
(特別招待作品)

エブリシングオア3.jpg

もう既に有名なことなのか知らんが、冒頭のインタビューに出てくるクリストファー・リーが、イアン・フレミングの従弟だということを、俺は初めて知った。
そんなこともあって、『黄金銃を持つ男』の悪役スカラマンガへの起用となったのか。

シリーズ50周年記念の最新作『スカイフォール』の前評判も上々な、「007」シリーズを、作り手視点で振り返るドキュメンタリー。
長寿なだけでなく、興行的実績を上げ続けている稀有なシリーズにも、いろいろ紆余曲折あったのだな。


イアン・フレミングによる、ジェームズ・ボンド原作物の1作目は、『007/ドクター・ノオ』ではなく『カジノ・ロワイヤル』で、実はこの映画シリーズより先に、CBSテレビでドラマ化されており、そのフッテージがチラと見れるが、お粗末なシロモノだったようだ。

映画「007」シリーズの生みの親である、ハリー・サルツマンとアルバート・R・ブロッコリのコンビは、『カジノ・ロワイヤル』の映画化権は持っておらず、1967年の映画版は二人が設立した「イオン・プロ」の製作ではない。

この1967年版は、イアン・フレミングの原作を基にしながら、「007」のパロディに換骨堕胎した「お遊び映画」といえるもので、イオン・プロは権利を巡る泥沼の法廷闘争を経て、2008年に晴れて、新生ボンドとなるダニエル・クレイグを立て、本来の『カジノ・ロワイヤル』を完成させた。

洗練よりも野性の凄みを感じさせた、ダニエル・クレイグによるジェームズ・ボンド像は、原作第1作目のテイストを踏襲してるという。


イオン・プロが権利を持ってなかったもう1本の原作が『ネバーセイ・ネバーアゲイン』で、この2作の映画化権を持っていたのはケヴィン・マクローリーという脚本家だった。

イオン・プロとマクローリーは、度々訴訟を起こしあう因縁の関係となっており、アルバート・R・ブロッコリの娘で、5代目ボンドのピアース・ブロズナンによる『ゴールデン・アイ』以降の、「007」シリーズの指揮を執るバーバラ・ブロッコリなどは、インタビューで、「マクローリーこそ諸悪の根源」みたいな発言をしてる。

1983年の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』では、「イオン・プロ」のサルツマンが見出した、初代ボンドのショーン・コネリーを、マクローリー側が引っ張り出してくるという、皮肉な状況がおきた。
印象としては「ジェームズ・ボンドが戻ってきた」と思わせるに十分だが、あのテーマ曲を始め、映画「007」のトレードマーク的な要素は、当然使うことができない。

なので「ジェームズ・ボンド」であって「007」ではない、みたいな微妙な映画に出来上がってしまったわけだ。

この強引ともとれる映画化に怒ったアルバート・R・ブロッコリは、叩き潰す勢いを持って、同時期に
『オクトパシー』を製作。
その年の世界興収では勝利し、本家の面目を保ったが、気合入れて作ったわりには『オクトパシー』も、あまり褒められたもんじゃなかったと思うが。


なぜショーン・コネリーが再び(というか正確には三度だが)ジェームズ・ボンドを演じるつもりになったのか?
それはどうも『ダイヤモンドは永遠に』を巡る遺恨があるようだ。

2代目ジョージ・レーゼンビー起用が失敗に終わったサルツマンとブロッコリは、イメージが固まるのを嫌って、ボンド役はもう演らないと表明していたショーン・コネリーに、無理を押してカムバックさせた。

だが現場ではコネリーはやる気を見せず、もともと『007/ドクター・ノオ』で、原作者フレミングから
「田舎もんのスコットランド人がボンドとはあり得ない」
と言われながら、その起用を貫き、コネリーを一躍スターに導いた恩人でもある、ハリー・サルツマンとの関係も険悪になってしまう。

その一件があって、コネリーは「イオン・プロ」へのあてつけのように、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』に出たのだろうか?


だが別の見方もできる。ハリー・サルツマンは、「007」シリーズを製作していく過程で、アルバート・R・ブロッコリと、シリーズの方向性を巡って意見が合わなくなっていた。

それとともに「007」シリーズも興収が上がらなくなり、3代目のロジャー・ムーア起用も当初は効を奏しなかった。
ハリー・サルツマンは『黄金銃を持つ男』を最後に、盟友ブロッコリと袂を分かつことになる。

ショーン・コネリーとしたら、恩師のサルツマンが「イオン・プロ」から離れたことで、後ろめたさも無くなったのではないか?
そのあたりの真相はわからない。


このドキュメンタリーでは歴代のボンド役者もインタビューに応えてるが、唯一ショーン・コネリーだけは出てこないからだ。

2代目のジョージ・レーゼンビーは白髪でテロップが出ないと、本人と判らない印象の変わりようだったが、彼が『女王陛下の007』の1作で降板となった後に、今に至るまでずっと
「ジェームズ・ボンドを演じ切れなかった」
という思いを抱き続けてるというのは、ちょっと切なかった。
映画としては『ダイヤモンドは永遠に』などより、よっぽど面白く出来てたんだが。

エブリシングオア2.jpg

3代目ロジャー・ムーアはもうお爺さんだが、無理もない。
「007」に起用された時点で46才で、今年82才だもの。

3代目となって、ボンドにはユーモアが加味されたと感じるが、それはこの役者の人柄に負う所が大きいのだろう。
『黄金銃を持つ男』で、ボートから少年を川に突き落とす場面が映されるが
「あれは最悪だった。ユニセフ親善大使がやることじゃない」
という本人のコメントに、場内爆笑だったよ。

ロジャー・ムーア版6作目となる『ユア・アイズ・オンリー』の、完成披露パーティの席で、アルバート・R・ブロッコリと、袂を分けたハリー・サルツマンが再会し、握手を交わす和解の場面はよかった。

4代目のティモシー・ダルトンは、本人が「あのボンドの性格づけは、時代として早すぎた」
と語ってる。
当時の製作陣も、起用が失敗に終わったことを率直に認めていた。
たしかにダルトンの言葉通り、現在のダニエル・クレイグによるボンドに、一番性格づけが近いのは、4代目だと思う。

エブリシングオアナッシング.jpg

5代目ピアース・ブロズナンは、本来ならティモシー・ダルトンより先にボンド役に起用される筈だった。
彼は当時テレビ『レミントン・スティール』のスケジュールに縛られており、新シーズンはないだろうと見当つけて、4代目への襲名を待っていた。

だがテレビ局は直前に、新シーズンの製作を発表。ボンドは幻と消えた。
その時の落胆ぶりを露骨に語るブロズナンが可笑しい。

『ゴールデン・アイ』はシリーズ起死回生のヒットを飛ばし、ブロズナンは最もボンドに相応しいとの評価も得る。
そのブロズナンも4作目の『ダイ・アナザー・デイ』のマンガっぽさには呆れたようで、消えるアストンマーチンとか、スクリーンプロセス丸出しの津波サーフィン場面とか、「あれもねえ!」と本人も思いっきり失笑してるし。


そして6代目のダニエル・クレイグ起用発表時の、猛バッシングへと至る。
「金髪のボンドはあり得ない」とか。

だがシリーズ1作目に、原作者の反対を押して、ショーン・コネリー起用を成功させたように、ダニエル・クレイグはまさしく「新世紀のボンド」のイメージを確固たるものにした。

関係者の証言と、「007」のシーンのセリフをシンクロさせるなど、見せ方に工夫が凝らされており、ファン以外でも興味を引かれるドキュメンタリーになってる。

一般の劇場公開の予定はないそうで、近い将来「007」シリーズのブルーレイなんかに、特典映像として入れられたりするのかも。

2012年10月29日

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