押し入れからビデオ⑮『荒野に生きる』 [押し入れからビデオ]

『荒野に生きる』

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前回の「押し入れ」でコメント入れた『ふたりだけの微笑み』と同じく、アンリ菅野がナビゲーターを務めてた、テレビ朝日の洋画枠「ウィークエンドシアター」で、1983年に放映されたのを録画したものだ。吹替版でリチャード・ハリスを内海賢二が、ジョン・ヒューストンを早野寿郎が声をあててる。

『荒野に生きる』は、1971年作、翌1972年に日本公開されてる。
俺が映画を本格的に見始めた頃には、すでに名画座にしろ何にしろ、スクリーンで見るような機会は無くなってた。最初に見たのは、たしか同じテレ朝の「日曜洋画劇場」での放映だった。

リチャード・C・サラフィアンは、監督5作目までに見るべきものがあった人だ。
だが1971年の『バニシング・ポイント』以外は、日本ではビデオ・DVD化されないという、不遇をかこってた。
つい最近になって、1973年のバート・レイノルズ主演の西部劇『キャット・ダンシング』がDVD化されたが、
1969年のデビュー作『野にかける白い馬のように』も、この『荒野に生きる』も、
1973年の『ロリ・マドンナ戦争』も、まだパッケージ化の動きはない。
『荒野に生きる』に関しては、アメリカでは、俺がこのブログを始めて間もない時期にコメント入れた、同じリチャード・ハリス主演の『死の追跡』と2作パッケージされたDVDが発売されてる。

ちなみにこのテレ朝の「ウィークエンドシアター」では、『荒野に生きる』の翌週に、カーク・ダグラスが監督・主演した異色西部劇『明日なき追撃』を放映していて、編成担当の好みの渋さが偲ばれる。
『明日なき追撃』もビデオ・DVD化されてないね。

ちょうど『THE GREY 凍える太陽』を見たあとで、なにやら「サバイバル」ネタが続く感じだが、
『荒野に生きる』はリチャード・ハリスの「被虐演技」の最高峰と呼べるものだ。


西部開拓の時期より少し前の1820年。アメリカ北西部も荒野を、異様な一団が通過してる。
いくつもの車輪のついた台車の上に、ノアの箱舟のような帆船が乗っかってる。
船首には大砲が一門据え付けられ、船長のキャプテン・ヘンリーが仁王立ちしてる。

陸の上ではその台車を18頭のラバに曳かせ、大きな川に出れば、帆を張ってリバーボートとして進むのだ。ラバとともに歩むのは猟師たち。
キャプテン・ヘンリーはこの船でビーバーなど、野生動物たちを狩猟し、その毛皮を金に替えるつもりだった。

土地を知るザック・バスは、一団を先導して進んでいた。
だが若い猟師が撃ちそこなった鹿を追って、茂みに分け入った所を、巨大なクマに襲われた。
猟銃を向けたが遅かった。

クマはザックの体をおもちゃのように引き摺り回し、キャプテン・ヘンリーたちが異変に気づいて駆けつけた時には、ザックは全身に深い傷を負い、虫の息だった。
ドクターは「樽一杯分くらいは出血してる」と言い、生きてるのが不思議なほどだと。


ヘンリーはドクターに、傷口を縫うだけの応急処置をさせ、ザックをこの場に置き去りにする事に。
この一帯は先住民族リッカー族の土地であり、先を急がないと、船を襲撃される。

ヘンリーは若い猟師と、年配の猟師フォガティを二人残し
「埋葬する穴を掘っておけ。明日の朝まだ生きてたら殺せ」と命ずる。
フォガティは「ザックの猟銃は値打ちものでして」と言うと、ヘンリーはその銃を取り上げた。

一団は出発し、二人は瀕死のザックとともに一晩を明かした。朝になり、まだ息のあるザックに、フォガティは銃口を向けるが、その時リッカー族の姿が見えた。
銃声で気づかれてしまう。
二人はザックをそのままにして立ち去ることに。
若い猟師はザックの脇に聖書を置いて
「すみません、ザックさん」と謝って去った。


リッカー族の酋長ロングホーは、瀕死のザックを見つける。
白人とわかるが、殺すわけでもないし、助ける素振りもない。
ただこれだけの怪我を負って、まだ生きてるという、その生命力には感服していた。
リッカー族は、岩の壁面に車のついた舟の絵を描いて、ヘンリーの一団の後を追った。


ザックはかすかに体を動かすことができた。
地面から這い出し、水辺に転がり込む。
水の感触が記憶も甦らせた。
ぼんやりとした視界の中に、ヘンリーがいて、自分を置き去りにしろと言ってる。

復讐心がザックの生命力に火を灯した。
まだ満足に動くことはできず、体温を奪われないために、体を落ち葉の中に埋めて、ただ眠った。


母親と二人きりだったザックは、その少年時代に、母親もコレラで失う。
牧師は「これも神の思し召しだ」と語りかけたが、天涯孤独の身となったザックは、
神など信じなかった。
密航を企て、ヘンリーの船に乗り込んだザックは、以来ヘンリーの下で成長してくことになる。

長じてザックは、グレイスという美しい女性と結婚し、妊娠を知らされる。
グレイスもまた神の愛をを唱えるが、ザックの心には響かない。
「お腹の子に話かけて」と言われ、ザックは生まれてくる子に話しかける。

「父親のことは忘れろ」
「お前の母親は心の優しい人だ。ふたりして生きていくのだ」
「いつかザック・バスだと、その名を聞く日が来るかもしれない」


動かない体の近くにいる虫など、生きてるものを手当たり次第、口にして命をつなぐザック。
物音に身を潜めてると、先住民族の女性を連れた白人の男が、リッカー族の襲撃を受けてる。
何人もが殺され、死体が転がる中を、ザックは這い出して、使えそうな物を物色する。
右足は完全に駄目だったが、這って移動するまでにはなっていた。

別の日には、バッファローの肉をあさる山犬たちを追い払い、そのレバーにかぶり付いた。
体力も次第に戻りつつあった。
罠をしかけて野ウサギを捕らえ、毛皮は杖の脇あての部分にし、やじりをこしらえて漁もできるようになる。

季節は秋から冬に入っていた。雪が舞う山肌を、杖をついてひたすら進むザック。
その視線の先に、いつヘンリーの船が見えるのか?

荒野に生きる2.jpg

一方ザックの先導を失い、ヘンリーの一団は迷走していた。
リッカー族と遭遇する場面があり、大砲で追い払ったものの、ヘンリーは進路を変えるよう指示。
南のミズーリ川を目指してた一団は、北に進路を変えていた。

船長の様子がおかしいということは、猟師の間でも囁かれていた。
ヘンリーはフォガティから、ザックを殺さずに置き去りにしたと報告を受けて以来、ザックの影に怯えているようだった。

ヘンリーは息子同然に面倒を見てきたザックには複雑な感情を抱いていた。
「あいつは自分の周りに垣根をつくり、決して歩みよろうとはしなかった」
だがザックの能力は認めていて
「俺が尊敬できる唯一の人間だ」とも言った。
ザックを置き去りにすると決めた時
「我々はただ狩猟をしてるんではない。もっと大きな仕事をやり遂げようとしてるのだ」
「そのためには、父親が息子を犠牲に差し出すのも厭わない」
と猟師たちに言った。


ザックは森の中で、リッカー族の姿を見かけ、木陰に身を隠した。
お腹の大きな女性が、ひとりで歩いてくる。倒木を見つけ、その前にしゃがみ込んだ。

両側に伸びた根の部分を両手で掴んでいる。ここで出産しようというのだ。
夫らしき男が馬の上からあたりを覗ってる。
先住民族の女性は一心にいきんでいる。
ザックはその様子を木陰から息を殺して見つめていた。
いいようのない感動が、ザックの胸に込み上げてきた。

女性が赤ちゃんを無事産み落とした時、ザックの頬には涙がつたっていた。
子供の頃から流したことなどなかったのに。

ザックは妻のグレイスの葬儀の日を思い返していた。
妻は息子を産んで、何年もしないうちに先立った。
墓のそばで、まだおぼつかない足取りで歩く息子をザックは眺めていた。
グレイスの母親に、息子のことはお願いしますと、その馬を立ち去ったのだ。


神も人の情愛も受け入れず、孤独の中に身を置くザックの心が、変わり始めていた。
後ろ足を骨折して動けないでいるウサギを見つけて、足に添え木をつけてやる。
食料としか思ってなかったウサギを、いまは胸に抱いている。
火種としてページを破くのみだった聖書を、いまは読む余裕も生まれていた。


ヘンリーの一団は大きな川に出た。だがまだ雪解け前で、船を浮かべるような水量ではなかった。
猟師たちは、船を捨てて、物資をラバに積み分けようと進言するが、ヘンリーは聞き入れない。
だが進退窮まってる所へ、ロングホーが率いる、リッカー族が大群を率いて、襲いかかってきた。

銃声や砲音が鳴り響く、その戦闘の場に、ザックは杖をつきながら近づいていく。
途中でリッカー族に捕まり、留めを刺されそうになるが、酋長のロングホーが止める。
ロングホーはザックの頬の傷跡を見て、あの瀕死の白人だと気づく。

「お前はこの大地で一度死んだ。もう死ぬことはないだろう」
「復讐をさせてやる」
ロングホーは自らの部隊に襲撃を止めさせ、ザックを船へと促す。


対岸からゆっくりと近づいてくるザックの姿を、猟師たちは身動きもせず、見つめている。
その目には畏敬の念すら浮かんでいた。

キャプテン・ヘンリーは船から降りて、ザックの前に立った。
無言で睨み合うふたり。先に口を開いたのはザックだった。
「その銃は俺のだ」
ヘンリーは手にしていたザックの猟銃を返した。

ザックはこわばった表情を少しだけ和らげ
「帰るよ。息子のもとに帰るんだ」
そう言うと、ヘンリーに背を向けて歩き始めた。

猟師たちは、ザックの後を追うように船から離れて行った。


上映時間99分の映画で、「ウィークエンドシアター」の2時間枠で放映されてるから、そんなにカットはされてないんだろうとは思う。

レッドフォードの『大いなる勇者』を思わせるプロットだけど、レッドフォードが、山に入っても美男子ぶりを失わないのに比べて、リチャード・ハリスのボロボロ感は徹底してる。
なにしろ映画の最初と最後と、あとは回想場面にしかセリフがないから、まさに全身と、表情の演技だけで、ザックという男を作り上げていくわけだ。

クマに襲われる冒頭の場面は、着ぐるみとかではなく、調教されたクマにやらせてる。
まあクマにしたらジャレてるようなもんだろうが、けっこうな迫力で、これはなまじのサバイバルものではないなと、早くも感じさせるに十分なのだ。

『THE GREY 凍える太陽』では、リーアム・ニーソンがサバイバルのはてに、神の不在を呪うように叫んでいたが、この『荒野に生きる』では、野生と一体化してくような中で、男が人間性を芽生えさせていくのが対照的だ。

音楽を担当してるジョニー・ハリスは聞いたことのない名前だが、キャプテン・ヘンリーの船が移動する場面で、必ず流れる勇壮なテーマ曲は、いかにも西部劇の気分を出してるし、エンディングの曲もきれいだった。

2012年8月23日

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토토사이트

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