香港の家政婦は見た [映画タ行]

『桃(タオ)さんのしあわせ』

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父親の実家に昔、住み込みの家政婦さんがいた。
別に大層な家でもないのだが、俺の祖母というのが、料理や家事の一切をしないという人だったので、早くから雇い入れていたようだ。

ガキの頃、家族で帰省すると、決まって駅まで出迎えに来てくれた。
俺は「なあさん」と呼んでた。
語尾に「なあ」がつくんで、そう呼ぶようになったんだろう。

祖父が死に、祖母も入院するようになり、なあさんは暇をもらったようだ。
それはいつの頃だったか。
それどころか、俺はいまも「なあさん」の本名を知らないのだ。

彼女がどんな風に育ち、青春時代を送り、結婚した様子もなく、俺の父親の実家に住み込んで、長い時間を過ごしてきた、そのことをほとんど知らないままだ。

香港のベテラン女性監督アン・ホイによる、この『桃(タオ)さんのしあわせ』を見ながら、なあさんの顔を思い浮かべていた。


幼い頃に養子に出され、養父の死後には、梁家の家政婦となった桃さん。
その後彼女は4代に仕え、もう60年の月日が流れていた。
梁家は現在サンフランシスコに移住し、独身で映画プロデューサーのロジャーだけが香港のマンションに残っている。
桃さんはそのロジャーの身の回りの世話をしてるのだ。

夕飯の食材を探して市場に出向き、ロジャーのために手をかけた料理を出す。
ロジャーは旨いとも何とも云わず、当たり前のように黙々と食べると、中国に出張に出る。

桃さんとロジャーは母親と息子のような間柄となっており、息子は母親の作った料理を、褒めることもせず食べるだけという、この描写はチクリと心に刺さる。
息子であった者なら、思い当たるふしがあるからだ。

台詞で説明せず、テキパキと的確な画をつないで描いていく、ベテラン監督らしい進め方が気持ちいい。

ロジャーが出張から戻ると、桃さんは脳卒中で倒れていた。
退院はできたが、治療は継続し、完全な回復は望めないと知り、桃さんは、
「家政婦を辞めて、老人ホームに入る」とロジャーに告げる。
多少の貯えはあるから、費用も世話にならないと。


ロジャーは桃さんのために、顔見知りの役者バッタが経営する老人ホームを、格安で手配した。
個室と云われた部屋は、間仕切りで囲われただけで、ホームに入居する老人たちの風体や、味付けに気を配ってない食事など、桃さんには気が滅入ることばかり。

おまけに名前を「お手伝いさんみたい」と云われ、いよいよ腹も立つ。
だが桃さんは、ここで暮らしていくほかはなかった。

ロジャーは以前に心臓の病気で倒れたことがあり、その時に桃さんが献身的に看病してくれたことを感謝してる。
なのでホームにもよく顔を出し、今度は自分が世話する番と、桃さんの晩年に付き添う。
映画はその二人の関係を「心あたたまる物語」にしつらえてる訳ではない。


桃さんは60年に渡り、「いい家」に住み込みで働いてきたのだ。
その家の主人ではないが、生活をともにし、同じ窓の外の景色を眺めて生きてきた。
だから彼女の中では、生い立ちは貧しくとも、本来同じ「階級」ではない梁家の元に仕えることで、いつしか自分も庶民とは違う場所にいると、思いこんでたかも知れない。

老人ホームに入って、裕福とは云えない入居者たちと接することは、否応なく自分が本来いた場所を思い知らされる。

多少体の具合が悪くなっても、なんとかロジャーの下で暮らすことはできただろう。
「ホームに入る」と告げた時に、止めてくれるかもという思いもどこかにあっただろうか。
だが彼女にはプライドがあった。
使用人として、雇い主に迷惑はかけられないという。


ロジャーも「ほんとにいい人」という描かれ方ではない。
あのホームを見れば、桃さんのためにもう少しいい環境をと思ってもいいはずだ。
仕事があるから、桃さんを家で看るのは不可能と最初から決めている。

彼がなぜ独身でいるのかはわからないが、桃さんが家から居なくなり、電気製品の使い方ひとつわからないことを痛感する描写がある。
すべてを桃さんに任せっきりにしてきた。

相手が母親なら、さすがにある程度年齢がいけば、依存することにも躊躇するだろうが、桃さんが家政婦だということで、その存在に甘えてきたのではないか。

ロジャーにとって、桃さんは都合のいい母親だったのだ。


桃さんにも、ロジャーにも、ちょっと辛辣な視線を向けることで、ベタついた感傷から逃れる映画となってる。
それでもロジャーが桃さんを外出に連れ出す、2つの場面はいい。

ロジャーはプロデュースした映画の完成披露試写会に、桃さんをエスコートする。
化粧にも気をかけなかった桃さんが、心浮き立たせながら鏡に向かい、とっておきのドレスに身を包んで、お出かけする。

会場でロジャーは桃さんを「僕の義母です」と紹介した。
桃さんの人生で一番華やいだ夜だったろう。


もうひとつの場面は、ホームに入ってから、脳梗塞の症状を繰り返した桃さんが、ロジャーに車椅子を押されて、公園に散歩に出る。

タオさんのしあわせ.jpg

同じ言葉を繰り返す桃さんに、もう以前の表情はない。
彼女に背を向けてゴミ箱に向かう時のロジャーが痛切だ。

人は家族であれ、友人であれ、恋人であれ、つながりのあった相手に
「もう少しなにかしてあげられたかもしれない」
と、後から思う。
そういう思いが積み重なることが、歳をとるということなのだ。
ロジャーはあの時、そんなことを思っていたのかも。

俺の父親にとっても「おふくろの味」とは、このロジャーのように、母親でなく家政婦「なあさん」の作った料理の味だったのか。

この映画を父親が見れば、なにかしら感じ入るものもあったかもしれない。
だが映画を勧めようにも、その術はもうない。

ロジャーを静かに演じるアンディ・ラウもいいし、プライドと淋しさの狭間で揺れる、桃さんを演じたデイニー・イップも見事。
女好きのホームの入居者、キンさんを演じるチョン・プイが最後に泣かせる。

2012年11月7日

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