フランス映画祭2012 ブログトップ

フランス映画祭⑦女と男と育児を描く2作 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2012

『理想の出産 』
『わたしたちの宣戦布告』

この2本の映画を、続けて見れるように上映スケジュールが組まれてたのは、考えがあってのことだろう。
先に上映された『理想の出産 』は、女性の妊娠がわかり、出産、そして子育てにいたるプロセスを、女性の本音に沿って描いてる。

『わたしたちの宣戦布告』は、出産に喜ぶ若い夫婦が、その後子供に脳腫瘍ができてることがわかり、看病と葛藤の日々を送るという、実話に則した内容のドラマだった。
スタッフ、キャストもまったく違うが、この2本を一組の男女の物語と捉えることもできるのだ。


『理想の出産 』

img1572.jpg

この映画をを見た後にこの監督が男性と知って驚いた。
『わたしたちの宣戦布告』と同じに女性の手によるものと思い込んでたからだ。
男には窺い知れない出産にまつわる女性の本音が、あからさまなほどにてんこ盛りとなってる。

俺は当たり前だが、まず出産は経験できないし、結婚もしてないし、当然育児も経験ないし、この映画に関しては、門外漢な要素が、ミルフィーユのように積み重なってるわけだが、そんな俺でも相当面白く見れてしまったのだから、演出と脚本がよく練られてるってことだろう。

だから出産を経験した女性が「あるある」ネタとして共感持って見れることはもちろんだが、むしろ男性にこそ積極的にアピールすべき内容だと思う。

俺は見てないけど、『アデル/ファラオと復活の秘薬』で冒険ヒロインを快活に演じてたという、ルイーズ・ブルゴワンが、大きなおなかのボディスーツをつけて熱演してる。
ベッドから降りる時にどういう体の動かし方をしなきゃならないのか、とかその大変さがわかる。

おなかが大きくなり始めると、夫の方もいろいろ気が引けてくるらしいが、映画によると、妊娠中はホルモンの働きも激しくなるんで、性欲も一時的に増すんだそう。
ルイーズ・ブルゴワン演じる大学院生バルバラが、ランチの店で女友達と「ヤリた~い!」みたいな会話を交わしててウケた。


身体だけでなく、メンタルな部分でも不安定になったりする。夫にいろいろ話しを向けるんだが、どうも噛みあわない。
「男ってどうしてすべての問題にかんして、簡単に流してしまうんだろう?」
このセリフは核心を突かれるようでドキッとするね。
そのほかにも吹き出すようなセリフが散りばめられていて、もう一度見直したいくらいだ。

いまは出産前に性別がわかってしまうが、バルバラが夫のニコラに
「医師には、出産前に私に言わないでと頼んでおいて」
と話してたのに、ニコラはすっかり忘れて、女医があっさり
「ほら画像見て、女の子よ」と告げるんで
「出産前に知りたくないって言ったでしょ!」
とバルバラがキレて、夫と女医が気まずい顔をする場面とか、細かい描写にも実感がこもってる。

いよいよ陣痛がはじまり出産という場面に、夫のニコラも立ち会うんだが、浮き足立っちゃってるんで、足を覆うビニールは頭に被っちゃってるし、いきんでる妊婦の顔を冷やすためのスプレーを、看護士に手渡されて、自分の顔に吹き付けて「いや彼女に」とか言われてるし、妻の絶叫とともに、胎児が外に出始めるのを見て卒倒してるし、この場面は、ニコラを演じるピオ・マルケルの振る舞いに場内爆笑だった。
笑い事ではないんだろうが、出産場面でこれだけ笑いを取れるというのが凄い。


ここまでは「あとのことは出産してから考えましょー」的な勢いで、主人公たちとともに、映画も軽快にすっ飛ばしていくんだが、産後にバルバラは「マタニティ・ブルー」のような状態に陥っていく。

しかしあれだけおなかが膨れて、しかも体から「生命」を産み落として、そんな身体が元の形に戻るもんだろうか?
そこんとこも言及されていて、「器官」の形状が変わってしまうケースもあるという。
バルバラもイケメンの医師から、普通にそんなことを指摘されてた。
いづれにしても「女体の神秘」である。

育児に入り、バルバラと夫のニコラの間のズレが大きくなっていく。
バルバラは「母乳」で育てることにこだわり、そういう集まりにも通うようになる。「母乳で育てる母親の会」みたいな所で、啓発セミナーっぽい。
バルバラが名乗って「ハ~イ、バルバラ」って応えるあたりは、アル中患者の会に似てるよ。
「あなた、それはすばらしいことだわ」
と集まった母親たちが語りかける、その笑顔がとり憑かれてるみたいで怖い。


この映画を見てると、この世の中で、男にできて女にできないことは、ほぼないと思うが、その逆は確実にあるんでね。男はどんなに逆立ちしたって「生命」を体から生み出すことはできない。

男が経済活動であれ、芸術活動であれ、身体能力を競う場であれ、料理の味を追求することであれ、とにかくその活動に血道を上げる、その源は、「生命」を生み出すということが叶わない、そのことへの「擬似出産行為」ではないのかと思いたくなってくる。

それは突き詰めれば「自らの痕跡」をこの世に残したいということであり、子供というのは、自分の血の継承者ではあるんだが、自分のおなかの中でゼロから育み、養分を与え、胎児に語りかけながら、その結晶である「作品」を、自ら産み落とす。そういうことができないわけだからね。

この映画は、出産を通して女性の身体と心に起こる変化を、「はしたない」と思うことでも臆せず描くことによって、男性にも当事者の意識をもっと高めてもらおうという意図があるのだろう。

それと同時に、出産から育児へと移った時に、母親となった女性が、いかに夫に疎外感を持たせずに、赤ん坊に向き合わせることが大切かということも描いている。
ユーモアを散りばめて見やすく作られてはいるが、語られてるものは深い。



『わたしたちの宣戦布告』

img3978.jpg

本作のユニークさは、これが当事者による「再現ドラマ」であるという点だ。
監督・主演のヴァレリー・ドンゼッリと、共演のジェレミー・エルカイムは実際の夫婦だった。
劇中ではジュリエットとロメオという役名に変えてある。

若者たちが集うクラブで、ひと目で惹かれあった二人。愛を育んだ二人には、やがてアダムという名の男の子が。順調に成長してるかに思えたが、異変は少しづつ顕著になっていった。
ミルクを飲ませても、全部吐くようになる。18ヶ月になっても、足が立たない。

診断した女医はアダムに呼びかけて反応を見る。
「右目の瞳が動いてないわ」
身体も少し傾いでるという。指摘されるまで、若い夫婦は気がつかなかった。

精密検査が必要と言われ、ジュリエットの親族にツテがある、マルセイユの病院に向かった。
ジュリエットはそこでショッキングな診断を下される。
ロメオは新居のアパートの壁の塗り替えを、友達に手伝わせてやっていた。
医師の説明を聞くジュリエットの表情と、友達と気楽に仕事を進めてるロメオとの落差が残酷だ。

「アダムは、脳に腫瘍がある」
ジュリエットからケータイに連絡が入り、ロメオはその場で慟哭する。
両親にそのことを告げ、パリからマルセイユへと急行するロメオ。

この映画はテーマの深刻さに引きずられないようにと思ってか、アクション映画のような、動きのある演出が施されている。


「手術で腫瘍は取り除ける」と聞かされ、マルセイユで手術するか、パリにいる、小児外科の名医を頼るか、二人の意見は割れるが、結局パリの名医に委ねることに。

だがその病院に入院したものの、スタッフからは、その医師が執刀するとは限らないと言われ、夫婦は動揺する。空くと言われた病室も、別のスタッフからは違うことを言われ、ジュリエットのストレスも頂点に。
ロメオは「攻撃的な態度を見せちゃ駄目だ」と諭し、病院側と冷静に交渉し、なんとかアダムと同じ部屋に寝泊りできるようにした。
このあたりの病院とのやりとりは、俺も経験あるし、リアルだった。

いよいよ手術の日。二人はまだ親の言葉を理解できないアダムに、かけられる限りの愛情を込めた言葉で送った。ここは涙出てくるよ。

7時間に及ぶ手術。執刀した小児科の名医は、夫婦を部屋に呼んだ。
「手術は無事成功しました。後遺症もないでしょう」
二人に安堵の表情が。
「だが、腫瘍は悪性でした。再発もあるし、最低5才までは生きられるとしか今は言えません」

ジュリエットとロメオは、病院の外に集まってた互いの家族たちに「手術は成功したよ!」と告げた。
抱き合って快哉を叫ぶ家族たちを眺めながら、ロメオは妻に言った。
「強くなろう、ジュリエット」


それから若い夫婦は、子供の闘病とともに、自分たちも強くなろうと、覚悟を決める。
それが彼らの「宣戦布告」なのだ。
だがアダムの脳は、さらに治療の困難な腫瘍ができ、いつ終わるともわからない看病の日々に、二人は次第に疲弊してくる。

クラブ通いを再開したり、友達とバカ騒ぎしたり、二人は努めて日常を屈託なく過ごそうとする。
子供はずっと病院の中にいる。看病するといっても、家族にできることは限られてるのだ。その空白に何もしないでいると、「子供の病気」のことばかりが、心を侵食していってしまう。
そういう日々に抗うように、若い夫婦はハメをはずそうとする。

子供との闘病生活が始まる当初、無心論者の二人は神に祈ろうとする。だがジュリエットの祈り方を見て、ロメオは「そんな祈り方じゃ駄目だ」と言う。

闘病を見守る日々が長引き、二人の生活からも笑顔が消えてしまった時、ロメオはふと
「なんで僕らの子供がこんな目に?」
と呟く。ジュリエットは
「乗り越えられると(神様が)思うからよ」

おぼつかない祈りを捧げてた彼女の内面が変わったと、見る者に悟らせるセリフだった。
自分たちは試練に打ち克てるかわからない。でも、そう思ってくれてるはずだと。
この二つの場面が対となってるように思わせる、その脚本もいい。


この映画は音楽の挿入の仕方もユニークで、それはジェレミー・エルカイムの、音楽的知識の豊富さによるものと、監督のヴァレリー・は述べてた。
クラシックのほかにも、アダムが手術室に運ばれる場面は、多分なにかの映画音楽が使われてた。雰囲気としてはイタリアのマカロニか活劇系のものだと思うが、俺は何の映画の曲かはわからなかった。

なんといっても感心したのは、夫婦で観覧車に乗る場面で、ローリー・アンダーソンの『オー・スーパーマン』が使われてたことだ。
彼女はテクノの時代でも、その前衛的なアプローチで異彩を放ってたアーティストで、留守電のメッセージのような歌の調子がインパクト残した曲だった。
この曲が流行った当時は、曲のユニークさにしか関心向かなかったが、この映画で、歌詞が父親と母親の心情に、痛いほどフィットするもんだと、初めて知らされた。
ここは名場面だと思う。

劇中のジュリエットとロメオは結局は別居する道を選ぶことになるんだが、それは実際の、ヴァレリー・ドンゼッリとジェレミー・エルカイムの関係を反映してる。

それだけに別れた後も、こうして自分たちを振り返って、ふたりで脚本を練って、ふたりで演じて見せるというのは、勇気もあるし、こういうつながり方があってもいいと思わせる。

トークショーに二人で登壇したヴァレリーとジェレミーは、晴れ晴れとした表情をしていた。
彼らの表情の意味するところは、映画のエピローグで明かされる。

2012年6月28日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

フランス映画祭⑥『そして友よ、静かに死ね』 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2012

『そして友よ、静かに死ね』

そして友よ静かに死ね.jpg

1970年代に「リヨンの仲間」と呼ばれ、その悪名をフランス中に轟かせたという、エドモン・ヴィダルと一味の、若き日と現在を描いた、実録犯罪映画。
エドモン・ヴィダルは仲間うちでは「モモン」と呼ばれていた。彼の出自はロマ族で、小学校でもイジメを受けるが、それを庇ったセルジュと友情の絆を結ぶことになる。

今は蔑称とされてるが、「ジプシー」のギャングを描いた映画に、
1975年のアラン・ドロン主演作『ル・ジタン』がある。
いわれなき差別への反逆として、銀行強盗などを繰り返していく、「ジタン」と呼ばれるならず者を、口ひげ蓄えたドロンが渋く演じてた。
時代的に、監督のジョゼ・ジョヴァンニは、エドモン・ヴィダルをモデルにして、脚本を書いたんじゃなかろうか?
『ル・ジタン』は全くのフィクションとして作られているが。

この『そして友よ、静かに死ね』のモデルであるエドモン・ヴィダル本人は存命で、映画の撮影現場にも足げく通い、出演者たちとも打ち解けた様子だったという。
映画の撮影時には、とっくに犯罪の世界からは「足を洗ってた」というが、本人がそばで見てる以上、美化して描かれてるだろうことは、想像にかたくない。


映画は南仏にある豪邸のテラスで、なにか思いつめた表情で、銃をなでるモモンを映して始まる。
大きなヤマを踏み、大金を得て「稼業」からリタイアしたモモンの元に、幼なじみの親友セルジュが逮捕されたとの報が入る。
モモンとセルジュは、18才の時に、露店から「さくらんぼ」を盗んだという罪で懲役刑を食らった。
罪状からすれば重過ぎる量刑だったが、それは彼らが「ロマ」だという偏見にも基づいていた。

刑期を終えた二人は、仲間を作り、社会への怒りをぶつけるように、大胆な手口で強盗を繰り返すようになる。
むろん警察は血眼で「リヨンの仲間」を追うが、人に怪我を負わせないという、その強盗ぶりから「反社会的ヒーロー」と祀り上げられもした。
その名が高まるにつれ、パリのギャング組織からも「仕事」を持ちかけられるが、殺しも辞さないような荒っぽいやり方にそぐわず、モモンたちは一線を画して活動した。

だがその「リヨンの仲間」にも、ついに手錠がかけられる日がやってくる。
モモンは10年の懲役を食らい、塀の中へ。
再び娑婆に出た時、親友のセルジュは「リヨンの仲間」から距離を置くようになった。
他のギャング組織に加わり、モモンたちが決して手を出さなかった麻薬取引にも関与した。そして代金を着服したとして、組織から狙われていた。


セルジュとはもう13年も会ってなかったが、裏社会の情報はいやでも耳に入る。
逮捕され、収監されることになると、刑務所内で組織の手の者に消される可能性が高い。

「リヨンの仲間」たちは、セルジュを脱獄させようと計画を練るが、モモンは逡巡する。
家族の絆を大切にする「ロマ族」の血を引くモモンには、命を張って手にした妻や子供たちとの、平穏な日々を捨て去ることはできないと思った。
かつての仲間であり、親友であるセルジュへの忠義があるにしてもだ。

結局モモン抜きで脱獄計画は実行に移される。拘置所内で秘かにセルジュに剃刀が渡される。それで手首を切って、病院に搬送された所で奪還する手筈だ。
計画は成功し、怪我の回復まで、仲間が匿うことに。
だがセルジュの命を狙うギャング組織は、彼の家族の誘拐を企てた。


セルジュには反目されたまま、和解できずにいる娘のリリューがいた。もう孫もいるのだ。
「リヨンの仲間」は、リリューの自宅をガードするが、不意打ちに遭い、殺し屋たちが家に押し入ってくる。リリューは逃げ場を失ったことを悟り、小さな息子を部屋に隠し、ショットガンを構えてドアに向けた。
最初の一人は撃ち殺したが、すぐにマシンガンで撃ちぬかれた。息子は難を逃れた。

セルジュの娘と、護衛した仲間も殺され、モモンは腰を上げた。平穏な日々もここまでだ。
過去に「稼業」で人の命を奪ったことはなかったが、モモンは徹底した報復を下すことに、もはや躊躇はなかった。
愛する家族を失った旧友と、無言で再会を交わしたモモン。あの若い日々が甦る。

だがそこにはモモンにも見えてなかった、もうひとつの過去が存在した。
それは口に含むのも苦すぎる過去だった。


『あるいは裏切りという名の犬』のオリヴィエ・マルシャル監督作なので、とにかく男の生き様を渋く描こうという、そのタッチは変わらない。
主演のジェラール・ランヴァンも、顔には深いシワも刻まれてるが、肉体は若々しく、「理想のおやじ」を体現してる感じだ。
だが「リヨンの仲間」の現在の部分は、特に「キメキメ」に渋さを強調するような演出や演技なんで、さすがに「もう渋いのはわかったから」という気分にもなる。

ジェラール・ランヴァンも、チェッキー・カリョもほとんど「しかめ面」を崩さない。
だらしない部分とか、隙を見せる部分とか、そういう人間味がもう少し出てるとよかった。
映画のスタイルにこだわるあまり、キャラが硬直してる印象があるんだね。
昔かたぎの犯罪映画といえば、いえるんだが。

その点では、「リヨンの仲間」の70年代を演じた、ディミトリ・ストロージュほか若い役者たちの活きのよさに、俺なんかはむしろ惹かれたな。
俺の好きなジャンルではあるんだが、アヴェレージの出来を超えてるとは思わなかった。
ただ近年の展開が速くて、殺伐感の強い犯罪アクションに抵抗があるという人には、この古風さは気に入られるんではないか。

2012年6月27日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

フランス映画祭⑤『ミステリーズ 運命のリスボン』 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2012

『ミステリーズ 運命のリスボン』

ミステリーズ運命のリスボン.jpg

昨年2011年8月に死去した、南米の異才ラウル・ルイス監督の遺作。
4時間37分、間に休憩をはさんでの一挙上映だ。

前日4本見て深夜に帰宅という強行軍で、睡眠も充分にとれてないコンディションだったが、不思議なくらいに集中力が途切れなかった。
事前に読んだHPの作品解説からも、登場人物が多いだろうことを予想してたんで、固有名詞をメモとりながら見てたのだ。
それでもこのタペストリーのような因果関係を1回見ただけで呑み込むのは至難だった。

後で憶えてる限り書き出そうと思うが、その部分は、この秋に一般公開となる時に、この映画を見ようと思うなら、読まないでいてほしい。
なぜかというと、14才の少年の出生の秘密と、そこから派生する人間関係の糸をたぐるように描かれていて、少しづつ視界が開けていく感覚が、先にあらすじを知ってしまうと味わえないからだ。

俺が書いておこうと思うのは、記憶が混濁してくのを防ぐためで、これを踏まえて2度目に見た時には、ストーリーに引き摺られずに、画面そのものに集中できる、そういう考えもあるからだ。


大体以下のような流れだと思うが、
「ジョアンと、その母親アンジェラの秘密」に関しては記憶違いはないと思うんだが、
「ディノス神父の秘密」と「コメ・ファッカスの秘密」に関しては、細部が怪しい。

なにしろ固有名詞がどんどん出てくるんで、走り書きのメモを見直しても、不明瞭な部分が残る。

例えばアルヴァロ神父が駆け落ちした相手は、ヴィソ伯爵夫人だったか、その前のジョアンの話の時に出てきたモンテゼロス侯爵夫人だったか。
ブランジェが狩猟小屋で暮らすことになった経緯とか、アルトゥーロが本当にアルベルトと決闘したのかも、実は確たる記憶ではないのだ。

なので俺自身でストーリーを補足してしまった部分もある。
そんないい加減なものを書くなって所だろうが、4時間半の登場人物の多いドラマの内容を、どの位初見で把握できたかという、その検証みたいなもんです。
一般公開されたら、これを読み返して、記憶間違いを自ら指摘しつつ見るのも、楽しみとなるかなと思ってる。

まあとにかく「韓流ドラマ」なみに狭~い因果関係が、ごくごくシリアスな顔つきで語られてくのが、なんか可笑しくもなるのだ。

ワンシーン・ワンカットの端正な絵作りなんだが、時折不思議な位置にカメラを固定してみたり、決闘の後になんの関係もない付き添い人みたいな男が、銃を持って自殺して果てたり、メイドが大抵、人の話を盗み聞きしたり、覗き見したりしてる。


主人公のジョアンは、自分の「姓」がないことに苦悩してた。
「姓」は「家」であり、「家族」であり、「家系」である。
特に19世紀のヨーロッパ、それも貴族社会となれば、自分の出自はその人間を評価する、一番の決め手とされてしまう。

ディノス神父やアルベルトは、自分の名にこだわりなど持たず、時々に応じて取り替えてしまうことで、社会を泳いできた。自分の「名前」に縛られる人生を送る貴族とは対照的だ。
ジョアンも「姓」がないのなら、自らどうにでも名乗ることもできただろう。自分の生き方も決められる。
ディノス神父はそういう、したたかな生き方の術があることを、ジョアンに教えればよかったのに。
だが自分が何者か知ってしまったことで、途端に因果に翻弄されることになる。

14才のジョアンを起点に、登場人物が入れ替わり立ち代り、数珠つなぎのように、因果関係を構成していく、その過去に遡った流れが、ゆっくりと迂回して、少し先の、つまりはペドロとなったジョアンへと合流する。
刻々と変化する対岸の風景をゆったり眺めるような、そんな船旅をしてる気分になってくる。



「ジョアンと、母親アンジェラの秘密」

19世紀ポルトガル。修道院に暮らす14才の少年ジョアン。彼に姓はなく、ただ「ジョアン」と呼ばれている。
姓がないのはお前の父親が卑賤な者か罪人だったからだと、冷たい言葉を浴びせる年長の少年に掴みかかり、取っ組み合いの末に、ジョアンは昏倒する。
身寄りがないはずのジョアンを、なぜか伯爵夫人が見舞う。意識はおぼろげだったが、「私の息子…」という声が聞こえた気がして、ジョアンは彼女が母親なのだと確信した。

後日ジョアンはその事を、ディノス神父に問う。ディノス神父はジョアンを幼少の頃に預かり、この修道院で育ててきたのだ。神父はジョアンを散歩に連れ出した。
城の敷地内に置かれたベンチに腰掛けてると、城の部屋の窓に女性の姿が。だが直後に、この城の持ち主サンタ・バルバラ伯爵が、ふたりを不審者と思い、警告にやってきた。
ジョアンは、見舞いに訪れたのは、あの窓の女性だと思った。

あの城に働く従者ベルナルドが、伯爵夫人からの手紙を携えて、ディノス神父の元へやってきた。伯爵はポルトガル内戦で、ペドロ派を打倒すべく、国王軍に加わるため、城を不在にしてるという。
この期に城を訪れてほしいと。ジョアンを伴って。

城において、伯爵夫人アンジェラは、長く再会の叶わなかった我が子を胸に抱いた。
アンジェラはこの城で、夫のサンタ・バルバラ伯爵により、8年も幽閉されていたのだ。それには理由があったが、伯爵は使用人の娘であるエウジェニアを、妻の代わりに愛していた。
ディノス神父は、ベルナルドの手引きで、アンジェラをこの城から救い出した。
とりあえず自らの修道院で匿うこととし、母と子は水入らずで過ごす機会を得た。

ディノス神父は、口の重いアンジェラに代わり、ジョアンの出生に関わる経緯を語り始めた。
きっかけは、ディノス神父の修道院に、ひとりの青年が助けを求めに現れたことだった。銃による怪我を負っていた。神父が介抱すると、青年は自らの悲恋を語った。

ペドロ・ダ・シルヴァと名乗る青年は、貴族の出で、同じ貴族モンテゼロス侯爵の娘アンジェラと、互いに惹かれ合っていた。だがペドロが申し出た結婚の許しを、モンテゼロス侯爵はすげなく断った。家柄に問題はないが、財力の劣る相手に嫁がせるわけにはいかないと。

ふたりはその後も隠れるように愛を育んでいたが、それは侯爵の知るところとなり、侯爵はコメ・ファッカス(もの食うナイフ)と異名をとる山賊に、始末を任せる。
ペドロはアンジェラの部屋を訪れようとした際に、撃たれたのだ。

モンテゼロス侯爵は、娘が子供を身篭ってることを知り、アンジェラを、リスボンから遠く、山岳地帯にある自分の領地に移した。そしてコメ・ファッカスに監視させ、産まれた赤ん坊はすぐに殺せと命じていた。
ディノス神父はそこまでの経緯を知ると一計を案じた。
神父の身分を隠し、放浪者サビロ・カブラとして、山へと向かった。

コメ・ファッカスと出会うと、酒を酌み交わし、それとなく話を聞きだした。
人と話す機会もなく、孤独をかこってたコメ・ファッカスは饒舌だった。
侯爵の娘と赤ん坊の話になった時、サビロ・カブラは提案をした。
コメ・ファッカスの前に金貨の詰まった袋を置く。
「これで赤ん坊を譲ってくれ」
なんでこの放浪者がそんなことをするのか、怪訝に思うが、目の前の金貨は魅力だった。
「侯爵からの報酬より多く出そうじゃないか」
コメ・ファッカスは了承した。

母親アンジェラは我が子に、愛した青年と同じペドロ・ダ・シルヴァと名づけた。サビロ・カブラは彼女に自分の正体を明かし、赤ん坊の身の安全を保証した。
その存在が明かされないよう、ペドロには「ジョアン」という名をつけて、修道院で育てたのだ。
修道院の周りでは、ジョアンは神父の子ではないかと噂されていた。

モンテゼロス侯爵は赤ん坊は始末したと信じて、娘を手元に戻した。侯爵が催す宴の席で、アンジェラに見惚れた青年がいた。それがサンタ・バルバラ伯爵だった。
モンテゼロス侯爵はこの青年の後見人となっていた。
サンタ・バルバラ伯爵の父親は獄死しており、死に追いやった男は、モンテゼロス侯爵の政敵でもあった。共通の敵を持つ二人は気が合っていたのだ。

モンテゼロス侯爵は、この青年に娘を嫁がせようと考えていた。
むろん娘が他の男の子供を身篭ったなどとは知らせるべくもない。

だがリスボンの貴族社会は狭い。噂はどこからともなく耳に入ってくる。
結婚後にその事実を知ったサンタ・バルバラ伯爵は、アンジェラが否定しないのを見て激怒し、その裏切りの代償として、城に幽閉してしまう。
そしてアンジェラの姦淫行為を世間に吹聴し、彼女の名誉まで貶める。

だがやがてサンタ・バルバラ伯爵は若くして病に倒れる。妻を8年も幽閉したという自責の念に、彼は死の床で懺悔し、遺産をアンジェラに遺すと言った。
だがそれを聞いたアンジェラは贈与を拒否し、修道女となる道を選んだ。
息子ペドロとはつかの間の母子の温もりに満ちた時間だった。ペドロはまた自分のもとから去ってしまう母親の気持ちを、推し量るべくもなかった。



「ディノス神父の秘密」

少年ジョアンに真の名ペドロ・ダ・シルヴァを告げた、命の恩人であるディノス神父自身にも、出生の秘密が隠されていた。
それはディノス神父が敬愛する、アルヴァロ神父に呼ばれて、彼の修道院を訪れた時のことだ。
年老いた神父は「話しておかなければならないこと」とし、この話を語り始めた。

50年以上時代を遡る。ポルトガルを統治してたジョゼ1世が崩御した、1777年あたりの頃だろう。
若いアルヴァロは貴族だった。ヴィソ伯爵とは、ジョゼ1世の後を受け、独裁を行うボンパル侯を打倒しようと共闘する間柄だった。
ヴィソ伯爵の妻シルヴィナは美しく、いつしかアルヴァロは、友人の妻と不倫関係を結んでいた。
二人は逃げるようにヨーロッパ各地を旅行して回った。フランス、スペイン、イタリアまで。

旅のさなかにシルヴィナは妊娠するが、彼女の身体は、出産に耐えられなかった。
アルヴァロはこれを「罰」と受け止めた。アルヴァロはローマに住む友人パウロに赤ん坊を託したが、そのパウロが死に、レイモン・ド・モンフェール侯爵が身元を引き受けた。
ディノス神父は、シルヴィナが赤ん坊を産み落としたのが54年前のことと聞かされ、すべてを悟った。
それは自分の今の歳だったからだ。
アルヴァロ神父こそ、自分の真の父親だったのだ。
ディノス神父も、ペドロと同じように、祝福され、認められて生を受けたわけではなかった。

ディノス神父は幼き頃はセバスチャンと名づけられ、ナポレオン軍のポルトガル遠征では、親仏派として、ナポレオン軍の軍服に袖を通し、戦地に赴いた。
セバスチャンは親友ブノワと行動を共にしたが、戦地で銃殺寸前の、フランス軍人ラクローズ連隊長の窮地を救う。
ラクローズはモンフェール家に招かれるが、そこで娘のブランジェを見初める。親友のブノワもブランジェを想っていた。やがてラクローズは命を落とし、ブノワはブランジェと結婚する。
セバスチャンは義妹のブランジェには、例え秘めた気持ちを抱いてたとしても、言葉に出すことは叶わなかった。

ブランジェはやがて双子の姉弟を出産。その双子はブノワとの間の子ではなく、ラクローズ連隊長との忘れ形見だった。ブランジェはボルドーの屋敷に住まわず、狩猟小屋で暮らした。
姉弟はエリーズとアルトゥールと名づけられた。



「コメ・ファッカスの秘密」

貴族たちが集うリスボンの社交の場で、ペドロの母アンジェラの醜聞をひけらかしていた夫人たちに、皮肉の刃を突きつけた男がいた。
ブラジルから渡ってきたという事業家の、アルベルト・デ・マガリャンエスがその男だった。
その激しい責めの口調に、夫人たちは言葉を失った。アルベルトは奴隷商ではないかなどと噂されてたが、正体は謎だった。

ディノス神父はそのアルベルトから、館に招待を受けた。
「あんたとは前に会ってるんだ」
ディノス神父はその言葉で初めて気づいた。ヒゲもじゃで、薄汚れた格好をしてた、あの頃の面影はどこにもない。いや野卑とも言える口の悪さは相変わらずだった。
アルベルトこそ、あのコメ・ファッカスだったのだ。
あの時神父から受け取った金貨を元手に事業を起こし、今は大成功して、貴族たちとも対等につきあえる立場となっていた。
アルベルトは昔の自分の行いを悔いてか、あの金を返したいと言う。
「ではその金はペドロの人生のために使うとしよう」

少年から成長を遂げたペドロは、フランス留学の機会を得た。そのフランス行きの船の中で、自分に視線を送ってる男がいた。アルベルトだった。
ペドロはパリで、初めてのオペラを観劇するが、その席で、アルベルトを凝視する女性が気になった。
彼女はエリーズといい、クリトン侯爵の夫人だった。
元の名をエリーズ・ド・モンフェール。ディノス神父の義妹ブランジェの娘だった。
エリーズは以前アルベルトと不倫関係にあったが、アルベルトが関係を清算しようと申し出てたのだ。
姉の名誉を傷つけたと、弟のアルトゥーロが決闘を申し込み、命を落としていた。

リスボンに戻ったアルベルトは意外な女性と結婚していた。ペドロの母アンジェラを幽閉してた、サンタ・バルバラ伯爵の愛人だったエウジェニアがその相手だった。
エウジェニアもまた伯爵の遺産分与に預からず、アンジェラに謝罪したいという気持ちを持っていた。
そのことをアンジェラは修道院で伝え聞いていた。そのペドロの母アンジェラは、コレラで命を落とした。

エリーズはリスボンにやってきて、アルベルトの知人の男を館に呼び、言葉巧みにアルベルトの住まいを聞き出した。
エリーズはアルベルトが不在の館で、妻のエウジェニアと会い、脅しをかけるような言葉を発して去って行った。
エウジェニアは恐ろしくなり、ベッドの下や、テーブルの下に隠れ、出てこようとしなくなった。

エリーズとは姪と叔父の関係にあるディノス神父を通じて、ペドロはエリーズと顔を合わせるうち、年上の彼女に強く惹かれるようになる。
そしてエリーズがアルベルトから受けた仕打ちを聞かされるうち、義憤に燃えるようになる。
ペドロはアルベルトに決闘を申し入れた。
なぜエリーズのために、つながりもないペドロが命を張るのか、アルベルトは面食らった。
しかもペドロは、アルベルトが自分の出生に因縁深い人物だとも知らない。
だがアルベルトはそのことを話すこともせず、決闘を受け入れた。

2012年6月26日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

フランス映画祭④『リヴィッド』 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2012

『リヴィッド』

リヴィッドクロエクルー.jpg

ベアトリス・ダルが、妊婦の腹から胎児を奪い取ろうと、執拗に襲いかかってくるという、2007年の血みどろホラー『屋敷女』で、「フレンチホラーの容赦なさ」を強烈に植えつけた感のある、ジュリアン・モーリー&アレクサンドル・パスティロ監督の新作ホラー。
トークショーに登壇したジュリアン・モーリー監督は、「バレエ教室」とホラーという設定は『サスペリア』からインスパイアされたものだと語ってた。


フランス、ブルターニュの小さな港町に住むリュシーは、20才前後だと思うが、定職がなく、ようやく訪問介護のバイトにありつく。カトリーヌという名の中年女性が車で迎えに来た。
彼女はリュシーの瞳を覗き込んで
「左右の色がちがうのね」
「なんて言うんだっけ?」
リュシーは医学用語の「ヘテロクロミア(虹彩異色症)」と応えた。
「美しいわね」
「瞳の色がちがう人は、二つの魂を呼び寄せるって言われてる」
カトリーヌの言葉に、何となく相槌を打った。

独居老人の家を回り、最後に訪ねたのは、人里離れた深い森の中に佇む、一軒の屋敷だった。
「ここはあなたには難しい。車で待ってて」
カトリーヌはそう言い残すと、朽ち果てたような門をくぐって、敷地に姿を消した。

リュシーは好奇心に駆られ、後を付いて行った。
森をかき分けて進むと、目の前に「チューダー調」とも何とも取れないような、異様な外観の屋敷が姿を現した。とても誰か住んでるようには見えない寂れ方だ。
玄関とおぼしき場所を見つけ、リュシーは恐る恐る中に入った。

中も人の生活の気配はない。奥まった部屋に入ると、ベッドの上に、人口呼吸器をあてられた老婆が眠っていた。もうミイラ化してるんではないかと思えるような、その生気の抜け落ちた表情。
呼吸器を通じて聞こえる、規則正しい音だけが、かろうじて老婆が生存してることを告げていた。
「車で待っててと言ったでしょう」
カトリーヌが姿を現し
「好奇心が強いのは、この仕事に向いてるわね」
この老婆はもう動けないが、屋敷の中には「財産」が隠されているという。
親族から介護を依頼されてると。
「その財産とやらは、私も探してみたけど見当たらないわね」


リュシーはカトリーヌに港まで送ってもらい、明日も同じ時間にと告げられ、別れた。
カトリーヌはリュシーを降ろした後に、ひと気のない田舎道に車を走らせた。
前方に少女が自転車を漕いでいる。カトリーヌはゆっくりと少女の横に、車を寄せて行った。

カトリーヌの住むアパートの風呂場から物音がしてる。
バスタブは赤く血で染まり、さっきの少女の足が片方、バスタブからはみ出してる。
血まみれの少女の死体が、中に横たわり、タバコをくわえたカトリーヌは、無表情でなにか作業でもするように、手を動かしている。


リュシーは夕暮れになり、漁師をやってる恋人のウィリアムを、港で待っていた。
ふたりはいきつけのバーに立ち寄り、リュシーは今日の仕事のことを話した。

「あの屋敷に行ったのか?子供の頃、母さんに、あそこには行くなって言われてたぞ」
リュシーが屋敷にお金が隠されてるらしいと、何気なく言うと、ウィリアムは俄然興味を示した。
「盗みに行こうっていうの?」
リュシーはそんなことを考えるウィリアムに失望する。だが
「こんな所でくすぶってていいのか?」
「将来なんか描けやしないぞ、こんな町で」
ウィリアムはもう乗り気で、友達のベンにも話をした。

リュシーはうんざりとその場を去るが、家に帰ると父親は、どこかの女性らしき相手と電話してる。
「お母さんが死んでまだ8ヶ月なのよ!」
だが父親はそのまま外出してしまった。風呂場のバスタブに腰掛け、もの思いにふけるリュシー。
バスタブで首を括って死んだ母親の幻影が、リュシーの頬を撫でている。
リュシーは家を出たいと思い、ウィリアムに連絡した。
「なにも壊さないと約束して」


夜の闇にまぎれて3人が屋敷に忍び込むと、さっそく「宝探し」が始まった。リュシーは廊下にある盾を眺め、ここが以前バレエ学校だったことを知る。
屋敷の所所に錠がかけられたり、封印されたような扉があった。

その中のひとつの部屋で、3人はベールで覆われた一体の、等身大の人形を見つける。
バレエの衣装を着た少女の像で、肌は真っ白で生身のような質感だった。
それが不意に体を動かした。台座が回り、機械仕掛けのように、カクカクと手を上げたりする。
あまりの不気味さにウィリアムが思わず殴りつけた。
その瞬間、突き上げるような物音が響いた。

あの老婆が眠る部屋からのようだった。怖くなった3人は退散しようとするが、忍び込んだ半地下の部屋の窓には、いつの間にか格子がはまり、どのドアも開かなくなってる。
ウィリアムもベンも蒼白だ。リュシーは、昼間に老婆の部屋の窓を、換気のために開け放ちたことを思い出した。
「あの部屋だわ!」
だが部屋に行くと、ベッドの上に老婆の姿はなく、あったはずの窓すらない。

必死に出口を探す中、ウィリアムは全身を映す鏡に吸い寄せられていた。
鏡面のくもりを払うと、背後にはあの老婆が。
次の瞬間、ウィリアムの姿は消えた。

ウィリアムがいたのは、窓もドアもない作業場のような部屋だった。
手術器具のようなものが置かれている。
ホルマリン漬けの胎児の瓶が並んでる。

うろたえるウィリアムは太腿のあたりに激痛が走った。バレエの少女のように見える。
刃物で切り付けてくる。3人いる。笑いながらウィリアムの首を刃物で裂く。
絶命寸前のウィリアムの喉笛に、一人が噛み付いた。


出口がない。ウィリアムも見当たらない。恐怖にかられ、ひたすら錠前を壊そうとするベンを残し、リュシーは剥製がテーブルを囲む部屋に入った。
テーブルの向かいには黒いベールのあの老婆が現れ、リュシーは伸ばされた両手に、自分の手を合わせる。
その瞬間ヴィジョンがリュシーの前に広がった。

バレエ教室の光景だ。幼い少女たちにレッスンをつけてる黒衣のバレエ教師。険しい顔つきをしてる。
うまくできない一人の少女に「帰りなさい」と告げる。
少女が奥で帰り支度をしてると、ドアかげから別の少女が笑って見てる。
悲鳴がとどろき、教師はほかの少女たちを帰らせた。部屋に入り、言った
「知らない人間を襲っちゃ駄目だと言っただろ!」

教師の名はジェセルといい、彼女の前で、口の周りを血まみれにして笑ってるのは、娘のアンナだった。生徒の少女は首から血を流し絶命していた。

アンナはそのまま屋敷の外に出た。薄日が差す庭に出ると、アンナの体は宙に浮き始め、肌にひび割れが生じてきた。アンナはヴァンパイアだった。
気を失った娘を、ジェセルは抱えて部屋に戻った。その一部始終を見ていた生徒がいた。
「なぜ帰らなかった?」
その生徒こそがカトリーヌだった。

ヴィジョンがそこで潰えて、リュシーが気がつくと、老婆の姿はなかった。
「みんな殺される」
リュシーはベンを呼んだ。だがもうすべては遅かったのだ。


バレエ教室の恐ろしい秘密、少女たち、鋭利な刃物と、たしかにダリオ・アルジェントの
『サスペリア』的世界を彷彿とさせる。虫が出てくるあたりは『フェノミナ』も入ってるかな。

それとともに、その蛾のサナギを体内に埋め込まれる場面や、機械仕掛けの人形や、緑に覆われた森の風景など、ギレルモ・デル・トロのホラー映画を模してるようなテイストも感じる。

前作の大血みどろ劇に比べると、絵的な美しさが際立ってる。
リュシーはその後、アンナと「交感」することになるんだが、少女ふたりが海岸へと向かう光景に、もうおどろおどろしさはなく、清々しさすら漂って、ただ美しい。


ジュリアン・モーリー&アレクサンドル・パスティロ監督の作品は、まだ『屋敷女』とこの『リヴィッド』だけだが、共通するのは、「歪んで、暴走する母性」というモチーフにある。
そしてその「母性」に対抗しうるのも女性であり、とにかく男の役に立たない感が際立ってるね。

今回の映画も、ヒロインのリュシーは、母親を自殺で失ってるという「欠損感」を抱いてる。
「母を求める気持ち」を抱きながらも、ジェセルの歪んだ母性を、決然と突き放さなければならない。
そのことはラストの見せ場に表れるんだが。

トークショーで、ジェセルを演じたマリー・クロード=ピエトラガラについて質問してた女性がいたが、バレエの世界では有名なエトワールだそう。
痩せぎすの険しい表情が怖い。かなりなインパクトだね。


だがなんと言ってもリュシーを演じるクロエ・クールーだ。可愛いというか美しいというか、最初の場面から見惚れてしまった。フランスの美人ていうのはホントに美人だよね。
彼女がヒロインとなったことで、俺にとっては「入り込み度」がてきめんに増したのだ。

片目はコンタクトで、ヘテロクロミアを表現してたと思うが、ブルーの瞳と、ダークグレーの瞳。それが美しく調和してる。彼女を起用した監督お手柄!


9月公開で例によって「シアターN渋谷」なんだが、おぞましい場面はあるにせよ、少女ヴァンパイアとか、謎のバレエの館とか、ヒロインの美しさとか、耽美なイメージを前面に押し出して宣伝行えば、女性にアピールできると思うな。
銀座テアトルシネマや、シャンテとか、そういうミニシアター系でもかければいいのに。
一時期少女系ホラー漫画誌がけっこう出てたけど、もう下火なんだろうか。
そういう所とタイアップするのに絶好の内容だよ。

2012年6月25日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

フランス映画祭③『スリープレス・ナイト』 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2012

『スリープレス・ナイト』

スリープレスナイト.jpg

この日は1日のプログラム4作品全部を見て、レイト上映が終わった時には23時半近くになるというヘビーな1日だったんで、勢いで書き飛ばせそうなアクションのコメントから入れてこうと思ったんだが、これも結構人間関係が入り組んでましてね。

映画の冒頭、車載カメラで道路を映す、そこにオープニング・クレジットが、画面上から下に流れていく。俺が過去に見た中で、クレジットが「下りてくる」映画は、
ジョージ・ルーカスのデビュー作『THX-1138』と、
ラモント・ジョンソン監督の1972年作『爆破作戦/基地に消えた男』などがあるが、
ロバート・アルドリッチ監督が、探偵マイク・ハマーを扱った
1955年作『キッスで殺せ!』も、たしかオープニングで、疾走する夜の路面に、クレジットが下りてきたように記憶してる。

この『スリープレス・ナイト』は、コカインを横領した刑事と、刑事の息子を誘拐したマフィアと、刑事の行動を不審に思い、後を尾けてきた別の刑事の、三つ巴の戦いの一夜を描いて、まさに50年代のアメリカの犯罪映画へのリスペクトを、『キッスで殺せ!』のクレジットを模するオープニングによって表明してるんじゃないか?

などと思いながら見てたが、上映後のトークショーで、監督はむしろ『チェイサー』など、近年の韓国の犯罪アクションの、ボルテージの高さに惹かれているのだと言う。
マフィアの根城でもある、巨大なナイトクラブを舞台に、追いつ追われつ、攻守逆転のノンストップ・アクションが展開され、ハリウッド・リメイクも決定してるそうだ。


潜入捜査によって、大規模なコカインの取引があることを掴んでた刑事二人は、取引場所に向かうマフィアの車を、市街地の路上で白昼に襲う。目だし帽を被ってはいたが、トランクを開けさせた所で反撃にあい、一人は撃ち殺すが、もう一人は取り逃がしてしまう。
コカインの詰まったバッグは奪ったが、逃げた男は、襲ったのがヴァンサンだと気づいて、ボスに告げた。ボスのジョゼ・マルシアーノは、ヴァンサンのケータイを鳴らした。
「お前の息子を預かってるぞ」

同僚刑事のマニエルは、奪ったコカインで借金を片付けようとしてたが、ヴァンサンは凄い剣幕で、強引にバッグを出させ、マフィアの待つ、巨大なナイトクラブに急いだ。
一袋だけポケットに入れ、バッグは男性トイレの天井裏に隠した。
だがバッグを持ってクラブへと入って行くヴァンサンを、女性刑事ビネリが尾行してた。
ヴァンサンとマニエルの行動に不審を抱いていたビネリは、上司のラコムに連絡を入れ、自分もクラブへと向かった。

ダンスフロアは客たちでごった返していた。ヴァンサンは奥まった鉄製の扉で隔てられた部屋に通された。
ジョゼとコカインの取引相手のトルコ人たちが居合わせた。
ヴァンサンはしたたか殴られるが、ポケットのコカインは本物と認められた。
「息子をここに連れてくれば残りを持ってくる」
ジョゼは別の部屋に軟禁した息子のトマを引き合わせる。

ヴァンサンは「3分で戻る」と部屋を出る。男性トイレに戻り、天板を開けるが、置いたはずのバッグがない!
実はヴァンサンの後を尾けてたビネリが、そのバッグを女性トイレの天井裏に移しておいたのだ。

パニックを起こしたヴァンサンは、クロークに、黒いバッグが届いてないか?などと尋ねるが、天井裏に隠した物が、遺失物として届いてるはずないだろ。
ヴァンサンは何を思ったか、厨房に乗り込んだ。
警察手帳を見せ、下働きのインド人を目につけると、引っ張っていき
「小麦粉はどこだ?」
「不法入国でしょっぴくぞ」
と脅され、言われるがままに、小麦粉をビニール袋に詰めてく。ヴァンサンはそれをガムテープで包む。インド人の私物のバッグに詰めてくと、バッグのジッパーをすぐに開かないように細工する。

何食わぬ顔で、ジョゼたちの部屋に戻ったヴァンサン。トルコ人は物を確かめるため、バッグを開けようとする。
ヴァンサンは出し抜けに
「俺は潜入警官だ」
「この店に警官が集まってきてるぞ」
ジョゼたちは半信半疑だ。扉を叩く音。
ヴァンサンが「5分後に部屋に酒を持って来い」と言っておいた新米のボーイだ。
だが焦ってるジョゼたちは、監視カメラで「知らない顔だ」と。
ヴァンサンに「早く逃げろ!」と急き立てられ、トルコ人たちは外で待つ車に乗り込んだ。


トマは監視役の男とプールバーにいる。ヴァンサンはクラブの巨大な空間を、人の波をかき分けながら移動する。ヴァンサンがトマの手を引いてクラブの入り口を目指してる、丁度その時、トルコ人たちが血相変えてジョゼの前に戻ってきた。

「こりゃなんの冗談だ?」
小麦粉のビニールをジョゼの顔にぶつけ、撃ち合いとなり、トルコ人は死ぬ。
「あいつが独り占めしようとしてる」
「息子を返すな!」

手を引いていたトマは、フロアの人混みの中で、再びマフィアに奪い去られる。
ヴァンサンはコカインを強奪した時に、脇腹を刺されていて、傷口から血が滲み始めていた。
厨房にとって戻り、救急箱を漁って、非常階段で傷口を塞いだ。
コカインのバッグはない。息子は奪い去られた。
手を尽くせない絶望に、ヴァンサンは嗚咽した。


どこをどう歩いたか、辿り着いたのは、ホステスたちが男と絡み合う「会員制バー」のような空間だった。なにも働かない頭で、酒をあおるヴァンサン。
カウンターの女性が電話でなにやら注文をとってる。
ミルクとピーナッツ。それが妙に引っかかった。

彼女はカウンター奥の部屋を暗号のようにノックしてる。
「ひょっとしてあの部屋に?」
だが同時にヴァンサンがバーに居ることは、ジョゼに伝わっていた。

女性刑事ビネリから報告を受けた上司のラコムも、クラブにやってきた。
ビネリから、バッグを女性トイレに隠してあることを訊く。
ビネリには引き続きヴァンサンを追跡させた。
そしてラコムは警察手帳を手に、女性トイレに入り、天井裏からバッグを運び出した。


とにかくこのクラブが巨大だということは分かるんだが、構造がどうなってるのか、俯瞰できないから、前半はヴァンサンがクラブ内の空間を右往左往する場面が繰り返され、見てる方もストレス溜まる感じがある。

マフィア側も、自分たちの根城なわけで、監視カメラが至る所に設置されてるってことは、ヴァンサンがバッグを持ってトイレに入るような所も映ってなかったのか?

それとダンスフロア内で、しかも薄暗く視認が困難な状況が、ヴァンサンを捕らえ切れないんだとすれば、消防とかの理由をつけて、一旦フロア全体の照明を点けてしまえばいいのにねえ。
マフィアにとっては一大事なはずなのに、律儀に営業続けてる場合じゃないような気がするが。

後半、息子を取り返すため、形振りかまわなくなったヴァンサンと、ジョゼたちマフィアの争いに、ビネリの上司ラコムが参戦する。ラコムこそ、今回のコカイン横領の黒幕なのだ。

ヴァンサンとラコムがクラブの厨房内で格闘する場面は、厨房内においては、過去に見られない位の凄まじいアクション描写に仕上がってる。スタントマンが入っているだろうが、生傷、打ち身とは半端ないだろうな。
この後ふたりは非常階段でも格闘を続け、もう満身創痍の度を越してる。
このラコムのキャラは、韓国映画『哀しき獣』のキム・ユンソクを思わせると書けば、想像つくだろう。

後半の一気呵成にたたみ掛けていく演出に、それまでの細かいこともどうでもよくなってくんだが、終盤はちょっと胸熱な描写もあったりして、昨年の『フランス映画祭2011」で見た
『この愛のために撃て』と同じように、フランスのアクション映画が、様変わりしてるのを、まざまざと見せ付けられる思いだ。
日本映画はこのジャンルでは、それこそ「ガラパゴス」なみに取り残されていってるね。


主人公ヴァンサンを演じるトメル・シスレーは、演じてて一番難しかったのは、女性刑事ビネリに、バッグの隠し場所を履かせるために、痛めつける場面だったと、トークショーで語っていた。

この映画の登場人物の中では、息子のトマを除いて、善人と呼べるのは、この女性刑事くらいなので、俺もこの場面は演技とはいえ、何度も冷蔵室の棚に体を打ち付けられたり、見ていて痛々しかった。
彼女はさらに災難に見舞われることになるんだが、他の男たちの誰が死んでも構わないが、ビネリだけは死なんでほしいなと思ったよ。

なにか教訓とか、テーマが込められたようなドラマじゃあない。
追い詰められた主人公の一挙手一投足に固唾を呑んでればいいのだ。

2012年6月24日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

フランス映画祭②『愛について、ある土曜日の面会室』 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2021

『愛について、ある土曜日の面会室』

愛について、ある土曜日の.jpg

監督は31才の女性レア・フェネール。これが長編1作目で、すでに数々の映画賞を受賞してる。
それも頷ける出来栄えだ。
上映後のトークショーで、監督はカサヴェテスやキエシロフスキに影響を受けたと語ってたが、この題名も、キエシロフスキ監督の『愛に関する短いフィルム』を思わせる。
人物に肉迫しようという、強い眼差しは感じるが、突き放したり、酷薄さを追い求めるような方向ではなく、どこかに女性監督の「母性」の柔らかさも流れている、そんな感触がある。

3組の登場人物それぞれのエピソードが、土曜日の刑務所の面会室へと収斂されていく、その脚本は、レア・フェネール監督自身が、身内を刑務所に収監された家族をフォローするという、ソーシャルワークの経験などから紡ぎ出したものだという。


『ローラとアレキサンドルとアントワーヌの場合』

女子サッカーチームに所属する16才のローラは、帰りのバスの中で、アレキサンドルと名乗る青年に声をかけられる。
「この名前は俺自身がつけたんだ」
額に怪我を負い、ヤンチャそうだったが、ローラはこの青年に惹かれるものがあり、同じ停留所で降りる。
二人は夜の町を歩き続け、空き家となってるアパートに忍び込んで一夜を明かす。
二人がつきあい始めてほどなく、アレキサンドルが警官に暴行を働き、逮捕されたと連絡が入る。
刑務所に面会に行きたいが、未成年のローラには、成人の同伴が義務づけられてる。
彼氏が刑務所にいるなどと親には言えない。

ローラは偶然雨宿りした献血車にいた、病院スタッフのアントワーヌに、付き添いを頼み込む。
見知らぬ男と面会に来たローラを、アレキサンドルは訝しい目で見た。だが塀の中の寂しさを紛らわすように、アントワーヌの見てる前で、ローラの唇を欲した。

だがローラが妊娠してることがわかり、アレキサンドルも過酷な環境で毎日を過ごすストレスから、ローラへの優しさは失われていた。
最初は面白半分に若いカップルを見ていたアントワーヌの心の中も、ローラへの思いでざわめきつつあった。


『ステファンとエルサとピーターの場合』

ステファンはスクーターで、病院へ血液を運ぶ仕事をしてるが、配送時間を守れないなど、仕事ぶりは芳しくなく、母親に金を無心することさえある。
恋人エルサはそれがふがいなく、またステファンの母親とも、角突き合わす関係だ。
なにもかもうまくいかない。

ある日エルサは町で暴漢たちに絡まれ、怪我を負うが、ポールという男に追い払ってもらったという。
ステファンはエルサを見舞った病院で、ポールに礼を言うと、相手はステファンの顔を「信じられない」という表情で眺めてる。友達に瓜二つの奴がいると。
ステファンは飲みに誘われ、それ以来、頻繁にポールと会うようになる。

エルサは警戒感を滲ませてた。ポールはうさん臭いと。
身なりは整ってるが、どこか凄みを漂わせている。
エルサの予感通り、ある晩ポールはステファンに、奇妙な依頼を持ちかけた。

刑務所に君に瓜二つと言った男が入ってる。実はこの男は大金を持ってるんだが、本人が塀の中では金を動かすこともできない。
報酬ははずむから、面会に行って、すり替わってほしいと言うものだった。

ステファンは耳を疑った。自分はダメな男かもしれないが、犯罪に手を染めたことはない。
ポールは食い下がった。その男の身柄を安全な場所に移した時点で、弁護士を寄こす。
身代わりになったと言えば、指紋などですぐに分かる。罪は罪だが大した刑期にはならないと。
ポールの「カタギではない」雰囲気にも気圧されて、ステファンはその依頼を呑むことに。

だが決行の日が近づくほどに決意は揺らぐ。腹を括りきれないステファンに、ポールは恫喝し、なおも萎縮させることに。
そして仕事に必要なスクーターが何者かに盗まれたことで、いよいよステファンは窮地に陥る。


『ゾラとセリーヌの場合』

アルジェリアに住むゾラのもとに、息子の悲報が届く。フランスから遺体が空輸され、ゾラは遺体安置所で、変わり果てた息子の体を拭いた。その胸には深い刺し傷が残っていた。
息子はなぜ殺されたのか?ゾラはフランスへと渡った。

ニュースや新聞に、その殺人事件は取り上げられていた。息子を殺害した加害者は逮捕されたという。
加害者の告白を聞いた姉が、警察に通報したらしい。
胸を何度も突いていることから、愛情のもつれが原因ではないかと憶測していた。
加害者は男だった。

ゾラは、加害者の姉の居所を探し、その職場を突き止めた。
事務所の外から眺めてると、中で女性が泣き崩れている。
ゾラは中に入り、彼女に声をかけた。
「泣いてる理由はわからないけど」と慰めの言葉をかける。
女性はいきなり声をかけられ、拒絶するような仕草をした。
ゾラは謝罪して表に出た。すると女性は後を追ってくる。
それがゾラと、息子を殺した加害者の姉セリーヌとの出会いだった。

ふたりは公園でしばし話し込んだ。見ず知らずの人間に、優しい声をかけてくれるなんて。
セリーヌはゾラの人間性を見込んで、思いもよらぬことを口にした。
「私の子供たちの面倒を、昼間見てもらえませんか?」
セリーヌは出し抜けな依頼を断られると思ったが、ゾラは快諾してくれた。

ゾラが家に通うようになり、すっかり打ち解けた二人だったが、セリーヌのショックは癒えてなかった。どうしても刑務所に、弟の面会に行くことができない。ゾラは言った。
「私がかわりに行きましょうか?」
セリーヌは一瞬面食らった。なんの関係もない弟に、なぜ会いに行く必要が?
「身内であれ、誰であれ、面会に来てくれることが、刑務所で孤独に過ごす人にとって、どれだけ嬉しいことか」
と、弟の心情を代弁するようにゾラは言った。
ゾラは、姉の代わりに、弟の面会に行くこととなった。


ステファンのエピソードと、ゾラのエピソードには、ミステリー的な要素が仕込まれており、面会当日に何が起こるのか、目を逸らせない展開が見事だ。
これが長編1作目とは思えない、腰の据わった語りっぷりだ。

刑務所の中の世界は、甘えなど許されないシビアな世界だろう。自分のことを無条件で肯定してくれるような、肉親も恋人もそこにはいない。
だからといって、外の世界にも、安息があるわけでなく、生き難さを感じる人々の吐息が、ガスのように充満している。

刑務所の「面会室」という所は、離れ離れになって初めて、互いの存在の大切に気づかされ、抱擁を交わすほかない場所であり、塀の中も、外にも厳しい現実がある、この世界において、唯一の「人生の緩衝地帯」といえるのかもしれない。

面会室での「成り代わり」というのは、監督によると、フランスの刑務所では結構あることなんだそうだ。このエピソードに関しては、黒澤明監督の『影武者』を参考にしてる部分もあると語っていた。

俺が思い出したのは、リチャード・ギア主演の1992年のサスペンス『愛という名の疑惑』だ。
あの映画の中で、姉妹を演じるキム・ベイシンガーと、ユマ・サーマンが、やはり面会室で入れ替わる場面があった。
「どう見ても似てねえだろ」と、当時はツッコミ入れて見てたんだが。

ゾラのエピソードに関しても、1本思い当たる映画がある。
1998年の『HEART/ハート』だ。
交通事故で脳死判定を受けた、17才の少年の心臓を移植された男を突き止めた少年の母親。
彼女は男と愛し合うようになるが、最後には男を殺して、心臓を抜き取ってしまう。

それは狂気に陥った行為と思われたが、その少年の母親には、真の目的があった。
その殺人行為によって、刑務所に入れられた母親。
その同じ刑務所に、ハンドルを誤って、息子の命を奪うことになった女性が収監されてたのだ。
その目的が果たされようとするラストは底冷えするような怖さだった。

俺にはその映画の記憶があったんで、ゾラが面会室でどうするのか、固唾を呑んでしまったよ。

ゾラを演じてたのは、この同じ有楽町朝日ホールで先月見た『ジョルダーナ家の人々』に出ていたファリダ・ラウアッジ。
あの映画でも、ヨーロッパに渡ったまま消息のない娘を探しに、イタリアに密航して渡ってくる、イラク人の母親を演じていた。ベビーシッターをすることになる流れも同じだね。
『ジョルダーナ家の人々』での演技が、このゾラ役への起用につながったんだろうか?

それからびっくりしたのが、ゾラと出会うセリーヌを演じてるデルフィーヌ・シュイヨーだ。
彼女が出てくる最初のカットで
「えっ、シャーロット・ランプリング?」
と思わず目を疑った。もう髪の短さに至るまで、若い頃の彼女そのまま。

デルフィーヌシュイヨー.jpg

というより最初はシャーロット本人かと思い
「アンチエイジングってやつか?」とまで考えてしまったぞ。
『パンドラム』に出てるっていうけど憶えてないんだよな。

ひょっとしてシャーロットの娘なのか?いやここまで似てると俺もさすがに落ち着かない。
伊藤歩と木村文乃くらい似てる。
最後にどーでもいいことで締めることになってしまったのは忸怩たるところである。

2012年6月23日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

フランス映画祭2012①『短編6作品』 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2012

フランス映画祭2012.jpg

『短編6作品』

GWの「イタリア映画祭」に続き、有楽町朝日ホールをメイン会場に、6月21日(木)から24日(日)まで開催される、「フランス映画祭」も今年で20回を数えるという節目の年。
それでも公式カタログは昨年に引き続き、販売はされなかった。
昨日のオープニング作『最強のふたり』は、昨年の東京国際映画祭で見てるんでパスし、今日からがスタートだ。

俺はあんまり短編映画を積極的に見たりはしないんだが、今回のプログラムはなかなかアイデアに富んだラインナップではないかと思い、見ることにした。
悪天候もあるが、ゲストが気の毒になるくらい、客席が埋まってない。


6作品を上映順にコメントしてく。
1本目は鉛筆で濃淡まで出したかのようなタッチの、モノクロのアニメ


『ビンぞこメガネ』

少年アルノーは極度の近視で、度の思いっきり強いメガネをかけてる。学校ではそのメガネは格好のネタとなり、「ビンぞこメガネ~!」とあだ名されるようになる。
「こんなメガネ要らない」
メガネを外すと、世界はぼんやりと見えて、ただの置物や道端の影が、モンスターや一角獣なんかに見えてくる。
このアニメはナレーションを、怪優ドミニク・ピノンが行ってるが、ユニークなのは、その声の主は、少年が見てる幻影のモンスターなのだ。
「少年がメガネを外して世界を眺めることをしなくなれば、もう自分たちも存在できなくなる」
子供から大人に成長してく過程で、失われていくイマジネーションに遊ぶ力を、このアニメは独特のモノクロ世界に塗りこめていた。


『宇宙からの巨大生物の襲来』

1950年代はアメリカ人がパリに憧れを抱いていた時代。その時代のテクニカラー・ミュージカル風に、明日からパリ旅行と浮かれるカップル。
だが彼らの家の庭先に、巨大なタコの形をした宇宙人が襲来。人々はその触手を頭に突き刺され、ゾンビへと変えられてしまう。
カップルは町で出会った科学者とともに、宇宙人撃退に立ち上がる。
『宇宙水爆戦』のような宇宙人が襲来する部分はモノクロになってて、1950年代のハリウッドSFのテイストを再現してる。
ふたつの「アメリカン・レトロ」の世界をミックスして、フランス人に演じさせた19分のファンタジー・コメディ。
秘策を講じたつもりが、あっさり宇宙人に殺される彼氏を目の当たりにして、即座におじいさん博士に乗りかえるヒロインが可笑しい。


『ラスト・ワゴン』

唯一ゲストとして、トークショーに登壇した監督フェッド・マンスールによると、このモノクロの短編は、西部劇の決闘場面をモチーフに、搾取される労働者たちの、誇りと連帯の精神を描こうとしたものだという。
題名はデルマー・デイビス監督の西部劇『襲われた幌馬車』から取られてる。
建設現場の3人の男のもとに、社長からの使いがやってくる。経費削減で、ひとりをリストラすると。
年寄りのリーダー格の男は、まず標的にされた仮採用の若者を、労働規約を盾にかばう。
すると社長の使いは今度は移民の男に照準を向ける。
ここでもリーダーの男は、移民の男には重機を操るスキルがあり、いなくなれば工期は延びると使いを脅す。
最後にそのリーダーが標的になると、今度は若者と移民の男が
「リーダーが図面を引かなければ、仕事は進まない」
と主張。両者の白昼の工事現場の睨み合いの行方は?
横並びの3人が、『リオ・ブラボー!』の、ジョン・ウェイン、ディーン・マーティン、リッキー・ネルソンを思わせる。
ウェスタン調の音楽も気分を盛り上げてた。


『踏切警手』

線路脇にポツンと佇む一軒の家。住人のおばあさんは、電車が近づくと、遮断機を下ろす役目をもう長いこと行っていた。寂しさを紛らわすのは、一頭の牛とバイオリンだけ。
ひと気もない荒野だが、パソコンはあるんで、おばあさんもググったりしてはいる。
電車が通過する時に、線路の前でバイオリンを弾くんだが、もちろん聴いてはもらえない。
ならば電車を停めてやろう。おばあさんのあの手この手の奮闘が始まった。
極端に歪んだフォルムと、パッチワークのような色使いの独特な味わいを見せるアニメーション。
セリフはなく、サイレントのドタバタ喜劇のような趣もある。


『人間運送』

これは6作品の中で、俺が一番気に入った短編。これを見れただけで収穫だと思えた。上映作品の中で最長の30分の作品。

運送業を営む一家の長男フランク。体格は大きく「気は優しくて力持ち」ではあるが、物静かで、弟からは「変わり者」と見られてる。父親は稼業に誇りを持ってたが、フランクは
「寝る時までダンボールに囲まれてるのはもう嫌だ」と言い出す。

通りがかりに、産気づいた妊婦がおり、フランクが抱え上げて病院まで連れて行ったことがきっかけだった。無事出産に間に合い、妊婦の夫は感激して、フランクの名を息子につけると言ってくれた。
「もっと人の役に立ちたい」
人を抱えて運んでこんなに喜ばれたのだ。

フランクは「人間運送」を開業しようと、資金援助に事務所を訪れる。手製の腰掛けを背中にセットし、担当者を乗せると、一遍で気に入られる。フランクは町でチラシを配り、客を待った。
最初に連絡してきたのは、足が弱り外出できなくなった老婆だった。フランクは彼女をおぶって町を巡った。
人をおぶって町を歩くフランクの姿は、町の住民たちに知られるようになり、フランクを気に入った顧客の女性が、マネージャー役を買って出て、「人間運送」は軌道に乗り始める。

その頃父親は仕事の最中に首を痛め、家計はピンチに。
「息子は勝手なことをしてる」と思われるが、母親は気の優しいフランクの考え方に理解を示していた。
フランクがその背におぶる客はいろいろだった。
おぶられることで、人の温もりを感じて癒される者、スーパーで高い棚の品物ばかり手を伸ばすために、背中に乗る者、みなそれぞれに感謝されたが、中には夜中ひとりで淋しいからという理由だけで、夜通しフランクの背中に張り付く男もいて、フランクはさすがに疲労がたまり、寝込んでしまう。

その間にも予約を取った客たちが、一家のアパートに押し寄せる。一家はフランクの母親お手製のスープでもてなし、フランクの回復を待ってもらう。
いつしか一家のアパートはサロンのようになり、父親や弟も、フランクがいかに人々に頼りにされてるのかを悟る。ようやく目を覚まして人々の前に姿を現したフランクに、弟は言った
「俺も手伝うよ」

人が人をおんぶする、その光景がこんなに胸を打つもんだとは。
しかもそれは肉親ではなく、見ず知らずの人間同士なのだ。
たくさんの「人間運送」が往来をすれちがうラストシーンの美しいこと。
そしてこの物語を成立させてるのは、フランクを演じるヴィクトール・カタラという役者の個性だろう。
ゴツい体つきなのに、くまのプーさんみたいな優しい表情をしてる。映画の最後のカットは彼の笑顔のアップだが、監督がそうしたくなる気持ちもわかる、すばらしい笑顔だった。


『近日公開』

この短編のタイトルの意味は、映画の予告編の最後に出る「近日公開!乞うご期待」から来てる。
ある一組のカップルの出会いと、その後の展開を、4つの異なったジャンルの映画の予告編に見立てて描くという、アイデア賞ものの作品。

全然女にモテない男と、男にモテモテの女。交わるはずのない二人が運命の出会いをするという、ラブコメ風の「出会い編」、
結婚した二人が新居に勧められた屋敷は、怪奇現象が続出するという「悪魔の棲む家編」、
倦怠期を迎えた夫婦のもとに、夫の旧友が訪ねてきて、次第に妻と距離を縮めていくという、ロメールっぽい「妻の選択編」、
不倫の様子を目撃した夫が、蚊に刺され、なぜか特殊能力を備える。一方、旧友の男は最初から妻となる彼女を狙っていて、二人の出会いから、幽霊屋敷で消耗させ、別れさせようとしたり、すべて仕組まれたものとわかる。しかし時すでに遅し、旧友の男は筋肉モンスターに変身し、二人の男は決戦へとなだれ込むという「モスキートマン編」の4本。
タランティーノとロドリゲスが『グラインドハウス』でやった「フェイク予告編」みたいな味で楽しめる。


最後にひとつ苦言なんだが、昨年の映画祭でもかなりイラつかされたのが、作品によって、字幕が非常に読みづらいということ。
昨年でいえば、ジェラール・ドパルデュー主演の『マムート』は、バックが白い場面など、ほとんど字幕が白に潰されてしまい、読み取れなかった。

相当苦情は出てたはずで、今年はその部分は改善されてるのだろうと思ってたが、いきなり短編一発目の『ビンぞこメガネ』で、もう所々字幕が見えない。
もう1本やはりモノクロの『ラスト・ワゴン』も、周りが白い風景なんで、字幕がかかるともう駄目だ。

当然試写の段階で「字幕読めないねえ」って話は上がってるだろう。
なんで改善されんかな。主催者、怠慢なんじゃないか?

2012年6月22日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画
フランス映画祭2012 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。