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ブラジル映画祭「音楽映画の2作」 [ブラジル映画祭2012]

ブラジル映画祭2012

『バイアォンに愛を込めて』
『エリス・レジーナ~ブラジル史上最高の歌手~』

渋谷の「ユーロスペース」で開催されてた「ブラジル映画祭2012」で、一昨日コメント入れた『トゥー・ラビッツ』の他に見たのが、音楽映画2本。
その内容が「ラテンビート映画祭2012」で上映された、『トロピカリア』とつながりが深いことを知った。

『トロピカリア』のコメントでも書いたけど、南半球の音楽にまったく疎い俺が、今回これらの映画に触れて、随分と未知なる固有名詞を憶えることとなった。


『バイアォンに愛を込めて』

バイアォンに愛をこめて.jpg

日本では昔から「バイヨン」と表記されてきた、ブラジル音楽と、その立役者の一人にフォーカスしたドキュメンタリーだ。
バイアォンはもともとブラジル北東部に伝わる民族音楽で、それを1940年代に、アコーディオン奏者のルイス・ゴンザーガがダンス・ミュージックとして、親しみ易くアレンジし、ブラジル全土に広まった。

1952年のブラジル映画で、1955年に日本公開されてる『野性の男』は、
18世紀のブラジル北東部を干ばつが襲い、食えなくなった農民たちや脱獄囚たちが、徒党を組んで暴れるというドラマで、バイアォンの主題歌がその年のカンヌ映画祭で「音楽賞」を受賞してる。

音楽ドキュメンタリー『バイアォンに愛を込めて』は、ルイス・ゴンザーガの楽曲に歌詞をつけて、バイアォンの魅力を高めた、もう一人の立役者である、作詞家のウンベルト・テイシェイラの功績にフォーカスしてる。

彼はゴンザーガと同じく、そのブラジル北東部の出身で、その土地は度々干ばつに見舞われ、、農民たちは貧しい暮らしに喘いでいたという。
ブラジル都市部の人間たちからは偏見の目で見られていたようだ。

ウンベルト・テイシェイラは、その土地に暮らす者たちの悲しみや、虐げられた怒りを詞に表して、バイアォンの叙情的なメロディに乗せた。


その代表曲が『白い翼(アザ・ブランカ」)』だ。
『トロピカリア』で、国外追放処分を受けた、若き日のカエターノ・ヴェローゾが、亡命先から故郷を想うように弾き語った曲がこれだったことを、この映画を見て気づいた。

俺はこれまでこの曲を知らなかったが、ブラジル人の「心のうた」と呼ばれてる『白い翼(アザ・ブランカ」)』が、すっかり気に入ってしまった。


1940年代に、このような社会的なメッセージのこもった詞が楽曲になってた。それはアメリカでいえば、1920年代の大恐慌時代に、若くして放浪生活を送り、労働者たちの苦しい心情を歌にこめた、
「フォークソングの父」と呼ばれるウディ・ガスリーを思わせもする。

1950年代に人気を博したバイアォンは、アメリカでも知られるようになる。
このドキュメンタリーによると、当時アメリカでは南米との経済交流を促進していく政策のもと、ラテン系の音楽のブームも沸き起こっていた。

バイアォンも、アメリカの人気歌手がレパートリーに加えたりしたが、オリジナル曲として発表されて、度々盗作騒ぎに発展してたようだ。

映画に出てくるフッテージの中に、イタリア映画でバイアォンを大々的にフィーチャーした映画があったが、題名が出ないんで、日本公開されたものなのか、わからなかった。

だが音楽には流行りがあるように、バイアォンも50年代後半には人気も廃れてしまったようだ。
それが再び脚光を浴びることになるのが、1960年代後半。
音楽ムーブメント『トロピカリア』の立役者だった、ジルベルト・ジルやカエターノ・ヴェローゾによって、そのリズムの革新性とともに、ウンベルトのつけた詞が、時代のプロテストソングとして、強い求心力を持っていると捉えられたのだ。


『バイアォンに愛を込めて』の案内役として、ゆかりの人々にインタビューして回るのが、ウンベルト・テイシェイラの娘デニーゼ・デュモンだ。
彼女が父の墓参りをする冒頭場面で語ってる。
バイアォンの歌も有名だし、ルイス・ゴンザーガの名も知られてる。
でも歌詞をつけた父親ウンベルトのことは、知る人も少ないと。

もちろん「バイアォンの王様」と呼ばれたルイス・ゴンザーガの、パフォーマーとしての才能が、バイアォンを世に知らしめたのは事実なんだろう。

だが裏方的な存在で、「バイアォンの博士」と呼ばれたウンベルト・テイシェイラが果たした功績も、顧みてもらいたい。そんな意図が映画には込められている。


ウンベルトは音楽活動に留まらず、弁護士資格も持ち、後には国会議員にもなってる。
娘デニーゼが幼い頃、両親は離婚し、父ウンベルトが娘を引き取った。
母親より経済的に安定してたからだ。
デニーゼは長じて女優の道に進むが、父親は反対したという。

一緒に暮らしていても、心を開いて接したということがなかったという父と娘。
ウンベルトが病に倒れ、その病床で初めて娘は父親と心を通わせることができたと。
「希望を感じた。父と友達になれるかもしれない」
「だけどそれは叶うことはなかった」
その翌日にウンベルトは帰らぬ人となったからだ。


娘デニーゼが幼い頃に生き別れた母親と再会する場面がある。
二人は静かに思いのたけを語り合う。
ここは感動的だった。

映画の最後のライヴ場面。ここでデヴィッド・バーンが登場する。
80年代のトーキング・ヘッズの時代は俺もよく聴いてた。
『リメイン・イン・ライト』は大ヒットしたアルバムだが、その頃からデヴィッド・バーンは、ラテン系やアフリカ系のリズムを取り入れたりして、テクノとのユニークな合体を試みてた。

このライヴ場面でデヴィッド・バーンは、『白い翼(アザ・ブランカ」)』を軽快な踊れるアレンジに仕立て直して演奏してる。
娘のデニーゼと母親も、会場で嬉しそうに体を揺らしてる。



『エリス・レジーナ~ブラジル史上最高の歌手~』

エリスレジーナ.jpg

彼女のことは、ブラジル音楽好きで知らなきゃモグリという存在らしい。
俺みたいに白紙で見に来た人間は少なかったのかも。
『バイアォンに愛を込めて』も『エリス・レジーナ~ブラジル史上最高の歌手~』も、ユーロスペースの客席は、ほぼ満席の盛況だった。

「ブラジル映画祭2012」のフライヤーに「MPB」という表記があって、これは何の略なのだ?と思い調べたら「ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ」つまり
「ブラジルのポピュラー音楽」という意味だった。
多分ブラジル音楽好きには常識の略号なんだろう。
エリス・レジーナはその「MPB」史上最高の歌手とされてるようだ。


彼女は1982年1月に、コカイン中毒により、36才で世を去ってるが、この作品は映画というより、1973年に彼女が、テレビ番組のために収録したスタジオ・ライヴの映像を上映したもの。

画面はモノクロで、数名のミュージシャンと、シンプルなセットの中で、歌声を聴かせ、合間に自分のキャリアを振り返る語りが入る。
NHKの「SONGS」のもっとシンプル版といった趣。

語りから曲への移行がさり気なく、そこがカッコいいのだが、彼女の声は、俺がボサノヴァの女性ヴォーカルにイメージする、そのままの声だった。

「ボッサ声」というのか、羽根のように軽やかで、すこしかすれて、柔らかい感触もある。
ずっと聴いていたら、そのまま気持ちいい眠りに誘われるような。

しかし改めてメロディを耳にすると、抑揚がけっこう複雑で、これは唄いこなすのも大変だろうなと思う。その一方でこんなに微妙な音階まで使ってると、ちょっと音はずすくらいは「味」に感じられたりするかもなと。

『枯葉のサンバ』と『三月の雨』がよかった。
『三月の雨』の正しい日本語タイトルは『三月の水』というそうだが、このアントニオ・カルロス・ジョビンの曲だけは、耳にしたことがあった。
門外漢の俺でも知ってるということは、よっぽど有名な曲なんだろう。

エリス・レジーナも、1960年代後半の「トロピカリア」のムーブメントに一役買っており、ジルベルト・ジルやカエターノ・ヴェローゾと共に、レコーディングしてるそうだ。
ここでも『トロピカリア』とのつながりが出てくるんだな。

彼女は「小さな唐辛子」という愛称で呼ばれていたそうで、特にダンサブルなナンバーでのパフォーマンスが素晴らしいという。

このスタジオ・ライヴは落ち着いた曲が中心で、彼女も椅子に腰掛けての歌唱だったんで、その片鱗が見られなかったのは残念だった。
ライヴDVDが出てれば買ってみたいが、ちょっと検索した限りでは、商品化されてないようだ。


今回の「ブラジル映画祭2012」と「ラテンビート映画祭2012」で、すっかり「南米の音」に魅了されてしまったよ。
昨年の「ラテンビート映画祭」で上映された音楽アニメ『チコとリタ』もまた見たくなってしまった。
どこか上映権買ってくれないかな。

2012年10月14日

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ブラジル映画祭『トゥー・ラビッツ』 [ブラジル映画祭2012]

ブラジル映画祭2012

『トゥー・ラビッツ』

トゥーラビッツ.jpg

「ラテンビート映画祭」と同時期開催となった、「ブラジル映画祭2012」の東京での上映は明日12日まで。その後、大阪、京都などで順次開催されていく。
今年で8回目とのことだが、俺は初参加になる。

1本目に見たこの『トゥー・ラビッツ』は、ハリウッド・リメイクも決定してると出てる。
海外のアクション物を、ハリウッドがリメイク権を買うという場合は、まずプロットが面白いということだろう。

「二兎追うものは一兎をも得ず」という諺をブラジル人が知ってるかどうかわからないが、この映画は
「二兎を一撃で仕留める」計画を練る男が主人公。
実に込み入った脚本になってて、気を抜くと置いてかれる。

だがハリウッドの判断の決め手になったのは、ラストショットだろう。
最初に言っとくと、これはもう結末の鮮やかさがすべてなのだ。
今年多分一番の鮮やかな結末と思ってた、韓国映画『ハロー、ゴースト』に匹敵する。

そして作り手が観客を「またこの手の映画か」と油断させるような演出を、意図して仕掛けてきてるというのも、『ハロー、ゴースト』に似てる。
メモ取りながら見ればよかったと後悔するくらい、人物の因果関係がややこしい。
憶えてる範囲で書いてみると、筋立ては以下のようなことだ。


サンパウロで無為な日々を過ごす若者エヂガールが物語の中心。
彼は2年前、この町で車を運転中、脇見をして人身事故を起こした。
犠牲となったのは、若い母親と幼い男の子。

二人は即死だったが、エヂガールは裁判で罪には問われなかった。
父親のコネが効いたのだ。
エヂガールは父親から「ほとぼり冷めるまで国を出てろ」と言われ、マイアミで過ごしていた。

父親は犠牲者の夫で、事故後ショックから、国語教師の職も辞めてしまったヴァルテルに声をかけ、自分の経営するレストランで雇った。
息子の行いへのせめてもの罪滅ぼしだった。


帰国後、家でAVとテレビゲームに明け暮れるエヂガールだったが、彼は秘かに計画してることがあった。
「教授」とよばれる電子部品製造の達人に頼んで、二種類のマイクロチップを作らせていた。
片方は距離が近づくとセンサーが反応するもの。
もう片方は一定距離が開くとセンサーが反応するもの。
これを何に使おうというのか?

一方サンパウロでは、ある現金強奪事件が複雑な展開を見せていた。
双子の兄弟が経営する会社の金庫から、使用人の東洋人女性が、多額の現金を持ち出した。
だがその女性は現金をバックに抱えたまま、路上で何者かの一味に拉致される。

糸を引いてるのは、マイコンという名の冷酷な悪党だ。
拉致役の一味は、金をマイコンに渡し、あとで分け前を受け取る約束。

だが一味は監禁してた女性を殺害してしまう。
そしてマイコンたちのアジトに、分け前を寄こせと乗り込んでくるが、周到なマイコンによって返り討ちに遭う。
大金は得たものの、犠牲者の女性の死体が上がったことで、マイコンに殺しの容疑がかけられ、窮地に立たされる。


そのマイコンの前に現れたのが、検事局から来た女性検事ジュリアと、彼女の夫で弁護士のエンリケだった。
二人はマイコンに「金を積めばなんとかなる」と切り出す。

この夫婦は、検事と弁護士という職業を最大限に生かして、裏のビジネスを行ってた。
犯罪の容疑者に近づき、妻のジュリアが検事局で得た捜査情報を分析して、効果的な解決策を弁護士の夫エンリケが、提案するというものだ。
法曹界に顔の効くジャダールに金を渡せば、うまく揉み消してもらえる。
マイコンは二人の提案に従い、200万ドルを用意することに。


エヂガールは市内の道路を運転中に、信号待ちで隣に停まったバイクの男から、拳銃を突きつけられ、財布やケータイを強奪された。
まったく油断も隙もない町だ。
だがその後、ファーストフードのスタンドで、さっきのバイクに遭遇。その後を尾けて行く。
バイクの男は尾行に気づき、曲がり角で待ち伏せしてた。
再び銃を突きつけられたエヂガールは、だが笑ってた。
計画に格好の相手が見つかったからだ。
「なんで笑ってる」と凄む男に、
「デカい金儲けの話があるんだけどな」

一方、エヂガールの父親のレストランで真面目に働いてるヴァルテルは、事故の加害者がこの町に戻ってきてるのを知る。
ヴァルテルは、エヂガールの父親に
「あのことはもう恨んでない」と言った。
父親はどんなことでも力になるからと、ヴァルテルを気遣った。

そのヴァルテルが電話した相手は、200万ドルを受け取ろうというジャダールの妻だった。
ヴァルテルはなぜその妻と面識があるのか?
そしてヴァルテルは拳銃も用意していた。

トゥーラビッツ2.jpg

監禁女性のくだりは、俺の解釈がまちがってるかもしれない。
なにしろ登場人物も多いし、展開速いし、画面がチャカチャカせわしないんで、じっくり整理しつつ見ていけないのだ。

この上、回想シーンも挟まり、また登場人物たちの因果関係が、実はこう、実はこう、と二転三転してったりもする。
そういうのが煩わしいと感じる向きにはしんどい展開かも。

演出もいわゆる「トニスコ編集」と呼ばれる(呼ばれてるか?)、フリッカー現象みたいな効果つけたり、アニメーション挿入したり、スローかましたり。
要はハリウッド・アクションの演出の流用で固められてるんで、正直後半にストーリーが佳境に入るまでは、「またかよ」感のため息まじりに見ることになる。


だけど思い返せば、それも狙いの内だったんだろうなあ。
いかにも「ブラジルの若いもんが真似してみました」なアクション・コメディ風を装って、ああ持ってくか。
何気にラストの絵ヅラが「LBFF」で上映された『EVA <エヴァ>』にそっくりだった。

この『トゥー・ラビッツ』は日本配給が決まってないけど、どっか買えばいいのに。
もうじき「東京国際映画祭」もスタートするけど、もし「東京ファンタ」がまだ続いてたら、そこで上映されれば拍手喝采ものだったろう。

2012年10月12日

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