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昔『ヨーロッパの夜』というモンド映画があったが [映画ナ行]

『眠れぬ夜の仕事図鑑』

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ガキの頃から夜型だった。10才の時に「手作りラジオ」のキットというものを買ってもらい、夜中にたまたまスイッチを入れたら、ラジオ番組をやってる。
夜中にやってるなんて知らなかったので、イヤホンつけて聴いてるうちに、それが日課になってしまった。
学校では眠くてしょーがない。

若い頃には夜勤の仕事も何年かやった。夜勤明けに映画を見に行く。
平日の初回なんてガラガラだし、今のように指定席ではなかったから、好きな席に座って、退屈ならそのまま寝ればいい位の心持ちで見てたが、意外と眠らずに見てしまえる。

夜中に仕事して稼いで、平日の昼間に映画を見る。
若い頃はそれが効率的と思えてたが、あの時期の暮らし方で、心臓の寿命を縮めてたんではないか?と振り返って思う。
明らかに体に負荷はかかってるのだ。

映画を見終わって、まだ陽の高い屋外に出て、これから寝に帰ろうという時には、目の周りがズーンと重くなり、後頭部もボウッとした感覚になってる。
でもその感覚を「充実した時間を過ごした証」と解釈してたのだ。


このドキュメンタリーは、ヨーロッパ10カ国をロケして回り、「夜寝ない人々」の光景を観察する。
そのテーマに関心を惹かれて見に行った。

俺が映画を見始める以前、1960年代には『ヨーロッパの夜』をはじめとする「夜」シリーズという、ドキュメンタリーが日本に入ってきてた。
当時の性風俗が捉えられていて、「夜のいかがわしさ」が扇情的に宣伝されてたようだ。

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夜というのは、普通の生活者は寝てる時間であって、その時間にごそごそ動き回ってる人々は、なにか疚しさと隠微さがまとわりついてる。

夜は24時間のうちの「下半身」だったのだ。
だが今の都市生活において、夜は「昼間の延長」でしかなくなった。

昼間と同じように夜も、その時間を経済活動に使えばいい。
人間はそうして夜の時間を、当たり前のように侵食してきたのだ。
だが1日の24時間というのは、「人間が何もしない」時間も含めて設定されてるものなのだ本来。

俺が心臓の寿命を縮めたと感じた、あの時期のように、夜まで食い尽くして繁栄しようという人類は、きっとそのぶん寿命を縮めてるんだろう。

クリント・イーストウッドが最近の週刊誌の記事の中で、「とにかくよく寝る」と語ってる。
1日に9時間は寝るそうだ。
「もう老い先短いから」などと焦るような素振りなど微塵もない。
たっぷりと寝て、あれだけ画面に力の漲った映画を撮り続けてる。


この『眠れぬ夜の仕事図鑑』では20の異なる場所の光景が映されてる。

世界の都市で一番監視カメラの数が多いと言われている、ロンドンの監視モニター室。
警備員が何十台とあるモニターの画面を眺めている。
路上では麻薬の取引も頻繁に行われてる。
街頭の灯りの光量で十分に目視できる。
もちろんズームも自在にコントロールできて、公園のベンチにいる男の顔がはっきり判別できる。
監視カメラの精度が高い。

これでは町に出てる限りにおいては、丸裸にされてるようなもんだ。
こういう仕事を黙々とこなしている監視員というのは、どんなことを考えてるんだろうか。

ただ監視を行うというのは単調だろうし、眠気も誘うだろう。
誰か特定の人間に的を絞って観察することはないのか?

例えば自分が気に入った女性だとか。
彼女がもし毎日同じ場所に現れれば、そこらじゅうにある監視カメラを駆使して、その行動パターンや、どのくらいの収入の仕事に就いてるかとか、いろんな個人情報を手にできるだろう。

監視員にとって、ストーキングの誘惑というものはないのか。

このロンドンの監視員と比べて、冒頭に出てくる、スロバキアの国境警備のモニターは地味の一言。
だだっ広い草地にカメラが設置され、フェンスの前をたまに横切るのは動物だけ。


そんな無人の光景と真逆なのが、ミュンヘンで開かれる「オクトーバーフェスト」の人の山。
いわゆるビール祭りなんだが、広大な空間を擁する会場が人で埋め尽くされてる。

真ん中あたりにステージがあり、
バンドが「ビール!ビール!ビール持ってこい!」みたいな歌を演奏してて、客も大合唱となってる。
東京中のビアガーデンが1箇所に集まったみたいな。

ウェイトレスがチキンを乗せた皿の山を運んでくが、人波をかき分け、よく落とさないもんだ。

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その会場でピーター・シリングの『メイジャー・トム』という曲が流れてた。
これはデヴィッド・ボウイの『スペース・オディティ』へのアンサーソングとして、80年代にビルボードのヒットチャートにもランクインしたポップソングだ。
ピーター・シリングはドイツ出身のミュージシャンなので、母国ではかなり有名な曲なのだろう。

ほかは医療現場、24時間のニュースチャンネルや、空港、不法移民たちの強制移住手続きなど、淡々と行われる夜間の仕事がほとんど。


『ヨーロッパの夜』的なネタとしては、プラハの売春宿があった。
ここでは客が行為を撮影され、有料ネット会員に向けて配信されるということを了承すれば、格安料金で利用できるという。
裸でまぐわってる男女にも、その後素っ裸でシャワー浴びて出てくる様子にも、ちっともエロさを感じない。
もう『ヨーロッパの夜』のようなエキゾチズムは、この星の夜からは失われてしまった。

2012年11月6日

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現役兵士が映画でデモンストレーション [映画ナ行]

『ネイビーシールズ』

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現役のSEALSの隊員たちが、実際にあったミッションを元に、自らを演じる劇映画という作りが、過去の「コンバット・アクション」にはないリアルさを感じさせたのか、全米興行1週目にNo1を記録してる。
たぶんミリタリー・マニアには細部にわたる見所があるんだろう。
俺は戦争映画は好きで見はするが、銃火器の知識はない。
なのでこの映画が、例えば『ブラックホーク・ダウン』と比べて、どの程度本物っぽいのかとか、その差異は全然わからなかった。

予告編でも使われてる、敵の見張りを音を立てずに片付けていく手並みなど「なるほど」と思うし、拉致されたCIAの女性エージェントを奪還する、一連のアクションはスピード感溢れて、援護に来たSOCRボートからの掃射に繋げてく見せ場には目を見張る。

だがアクションとアクションを繋ぐドラマ部分が、本職の俳優でないため、エモーションが足りない。
SEALSの隊員も、子を持つ親であり、愛する女性から身を案じられる存在であるという、そういう場面を演じてるが、それっぽい場面に仕上がってるというだけだ。

むしろ悪役となるテロリスト側はプロの俳優を起用してるので、演技にメリハリがついて、見応えがあるというのは皮肉なものだ。


女性エージェントを奪還した敵のアジトから、イスラム聖戦派のテロリストが、過去最大規模のテロを計画してるという証拠をつかむSEALSが、その阻止に命を張るというのが物語の流れだ。

テロリストたちが「開発」した爆弾が難物で、ジェル状になったクラスター爆弾の球体をつらねて、ベストとして身体に羽織れるようになってる。セラミック製なんで、金属探知機もすり抜けるのだ。
破壊力は半端ないもので、それを身につけた16人の自爆テロ犯が、アメリカの主要都市に向かうのだという。
さすがに空からでは、空港の厳しいチェックをくぐるのは難しい。狙われるのはメキシコ国境だ。

しかしSEALSはあくまで「チーム」として機能してるので、各自が役割に応じて粛々と任務をこなしてく。スタローンやチャック・ノリスのようなスタンドプレーはあり得ないんで、その分地味なのだ。
軍の教育用シミュレーション映像を見せられてる感じにもなる。
後半はちょっと飽きてきた。

高らかに「アメリカ万歳」を叫ぶ作りではないが、隊員同士の絆をサーフィンで描く場面などあり、
『地獄の黙示録』でキルゴア中佐が「朝に嗅ぐナパームの匂いは最高だ」と言いながら、サーフィンしに海に入ってく場面を思い出しもする。
それが任務とはいえ「人を殺しまくった後はサーフィンだよな」みたいにも映るぞ、俺みたいなひねた人間には。

今の剣呑な世界に、彼らのような兵士たちの存在が、それなりの役割を成していることはわかる。
男には肉体の頑強さを限界まで高めてみたいという欲求があることも確かだ。人によるけど。

そうして肉体のレスポンスを、常人と比べ物にならない位に高めた「兵士」という男たちが、それに加えて殺傷能力を求めうる限りにまで高めた様々な武器を、その身に携帯する。
そんな相手が、もし敵意を持って自分の前に立ってたら、どうしろというのだ?
「ひとたまりもない」というのはこの事だ。

「アメリカに敵だと思われなければ、そんな事態にはならない」と日本人は思ってるだろう。
逆に言えばアメリカの機嫌をそこね続けてると、どうなるかわからんぞという事だ。
だからといって、明らかに間尺に合わないことに追随させられるべきではない。

アメリカが屈強な兵士たちを必要とし、武器の性能を高めることに血道を上げるのは、自身を敵と思う存在が世界にいると思ってるからだ。
なぜ敵と思われてるのか?怒りや憎悪というものには、必ず理由がある。
その理由をとことん突き詰めていって、解決の道を探るというのが、知性の使い道であって、人の命を奪うためのテクノロジーに使うものではない。

だがいくら知性を背景に、対話を試みようとも、最終的には分かり合えない、そういうものが厳然とあると、認識してるとすれば、それは「宗教」の壁だろう。
キリスト教とイスラム教は決して相容れない。双方がそう思ってるのだとすれば、だが人類の知性とはなんのためにあるんだと思わざるを得ない。

「平和は結局武力によってしか守れない」
とするアメリカに、世界の平和を預けることはそもそも矛盾があるだろう。


先日ネットのニュース欄で、きゃりーぱみゅぱみゅがフランスで単独コンサートを開いて、フランスの女の子たちの声援を受けたと出てた。
俺はこう書いてるが、きゃりーぱみゅぱみゅという女の子の事はよく知らない。
顔は見たことあるが、彼女がどう若い子たちにウケてるのかとか、どんな歌を唄ってるのかとか。

知らないんだけど、日本人の女の子が、フランスでコンサートやって、ちゃんとお客集めて、熱狂的なファンも多いとすれば、それはなかなかにすごい事なんじゃないか?

アニメのコスプレ風の衣装がウケたりしてるらしいし、先日見た『アタック・ザ・ブロック』の中で、モーゼスが年下の子供たちに「お前らは帰ってナルトでも見てろ!」というセリフがあった。
日本のアニメとか「カワイイ」の文化は、アジアだけでなく、ヨーロッパにも広く浸透していってるようだ。

「オタク文化」「萌えアニメ」「コスプレ」そういったキーワードで括られるモノを、「いい大人たち」は、精神的に未熟とか、よくあんな格好で歩けるなとか、現実逃避の産物とか、ネガティブにしか捉えない。

だが日本の旧世代は、日本から発進した文化で、世界を虜にさせることなどできなかったのだ。
アニメのコスプレで街を練り歩く若い子たちの集団を見かけたとして、それが幼稚っぽいとか、いい年してすることじゃないとか思われたとしても、少なくとも「軍事パレード」のおぞましさに比べれば、なんぼかマシだろう。

きゃりーぱみゅぱみゅに代表される、日本のカワイイを発進する人たちは、
「私がカワイイと思うことは、キリスト教の国であれ、仏教の国であれ、イスラム教の国であれ、
世界中の女の子たちがカワイイと思うはず」
そんな意識があるんじゃないか?
カワイイに国も宗教の違いもないのであれば、その価値観の伝播の強さは馬鹿にできないと思う。


俺自身はアニメをほとんど見ないし、これからハマろうという気持ちもない。
だが日本の若い世代が、世界に向けて、他の大国が成し得ないメッセージを発信してく可能性には期待をかけたい。
日本という国は特定の宗教を持たないがゆえに、宗教の違いで、殺し合いにまで発展するような国民性とは無縁でいられてる。
発進するものに、宗教的な価値観やメッセージなど塗り込められてないから、受け入れられ易いのだ。

ロシアにおいても、若い世代に、日本のアニメ文化はかなり広まってきてるという。ロシアを束ねるプーチンは、周辺国との揉め事は武力でカタをつけようという思考の持ち主だ。
だがもう武力にものを言わせるのは「ダサい」んだよと、ロシアの若い人たちが声を上げるべきだろう。
若い世代が今までとちがう文化を肌で感じ、政権への違和感を膨らませていけば、ロシアに限らず「武力」の時代からの脱却に繋がっていく素因となるかもしれない。


『ネイビーシールズ』のコメントから随分遠くに来てしまったが、俺は以前このブログで
「洋画離れが起きてるらしい」というテーマで、その要因を自分なりに考えたわけだが、特にハリウッド映画の請求力の低下について、いくつか挙げてみた。
その時に挙げなかったが、実は一番はこれかなという事がある。

それは今の10代、20代の人たちには、アメリカ文化に対する憧れとか、コンプレックスがそもそも希薄なんじゃなかろうか?という事だ。

50過ぎの俺あたりの世代はまだアメリカ文化の影響を色濃く受けていて、アメリカ映画も好きだし、アメリカのロックも好きだ。だから今も相変わらずハリウッド映画の新作を見続けてるわけだ。

CMやファッション雑誌は金髪の白人美女が定番だったから、「美しい=金髪」みたいな価値観が植えつけられた。
だが近年CMもモデルも「国産」の美女で占められてるし、映画雑誌も、日本やアジアのスターが紙面を飾ってる。これは実は戦後以来の、大変な価値観の転換が起こってるということなのだ。

世界的に見れば、まだアメリカ映画に代表される、アメリカ文化が強い影響力を誇ってる国は多い。
だがこの日本においては、その状況からの脱却が進んでるように思える。
近年、海外留学を希望する学生の減少が顕著だと言われるが、それは若い世代の「内向き志向」とともに、アメリカという国に、それほど魅力を感じなくなってるということも、理由にあると思う。

アメリカにおける「カワイイ」とは、すなわち「ディズニー」だ。
その世界を構築するプロフェッショナルな運営において、未だに「ディズニーランド」は、アトラクションの場として確固たる地位を築いてはいる。
だが逆に「ディズニー」以降、それに代わるような「カワイイ」をアメリカ文化は生み出し得ていない。

全般において、アメリカ文化の求心力が低下してきてる現在、「カワイイ」をその端緒にして、日本が経済でも、ましてや軍事でもなく「文化」で、世界的なイニシアチブを取っていけるような未来を目指せるといい。

2012年7月12日

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イメージフォーラムに巨乳降臨 [映画ナ行]

『女体拷問人グレタ』

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イタリア映画一色という感じで過ぎ去ったGWだったが、そんなさ中に、渋谷のイメージフォーラムでこんなものを上映してたのだ。しかしよく見つけたな俺も。

丁度時期を同じくして「イメージフォーラム・フェスティバル」が開催されており、そのプログラムの中の「ローザンヌ・アンダーグラウンド・フィルム・フェスティバル提携企画」の枠で上映された。
「クィアー・フィルム」の1本ということだろう。
「イメージフォーラム・フェスティバル」の本筋は実験映画なんだが、そっちは見ずに、これ1本だけ見に行った。


知ってる人にはいまさら説明不要だが、ダイアン・ソーンという、ドSキャラで売った巨乳女優が70年代に人気を博してたのだ。彼女を一躍有名にしたのが「イルザ」シリーズ。

1974年の『ナチ女収容所/悪魔の生体実験』に始まり、1976年の『アラブ女地獄/悪魔のハーレム』、翌77年の『シベリア女収容所/悪魔のリンチ集団』と、すべて日本公開されてる。

この『女体拷問人グレタ』は、アメリカなどでは「イルザ」シリーズとしてDVDとかになってるようだが実際は別物。
『アラブ女地獄/悪魔のハーレム』の製作時に、「イルザ」シリーズで一山当てたカナダの映画会社と、ダイアン・ソーンが待遇などを巡ってモメてた。新作企画も「イルザとドラゴン(カンフーの方ね)」とか「イルザとアミン大統領」とか色々上がるが、すべてポシャリ、彼女がしびれ切らして、西ドイツの映画会社に呼ばれて撮ったのがこれだった。

名前もグレタに変えてあるが、中身はほとんど一緒だ。
スピンオフともいえる『女体拷問人グレタ』は、しかしジェス・フランコという、本家よりネームバリューある監督が撮ってるのがオモロイ。

昔フジテレビで深夜に、新作映画のトレーラーをただ流すだけという『洋画の窓』という帯番組があり、「グレタ」のトレーラーを見て生唾飲み込んでた記憶がある。

「イルザ」シリーズの売りは、ダイアン・ソーンがナチの親衛隊になったり、アラブ国王のハーレムを仕切ったり、スターリン独裁下の政治犯収容所の所長になったり、時と場所を超えて、剣呑な環境で巨乳を躍動させるという、コスプレの楽しみもあるわけだ。

ポシャった企画も実現してればよかったのにねえ。
多分「イルザと北の国から(首領さまの方ね)」も企画に上がってたんじゃないの?


しかしもっと続きそうなものだと思うのに、意外と短命なシリーズに終ったのは、『シベリア女収容所/悪魔のリンチ集団』のせいだろう。
俺はたしか銀座の丸の内東映パラス(今の丸の内東映の地下)で封切りを見に行ったんだが、これには失望させられた。女収容所と題名つけてるのに、囚人は男なのだ。
イルザが女所長で看守は女、つまり裸で「責められる」のは男という、本末転倒ぶりだった。

別に映画を売るのに、多少の誇張やハッタリは構わないが、本質的な部分に嘘があるのはいかんだろ。
俺はダイアン・ソーンの巨乳自体より、イルザが女を責めるのが趣味という、その「レズッ気」に期待してたのだ。
だから『シベリア女収容所…』を見た後は、帰る足取りも鉛のように重かった。
いっそマイク水野に『イルザとシベ超』として映画化してもらえばよかったと思う。

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体たらくに終った本家シリーズ第3弾と同じ年に出た『女体拷問人グレタ』の方は、きっちり基本を踏まえていて、もう全編女体でカットを繋いでく感じは、さすが安心のジェス・フランコ印である。

今回は南米とおぼしき某国で、性的異常の(主に女性)患者を更正させるという表向きで、反政府活動を行う人間を拷問にかけたりしてる療養施設の女所長という役柄だ。
もちろん南米ロケではなく、ジャングルもどこかの大きめの公園で撮影してるんだろう。

冒頭から女性患者たちのシャワー・シーンだ。
そこから脱走しようとして、捕えられ、女所長グレタから手酷い拷問を受けた女性患者の、安否を気遣う姉が、自分も患者になりすまし、施設から妹を救い出そうとするというのがアウトライン。

しかし1973年の監督作『吸血処女イレーナ・鮮血のエクスタシー』で主演に起用して以来のお気に入りで、本作の頃には嫁にしてた、リナ・ローメイの方にカメラを向けがちなジェス・フランコだったので、肝心のダイアン・ソーンがいまいち目立たないのだ。

拷問シーンも意外と淡白で、電気ショックの描写などは、単に患者が身体を反らしてるだけ。
むしろ患者になりすましたヒロインを、患者のボス的なレズのリナ・ローメイが、いたぶる場面の方がエグかったりする。トイレ済ました後に「あたしのケツをお舐め!」とか。AVじゃないんで直接の描写はないが。
それとグレタの右腕として働く男が、拷問の様子を隠し撮りして、業者に売って、懐を肥やしてたり、悪キャラが分散しちゃってるね。

拷問され続けて廃人状態の妹を、ようやく施設内で発見したヒロインだったが、目の前で妹はグレタに顔からビニール被せられて窒息死。
ヒロインを施設に送り込んだ、反政府活動家の医者も、正体を見破られ殺害。
助けも来ないまま、ヒロインもロボトミー手術を施されるという救いのなさは、西ドイツならではのダーク感。

女性たちを好き放題に責め苛んだグレタは、患者たちの反乱にあう。
大勢に取り囲まれて、裸にひん剥かれ、一斉に噛み付かれる。
野生の虎が獲物を食いちぎる映像をカットバックさせながらの「最期の晩餐」場面は、グレタの肉が食いちぎられる様を執拗に描写する。ここだけゾンビ映画っぽい。

そしてグレタの凄惨な最期も、あの男が隠し撮りしてるのだった。
ブロンソンの隠し子みたいな顔した役者だった。

この日は「イタリア映画祭」で3本見た後に、夜これを見たわけで、さすがに疲れはしたが、間違っても「イタリア映画祭」でかかるような映画じゃないんで、いい箸休めにはなった。この例えも変だが。

2012年5月9日

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