おてもやんロボより吉高由里子の投げキッス [映画ラ行]

『ロボジー』

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二足歩行ロボットが完成できず、苦し紛れに、中におじいちゃんに入ってもらう、そのワンアイデアで引っ張ってくだけの展開なんで、中盤あたりは、エピソードを薄く引き延ばしてる感が出ちゃってる気もするが、命を預かってる仕事でそのおちゃらけはどうよ?と思わなくもなかった前作『ハッピーフライト』よりは、俺は違和感覚えずに楽しめた。

矢口史靖監督がパンフのインタビューで語ってるけど、たしかにアメリカ映画なんかでは、「人間の形をした」ロボットという設定がほとんどで、それはサイボーグとか、レプリカントとか、ヒューマノイドとか、いろんな呼ばれ方してきたけど、日本では「ガンダム」に代表されるように、「人間がロボットの中に入る」設定が目立つ。
この国民性の違いを考えてみるのも面白いかも。

アメリカでは例えばディズニーにしても、動物にしゃべらせたり、つまりは性格も擬人化させる表現が主流で、ロボットにもそれが適応されてる。見た目やしぐさに人間らしさが求められるんだね。ピクサーの『ウォーリー』も、キャタピラーのついた、いかにも道具のような形状のロボットにも、人間のような表情を見てとらせようという演出がなされてる。
対して日本人というのは、形状がどんなであれ、「モノ」に対しての愛着を、人間的な感情を投影して表すような所がある。白物家電などに「人の名前」がつけられたりする。

日本人は神を持たない「無神論者」のように海外では思われてるが、初詣でには行くし、折に触れ、神様に祈願したり、信心深いのだ、それなりに。
八百万の神と言って「この世のすべてに神様が宿っている」という感覚に違和感がない。
なので「機械」というのも、無機物ではなく、長く使っていると、あたかも気の置けない間柄にでもなったかのように、ちょっと不具合が出たりすると
「今日は機嫌が悪いね」
なんて話しかけてしまったりする。多分、外国人からすれば、全く不合理な光景なんだろうが、日本人はそれをハタで見てても、不自然に思わない。


この映画で社長にロボットを作れと言われてるのが、「白物家電」メーカーの閑職にある若い社員たちというのが、上手い設定だと思った。
洗濯機にしろ、冷蔵庫にしろ、オーブンレンジなどの調理機器にしろ、日本製の物は、至れり尽くせりな機能満載で、それこそロボットのような働きをする。駆動音の静かさ一つとっても、「白物家電」において、日本は世界のトップにあると思う。

アメリカでのロボット開発は、まずその用途が軍事であることが多い。『アイアン・マン』のスターク社のような、民間の軍事用ロボット開発企業が実際に数多く存在する。深夜テレビで紹介され話題を集めた四足歩行ロボの「BIG DOG」も軍事用のプロトタイプだった。
軍事用というのは歓迎したくない話だが、それに限らず、ロボットは医療や工業用を始め、「人の役に立つ」ために作られる物だ。

だがこの映画で「木村電気」の社員たちが「開発」したロボットは、「おてもやん」が踊れますって程度で、予定外の行動として、人助けしてしまうけど、何ができるってわけでもないのが前提のものだ。
その実はハリボテのロボットの中に、一人暮らしの孤独な老人が入ってるというのがいい。
ミッキー・カーチス改め五十嵐信次郎が演じる73才の老人は、リタイヤ後は何もすることがなく、家族とも疎遠になり、たまに「シルバー人材センター」に顔を出すも、居心地はよくない。
映画の最初の方で、その日常が描かれるが、何もせずボーッと1日をやり過ごす様子が淋しい。

こういう老人が増えていることはニュースでも流されてるし、ではなぜそういうことになってるのか?
それは社会が、人間を「役に立つ、立たない」という価値で計る構造になってるからだ。
定年までの間は会社で働いていて、そのことは「社会への貢献」とみなされてる。
本来なら長い年月働いて定年を迎えれば、
「長い事社会に貢献していただき有難うございました。あとはゆっくりご自分の人生を満喫してください」と、その労働を周りがねぎらって、残りの人生を気にかけてあげる、そうなるべき所なんだろうが、退職金払って、年金与えて、あとは勝手に余生を送れば?という扱いとなる。

「働ける間は役に立つ存在」というだけの見られ方。
先進国よりも、発展途上国と呼ばれる国々の方が、高齢者に対する敬いの気持ちが強いと感じるのは、そういう国々に暮す人々の価値観が、「役に立つ、立たない」で計られてないということなんだろう。老人も家族や近所の人たちに見守られて、楽しく暮らしてるように見える。

この映画の73才の老人・鈴木は、ロボットに扮してる内に、ちょっと調子に乗ってく部分はあるが、人生に久々の張り合いを感じてもいる。
役に立たないロボットでもいいのだ。
少なくともこの老人の人生を、活き活きとさせる役には立ってるんだから。

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映画の内容よりも、感じたことをつらつらと書いてしまったが、矢口監督の映画だから、細かい笑いもちりばめ、新年早々に見るには丁度いい。
それから矢口監督は、女優の溌剌とした魅力を引き出すことにかけては定評があるんで、この映画の吉高由里子も文句なく可愛い。
スクーターからの投げキッスは必殺級だね。


あとこれは『ロボジー』とは関係ないけど、俺はこの映画をTOHOシネマズで見たんだが、東宝映画の予告編をやるよね。この時流れてたのは『逆転裁判』『荒川アンダー・ザ・ブリッジ』『ライアー・ゲーム』の続編に『僕等がいた』と、およそ十代向けの作品ばかり。
東宝といえば日本の映画会社で一番に儲かってる、というか一人勝ちしてる会社なんだから、その儲けの中から、まあ4本に1本位でもいいから、大人の観客向けの、シリアスな映画も作っちゃもらえないかな。40代50代以上で、いい役者もたくさんいるんだし、そういう人たちの活躍の場がもっと与えられてもいいと思う。

『午前十時の映画祭』という好企画が、年輩の観客を増やす一助になったのと同様に、見たいと思わせる映画を作れば、大人ももっと映画館に通うようになるよ。

2012年1月20日

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