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はじめてのおつかい刑務所版 [映画ヤ行]

『預言者』

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今年もまたこの映画が公開されることなく終わるのか
昨年3月の「フランス映画祭」で、原題『アンプロフェット』として上映された、ジャック・オーディアール監督作。
『リード・マイ・リップス』『真夜中のピアニスト』と1作毎に進化を見せてきた彼の、これはまた超弩級の飛躍っぷりに、見たあとしばらく昂奮がおさまらなかった。

3月の時点で俺の中では年間ベスト1は決まったようなもんだったが、当初この映画の版権を持ってたシネカノンが倒産して、その後、日本での上映権がどうなってるのか不明のまま。
近年でも最高の犯罪ドラマであり、刑務所内ビルドゥングス・ロマンでもあるこの傑作に、どこか陽の目を当ててくれ。

155分という上映時間の3分の2くらいは刑務所内の描写。
リアルかどうかは、体験したことないからわからないが、カメラも演出も、見る者がその場に居合わせるかのような臨場感だ。


主人公は19才のアラブ系の青年マリク。読み書きもできず、これといった特技も腕っぷしもない。
昔、長谷川和彦監督が、交通事故起こして、市原刑務所に収監された時のことを
「俺は英語が多少できたから、受刑者に教えたりしてた。
なにもできるものがない人間には厳しい環境だね」と語ってた。
『ショーシャンクの空に』でもティム・ロビンスは経理の能力があって、囚人や看守からも一目置かれたのだ。

何もないマリクは、6年の刑期のほんの入口で、刑務所内で強い勢力を保つコルシカ人のグループに目をつけられる。
リーダーのシーザーは、房の建物が違うため手が出せない男の殺害を、男と同じ房に入ってるマリクに命じる。
「お前がやらなきゃ、お前を殺すまでだ」
頚動脈を狙えと、カミソリを渡される。
殺しの経験などないマリクと、防戦する男との間で、血の修羅場となるが、何とか仕事をこなして、それ以来コルシカ人グループの庇護を受ける。

アラブ人のマリクが、最初にアラブ人のグループでなく、いきなりの試練を迎えたにせよ、肌の色の違うコルシカ人の側についたことは、何も持たないマリクにとって、アドヴァンテージをもたらした。
当初は裏切り者の目で見られてたが、勢力の強いコルシカ人の人脈などを使い、アラブ人側にもいろいろ融通をきかせる仲立ちとなれるため、次第に相反する双方の勢力から認められる存在となっていく。

一方でマリクは刑務所内で字を習い、服役態度も模範的に過ごした。フランスの刑務所には時限付き仮釈放という制度があるようで、マリクは半日、その次は1日と、仮釈放を許される身に。
シーザーはマリクにその時間を使って、外で「用事」を果たしてくるよう命じる。
刑務所版「はじめてのおつかい」である。

マリクはその仕事を通じて、初めて飛行機に乗り、初めて海を見る。
皮肉にも、スラムのような安アパートから、ほとんど出たことのなかったマリクにとって、閉ざされた刑務所から、知ることのなかった、外の世界を垣間見る機会が与えられたのだ。

一方シーザーは与えられた仕事をそつなくこなし、刑務所内での力をつけてきてるにも関わらず、自分の前では飼い犬のように振舞うマリクに苛立っていた。
シーザーはこの刑務所の顔役ではあるが、初老で、保釈の目も薄くなり、自らの影響力も衰えてきてるのを感じている。この若造は自分の寝首をかき切ることぐらいできるのに、へつらった態度を変えない。
だが苛立つシーザーを尻目に、マリクは着々と刑務所内の人脈を固めていった。


ジャック・オーディアールは一貫して犯罪世界に生きる者を描いてきた。
文法としてはハードボイルドなんだが、ハードボイルド小説の主人公が大抵
「タフでなければ生きられない」というセリフ通りに、場数を踏んだ大人の男であるのに対して、オーディアールの映画の主人公は経験の足りない若者なのだ。

ハードボイルド(固茹で)の世界に、半熟の若者を放り込むというのが、他にないオリジナリティを生む。
それは殺伐とした犯罪を描きながら、青春映画のような肌合いも感じさせるという部分だ。

この映画でも仮釈放で刑務所の外に出たマリクの瞳に映る、海岸の風景や、道の両脇の木々の木漏れ日であったり。
街中でいきなり勃発する銃撃戦のさなかでも、車のシートに仰向けになったマリクが、頭の上を飛び交う銃弾の向こうの青空を陶然と眺めてたり、不意に美しいものに触れた若者の心の揺らめきを写し取っている。

映画の題名は「預言者」という意味で、これはマリクが房内で殺した男が、その後、亡霊となって彼の前に現れ、先に起こることを告げるようになることからきている。
マリクは亡霊に対し、怯えるでもなく、「恨みもない相手を殺してしまった」という申し訳なさもあって、亡霊の訪問を黙して受け入れているのだ。
そしてその「お告げ」がマリクの身を救うことになっていく。
このあたりのシュールな味付けも、これ見よがしでなく、ストーリーと乖離せずに描かれているのが、なんと言うか凄味を感じる所でもある。

マリクを演じるタハール・ラヒムはほぼ無名でこの大役に抜擢されたが、彼が映画の中で、どんどん風貌が逞しくなってく様子が一目瞭然。
シーザー役には俺が「ユーロのデニス・ホッパー」と勝手に呼んでるニエル・アレストリュプ。
とにかく佇まいが圧倒的なんだよね。

この人は1991年にグレン・クローズと共演したオーケストラの映画『ミーティング・ヴィーナス』で顔を憶えた。
ばらばらの楽団員をまとめるのに七転八倒する無名の指揮者を好演してた。
ワグナーの「タンホイザー」がしばらく耳から離れなかった。
この映画もDVDになってないね。

2011年10月20日

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