演技の神様ではなかった [映画カ行]

『きつね』

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『スパルタの海』とはまた別の意味で、長く封印されてたこの映画も、DVDでようやくその封印を解かれた。
これは公開当時、松竹の封切り館で2本立てだったと記憶してるが、もう1本が何だったか思い出せない。こんなに長く封印されるんなら、その時見ときゃよかったが、多分「ロリコンが過ぎる」って理由だったのか。

DVDに予告編が収録されてるんだが、その冒頭で「これは脚本家が、13才で早世した娘に、恋愛をさせてやりたかったとの思いから、書いた物語」とテロップが出る。
ならば同い年くらいの少年との恋でいいんじゃないかと思うが、娘がそのまま生きて、大人の恋愛を経験させたかったという意味らしい。

この映画は14才の少女が、35才の学者を一途に想うという設定で、大人になった娘を想定した物語にしなかったのは、脚本家の中では、娘は永遠に13才のままだからだ。
ならば相手をこんな歳の離れた男にせずに、せめて20過ぎあたりにすればとも思うが、多分、脚本家としてはそれは生々しくて抵抗があったんだろう。
娘がその辺の若いのに奪われるという。21も歳が離れてるっていうのは、つまりその学者に自分が投影できるからだろうね。
脚本家がこの物語を生んだその動機を知って見ると、つまりは「自分のような男と恋愛させたかった」と映るんでね、本人は鎮魂の思いをこめて描いてるんだろうが、そこに危うさも漂ってしまってる。


釧路原野の夏。花畑の中に佇む少女。白いブラウスに白ソックスと麦わら帽という、絵に描いたような純真な少女のイメージで出てくる高橋香織、彼女はオーディションで選ばれた全くの新人。
森を散策中に少女と出会う、大学の研究所の低温学者に、こちらも映画は初主演の「フォークの神様」岡林信康。
二人がその花畑で交わす会話を聞いて、俺は
「くわあああああっ」と声を漏らした。
「棒すぎる!」
この先この棒読みセリフと100分あまり付き合ってかなきゃならんのかと、並大抵のことではない事態に覚悟を決めた。

少女の名は万耶といい、14才。父親のいない彼女は、病気の療養にと、母親からこの釧路の森のペンションに預けられていた。
花畑で万耶と出会った緒方は、35才で独身の低温学者。釧路の最果てのような岬にある、大学の研究施設に寝泊りし、流氷などの氷の成分を調べたりしてる。研究者としての評価は高いのだが、人妻と不倫を重ねており、そのことが出世を妨げている。本人はあまり気にする様子もないが。

緒方は万耶がペンションに暮らしていることを知ると、たびたび顔を見せるようになった。研究所の学生たちとのバーベキューにも誘ったりし、万耶も人望の厚そうな緒方の姿に、すっかり心を許していた。
ペンションのおかみさんからは「いいボーイフレンドができたわねえ」などと冷やかされ、時折、緒方に対して大人びた口をきいたりもした。
「ねえ、私が大きくなるまで待っててくれる?」
緒方は「待ってるよ」と微笑んだ。
万耶には初めての心が浮き立つような夏になったが、彼女は悪夢に悩まされることもあった。
キツネの目がじっと万耶を見てるのだ。その目にわけもわからずに戦慄を覚える。

大学が夏休みとなり、研究所を閉めるため、緒方は万耶のいるペンションに部屋を取ることにした。
ほどなくそのペンションに見知らぬ女性が訪ねてきた。緒方の不倫相手の人妻だった。
万耶の心は波立った。それは嫉妬という、抑えがたい感情だった。

緒方は人妻と町のホテルに出かけた。万耶は生まれて初めて口紅を塗り、大人の女が着るような黒いドレスを探し出し、緒方が立ち寄った研究施設に現れた。そして不倫を激しくなじった。
緒方には万耶の真意が理解できない。
「大人になるまで待つと約束しただろ」
「大人になんかならない!」
二人はこの後しばらく顔を合わすことはなかった。

緒方は人妻との関係を清算し、久々に万耶のもとにやってくるが、季節は秋となり、万耶は肝臓を悪くして、町の病院に入院していた。
万耶は夏に大人の男と知り合ったことで、自分も大人になったように感じていた。
病院の配達係で少し年上の太郎にも
「ねえ、私のこと好きなんでしょ?」と上から目線。
「だったら私の言うこときいて」
と、病院に保管されてる万耶のカルテを持ち出してこさせる。万耶は自分の身体のことが気がかりだった。

太郎のツテを頼って、医学生にドイツ語で書かれたカルテを訳してもらう。
医学生はそれが目の前にいる万耶のものとは知らず、冷徹な事実を述べる。
「この人の病名はエキノコックス症だ。野生のキツネが媒体となり、人体に寄生した幼虫が巣を作る。」
「治療法がない難病で、これにかかるとはよっぽど運が悪かったんだな」
「気の毒だけど、長くは生きられないだろう」

釧路原野に初雪が降った日、研究施設にいた緒方は、窓の外に、吹雪の中を危うい足取りでやってくる万耶の姿を認め、外に飛び出す。緒方は万耶の真剣な思いを初めて知った。
万耶は病気のことは告げず、一言だけ言った。
「私のためにキツネを撃って。流氷に乗ってくるキツネを」


1983年当時はまだ援交なんて言葉もないし、映画の中で緒方がロリコン扱いされるなんて描写もない。
翌年に角川映画で、17才の原田知世がファザコン少女を演じる『愛情物語』が作られてる。彼女も麦わら帽を手にしてた。「ロリコンだね」なんていう風には捉えられてなかったけどね。
ただ角川映画の場合は、アイドル映画として認識されてたんで、ストーリーより女優を見る感じだったが、この映画は終わりの方で、万耶と緒方のセックスを暗示するショットが出てくるからね。

新人の高橋香織って子が、本人もキツネ顔ではあるんだけど、アイドル映画の明るさとは異質の、思いつめた表情に終始するんで、ガチな空気が流れちゃってる。

なので緒方役のキャスティングには悩んだと思うよ。名の知れた中年の俳優だと、生々しさが出てしまうだろう。
そういう意味では俳優業には縁がなく、しかも世俗を離れて暮らしてたような岡林信康を思いついたのは、「たしかにね」と思わせるものはある。
だがこうもセリフが棒だとは、演技させるまでは気づかなかっただろう。


俺が思うに、この映画は「ロリコンすぎ」が理由で封印されてたんじゃなく、あまりの演技の気恥ずかしさで封印されてたんじゃないか?
「ねえ、私が大きくなるまで待っててくれる?」
というセリフに父である脚本家の娘への思いが託されているのだろう。いたって真摯に作られてるのはわかるんだが、このバツの悪さはなんなのか、と思ってしまう。

ちなみに高橋香織はこの映画に出たきりで、その後のことはわからない。
彼女も演技しながら「こんなオヤジと恋するなんてありえない」と呟いてたかも知れないね。

2011年12月3日

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