猿のスパルタカス [映画サ行]

『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』

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初めて映画館で見た映画が『猿の惑星・征服』だったと、このブログの1回目に書いたが、『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』は、旧「猿惑」シリーズの4作目にあたる、その「征服」でのストーリー展開を語り直したものと知り、これは見なくてはと思ってた。

70年代のロサンゼルスが舞台だった「征服」は、ガキの時分の俺にはわかるはずもなかったが、後に当時の過激な黒人民主主義運動のメタファーとして描かれてたと知った。猿たちの暴動を指揮するシーザーは、「ブラック・パンサー党」を率いるマルコムXということらしい。猿=黒人という見立ても、危ないなあとは思うが、そもそも『猿の惑星』の原作が、作家ピエール・ブールが、第2次大戦中に、インドシナで日本軍の捕虜になった時の体験を基に発想された物語だというんだから、猿=日本人でもあったわけでね。
白人は東洋人を「猿」と蔑視するような感情を持つ一方で、その「猿」に畏れを抱いてもいる。近年の中国の台頭などは、メタファーとして描いたSF世界が、白人にとって、現実味を帯びてきてるんじゃないか?

今回の「創世記」は、そうした色付けはなされていない。アルツハイマー病への劇的な効果が期待される新薬を、投与されたチンパンジーの脳が活性化されるという設定、そして知性が芽生えると共に、凶暴性も顕著になるという流れは、1990年の『レナードの朝』の展開を思わせる。
あの映画では30年間、半昏睡の状態にあったデニーロ扮する患者に、ロビン・ウィリアムズ扮する神経科医が、パーキンソン病向けに開発された「Lドーパ」という、ドーパミンの分泌を促す薬を投与して、昏睡の状態から目覚しい回復を遂げさせる。だが自分の意思を明確に示せるようになるにつれ、それを抑えられると、激しい怒りを表すように、人格が変貌していくのだ。

脳を活性化させると、知性と同時に感情の振幅も激しさを増すものなのか、医学的なことはわからないんだが、『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』でその設定を物語に組み入れたことで、「知性」と「野蛮さ」という人類の進化に対する批評眼が映画の核となったように思う。

人類の祖先は猿と別れて、二足歩行となり、火や道具を使うことを覚え、知性を獲得してきた。知性というのは本来、弱肉強食だった世界に、ルールという概念を生み、人類が無益な争いをせず、平和に共存するために得たはずのものだったが、それが人をより多く殺戮できるような兵器の開発に繋がり、ヒトがDNAの中に持つといわれる「殺しの本能」を肥大させるような結果を生んでもいる。
知性が経済活動に向けられると、今度は他人からどれだけ効率的かつ、絶え間なく搾取できるかという手段に使われ、、ここでも「持つ者」から「持たざる者」への暴力を生む。
医療技術だけは、「野蛮さ」とは無縁に人類の平和に寄与してきたと思われてきたが、DNA操作やクローン技術など、人類のエゴによって生命のシステムそのものが、操られようとしてる。
「知性」とはなんの為のものなのか?


この映画の主人公となる猿も、「征服」と同じシーザーという名をつけられるが、シーザーは人間たちに対して反乱を起こし、森に消えた。その後、彼らはどのような進化を選ぶのか、そういう意味では、続編は是非見てみたいんだが。作る気はあるんだろうか?
江頭2:50が雑誌「映画秘宝」で、この映画を健さんの任侠映画になぞらえてたが、たしかに逆境に耐えて、耐えて、ついに「お前ら許さねえ!」ってドスを抜くという任侠映画の流れは感じるね。
シーザーの「NOOOOー!」
の叫びなんか、鳥肌もんのテンションだったし。
俺はシーザーっていう名から、ローマ時代に奴隷たちを率いて反乱起こす『スパルタカス』を重ねてたけど。

シーザーは、自分の育ての親である科学者ウィルの自宅で、感情豊かに育っていくんだが、アルツハイマーを患うウィルの父親が、隣人とトラぶってるのを見て、父親を守ろうと、凶暴さを露わにしてしまう。
そのことで、ウィルの自宅から離され、猿たちが収容されてる「霊長類保護施設」に移されるんだが、ちょうど少し前に、フレデリック・ワイズマン監督の『霊長類』というドキュメンタリーで、70年代にその施設で行われてた、猿に対する酷い実験の様子なんかを見せられてたんで、この映画に出てくる施設の劣悪な環境がなんかリアルでね。
ここで最初は他の猿たちから攻撃を受けたりしてたシーザーが、次第に猿たちを知性でコントロールしてくあたりを、映画はじっくり描写してる。手話ができるオランウータンと会話を交わすことで、施設内の力関係なんかをシーザーが把握してくなど、脚本の気配りが利いてるのだ。


「人間側」の主役のジェームズ・フランコやフリーダ・ピントは、猿たちの物語の引き立て役になってる感じ。ウィルの父親を演じるジョン・リスゴーは久々に見た。『ハリーとヘンダーソン一家』でも類人猿と心を通わせてた彼が出てるのは嬉しいね。アルツハイマーで、息子の開発した新薬の実験台となる役だが、彼の演技の説得力が物語に貢献してると思ったよ。

ただこの映画の主演はといえば、やはりアンディ・サーキスだろう。猿のシーザーの「元」となる表情を作ってる俳優だ。旧「猿惑」シリーズでは、リック・ベイカーによる芸術的な着ぐるみとメイクによって、猿たちが演出されてた。旧シーザーを演じたロディ・マクドウォールの演技も絶賛されてたが、今回の猿はCGで出来てる。
パフォーマンス・キャプチャーという技術で、まず専用のヘッドセットをつけた役者の表情を撮影し、その上からCGで猿の顔を描いていく。
人間と同じ感情の機微をCGの猿から感じられるのは、その技術があるからだが、これには俳優も独自のスキルが必要だろう。つまり人間以外の顔が上に乗った状態でも、その感情が見る者に伝わるように。喜怒哀楽と、その中間にあるような細かい感情を表す表情を、くっきりとした輪郭でもって作れないといけないわけだから、これは誰にでもできるものじゃないだろう。
アカデミー賞の主演男優賞候補になってもいいと思うよ。

2011年12月17日

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