『シルビーの帰郷』とクリスティーン・ラーチ [俳優について]

『シルビーの帰郷』

シルビーの帰郷.jpg

俺は映画祭のQ&Aの席でゲストに質問とかしたことないんだが、もしクリスティーン・ラーチが、新作を携えて日本に来るようなことがあったら、尋ねてみたいことがある。
前に『この生命(いのち)誰のもの』のコメントを書いた時に、彼女のことを改めて書くとしたが、今回はそのことを。
あの映画の1作前の1979年作『ジャスティス』でアル・パチーノの相手役に抜擢され、名が知られるようになった彼女だが、キャリアの節目となったのが、1987年の『シルビーの帰郷』だろう。


1950年代の、多分アメリカ北部メーン湾に面したあたりの田舎町が舞台。劇中のセリフから、最寄りの一番大きい町がボストンだと言うから。
祖母の家で育てられたルースとルシールの姉妹。映画の冒頭で彼女たちの母親が、運転する自動車もろとも湖に落ち、自殺して果てる場面が描かれる。姉妹の面倒を見ていた祖母も死に、以前に町を出て放浪生活を送ってた、母親の妹シルビーが、呼び戻される。学校でも周りと距離を置き、姉妹だけの世界に閉じこもっていた二人の関係は、叔母のシルビーの出現によって変化してゆく。

はじめの内は、母親の話などを、シルビーはしてくれてたが、姉妹は徐々に、叔母が風変わりな女性であることに気づいてゆく。夕暮れが好きだからと、灯りも点けないで過ごし、コーンの空き缶とか、いろんな物を捨てずに部屋に飾りつけたりする。午後は公園のベンチで、周りも気にせず昼寝をしたり。
ルースとルシールが学校をさぼって遠出して、帰りが遅くなっても気にする様子もない。妹のルシールがカンニングを咎められたことで、二人とも登校拒否になっても、何も言わない。

そのあまりの無関心さに妹のルシールは反発を強め、学校に戻って、友達の輪に入ろうとする。反対に姉のルースは、この浮世離れしたような叔母と過ごすことに、居心地のよさを感じていた。
妹のルシールはやがて学校の女性教師の養女となり、家を出て行った。
シルビーはルースを真夜中に起して、ボートで湖にある島に連れて行ったりする。彼女には彼女が美しいと思うものがあり、それをルースにも見せてやりたかったのだ。

だがそんな二人の生活は、遠縁の叔母たちからの干渉にさらされ、保安官までが自宅を訪ねてくる。シルビーはもはやここは安住の地ではないと、家に火を放ち、ルースの手をとって、夜の闇の中、町から外へと延びる鉄道橋の上を歩いて行くのだった。


原題は『HOUSEKEEPING』つまり「家事」ということだが、普通に家事をこなせないシルビーのような女性が主人公なのだから、皮肉な題名ではある。周りの世間とか社会とかいったものと、同調できないヒロインを静かな表情で演じてるクリスティーンが、映画のラストで鉄橋を渡る前に、
「この先にはいろんな世界が広がってるのよ。それを見せてあげたいの」
とルースに語りかける場面は、初めてシルビーが、その心情を溢れさせてるように見え、その演技には胸を打たれた。
この映画に出て以降、クリスティーンの役選びというものに、ある特徴が見られるようになる。


翌年1988年の『旅立ちの時』は、リバー・フェニックスを主演に置いた青春ドラマではあるが、ここは社会派のシドニー・ルメット監督らしく、彼の両親の背景に焦点が当たる。

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クリスティーンはリバーの母親役だが、この両親は60年代に反戦運動で破壊活動を行い、以来FBIから指名手配を受けており、名前も住所も変えながらの逃亡生活を続けているのだ。リバーたち子供も否応なくその生活を受け入れざるを得ない、そういう「普通ではない」家族を描いていた。

クリスティーンが、長く音信を絶ってた自分の父親とレストランで再会する場面は、彼女のキャリアの中でも最高といえる名場面で、俺は昔封切りの時見て涙こぼれた。
この映画の原題はジャクソン・ブラウンのアルバム名から取られており、エンディングにはジェームズ・テイラーの『ファイヤー・アンド・レイン』が流れるという、60年代世代の心情を伝えるような内容となってた。
クリスティーンの役柄は、シルビーとは違うものの、社会とのコミットを避けざるを得ない状況にあるヒロイン像。


その翌年1989年のテレビムービー『ロストホーム』は、管理してたアパートが火災で全焼し、その後も借金やらなんやら、不幸のつるべ打ちに遭う家族が、路頭に迷うまでを、冷徹に見届けたドラマ。

ロストホーム.jpg

彼女の夫役が、頼りない男を演じさせたら天下一品のジェフ・ダニエルズだから、転落もむべなるかな。


1992年の同じくテレビムービー『心臓が凍る瞬間(とき)』はサスペンスだが、彼女が出るんだから、ただのサスペンスじゃない。なんと彼女の役は「広場恐怖症」の女性なのだ。

心臓が凍る瞬間.jpg

ヒロインが選んだ下宿人のカップルは、逃亡中の殺人鬼なんだが、助けを呼ぼうにも、家から外に出られないという。つまりこの場合は「病気」として、外の世界にコミットできないということ。


同じ年の『フォーエバー・ロード』は、先日新作『ラブ&ドラッグ』が公開されたエドワード・ズウィック監督作。

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バーのウェイトレスという仕事に嫌気がさしたクリスティーン演じるヒロインが、夫のDVから逃げ出してきたメグ・ティリー演じる若い主婦と出会い、二人で新天地アラスカを目指すというロードムービー。
「暴力的ではないテルマ&ルイーズ」という感じだった。
自分の居場所を探し求めるというヒロイン像は、シルビーに通じるものがある。


そんな彼女が2001年に初の監督作を発表する。

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『マイ・ファースト・ミスター』というその映画にクリスティーン自身は出演してないが、ヒロインというのが、17才の女の子。演じてるのはリーリー・ソビエスキーだが、ピアスにタトゥー、ゴス系ファッションに身を包んで、周りには敵意丸出し、自傷行為も繰り返すという、それこそ世界にフィットしない苛立ちを募らせてるという役柄。
バイト先でその娘の上司となる、中年太りの男、彼もまた世間と自分を隔てて生きてるような人間だった。その見た目まったく釣り合わない二人が心を通わせていく過程を、温かな視線を注いで描いているのだ。

ここまでくると、女優クリスティーン・ラーチが、「世界とフィットできない」あるいは「世間からはじき出された」そうした人物像に強いこだわりを持って、キャリアを重ねてきてるのは明らかだろう。
それが『シルビーの帰郷』に出演したことで、役柄に目覚めたようなことなのか、もっと以前から彼女の中で、育まれてきたような、ある種の人生観なのか。
映画監督で自分のこだわりを作品に反映するケースはままあるが、女優のキャリアでというのは珍しいと思う。
一時のジェーン・フォンダのように、自らの政治信条を役柄に反映させてたのともちょっと違うしね。

でもってここまで挙げてきた映画だが、『旅立ちの時』がDVD化されてるだけで、あとは見る機会がないね。
『シルビーの帰郷』は、男に沁みる秀作『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男』のビル・フォーサイス監督作だし、なんとかDVDにしてもらえないかな。

2011年12月18日

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