「午後十時の映画祭」50本③作品コメ [「午後十時の映画祭」]

「午後十時の映画祭」

引き続き、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「エ」から「カ」まで。



『栄光への賭け』(1970)アメリカ 
監督マイケル・ウィナー 主演マイケル・クロフォード、ライアン・オニール

栄光への賭け.jpg

もう今じゃ『オペラ座の怪人』の初代ファントムとしての方が有名になってしまったマイケル・クロフォードだが、若い頃は『ナック』や『ジョーカー野郎』など、フットワークの軽い演技で人気を得ていた青春スターだった。

この映画は1960年に開催されたオリンピック・ローマ大会をクライマックスに置いた、マラソン選手たちの苦闘のドラマだ。一人のマラソンランナーに焦点を絞るんじゃなく、各国のそれぞれの思惑や、それぞれに背負うものが違うランナーたちを描く中で、巨大ビジネスとしてのオリンピックの影の側面を見つめていく。
アメリカ側が自国への中継時間の兼ね合いで、マラソンレースを炎天下の日中に繰り上げさせたり、多分ライアン・オニールだと思うが、オリンピックのレース前に薬物を服用して走る場面があった。オリンピックとドーピングの問題というのが、すでにこの当時から語られていたんだね。

マイケル・クロフォードは、牛乳配達人をしていて、毎朝トレーニングをしてる長距離ランナーより早く走れることが知れて、コーチに見出されるという「市井」のランナーの役。オーストラリアでカンガルーより早いというアボリジニの青年とか、共産圏の某国から、若いランナーを西側に派遣すると、亡命の恐れもあるという理由で、代わりに選ばれた熟年ランナーとか。
その熟年ランナーを、フランス人のシャルル・アズナブールが演じていて、全然マッチョではない彼のマラソンランナーぶりは、却ってリアルに感じたりした。
日本でのレース場面も描かれていて、実際に日本ロケしてるようだ。
何年か前にWOWOWで放映されてるが、ビデオ・DVD化はされてない。



『黄金の指』(1973)アメリカ 
監督ブルース・ゲラー 主演ジェームズ・コバーン

黄金の指.jpg

スリのチームプレイというものを、この映画で初めて見た。
「目付け」「オトリ」「サクラ」「鉄砲」と役割が決められており、「黄金の指」を持つコバーンが、標的となる人物のポケットから瞬時に抜き取った財布を、そばの人間に次々と手渡ししていく。
これじゃ誰にやられたかなんて、まず見分けられないと、見た当時は舌を巻いたよ。
この方法をジョニー・トー監督が、その名もずばり『スリ』という映画で再現していた。

原題は『HARRY NEVER HOLD』ハリーとはコバーンの役名、つまり「ハリーは決して自分ではスッた物を所持しない」という意味。
スリは現行犯逮捕となるからだ。この原題がラストに効いてくるあたりも上手い。

このチームに、「オトリ」として使えそうな美女トリッシュ・ヴァン・デヴァーとともに、一人でスリを行ってた若者マイケル・サラザンが新たに雇われることになるんだが、サラザンが「ガン」だった。チームの一員としての役割に満足できず、スタンドプレイでチームを危機に陥らせる。美女を巡ってコバーンともこじれる。
スリの標的には目が利くが、雇い入れる人間には目が利かなかったという事だな。

犯罪ものだが、血が流れるわけじゃない、一種の「ピカレスク」もので、ジェームズ・コバーンという役者のダンディな個性が見事にハマってると思った。ラロ・シフリンの音楽も、スリリングな場面展開を盛り上げてた。
これもビデオ・DVD化されてない。理由はわからない。
スリのやり方を真似されると困るみたいなことか?



『おかしなおかしな大冒険』(1974)フランス・イタリア 
監督フィリップ・ド・ブロカ 主演ジャン・ポール・ベルモンド、ジャクリーン・ビセット

おかしなおかしな大冒険.jpg

1960年代に『リオの男』『カトマンズの男』という、「男」シリーズで、そのスラップスティックなアクション・コメディで大いに湧かせた、ベルモンドとド・ブロカ監督の名コンビが久々に組んだ一作で、相手役が70年代随一といってもいい美女ジャクリーン・ビセットという、これは夢のカードと言ってもいいんだが、なんでビデオもDVDも出ないかね?
「おかしなおかしな…と題名につく映画はそんなにおかしくはない」という定説があるんだが、
これはちゃんと「おかしい」

小説家が自分が書いた小説のような冒険に駆り出されるというのは『ロマンシング・ストーン』とか『幸せの1ページ』とか、どちらも女流作家が主人公のものがあるけど、この映画のベルモンドは、文学が書きたいんだが、金のためにスパイヒーロー小説を書いてる。

実際に冒険に出るんじゃなく、向かいに越してきた美女のビセットを眺めつつ妄想が果てしなく広がるという話。その内、ビセットが小説家の家に遊びに来るようになり、現実の展開が、彼の書く小説の世界感を変えてってしまうのだ。ビセットが彼の小説の中のスパイがカッコいいと話すと、それに嫉妬して、スパイをドジな男に書き直してしまう。

小説家、カッコいいスパイ、ドジなスパイの三役を演る、ベルモンドのワンマンショーでもある。
フランス語だったと思うが、ビセットもフランス語しゃべってたはず。ミニスカートの彼女が魅力全開でね。
これはワーナーなんで、オンデマンド・サービスで出るかも知れないと期待はしとくが。



『かもめのジョナサン』(1973)アメリカ 
監督ホール・バートレット 音楽ニール・ダイヤモンド

かもめのジョナサン.jpg

40代半ば以上で、この小説のことを知ってる人は多いと思う。ある種社会現象と言える位に売れた本だった。
青地にかもめの白いシルエットをあしらっただけの、シンプルな装丁で、手にしてるだけで洒落た感じがしたし、文字数も多くないんで、気軽に買えたんだね。

主人公は一羽のかもめ、フルネームは、ジョナサン・リヴィングストン。彼はゴミ処理場で生ゴミをついばむ群れに加わらない。そんな誇りのない生き方はゴメンだと思ってる。群れと距離を置き、五感と飛行能力を研ぎ澄ますべく、ひとり飛翔を繰り返してる。イチローのような求道者なのだ。
だがジョナサンのスタンドプレイは群れの長老たちの怒りを買い、彼は群れからの追放を言い渡される。
群れを出て行ったジョナサンは広大な大陸を放浪し、さまざまな生き物の営みを眺める。
そして導師(グル)のような老かもめに出会い、人生の意味を探求していく。

前半のかもめの飛翔に関する、臨場感ある描写に対して、物語の後半はなにやらスピリチュアルな展開になっていく。当時この小説は一種の「自己啓発本」のように読まれたりもした。
あれだけブームを起しながら、今ほとんど顧みられることがないのは、そういう部分の「臭み」を感じとった人が多かったことがあるのかも知れない。

この小説の映画化に強い熱意を示したのは、ジュディ・コリンズの主題歌が耳に残る1968年の
『青春の光と影』を監督したホール・バートレット。
今ならかもめをCGにして、くちばし動かしてしゃべらせる、そんな方法で作るだろうが、この監督は全部実写で行くと決めた。
鳥の調教師を雇い、本物のかもめに「こうさせたい」という動作をつけ、その表情のアップなどに、声優による内省的なモノローグが被さる。
このモノローグの感じは『ツリー・オブ・ライフ』を連想させる。
人間はいっさい出てこず、大海原やアメリカ大陸の雄大で、変化に富んだ景観、その中を飛ぶジョナサンの目線になったカメラの臨場感。スクリーンで見てこそ醍醐味が伝わるものだろう。

この「映像詩」とも呼べる映画を彩るのが、ニール・ダイヤモンドが、この映画のために書き下ろした数々の楽曲だ。オープニングの『Be(存在し生きること)』は、その雄大さで、見る者を物語に引き込んでいく。
ニールはこのサントラでグラミー賞を受賞してるが、日本で彼の名が一番メディアに取り上げられた時期だった。

ニールダイヤモンドかもめ.jpg

ニールは世界的には大スターと呼べる存在だが、日本では今いち受けない。
特にエンターティナーとしての貫禄をつけてきた70年代以降は、彼の歌の「大仰さ」のようなものが、日本人の胃にはもたれる感じがあったかも。
だが彼は元々はシンガーソングライターとして人気を博していて、初期には『ソング・ソング・ブルー』や、モンキーズに提供した『アイム・ア・ビリーヴァー』など、ポップで親しみ易い名曲を多く残している。
この『かもめのジョナサン』の楽曲はドラマティックではあるが、初期のリリカルな曲の風情も感じられて、耳なじみがいい。

そんなつくりの映画なんで、見てて眠気を誘われることもあるだろう。だがそれもいいと思う。イビキさえかかなきゃ、映画見ながら、つい眠りに落ちるのって、実は気持ちよかったりするんだよね。

この映画は以前に大映から一度ビデオ化されてるが、DVD化はされてない。
ニール・ダイヤモンドの楽曲使用をクリアできるか?というとこだね。



『ガラスの旅』(1971)イタリア 
監督ウンベルト・レンツィ 主演レイモンド・ラブロック オルネラ・ムーティ

ガラスの旅.jpg

レイモンド・ラブロックは1968年に『透き通った夕暮れ』が公開されたことで、日本の当時の女の子たちの熱狂的な支持を受けたスター。
森永製菓の「チョコフレーク」のCMに出たり「an-an」の表紙を飾ったり、アイドル的な人気を誇ったということでは、イタリアの俳優で初だったんじゃないか?ジェンマのように男からも支持されたのとは違うし。

この映画は1969年の『ガラスの部屋』に続く「ガラス」シリーズ第2弾だが、内容的には何の関係もない。
相手役のオルネラ・ムーティはまだ映画3作目で当時16才!それにしちゃ際どい役柄で、イタリア人の彼女が演じるのはデンマークの少女。レイモンド・ラブロック演じるイギリス人の若者とつるんでヨーロッパを旅行中。
旅の資金はというと、デンマークのポルノショップでエロ本を買い漁り、それをイタリアなど、販売が禁じられてるカソリックの国で、高く売りさばくというもの。
そのうちそれも面倒だというんで、カメラ買って、オルネラ・ムーティのヌード生写真を売りつけるようになる。そんな役演らせるなよ16才に。

と、こう書いてるが、ストーリーを読んで知ってるだけで、実際この映画は見てない。
何で見たいのかと言うと、このカップルはその後、偶然出会った金持ちの夫人の邸宅に泊めてもらうことになる。
その夫人をイレーネ・パパスが演じてて、歴史劇とかシリアスな映画に出てる女優がなんで、この手のものに出ることになったのか、それはわからないが、当時眺めてた映画雑誌の、この映画のスチールで、ベッドに腰かけたオルネラが、裸足の足先をそのイレーネ・パパスの鼻先に突きつけてる場面が写ってた。
足の匂いかがせるプレイなのか、それが気になってしょーがない、今に至るまで。
オルネラがまたドSな表情を浮かべてるのだ16才なのに。

テレビ放映された記憶もないし、ビデオ・DVD化もされてない。UK版のDVDは出てるらしいが。
まあこんな理由で見たいのは俺くらいかも。



『カンサスシティの爆弾娘』(1972)アメリカ 
監督ジェロルド・フリードマン 主演ラクエル・ウェルチ

カンサスシティの爆弾娘.jpg

昨年公開されたエレン・ペイジ主演、ドリュー・バリモアが監督・出演を兼ねた『ローラーガールズ・ダイアリー』は、「ローラーゲーム」を主題にした青春映画だったが、この映画はその「ローラーゲーム」を初めて映画で描写したスポーツドラマだ。

俺が小学生の時、東京12チャンネルで、夜7時位から中継をやってた。芝公園のあたりに特設リンクが作られてて、「東京ボンバーズ」という日本のプロチームが、アメリカのチームなんかを迎えて対戦してた。アメリカチームの監督が悪辣な奴で、得点間近の日本の選手の足をステッキで引っ掛けて転倒させたりして「あのヤロー!」とガキの俺は本気で憤ってた。
そのへんは演出が入ってて、後で考えてみれば「イロモノ」的要素も強かったんだが、それを含めて、よくできた「スポーツ興行」だったんじゃないか?

第1次ローラースケート・ブームというのが、俺のガキの頃にあって、男の子はほぼみんな履いて遊んでた。
滑車の部分がゴムのやつと、なんか軽金属のやつとあって、軽金属のはとにかく「カチャーカチャー」とうるさいわけよ。俺はゴムの履いてる奴がうらやましかったね。そっちの方が高かったんだよ。
でもローラー履いてたんで、初めてスケートリンクでアイススケートを体験した時も、すんなり滑れた。俺らの下の世代はローラーブレードになるのかな。

まあそんなブームの中で生まれたスポーツであり、当時はどんなもの着てもエロカッコよかったラクエル・ウェルチに、ローラーゲームのユニフォームがばっちりキマって、それだけで見る価値はあったのだ。
彼女をはじめ、肉弾派の女優や、実際の選手たちが滑ってるんで、試合場面の迫力は『ローラーガールズ・ダイアリー』を凌いでる。
「東京ボンバーズ」のスター選手だった佐々木ヨーコや、ミッキー角田も、日本チームの選手として、顔を出してる。

ドリューの映画でも舞台はテキサスの小さな町だったが、この映画でもカンザス・シティやポートランドなど、舞台は地方都市だ。大都会にはそぐわないマイナー感も、味わいになってる。

このゲームをSF的にスケールアップさせたのが、ノーマン・ジュイソン監督の『ローラーボール』で、公開時にテアトル東京のシネラマで見たが、試合の迫力には圧倒されたものの、勿体つけたような管理社会風刺がかったるく感じた。
俺には「マイナーでも、イロモンでも、アタシはこれに人生賭けてんだよ!」という、しがない世界での心意気が見れる方が痛快だ。

ラクエル・ウェルチの娘役で、10才のジョディ・フォスターがちらりと出てる。
ママに倣ってローラースケート履いて走ってた。
この映画も一時期まではテレビ放映もされてたが、ビデオ・DVD化はされてない。

2011年12月28日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。