睾丸の名のもとに [映画ハ行]

『バルスーズ』

バルスーズジャケ.jpg

1974年のフランス映画。監督はこれが劇映画第1作のベルトラン・ブリエ。無軌道、無節操、無思考な若者を描いて、当時はフランス版『時計じかけのオレンジ』なんて評もあったらしい。俺は封切りではなく、名画座で見てる。
『バルスーズ』とはフランス語で、「二人でワルツを踊る」という意味だが、スラングで「睾丸」の意味もある。
くだけた表現じゃなく「睾丸」と記してるのは、これから先、文章内に何度もこの言葉が出てくることへの配慮である。無軌道な若者ふたりを「睾丸」に例えてるというより、「睾丸」が人格を持ってるという風に見た方が面白い。つまり宇宙人ポールなんかとおんなじで、このふたりは睾丸星人なのだ。
だから女のことしか頭にない。


ジェラール・ドパルデュー演じるジャン=クロードと、パトリック・ドヴェール演じるピエロは20才で無職。
二人の住む団地の近くに美容室があり、その駐車場に高級そうなシトロエンが停まってる。青磁のようなボディカラーだ。キーが挿したままなんで、車を拝借してドライブへ。
夜、駐車場に戻して車を降りると、美容室のオーナーが拳銃を向けてる。
「盗んだんじゃない、借りただけだ」
と言うが納得してない。そのオーナーの隣に金髪のマリー・アンジュが。
揉み合いになり、逃げ出すピエロの股間に銃弾が命中。ジャン=クロードはオーナーを殴り倒して、ついでにマリー・アンジュを奪って、オーナーのシトロエンで逃げる。

医者の家を探して押し入り、ピエロを治療させる。幸い睾丸をかすっただけで、銃弾は尻の肉にめりこんでるという。治療費を請求する医者を逆に脅して金を巻き上げる。
ピエロはあのオーナーへの復讐を考えていた。
まず盗んだシトロエンを適当な場所に放置しとく。被害届が出てるだろうから、警察が見つけてオーナーに連絡がいく。だがそのシトロエンの前輪のシャフトには細工がしてあり、カーブを曲がろうとすると、シャフトが折れ、車はコントロールを失う…というようなシナリオになってた。

車に細工をし、医者から巻き上げた金で羽根を伸ばす二人だが、警官の姿には敏感になる。
盗んだ車を乗り捨て、駅を発車するローカル線に飛び乗る。短い車輌のその電車には、赤ん坊に乳をやる若い母親しかいない。ジャン=クロードは
「こいつは母親を知らないんだ」
とピエロに乳を吸わせてくれと、母親に頼む。ピエロは若い母親の乳房を咥える。
若い母親も妙な気分になってくる。だがピエロは
「駄目だ、勃たない!」
と絶望する。股間を撃たれて以来、勃たなくなっていたのだ。

ゆっくり静養できる場所が必要だと、二人はシーズンオフの保養地へ向かう。誰もいないから空き巣もし放題だ。その中の一軒は三人家族で、ジャクリーンという娘がいることが、部屋にある物からわかった。娘の水着の匂いを嗅いで、何才くらいか推測してる。
しばらくここに滞在を決める。まだ怪我が完治せず、風呂にも入りにくそうなピエロの身体を、ジャン=クロードは洗ってやるが、なぜかそのまま犯してしまう。
翌朝「こんな屈辱はない!」とカンカンなピエロ。
「二度とカマ掘られたくねー!」
「フランスなんか大嫌いだー!」
とホテルに投石してる。

ジャン=クロードは「女がいないからイカンのだ」と、団地に戻って、マリー・アンジュの部屋を訪れる。さっそく三人で始めるが、マリー・アンジュは全く無反応だ。彼女は不感症だった。二人も匙を投げた。
そしてマリー・アンジュから、オーナーがシトロエンを引き取る事もなく、売り払ってしまったと聞かされる。
「なんの罪もない他人があのシトロエンに乗るのか」
ピエロはそのことでもブルーになった。


ジャン=クロードはピエロに
「女が何百人といて、しかもヤリたくてしょーがないと思ってる場所がある」
と言って、また別の車を盗んでやってきたのは女性刑務所。
ちょうど出所した中年の女性の後を尾ける二人。
「なんか用なの?」
「あんた、行くあてとかないんだろ?」
「俺たちがあんたの好きな所へ連れてってやるよ」
彼女はジャンヌと言った。ジャン=クロードは拳銃を「あんたが持っててくれ」と渡した。

三人は海へと車を走らせた。海辺のレストランでジャンヌは生ガキを無心に頬張り、テーブル係の女性に丁寧に礼を言った。その後三人は高級なホテルに部屋をとり、SEXした。
男ふたりが寝静まり、ジャンヌは隣の部屋のベッドに移り、ジャン=クロードから預かった拳銃を取り出し、局部に突っ込むと、引き金を引いた。
銃声に二人は飛び起き、光景を見て、逃げ出した。拳銃は持って行った。
二人はマリー・アンジュの胸の中で泣いた。

ジャンヌの遺留品の中に手紙の束があり、それは彼女と同様に刑務所にいる息子に充てたものだった。
その息子ジャックの出所を待ち受け、二人は母親は外国にいて、自分らが世話をするように言われてると嘘をつく。
のどかな田園の中に建つ、一軒家にマリー・アンジュが出迎えた。
「この女は俺たち三人の共有物だ」
そしてさっそくマリー・アンジュをジャックにあてがう。
「不感症だからどうにもならんけどな」と思いながら、川で釣り糸をたらす二人だが、女の声には敏感だ。
しかも喘ぎ声だ。自分たちにはさっぱり感じることもなかったマリー・アンジュが、ジャックとのSEXで、初めてオーガズムを知ったという。
二人は言い知れぬ敗北感から、腹立ちまぎれにマリー・アンジュを川に放り投げた。

ジャックは、二人が拳銃を持ってるときき「仕事に使おう」と言った。押し入る先は決めてあるようだ。
二人はジャックに付いていくが、その家はジャックが収監されてた刑務所の看守の家だった。どういう因縁があるのか知らないが、ジャックはいきなり看守を撃ち殺してしまい、二人はまたしても逃げ出すはめに。
「もう死体はたくさんだ」
とあてもなく逃げる二人とマリー・アンジュ。


例によって車を次々盗んでは乗り換え、もうアルプスに近い方までやってきた。川でキャンプをする親子三人。その家族の車をよく見ると、あの時と同じ青磁色のシトロエンだ。
両親はパニくってるが、娘はなぜか楽しそう。
「私、もうこんな旅行とかうんざりだから、一緒に連れてって!」
彼女の名はジャクリーンだった。

青磁色のシトロエンを拝借した三人とジャクリーン。マリー・アンジュはジャクリーンがまだ処女だと聞く。
草原に車を停め、ジャクリーンはマリー・アンジュの膝に頭を預け、ジャン=クロードとピエロの二人を受け入れる。
処女を捨てて晴れ晴れとしたジャクリーンに別れを告げ、三人を乗せた青磁色のシトロエンは、カーブの続く山道を「ブーラブーラ」と下って行くのだった。


この映画で重要なのは、二人が「二つの睾丸」であって「男根」はセットになってないという点だ。
出てくる拳銃は「男根」の象徴だ。
それとジャンヌの息子ジャックが、二人より背が飛びぬけて高く、ジャックを真ん中に二人が歩くという構図は、明らかに、ジャックという存在が「男根」となってる。
つまり「男根」が絡むとロクなことが起こらない。血なまぐさい事になる。
「睾丸」は「男根」がなければ、その機能の意味を失う。
だからこの二人は「ブラブラ」としてるしかないのだ。

男の肉体において、唯一どうにもサマにならない形状をしてるのも「睾丸」だ。
創造主はどんな意図の下に、こんな形のものをくっつけたのか。
だが、カッコつける、見得を張る、面子を気にする、威嚇する、こういった感情の先に、争い事や、奪い合いや、血生ぐさい行為の数々が生まれるんであれば、その象徴は「男根」であり、そんなものはない方がまし、という気分を描いてるようにも感じられるのだ。
この二人の行いがまったく褒められたもんでも、共感得られるもんでもないにしてもだ。

電車の中で乳を吸われるのはブリジット・フォッセー。彼女を語る時には必ず、あの『禁じられた遊び』の少女と冠がつけられてしまうが、彼女にとっては、女優として出た仕事の一つでしかないはずで、いつまでも少女でもないんだし、大人になればこういう役も演るだろう。しかしそのためだけに出てきてるんだけどね。

その後に出てくるジャンヌ・モローも凄いね。ピエロが「あんなババアとやるのはごめんだ」なんて言わせてるし、失礼もいいところだろ。ガキの頃はこの女優の魅力がわからなかったけど、今見るといい。
仏頂面なのが、ふと笑顔になったりすると可愛いね。それにシルエットがきれいだよ。その彼女にあんな自殺のさせ方とは。
二人に処女を捧げるジャクリーンを演じるのはイザベル・ユペール。最後の10分位に出てくる彼女も、今や大女優に。マリー・アンジュを演じるミウ=ミウは、登場シーンの半分位は裸でいるね。

この映画に出た若い役者はみんなキャリアを伸ばして、その後のフランス映画を担ってくんだけど、パトリック・ドヴェールだけは、その途中で命を絶ってしまったわけだ。
ブリュノ・ニュイッテンのカメラが美しく、音楽はなんかゴンチチみたい。

2012年1月16日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。