「午後十時の映画祭」80年代編②作品コメ [「午後十時の映画祭」]

昨日リストアップした、「午後十時の映画祭」(80年代編)の50本、各作品へのコメントを入れていく。五十音順で今日は「ア」行を。



『愛と哀しみのボレロ』(1981)フランス 
監督クロード・ルルーシュ 主演ニコール・ガルシア、ダニエル・オルブリフスキ

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3時間越えという上映時間はさすがに長く、ジェームズ・カーンの出てくる(多分グレン・ミラーがモデル)エピソードなど冗長なんだが、「ボレロ」の悠然たる旋律に、戦争が絡んだ様々な人生を織り込んでいく着想が、クライマックスのジョルジュ・ドンの舞踊によって結実するさまは、
「映画を見たなあ」という高揚感を残す。
「男と女」をテーマにしてきたルルーシュ監督が1974年の『マイ・ラブ』以降、「家族」に視点を向け始め、その集大成ともいえる。

収容所でガス室に送られる夫を、なす術もなく見送る妻を演じたニコール・ガルシアの表情に、見てて涙が出てきた。この当時『ギャルソン!』とか『アメリカの伯父さん』とか、ニコール・ガルシアに首ったけになってた時期がある。
DVDは一度出てたが廃版状態にあり、オークションではベラ高い値がついてる。
ボレロは圧倒的な音量で聴きたいんで、シネコンのスクリーンで再会できるといい。



『青い恋人たち』(1983)アメリカ 
監督ランダル・クレイザー 主演ピーター・ギャラガー、ダリル・ハンナ

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『青い珊瑚礁』では登場人物が未成年だったんで、肌を見せるのも限界があったと思ったのか、ランダル・クレイザー監督、今度はエーゲ海のサントリーニ島を舞台に、大人の男ひとり女ふたりによる三角関係を、脱ぎまくりで見せてる。

ダリル・ハンナのヌードも拝めるが、もうひとりの女優ヴァレリー・クィネッセンが実に魅力的なのだ。彼女は当時26才で、この映画含めて日本で紹介されてるのは3本のみ。1989年に自動車事故で亡くなってる。

昔ビデオが出てたが、ヌードシーンが多いので、輸入盤のレーザー・ディスクがよく売れた。
DVD化されてないのは、エルトン・ジョンやシカゴなどの楽曲が使われてるからか。



『アドベンチャー・ロード』(1980)オーストラリア 
監督ピーター・コリンソン 主演ウィリアム・ホールデン、リッキー・シュローダー

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後味の悪い結末をつけることにおいては当代一と、俺が当時思ってたピーター・コリンソン監督が、オーストラリアに出向いて撮ったサバイバル・ドラマ。この映画の完成直後に44才の若さで世を去ってる。
そして主演のウィリアム・ホールデンも、この当時は重度のアルコール依存症で、この1年後に酔って転倒し、そのまま息を引き取ってる。

映画は心臓病で余命も限られた老人が、オーストラリア奥地の山中にある生家を目指す途中、キャンピングカーの事故でひとり生き残った少年と出会い、過酷な旅を共にするという展開。
『チャンプ』で天才子役と謳われたリッキー・シュローダーが、むしろベテラン俳優を引っ張ってくような印象だった。
オーストラリアの景観が見れる映画は当時は珍しかったし、この監督のものとしては、後味がいいのも珍しい。
『ポセイドン・アドベンチャー』の主題歌『モーニング・アフター』で有名なモーリン・マクガヴァンが、この映画でも主題歌を歌ってた。

ビデオ・DVD化はされてない。アメリカとオーストラリアのコープロで、制作会社が何社かあるんで、権利関係が不明瞭なのか?



『アパートメント・ゼロ』(1988)イギリス 
監督マーティン・ドノヴァン 主演コリン・ファース、ハート・ボックナー

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アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、名画座を経営してるコリン・ファースのシネフィルぶりが、なんか他人事ではない。
経営難だし、母親の入院費も工面するため、アパートの同居人を募ると、若いイケメンがやってくる。
自分の映画ウンチクにも反応してくれるんで、嬉しくなって、同居契約を結ぶ。
イケメンが他の住人と親しくしてると苛立つ。
「彼はボクだけの友達だ」
だがそのイケメンは依頼された殺しを請け負うテロリストだった。

実際80年代は軍事政権下にあったブエノスアイレスでは、絵空事ともいえない設定で、名画座も、反政府運動の集会所に使われたり、あげくにはポルノ映画館となる。名画座に出勤する時は常に背広でネクタイだったコリンが、最後には顔つきも服装も変貌してしまってる。
映画ファンなら彼の名画座にかかってる映画を、ポスターで言い当てられるだろう。難易度は高いよ。

主人公の言動の「イタい」感じを絶妙に演じるコリン・ファースは、若い頃から演技の上手さは際立ってたとわかる。
ビデオ発売のみで、DVDにはなってない。



『ウィザード』(1988)ニュージーランド・オーストラリア 
監督ヴィンセント・ウォード 主演クリス・ヘイウッド

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黒死病の蔓延した14世紀ヨーロッパの寒村で、預言者の少年が、夢のお告げの通りに、仲間を連れて、世界の裏側へと通じるとされる洞窟を掘り進めてゆく。
そして彼らが辿り着いたのは現代のニュージーランドだった。
『ロード・オブ・ザ・リング』のような体裁のファンタジーだが、少年に皮肉な運命が待ち受ける所など、ただのファンタジーにはない余韻が残る。

ヴィンセント・ウォード監督は、この後の『心の地図』や『奇跡の輝き』、DVDスルーとなった『ファイナル・ソルジャー』に至るまで、一貫して「異世界への旅」を描いてる。
俺は「NZのジョン・ブアマン」と呼んでるんだが、時空や時制を巧みに行き来させるこの映画のスケール感は、ハリウッドでデカい予算でリメイクしてみちゃどうかと思うほどだ。

緑深い森など、大自然の景観を捉えるカメラの美しさもこの監督の映画の大きな魅力だ。
ビデオは昔マイナーなメーカーから出てたが、DVDにはなってない。



『エディ・マーフィ/ロウ』(1987)アメリカ 
監督ロバート・タウンゼント 主演エディ・マーフィ

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『48時間』『ビバリーヒルズ・コップ』で披露したエディ・マーフィの「速射砲トーク」の凄さがダイレクトに伝わる、スタンダップ・コメディ・ライヴ。
冒頭に、エディが子供の頃に家族の前に初めてやった漫談を、再現フィルム風に描写し、あとはエディのステージを、ほぼ90分ノンストップでカメラに収めてる。とにかく90分しゃべり倒してるのだ。

アカデミー賞の司会で有名なジョニー・カーソンの莫大な離婚慰謝料のネタに始まり、『ロッキー』を見た直後のイタリア系の男が黒人にケンカ売るネタで爆笑させ、母親お手製のビッグマックの悲しい思い出まで、ヘタなアクション映画など蹴散らすようなスピード感に溢れたトークだ。

昔ビデオが出てたんだが、実はその字幕は、エディの繰り出すスラングや四文字言葉を訳し切れておらず、後になってフジテレビが「ミッドナイト・アートシアター」の枠で、新たに臨場感ある字幕をつけ直して放映したことがあった。「1回限り」という放映で、たまたまそれを録画してたんだが、よくこの字幕を電波に乗せられたなと、フジテレビの英断に感心した。

なのでもしスクリーンで上映するような機会があれば、是非フジテレビの字幕版でやってほしい。
DVDも出してほしいが、こういうのは大勢で見て笑えた方が絶対楽しいからね。



『エデンの園』(1980)イタリア・日本 
監督増村保造 主演ロニー・バレンテ、レオノーラ・ファニ

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このスタッフ・キャストのほとんどがイタリア人という、イタリア舞台の映画の監督が、なぜに増村保造なのかという、企画の時点からなにか不思議さを感じる日伊合作で、これはロニー・バレンテを日本で売り出そうという、そういう背景があったかもしれない。

しかし俺にしてみれば、というより男にしてみれば、共演してるレオノーラ・ファニの脱ぎっぷりの良さと、形のいいおっぱい以外、注目すべき点はない。
増村保造としても、イタリアの陽光の下では、日本の隠微なエロスを表現もできず。

以前ビデオが出てたことがあったが、DVDは出てない。
合作の場合は権利がどこにあるのか、辿るのが困難なことがある。



『オブローモフの生涯より』(1980)ソ連 
監督ミキータ・ミハルコフ 主演オレーグ・タバコフ、エレーナ・ソロヴェイ

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映画の主人公オブローモフに向かって「お前はオレか?」と呟いてしまうような、そのふがいなさが五臓六腑に染み渡る。
俺はこれから先の人生でも映画を見続けるだろうが、どんな映画に出会ったとしても、この映画は「オールタイム・ベスト10」から外れることはまずない。
俺にとってミハルコフはここまでだ。巨匠と呼ばれるようになるにつれ、弱い人間を描かなくなった今のミハルコフには縁はない。

ロシアの夏の木々のしたたる緑、草むらで読書する女の、淡い光に包まれた首筋の美しさ。オブローモフが意を決して彼女の家へと向かう、雷鳴に照らされた夜の道。
映像は芳醇で、母親の姿を遠くに見た少年が、部屋を飛び出し、草原をどこまでも駆けてゆくラストまで、こんな優しい映画はない。

DVDは出ていて、まだ廃版ではないはずだが、もう一度スクリーンで見たいのだ、どうしても。



『俺たちの明日』(1984)アメリカ 
監督ジェームズ・フォーリー 主演エイダン・クィン、ダリル・ハンナ

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『ハリポタ』を任されるまでになったクリス・コロンバスによる脚本は、不良がお嬢さんを彼氏から奪って、バイクで町を去ってくという、ベタの上にベタで塗り重ねたような展開。
だがこの映画を構成する何から何までが俺のツボにはまった。

ファスビンダーからスコセッシへと、そのカメラで作品世界に大きく貢献していた名撮影監督ミヒャエル・バルハウスが、ピッツバーグの炭鉱の町の、鉛色の空を切り取り、キム・ワイルド、インエクセス、ザ・フィクスに、ボブ・シーガーという選曲のセンス。
これがデビューとなるエイダン・クィンの暗さと、身体のシルエットの細さ。

当時昂奮して友達誘って再度見たが、その友達と後に『ストリート・オブ・ファイヤー』を見た時、
「アレよりこっちの方がいいじゃん」と言われ
「こいつは全くわかってない」
と失望したのも遠い昔のことだ。

ビデオは出たがDVDは出てない。MGMなんで、ツタヤのオンデマンドに期待できる。
できればスクリーンでラストのボブ・シーガーを聴きたいが。

2012年2月1日

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