役所広司のゾンビはメイクが雑なのよ [映画カ行]

『キツツキと雨』

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数日前のブログで、ハリウッド映画の導入部の効率の良さに関して書いたが、この映画はそれでいくと、テンポはのろいとは思うが、これは舞台となる「田舎」の時間の流れを感じさせようという意図がありそうだから、これはこれでいい。
ただ「ちょっといい話」という感じの、こういう小品で129分は全体として長いかなとは思うけど。
いいと思う部分と文句つけたい部分と両方ある映画だった。


山間部の村で、木こりとして生計を立ててる60代の男が、山にロケに来ていた映画の撮影隊と出会い、行きがかり上ゾンビとして出演することになり、自分の息子と同い年くらいの新人監督と交流を深めてくという流れ。
このところ、一時期のように主演作が立て続け状態となってきた役所広司だが、山本五十六よりこっちの方が演技に愛嬌も滲ませてよかった。

この映画で一番いいと思うと同時に、重要だと思う場面がある。
ゾンビとして撮影に参加した翌日に、仕事現場で昼飯時に、役所広司演じる克彦は、映画に出たことを仲間の木こりたちに話す。ゾンビの役だとは言わない。

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「えっ?どんな役なの?」
「おっ、俺は歩いてる…」
「うんうん、それで?」
「すると、銃で撃たれる」
「おー!撃たれるんだ。それで?」
「で、撃たれるけど、起き上がる」
「おー!起き上がるんか!すげえ」
「で、また歩いていく」
「おー、それで?」
「で、また撃たれる」
「また撃たれるんだ!すげえ!それで?」
「で、また起き上がる」
「おー!マジか!克つぁん、カッコええ!」
聞きながらテンション上がってく仲間たちを見て、克彦もなんか嬉しくなってくる。

3年前に妻に先立たれ、一人息子の浩一は定職もなくブラブラしてる。毎日木を切るだけの単調で、愉快なこともない日常に、降って湧いたような「ハレ」の気分。
いきつけの温泉につかってても、ついゾンビのポーズをとってしまったり。
克彦のテンションの変化を、あの仲間との会話の場面が鮮やかに描き出していた。あの場面があるのとないのとでは、物語が先に転がっていく説得力がちがう。

克彦は撮影隊の車があぜ道で動かなくなってる所を通りかかり、新人監督とチーフ助監督の二人を自分の車に乗せてやる。チーフ助監督から撮影に適した川がないかと聞かれ、車で案内する。
その道中、動き回るのはチーフ助監督ばかりで、新人監督の幸一は黙って座ってるだけ。
克彦は彼が監督とは知らないから、
「おい、若いの、お前もなんか動けよ!」
などと、どやしつけてしまう。
小栗旬演じる映画監督の幸一は、現場で自信を失ってて、なす術もなく居るだけなのだ。

俺は映画ではないが、撮影現場にいた経験があるから、この撮影隊の人間関係というか、力関係はリアルだと思った。チーフ助監督はかなり年上だし、現場経験が豊富だから、どこかで若い監督を舐めてかかってる所がある。カメラやその他のスタッフも、それは同じだ。
この映画の中で、プレッシャーに耐えられなくなった監督・幸一が、現場から逃げて電車に乗ろうとする駅で、クルーたちに取り押さえられる場面。チーフ助監督は
「映画撮らせてもらえるだけで恵まれてるんだぞ!」
と殴りつけてる。
『歓待』の間借り人役で強烈な印象を残した古舘寛治が、「こういうの居るなあ」というチーフ助監督を演じてて、実に上手い。


こういう監督が潰されてく様を、もっと生々しく描いてたのが、高橋克典が、伝説の俳優・金子正次を演じた『竜二・FOREVER』だった。
あの中で当初、金子から『竜二』の監督にと呼ばれた知人の自主映画作家が、撮影中にテンパってしまい、降板させられることになる。
演じた香川照之のベストアクトじゃないかと思うくらいの痛々しさが漂ってた。

その現場の感じはリアルに出てたと思うんだが、問題は小栗旬演じる新人監督を巡る描写の方にある。
自分の書いた「ゾンビ映画」の内容に自信が持てない幸一が、駅まで送ってもらう車中で、克彦に映画のストーリーを聞かせる場面。
荒唐無稽なストーリーに、しきりに感心して「おう、それで?」と先をせがむ克彦に、幸一は何度も
「あの、ホントに面白いですか?」
と訊ねる。そこが引っかかるよね、まず。

撮影隊の規模から見ても、この山間の村に、多分1週間近くはロケで滞在してる様子からも、自主映画のスケールではない。
商業映画を作るプロダクションが、新人が書いた「ゾンビ」映画のストーリーを見込んで製作にGOを出したんだろうし、その新人の熱意を感じて、監督まで任せることになったんだろうから、その当人が「面白い」と思ってないんじゃ意味ないよね。

ここはむしろ、脚本を書いた時点では「すげえ面白いもんになる」と確信してて、コンテも完璧に切れてるんだけど、いざ現場に入ったら、どうスタッフを動かせばいいのかとか、全然思ったような画にならなくて愕然としてるっていう方が「あり得る」ことだと思うが。

それと若い監督が「ゾンビ」を撮ろうというんだから、こだわりがあるはずなんだよ。あんなやっつけメイクで満足するはずない。コメディ・ゾンビならともかく、ストーリー聞いてる感じではシリアスに描こうとしてるし。

幸一のゾンビ映画の中で、生き残った人間たちの村の女たちで組織する「竹やり隊」が出てくるんだが、人数が5人しか集まらない。そこで克彦が一肌脱いで、村の猟友会の婦人たちに声をかけて、何十人と集めてくる。
それを機に村人たちが総出で映画に参加するようになり、村を歩いてると、いたる所でゾンビのメイクをしたまま、働いたり、談笑したりしてる村人たちに出くわすという展開は微笑ましく、映画の流れとしちゃ、いいとは思うんだが、監督・幸一とすれば、やはりこれも他力本願であって、彼が克彦に励まされたりしながら、次第に撮影現場のイニシアチブを握ってく展開には弱い。

その後に、山崎努演じるベテラン大物俳優がワンシーンのために現場に来る。痔が悪化し、まともに座ってられない大物に対して、臆することなくテイクを重ねられるようになる幸一のエピソードは、彼が自信を持ちつつあることを描いてはいるが、少々取ってつけた感がある。


例えば、シリアスなゾンビ映画を撮ろうとしてるわけだから、ゾンビは人を食うし、血まみれな場面もある。
村の人間が出演するという段で、子供にまでゾンビのメイクをさせて、そんな内容の映画に出させていいもんかと、一度は紛糾すると思うんだよ。田舎の人は保守的だし。
その時にこそ、大人しかった幸一が、村人の前で製作意図をきちんと述べるみたいな場面があったらよかった。

理由は口からでまかせでもいい。ゾンビはTPPのメタファーなんだとか。農業貿易が自由化されると、外国産の農作物がゾンビのように蔓延してくるんですよ!とかね。日本の農家を守ろうという裏メッセージが込められてるとブチ上げて、村人たちの共感を得てしまう。
映画を作ることのいかがわしいバイタリティのようなものを、そこで描いてもよかったんじゃないか?

細かい文句はあるが、後味は悪くないし、役所広司をはじめ、愛嬌のある映画の雰囲気はいいと思う。

2012年2月26日

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