自身を投影するのがユアン・マクレガーって… [映画サ行]

『人生はビギナーズ』

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とにかくこの題名もな、日本語おかしくないか?
『魔法にかけられて』とか『しあわせの隠れ場所』とか、なんか気持ち悪いんだよ最近の邦題。
映画の配給会社って文系が多いはずなんだがな。
映画の邦題に関しちゃ昨日今日の話ではないが。原題通りの長ったらしいカタカナ邦題もどうかとは思うが、やっぱり昔の洋画の邦題を眺めてると、そういう言葉のセンスが無くなってきてるように思う。
日本語としておかしいか、或いはあからさまか、どっちかという事が多い。

俺にとって衝撃的だったのは『いまを生きる』だ。原題を直訳すると「死せる詩人たちの会」なんで、そのまま題名にはできないだろうが、なんでそういう原題がついてるのかという事への配慮がない。
アメリカ映画の「教師と生徒」のドラマの定型を少し外した、ある種のスノビズムが見所な映画なのに、あんな「標語」みたいな邦題つけられるとは。

その線だと、昨年公開された、アカデミー外国語映画賞を獲った『未来を生きる君たちへ』も酷い。
原題の「復讐」というシンプルな一言に込められた意味がどっかに消えて、自民党のポスターなんかに使われそうな「標語」になっちまってる。

「そういうことを言いたい映画なんだろ」という意見があるかもしれないが、言いたいことをあからさまにしないで、文学的な含みを持たせるのが、映画の題名というものなのだ。


さて、クリストファー・プラマーがいきなり「私はゲイだ」と言う、あの出オチみたいな予告編がウケてた、この映画。妻に先立たれ、癌を宣告された父親から、そんな風にカミングアウトされた、監督マイク・ミルズの実体験に基づいて描かれてるというが。

たしかに俺んとこも父親とじっくり話し合うなんてことなく今まで来たし、オヤジが若い頃どんなこと考えてたかとか、子供に自分のことあまり言うような人じゃなかったしな。だからオヤジが本当のところ、どんな人間なのか?わかってるなどとはとても言えないし、アルツ入り始めた今となっちゃ、もう訊くのにも遅い。
だが実例とは言われてても、この映画のケースはレアすぎて、我が身に置き換えようにも、置き換えられんわ。



ユアン・マクレガー演じる主人公のオリヴァーは、ゲイであることを隠して44年の結婚生活を送ってきた父親と、1950年代という「輝ける白人の時代」だったアメリカで、ユダヤ人であることを隠して育ってきた母親との間で、少年時代を過ごしてきた。
父親は出掛けに母親にキスしてくが、母親はいつも淋しそうな顔をしてた。
指を銃に見立てて、子供のオリヴァーに「バンッ」と言うと、オリヴァーは関西人みたいに死ぬフリをする。
「死に方がヘタ」とダメ出しされて、やり直す。
オリヴァーも、両親のように「ゲイじゃないフリ」や「ユダヤ人じゃないフリ」と同じく「死んだフリ」をさせられて育ったのだ。
そんな家庭に育ったことが、オリヴァーの人間形成に影響を与えてるというのは、「それはそうだろう」とは思う。

オリヴァーは38才のアートディレクターで独身。恋愛はするんだが、うまくいかない。「これが自分の本当の気持ちなんだろうか?」という疑いが生まれてしまうのだろう。
「フリ」をしてるだけなんじゃないか?という自分への疑念。
映画はオリヴァーが父親の死後3日目に知り合った、フランス人の女優アナとの恋愛の過程と、父親との最後の日々とをカットバックさせながら進む。

父親の遺した飼い犬のジャックラッセルテリアが話し相手というオリヴァーを、見かねた同僚が、無理やり仮装パーティに引っ張ってく。そこでアナと出会うわけだが、アナは誰の変装なのかわからないが、スーツにネクタイ締めて「男装の麗人」のよう。
演じるメラニー・ロランはこの時点で素敵だ。
でもって、オリヴァーは精神科医フロイトに扮して、パーティ客を診察するが、診察受けなきゃなんないのはオリヴァーの方だろ。
アートディレクターとして、プロのミュージシャンのアルバムジャケットのデザインを依頼されて、自画像描いてくれって言われてるのに、暗いセリフ満載の人物イラストばかり上げてくる。そりゃ仕事にはならんわ。

せっかく「人生の魔法を信じてる」と言う、前向きなアナのような女の子と知り合えたのに、父親の死を引きずったままなんで、彼女との恋愛も行きつ戻りつ、なんだかしゃっきりしないのだ。


俺はグジグジと停滞してる男の話は好きなんで構わないんだが、これは男より女の方が、イラッとくるかもね。
「あんた、いつまでグズグズ言ってるのよ!」ってね。
オリヴァーの恋愛を含めたペシミスティックな性分というのは、家庭環境が元となってれば、それなり根が深いわけで、それこそ精神分析医にかかるとか、「治療」してもらう必要があるんじゃないかね。
映画はハッピーエンドっぽくなってるけど、オリヴァーが完全に吹っ切れたという感じも受けなかったしね。

オリヴァーが古いジャズのレコードなんかを好んで聴いてる設定とか、映画の雰囲気がなんとなくウディ・アレンのものと似てるなと思った。
ウディ・アレンも「自画像映画」を作り続けてきた監督だが、このマイク・ミルズとの違いは、
「自分を笑えるか」という所だろう。
ウディ・アレンは自分の風采を逆手に取って「チビで髪の薄いユダヤ人で、自意識は過剰」というキャラクターを作り上げた。「自嘲」することで、自分を描くことへの、風通しの悪さを軽減させることができる。

例えば、この映画で父親が「私はゲイだ」と面と向かって言われた時も、ウディ・アレンなら
「なんてこった!そんなこと言われてどんすりゃいいんだよ。こりゃひょっとすると僕も、
実はユダヤ人じゃなくて、父親はメンゲレ博士だ、なんてことになりかねないぞ!
だって僕はユダヤ人なのに、なぜかワーグナーを聴くと血が沸き立ってくるしな。
だけどそれを調べる勇気はないな。もし調べてそんな事実にブチ当たったら、きっと自殺するだろう。
自殺するためにまずは銃を買いに行こう」
くらいのことは、あの早口でまくし立ててるんじゃないか。

この映画は主人公である自分自身を相対化するような、ユーモアとかに欠けるんだよね。
自分がウディ・アレンのようなキャラじゃなければ、例えば身近な人間に、主人公に対して毒舌を吐くようなキャラを配するとかね。
ユアン・マクレガーが演じてるんだから「お前そんなイケメンのくせに、悩み持ってんじゃねーよ!」みたいな、ジャック・ブラックっぽいのが出てくればよかった。

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大体、監督のマイク・ミルズも、自分を演じるのがユアン・マクレガーって
「どんだけイケメンに投影させてんだよ!」
ってことだが。顔を見たらむしろエディ・マーサンとかが適役だろう。

大ベテランのクリストファー・プラマーは、あの歳になって男とのキスもブチューッとやってるし、熱演だが、彼のキャリアから言えばこの位の演技はサラリとこなしちゃうだろう。
アカデミー助演男優賞は獲れるのか?もうあと少しで結果が出るが。

(追記)獲ったねプラマー、おめでとう。82才という、オスカー受賞者最高齢記録更新だそう。

同い年の候補者だったマックス・フォン・シドーとどちらにも獲ってほしかったが。
それにニック・ノルティも候補に挙がってたんだね。司会のビリー・クリスタルが唸り声だけでノルティの真似をしてたのはウケた。
彼が出てる『ウォーリアー』は日本に入ってくるだろうか?たしか総合格闘技の選手の、星一徹みたいな父親を演じてるらしいが。

2012年2月28日

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