誘拐されたら力ずくで取り戻すという意志 [映画マ行]

『マシンガン・プリーチャー』

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サム・チルダースという人のことは、この映画で初めて知った。一言で言うと「でもやるんだよ!」系の人だね。
なにか物事を決断する時に、葛藤を経ないというのか、とにかく走り出してしまうんだね。こういう人には毀誉褒貶がついて回るんだろうが、多分まったく気にしちゃいないだろう。俺なんか一々周りの目が気になったりするから、こういう性格の人が羨ましくもある。


サムは元々麻薬の売人だった。悪事に手を染めることになんの躊躇もなく、刑務所を出所する際にも、係官に捨てゼリフを残してくような男だ。久々に家に戻ってみれば、家内のリンは稼ぎのいいストリッパーを辞めて、工場で働いてると言う。信仰に目覚めたからだと?ふざけやがって。

クソ面白くもないんで、バイクで酒場へ繰り出し、悪友のドニーに迎えられる。さっそくドニーと組んで、地元の麻薬の売人の住処を急襲。金を強奪した帰り道、気まぐれにヒッチハイカーを拾う。だがハイカーが車強盗だとわかると、サムはすぐさま反撃し、虫の息となったその男を道端に放置して帰宅する。
洗面所で血のついた服を洗うが、血は落ちない。
サムは家内のリンに思わず「助けてくれ」と口走った。

翌日リンの通う教会に出向き、サムは洗礼を受ける。ドニーから、あのハイカーは一命を取り留めたと聞かされた。神に救われたと感じたサムは、悪事と手を切り、地元の建設現場で汗を流すように。
その地元ペンシルベニアを大規模な竜巻が襲い、多くの家屋が倒壊した。建設ラッシュを機に、サムは会社を設立、経営もすぐに軌道に乗った。

サムに転機が訪れたのはその数年後、熱心な信者として、教会の礼拝に出ていたサムは、ウガンダからの牧師の説教に感銘を受けた。ウガンダでは子供たちが過酷な日常を送ってると言う。
サムは牧師の薦めで、現地の建設ボランティアに参加することにした。そこで出会ったスーダン人民解放軍(SPLA)のデンに案内され、スーダンの難民キャンプを訪れたサムは、悲惨な現実を目の当たりにする。
北部ウガンダと南部スーダンの村々は、神の抵抗軍(LRA)と呼ばれる武装ゲリラの襲撃を受けていた。ゲリラは子供たちを拉致し、洗脳して少年兵に仕立て上げていた。自らの手で母親を殺せと命じられる子供もいた。

難民キャンプには拉致を免れた子供たちがいた。キャンプに近い村が襲われたと聞き、サムはデンと共に現場に向かうが、そこには死体の山が。そして目の前でLRAの仕掛けた地雷に、子供が吹き飛ばされるのを見て、サムは激しいショックと怒りに見舞われる。
その日から、スーダンと故郷ペンシルベニアを往復するサムの人生が動きだした。


サムはペンシルベニアの地元の町に教会を建てた。そこは麻薬常習者や売春婦など、どんな人間も来るものを拒まなかった。
サムは自ら説教の壇上に上がった。自分が罪人だったことを率直に語り、どんな人間にでも更正のチャンスはあるのだと、熱く説いた。
建設会社の仕事や、教会への寄付金などが、ある程度まとまると、またスーダンに飛び、孤児院の建設に邁進する。だがせっかく建てた孤児院も、LRAに襲撃され、すべて灰となる。

再建するために金がかかり、孤児たちの食料や、運営費にも金がかかる。ペンシルベニアに戻り、銀行に融資を申し入れるが断られ、知人を頼って寄付をあてにするが、雀の涙ほどの小切手が。
留守の家族の面倒を頼んでたドニーにもあたり散らし、サムは抑えが利かないほどに荒れてきた。
ドニーは再び麻薬に溺れ、命を落とす。
教会での葬儀の場で、サムは「神などいない」と言い放ち、教会には人も次第に寄り付かなくなっていた。

家内のリンに相談もなく、自分の建設会社を売り払い、その金でスーダンの地に戻ったサムは、LRAとの徹底抗戦を決意する。自らサブマシンガンを手にし、危険きわまりない戦闘に身を投じる。SPLAの兵士たちからも、サムの無謀な行為への反発が生まれていた。
サムはこのスーダンの子供たちを助けようにも、何一つ状況が良くならないことへの怒りが、体中に充満してたのだ。その怒りは、LRAに拉致され、少年兵となりながら、サムたちに投降した、ひとりの少年によって、鎮められることになる。


とにかく直情型というのか、本人としては行動に迷いがないんだろうが、近くにいる人間はしんどいだろうね。
『ソーシャル・ネットワーク』のザッカーバーグと同様に、現在まだ生きて、活動を続けてる人物をモデルに描いてるわけで、本人が最後に出てくるし、ある種のPR映画と受け取られかねない内容だが。

だがサム・チルダースは

「もし、あなたの子供や大事な人が誘拐されたとして、この私が必ず連れ戻すと言ったとしたら、その方法を問うだろうか?」

と言ってる。四の五の言ってられないんだよ!という、彼のような人間でないと、状況を打破することなどできないのかも知れない。と日本人の俺は思ってしまう。

なに演じてもスパルタ人に見えてしまうジェラルド・バトラーだが、このどんどん怒りが篭もってくるようなサムの人物像には適役だったんじゃないか。
マーク・フォースターという監督は、『チョコレート』の時からそうなんだが、感情に訴えかけるのは上手いんだが、短絡的に感じる描写が目立ったりもするのだ。ただ今回の映画はモデルになってる人物が、いい意味でも悪い意味でも短絡的なんで、不思議と演出の粗として気にならなかったりする。

いつもは「電波系」の役作りで楽しませてくれるマイケル・シャノンが、サムの悪友ドニーを演じてて、無理やりサムの家族の面倒押し付けられて、戸惑いつつもリンや娘とコミットしてこうとする、健気な姿にはグッと来るものがあった。最後は可哀相すぎるよな。

2012年2月29日

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