イタリア映画からスターは出るか? [映画ア行]

『あしたのパスタはアルデンテ』

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例年ゴールデンウィークに開催され、今年で12回目を迎えるという「イタリア映画祭2012」だが、今回初めて前売りチケットを買った。こんな俺でもGWは東京を離れてることが多く、今まで一度も参加したことがなかった。
今年は多分どっか行くような予定も入らなそうだと、とりあえず7本見てみることに。

『ローマ法王の休日』 監督ナンニ・モレッティ
ローマ法王の死去を受けて、ヴァチカンに集まった候補の中から、新法王に選ばれた枢機卿が、緊張のあまりローマ市内へと逃げ出してしまうという、モレッティ久々の新作。

『至宝』 監督アンドレア・モライヨーリ
グローバル化を迫られた同族経営の食品メーカーに起きたスキャンダルを描く。『湖のほとりで』が日本公開された監督の新作。

『七つの慈しみ』 監督ジャンルカ&マッシミリアーノ・デ・セリオ
赤ん坊泥棒を働こうとする、不法移民の女性と、末期ガンの老人の予期せぬ出会い。クストリッツァ監督が絶賛したという。

『大陸』 監督エマヌエーレ・クリアレーゼ
海上で漂白中のアフリカ移民を救った、シチリアの猟師の少年の日常が一変する。今年のアカデミー外国語映画賞のイタリア代表に選ばれた。

『錆び』 監督ダニエーレ・ガッリャノーレ
田舎町に赴任してきた優秀な若い医者には、おぞましい秘密があり、子供たちはそれを嗅ぎつけていた。キングの『IT』を思わせる筋書き。

『天空のからだ』 監督アリーチェ・ロルヴァケル
スイスから生まれ故郷の南イタリアに戻った13才の少女は、カトリックの信仰厚い土地に馴染めない。カンヌの監督週間で上映された女性監督のデビュー作。

『そこにとどまるもの』 監督ジャンルカ・マリア・タヴァレッリ
監督はジョルダーナではないが、あの6時間の大作『輝ける青春』のスタッフが、今度は6時間半に渡り、現代イタリアの肖像を描く。有楽町朝日ホールの椅子では若干しんどいが。


21世紀に入ってから、イタリア映画は質的に向上が続いていて、新しい才能も次々に生まれてきているという。
「イタリア映画祭」が毎年開催され続けているというのも、その好調が背景にあるのだろう。
劇場での一般公開に結びつく例も少しづつ増えてきてるんじゃないか?
だがその中心は「良質な作家映画」であって、ミニシアターでの公開がほとんどだ。
映画ファン以外でも知ってそうなイタリア映画は『ライフ・イズ・ビューティフル』以来出てない。

それと俺が映画を見始めた70年代には、いろんなジャンルのイタリア映画が日本に入ってきてた。ハリウッドで大当たりした映画があると、そのジャンルの便乗品をバンバン作って売りに来る。
ヤマ師的なバイタリティに溢れてた。

この「イタリア映画祭」というのは朝日新聞が主催に名を列ねてることもあり、あんまりお下品な作品は選定されてきてない。
例年ラインナップだけは眺めてみるんだが、どうも俺の思う「楽しいイタリア映画」とは色合いが違ってるんだね。ただ新しい才能を目にできる機会は貴重とは思う。


イタリア映画のイメージが地味になったのは、新しいスターが出なくなったということもある。
ここで言うのはディカプリオのような、ハリウッド映画に出てる「イタリア系アメリカ人」ではなく、イタリア語でセリフを言う、イタリア映画のスターのことだ。

これはイタリアに限ったことではなく、フランスも同じ状況だ。日本で雑誌の表紙を飾ったら、売り上げが伸びるとか、興行成績が上がるとか、そういうスターがもう長く出てこない。
ハリウッドにしてからが、前述のディカプリオやジョニー・デップ、ブラッド・ピットあたりの、次の若手がいない。
今、本屋の映画雑誌を眺めてみるとわかるが、グラビアとインタビュー記事中心の雑誌は、ほとんどが日本の男女優か、韓流スターのものだ。
「邦高洋低」という言い方があるが、日本とアジアを含めると「亜高洋低」という状況だろう。
こんなことは俺が映画を見始めてから、無かったことだ。

俺が最近のイタリアの女優で名前が浮かぶのは、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』のジョヴァンナ・メッツォジョルノくらいで、男優は『家の鍵』のキム・ロッシ・スチュアートか。彼もイケメンだがなにか地味。
俺は顔で言ったら『野良犬たちの掟』でキム・ロッシを食ってたピエルフランチェスコ・ファヴィーノの、濃厚さが好きなんだが、日本の女子には許容範囲外だろうな。

そんな中で、先日相次いで見た『昼下がり、ローマの恋』『あしたのパスタはアルデンテ』の2本のイタリア映画どっちにも出てたリッカルド・スカマルチョは、日本受けしそうな最短距離にいるような気がするんだが。

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その『あしたのパスタはアルデンテ』なんだが、映画の「つかみ」となる冒頭の展開を見てて、
「なんか知ってるぞ、こういうの」と思ったら、日本映画の『祝辞』に似てたのだ。
上司の息子の結婚式で祝辞を頼まれた課長が、直前に読み上げた部長の祝辞と内容が全くカブってしまい、途方に暮れるというものだった。


リッカルド・スカマルチョ演じるのは、代々パスタを製造する会社を経営する名門一族の末っ子で、大学を出たばかりのトンマーゾ。
父親ヴィンチェンゾは、現在会社で働く長男、長女とともに、トンマーゾも交えて、ディナーで重要な提案をする予定だった。
それは息子たちに、今の共同経営者とともに、会社の後を継いでもらうというものだった。

トンマーゾはディナーの前に、工場に兄のアントニオを訪ねた。
トンマーゾは家族に秘密にしてる3つのことを、ディナーの席で告白するつもりだと言った。先に兄貴には知っておいてほしいと。
親には経営学部を受けたと言ってたが、実は文学部に学んでたこと。
会社を継ぐ気はなく、作家を目指すこと。
そして3つ目は、自分がゲイであること。
兄のアントニオは目を見開いたが、理解を示した様子だった。

ディナーの席で父親は上機嫌だった。冗談を言い、盛り上がる席を、グラスを鳴らして静めたのは、トンマーゾではなく、兄の方だった。
「30年間、言わずにいたことがある」アントニオは切り出すと
「僕はゲイだ」
父親ヴィンチェンゾは、最初ジョークと笑ったが、本気とわかると激怒し、即刻アントニオを勘当。
その場で卒倒してしまう。
トンマーゾは呆然とするしかなかった。

病院に担ぎこまれた父親を見て、もう今さら告白などできない。
トンマーゾは「おまえだけが頼りだ」と言われ、自分の気持ちを抑えて、工場に出勤することに。
そんな彼の前に、共同経営者の娘アルバが現れる。アルバは感情のまま動く所がある、掴みどころのない娘だったが、共に仕事をするうちに、心を開ける間柄になってく。
だがトンマーゾは、ローマに「彼氏」のマルコを残してきてる。なかなか戻ってこないと電話で責められる毎日。
そして業を煮やしたマルコが、ローマから「男友達」を引き連れて、トンマーゾの家にやってきた。


監督のフェルザン・オズペテクは自らゲイであると表明してるそうで、マルコが男友達とやってきてからは、もうなんだかパンツ一丁の男たちがはしゃいでる場面がやたら出てくるし
「しまった…俺の映画ではなかった」と思ったのも後の祭りだ。
せっかく映画の前半で、共同経営者の娘アルバが颯爽と現われ、長ーい足も露わにヒールを履きかえる場面とかあって、「これは俺の映画か!」と身を乗り出したんだが。
アルバを演じるニコール・グリマウドが、スタイルいいし、笑顔も可愛いのにねえ。

トンマーゾには姉もいるが、姉には長男アントニオだけじゃなく、自分もゲイなんだと告白してる。
姉のエレナが後になって、トンマーゾに
「兄弟ふたりともゲイってことは、私もレズなのかもって考えこんだけど、やっぱり女性はムリって思ったわ」
と話すのが可笑しかった。

この一族には祖母がいて、みなから「おばあちゃん」と呼ばれてるから、映画で名前はでてこないんだが、彼女は望まない結婚を強いられたことを、ずっと後悔して生きてきた。
「叶わない恋は終わらない。一生続くのよ」
イタリア映画には度々、こうした大家族の風景が描かれる。そして家族の素晴らしさが謳われるんだが、このおばあちゃんは、孫のトンマーゾに、家族のために自分を偽って生きる必要はないと、背中を押す。
映画はジェンダーの問題も含めて「居心地の悪いままで、人生をやり過ごすべきじゃない」という前向きなメッセージを塗りこめている。

ブーツの形になぞらえたイタリアの、踵の先端あたりに位置する、南イタリアのレッチェという町が舞台で、濃厚で鮮やかな光線の具合とか、バロック建築の町並みとか、風景も目を楽しませてくれる。

2012年3月29日

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