こんな依存症はイヤだ!イヤじゃない? [映画サ行]

『SHAME シェイム』

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この映画はR-18指定だったんで、文章も同じ指定ということで。

「仕事以外の時間をすべてセックスに費やしてる男」をマイケル・ファスヴェンダーが演じてるわけだが、そんな男の気持ちがわかるわけないだろー。
むしろそんな絶倫になってみたいわ、いや、やっぱり大変そうだからいいや。

映画では主人公ブランドンの「セックス依存」の原因を、仄めかす程度にしか描いてない。
彼が暮らす高級そうなアパートに、「恋人に捨てられたあー」状態の妹シシーが転がりこんでくるんだが、どうもその妹との過去にもなんかしらあるらしい。
セックスはするけど、人は愛せない。少しでも好意を持った相手としようとすると勃たなくなる。
でもすぐに催すから、縁もゆかりもない相手を見つけてする。

仕事中はさすがにセックスできないんで、パソコンでエロ動画拾いまくって、トイレ入って抜く。
だが会社のパソコンを一斉にウィルス検査に出され、ハードディスクがエロまみれということが、上司にバレる。
でもその上司は妹シシーとヤッてるので、お咎めはなし。
なんだこれコメディかよ。
この間新聞に出てたけど、咎められて停職になってた人いたな。

しかしこれだけ間断なく、したくてしょーがない状態というのは、オナニー覚えたての中1くらいの時期しかなかったぞ。ブランドンの場合は万年「中1」ってことだよな。
覚えたての頃は確かに大変だったな。学校帰ってきて、母親が買い物行ってると、その間に一発抜いとく。そんで夜に布団ん中でもう一発。それほぼ毎日のローテーション。
ウチはスーパーが歩いて5分位の所にあったから、けっこう母親が帰って来るのが早くて往生したよ。

中1の頃なんて、いまの十代みたいに身近にエロなんてないわけよ。パソコンなんかもちろん無いし。だからまず材料探しが大変。だいたい親父の買ってきた週刊誌の官能小説だったり。
今じゃ考えられないが「宇能鴻一郎で抜く」みたいな。

ブランドンみたいに会社のトイレで抜いたことあるよ。
20代の頃、映像制作会社に勤めてたんだが、もう徹夜続きでろくすっぽ家にも帰れないし、溜まるしで、徹夜明けに思い余って抜いた。
あれはなんでだろうな、寝てない状態でやると快感が倍増するという。
あの時は目の前が白くなりかけて、あのまま気絶してたらと思うとゾッとする。

そんなことで、細かい部分では、このブランドンの行為もわからんこともないんだが、セックスをしてもしても満たされないというのは、俺にはわからない。セックスをすれば、男は射精するから一時的には「空虚感」というか、気の抜ける感じにはなる。だがその後でじわじわと満ち足りた気分になってくものだ。
俺はセックス自体もいたってふつうだ。前戯は長めかもしれない。
「長め」というのは自分に優しい表現で、「くどい」と思われてたフシはある。
足の指を舐められて、誰しもが気持ちいいと思うわけではないらしいことは、少ない経験から学んだ。
しょーがないんだよ、足フェチとしちゃ、そこをスルーして先には進めないんだから。

こんなこと書くと「キモい」とか「ドン引き」とか「ヘンタイ」とか思われるんだろうが、それは仕方ない。
だけどよくブログとか眺めてると、「おっぱい大好き」とか「やっぱお尻でしょう」とか書いてる人いるよね。あれは書いても「安全圏」だと知ってて書いてるんだと思う。
男がおっぱいとかお尻とか好きと表明しても、その位は女性にもわかってもらえる範囲だと。
「どーせ男っておっぱい好きなんでしょ?」
と軽く呆れられる程度と計算してるんだよな。敢えてそれを書くのは
「俺って堅物なわけじゃなくて、おっぱい好きな、くだけた人柄だよ」アピールだね。

でもそれ以外のフェチは引かれると思ってるんだろ?
でもなフェチなんてのは、仄暗い性癖であって、カラッと明るく表明するようなもんじゃないよ。
口に出したら「キモい!」と反応されるのを承知で書く覚悟はあるのか?ってことだ。
うーむ、俺は一体何を書いてるんださっきから。
外は春の嵐ですんごい事になってるが。


映画に戻すと、妹シシーを演じてるのがキャリー・マリガンだ。
昨日コメント入れた『ドライヴ』では可憐な感じだったが、この映画では兄と対照的な「恋愛依存の女」を表現するためか、お腹まわりに肉をつけた上で、裸体を晒していて、根性あるね。

その妹シシーに、洗面所で抜いてる所を見られたブランドンが、逆ギレして
「なんでおまえここにきたんだよお!」
と、掴みかかって、ソファーに押し倒すんだが、その時パンツが膝まで下りてて、ケツが丸出しになってるという、ファスヴェンダーえらいわ、そんな格好までして。

ファスヴェンダーがここまでしても構わないと思ってるのは、監督のスティーヴ・マックィーンに全幅の信頼を寄せてるからだ。
それはこの監督との前作『HUNGER』を見れば納得できるんだが、おととしの東京国際映画祭で上映されたきり、日本での一般公開が未だ実現してないんで。
『HUNGER』では実在したIRAの活動家が、刑務所内でハンガーストライキを敢行する過程を、ファスヴェンダーがギリギリまで体を痩せ細らせて演じていて、監督は余計な装飾を排して描いていた。
「この監督は小細工をしない」ということが役者魂に火を点けるんだろう。
「一生組んでいきたい」とまで言ってる。

キャリー・マリガンがナイトクラブで兄の見つめる前で「ニューヨーク、ニューヨーク」をジャズバラード風に歌う場面も、フルコーラス歌わせてる。「全部歌うのかよ」と思った人もいるだろうが、それがこの監督の演出なのだ。
あれ本人が歌ってるっていうんだけど、彼女上手いな。

セックスだけではイカンと感じたブランドンが、同僚のマリアンをディナーに誘う場面があるが、会話が微妙に噛みあわない、ぎこちない空気のテーブルの風景を、カットかけずに見つめてる。
日常生活では、どんな空気になってもカットかけるなんてことないよね。
映画見てて「カットかけた後、どんな会話が交わされてるだろうか?」と、そんなことに関心がある人なら、この映画は楽しめると思う。

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あとは一も二もなくマイケル・ファスヴェンダーで成立してる映画だ。これだけザーメンまみれな主人公を演じながら、汚らしさがないのは、今まさに乗っている役者の色気というものが、それを凌駕してるからだろう。
セックスアピールというのとはちょっと違うのだ。
女も男も問わず、目を惹きつける「役者の色気」というものだと思う。

監督はファスヴェンダーに『ラストタンゴ・イン・パリ』を参考に見とくように言ったそうだが、この映画の青白いニューヨークの風景も美しい。

2012年4月4日

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