肝心な所を描いてないマイケル・マンの娘の監督作 [映画カ行]

『キリング・フィールズ 失踪地帯』

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ヒューマントラストシネマ渋谷で継続中の「未体験ゾーンの映画たち2012」の上映作で、俺としては 『タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら』に次ぐ2本目。
監督はマイケル・マンの娘で、父親が製作を買って出てるのは、先日コメントした『汚れなき情事』と同じパターン。
まず画面が暗い。夜の場面が多いからだ。父親のマイケル・マンも夜の場面を好んで撮ってるが、父親の映画の場合はほとんど都会が舞台なので、夜といっても様々な灯りが映るし、それが画面に色気を与えもする。
だがこの映画はテキサスの田舎が舞台なんで、夜の灯り自体が乏しく、ただ暗い画面が続くだけだ。
そこですでにかったるくなってくる。


3人の刑事が登場する。サム・ワーシントン演じるマイクはテキサスシティの殺人課刑事。父親も同じ職にあった。コンビを組むのは彼より年上で、ニューヨーク市警から転属されたブライアン。
ジェフリー・ディーン・モーガンという役者は知らなかったが、TVドラマ『グレイズ・アナトミー』で脚光浴びた人だそう。ヒゲをたくわえたハビエル・バルデムのような印象。
もう一人同僚の女性刑事パムを演じるのが、もう今年3本目の公開作となるジェシカ・チャスティン。
マイクとパムは離婚した間柄で、職務上もなにかにつけ、反目しあってる。

マイクと相棒のブライアンは、売春をしていた少女が殺害され、無残な遺体となって発見されたとの報を受け、捜査を始める。その過程で母親が男を連れこんで売春をしてる家に聞き込みに入る。
その家の娘アンを演じてるのが、クロエ・グレース・モレッツだ。彼女はいかにも怪しそうな風貌の兄と、その家に入り浸る兄の友達と同居していた。
同じ頃パムは別の少女の失踪事件を追っていて、マイクたちに救援を頼むが、マイクは忙しいと断る。
その少女はテキサスシティから少し離れた湿地帯で遺体となって発見される。

連続殺人事件として、容疑者の目星をつけたマイクは、地元のポン引きの黒人男と、マスタングに乗り、道行く少女に声をかけてるという白人の男を追う。
だがニューヨーク市警から来たブライアンは、このテキサスの湿地帯で、何十年にも渡って女性被害者の死体が上がり続けてることにショックを受ける。マイクと捜査を行ってる殺人事件は管轄内で起きたものだが、湿地帯で発見された死体は、彼らの管轄外だ。
だがブライアンは、地元で「キリング・フィールズ」と呼ばれる、湿地帯で死体で発見された被害者の女性たちのことが、頭から離れなくなってしまう。

ブライアンは聞き込みで訪れた家の娘アンのことを気にかけていた。思春期の少女が暮らすには、あの家は過酷すぎる。ブライアンは非番の日にアンに声をかけ、自分の家へ。妻や子供との食事の場に招き、アンに家族の温もりを味わってもらおうと。
だがそのアンも失踪してしまう。ブライアンは単独でアンの行方を追い、あてどもなく広大な「キリング・フィールズ」の中へと分け入っていく。


この脚本も問題だな。どこに焦点を合わせたいのか、まずわからない。
マイクとブライアン、同僚のパムが一丸となって連続殺人事件を追うという展開にならない。
ブライアンは悩み始めちゃうし、マイクとパムは夫婦喧嘩の延長戦みたいなことを繰り返してるし。
夫婦のいざこざほど、どーでもいいことはないんだよ。
テレビでせっかく盛り上がる場面なのに、「どこそこ県知事当選しました」の速報テロップ、
あれくらいどーでもいいのよ。

ほんと「キリング・フィールズ」はどうなっとるのかと。


映画は実話ではないが、実際に1960年代以降、このテキサスの湿地帯では断続的に、殺害されてとおぼしき死体が上がり続けてるという。
犯人は単独でも一世代でもなく、綿綿とそこに死体を捨てる、あるいはその場所で殺害に及ぶという行為が繰り返されてきてる場所ということだ。

見る側の興味としては、それがどんな場所なのか、それが俯瞰できるような描写がまず欲しい。
「ああ、ここなら死体も捨てたくなるだろうなあ」という絶望感が感じられるような。
そこで犯人がどんなプロセスで、殺害に及び、また遺体を捨てに来るのか、そこが描かれてないと、「キリング・フィールズ」という地帯のおぞましさが感じとれない。
死体が上がった後の描写しかないのだ。

主演はサム・ワーシントンだから、マイクが話の中心にいるのかと思うと、相棒の中年刑事ブライアンの人物描写に重きが置かれてくるし。正直女性刑事パムはいらんし。
なんか見てるこっちが映画の方向を見定められなくて、失踪した気分になってしまうのだ。

「犯人は近くにいたんだね」という結末にしても、ミスリードしてるつもりの描写がたっぷりあるんだが、単に無駄な感じに思えてしまう。
父親のマイケル・マンは娘の演出にアドバイス送ったりしただろうが、まず脚本の不備に意見すべきだったんじゃないか?


アミ・カナーン・マン監督は女優の撮り方が、父親と似てるかなと思った。
女優が笑顔をほとんど見せないのは、父親の映画の女性像を思わせる。
アンの母親をシェリル・リーが演じてるんだが、「美人が荒むとこうなる」という表情で、
あの「世界一美しい死体」と呼ばれた『ツイン・ピークス』から隔世の感だ。
クロエもジェシカ・チャスティンもほぼ笑わない。
ブライアンの妻を演じてるのが、若い頃『ミスティック・ピザ』でジュリア・ロバーツと主演を分け合ってたアナベス・ギッシュだが、彼女も昔の柔らかい表情ではない。

この映画に出てくる女性たちは、一様に表情が暗いのだ。
そのことは映画を見てて一番印象に残るところだ。
サム・ワーシントンは可も無く不可も無くな感じだが、ラストカットの表情はよかった。

2012年4月29日

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