洋画離れが進んでるという [映画雑感]

昨日のブログでフィルムセンターでやってる催しのことに触れた。
「ロードショーとスクリーン 外国映画ブームの時代」のことだ。
1970年代は興行的にも洋画のシェアが高かった時代だった。

キネマ旬報で映画ジャーナリストの大高宏雄と、ビデオ業界紙に携わる林健太郎の対談が出ていた。
2008年以降、洋画と邦画の興行成績が逆転しているという現象に対する考察をしてる。
これは「キネ旬 大高」と検索すればネットでもその内容が読める。


俺が『戦火の馬』のコメントの中で、映画館に来てるのは自分より年配ばかりと書いたが、この対談の中でも同じ発言がある。ただあれは、映画が扱う時代背景もあるし、俺の場合は銀座という場所の土地柄も関係してると思ってたが、シネコンを巡ってても、洋画の場合は若い人たちの比率が低いような印象はある。
ということより先に客が入ってないよ。

俺がここ最近でコメント入れた中でも、映画館でわりかし入ってるなと思ったのは
『ブライズメイズ…』と『ファミリー・ツリー』と『別離』くらい。
『ダーク・シャドウ』も『バッド・ティーチャー』も『キラー・エリート』もガラガラ。コメント入れてないけど、見てはいる『ジョン・カーター』も『タイタンの逆襲』もほんとに客はいなかった。
シネコンは明らかに供給過剰な状態なのだ。

その原因について対談の中でいくつか挙げられていて、「まあ、そうなんだろう」と読んでて思う。
俺自身が定点観測的に映画を見続けてきて感じるのは、特にハリウッド映画がいろんな意味で、日本人の特に若い世代の嗜好とか、関心あるものに対して、アジャストしなくなってきてるんじゃないかということだ。

そのひとつが前にも書いたが「新しいスターの不在」だ。
洋画のシェアが高かった時代には、その時代を飾るアメリカ映画のスターが必ず存在してた。
現在ジョニー・デップ、ブラッド・ピット、ディカプリオ、キアヌ・リーヴスあたりを最後に、その下の世代で名前があがるスターがいない。
今挙げたスターのうちジョニー・デップとブラッド・ピットは、来年には50才になるのだ。
20代30代で女性から黄色い声援を浴びるようなスターが出てこない。
近年の韓流スターのブームというのは、その不在を埋めるような形で生まれてきたのでは?

実際にはハリウッド映画の大作に主演する若い役者はいる。だが『ジョン・カーター』と『バトルシップ』立て続けに主役を張ったテイラー・キッチュにしろ、『タイタンの逆襲』『アバター』のサム・ワーシントンにしろ、少なくとも日本の女性にウケるルックスではない。

他にもシャイア・ラブーフであれ、エミール・ハーシュであれ、チャニング・テイタムであれ、ロバート・パティンソンであれ、それぞれ個性は感じるとはいえ、その名前をバンと出して、日本で客を呼べる存在ではない。

アメリカ国内では主にテレビから新しいスターやアイドルが生まれてる。ディズニー・チャンネルなどはその最たる所だが、セリーナ・ゴメスやジョナス・ブラザースといったアイドルが、日本でブレイクする気配はない。

その要因として、アメリカ国内の特に西海岸で、ヒスパニック系の人口が増えてることがある。それに伴いラテン系のスターやアイドルが生まれてきてるし、また業界もそこに力を入れてるのが見える。
日本ではラテン系の濃さはいまいち受けない。

女優も同様で、アマンダ・セイフリッドやクリステン・スチュアートやエマ・ストーンのようなルックスは、日本の男たちにはウケないだろう。
そういったスターのルックス的嗜好が、日本とアメリカではズレてきてる。


もう一つは企画される映画そのものだ。『ジョン・カーター』は、SFの古典であるエドガー・ライス・バロウズの『火星のプリンセス』の映画化だが、どの位の人間がその原作を知ってるのだろう。
それは盛んに作られる「アメコミ・ヒーロー」映画にも言えることだ。
アメリカ人はキャラクターに子供の頃から馴染んでるが、日本人はちがう。

アメリカでは現在アメコミヒーロー大集合みたいな『アベンジャーズ』が記録的なヒットとなっており、『ダークナイト』の興行収入を抜くのではと見られてるが、その『ダークナイト』もアメコミだ。
『ダークナイト』は日本では大ヒットとはならず、『アベンジャーズ』も本国の期待ほどには、日本では伸びないと予想する。

そもそも今の10代20代の若い世代が、アメコミにどれほどの思い入れがあるのか。
メディアで盛り上がってるのは、例えば「映画秘宝」に携わる40代前後のライターたち「中年世代」が主で、洋書店などで、昔からアメコミを買って、キャラクターに対する下地ができてた世代だ。


近年の日本映画への批判としてよく挙がるのは、テレビ局による、テレビドラマの映画化の量産ということだが、ハリウッドだってやってることは変わらないのだ。
テレビドラマの映画化作品に、日本の観客が集まるのは、そのテレビドラマを見ていて、下地が出来てるからだ。
ハリウッド映画界が近年さかんにやってるのは、「アメコミ」などのキャラクターもの、過去に大ヒットした映画の続編や前日譚、あるいはリメイクなど、やはり観客に下地があるという条件を担保にしてるのだ。
同じ方法論で作られてるなら、日本の観客はより身近な、日本のテレビドラマの映画化作品を選ぶだろう。ハリウッド映画の方が、邦画の10倍以上は金がかかっていて、見せ場も派手であっても、そこはもう重視されなくなってる気がするね。

『E.T.』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は大ヒットしたけど、どちらの映画も、その映画を見るための下地なんか必要なかった。誰にでも楽しめる内容だったのだ。


あとこれは俺自身の嗜好に通じてるんで、書きにくいことなんだが、近年のアメリカ映画のクリエイターたちの、ある種の「懐古趣味」がある。
70年代~80年代が「オールディーズ」になりつつあって、映画の細かいネタであるとか、挿入される楽曲であるとか、その年代のものが目立つようになってきた。
アダム・サンドラーやベン・スティラーなど、特にコメディ畑のスターたちにその傾向が強い。
映画業界でも、実績を積んで、自分で作品をコントロールできる年代というと、30代後半から40代くらいにはなるだろう。
人間中年になってくると、自分の趣味を入れたくなってくるもんなのだ。
それは「自分語り」ということでもある。

俺もこのブログでさんざんそれをやってるようなものなんだが、 ブログは個人の範囲だが、映画はマスを対象にするわけだからね。
俺のような、10代20代からすれば「じいさん」世代の人間は喜んでも、彼ら若い世代は関係ないことだし。つまり映画が「自分たちに向けて作られてない」という思いを、若い人たちは感じていはしないか?ということだ。


ハリウッドは80年代~90年代には、スターのギャラが制作費の大きな部分を占めるというような状態になってて、2000年以降はその歪な状態を脱したことは良かったと思うのだが、今度はそのギャラの分も特殊効果などに使えるぞと、「見世物」的要素を高めていった。
結果『アバター』まで行き着いてしまうと、どんな絵を作っても「でもCGじゃん」で済まされるようになってしまった。
もう「絵」で驚くということもほとんどないのだ。


ハリウッド映画は「産業」だから、大作で外貨を稼ぐという命題は外せないまでも、もう少しスモール・プロダクションにシフトしてってもいいんじゃないか?
例えばジョニー・デップと、無名時代のディカプリオが兄弟を演じた『ギルバート・グレイプ』のような、若いスターを通して「共感」を得られるような、そういうドラマがもっと増えるべきなのだ。

2012年5月30日

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