カウリスマキのとことんイイ話 [映画ラ行]

『ル・アーヴルの靴みがき』

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カウリスマキ監督の映画はすべて見てるわけではない。
近作の『街のあかり』も『過去のない男』も見逃したままだ。
スクリーンで見る機会を逃がすと、DVDとかで見とこうという気持ちにならないタイプの映画なのだ、彼の映画は。やっぱり見るからにはスクリーンで見たい。

それと完全に自分のタッチが固まってる監督だから、
「俺は今回見逃しちゃったが、いつもと変わらずにやってくれてるのだろう」と、
「便りがないのは元気な証拠」みたいな親気分に落ち着いてしまう所もある。

だがこの『ル・アーヴルの靴みがき』を見て、画作りとか、役者の演技とかは、いつものカウリスマキと思うものの、ストーリーが随分とポジティヴになってたのは、ちょっと驚いた。
フィンランドを出て、フランスの港町で撮影されてるという、環境が変わったこともあるのか。

なにより以前のカウリスマキの映画は、主人公や、主人公の夫婦なり、カップルなりにフォーカスしていて、彼らの人生の浮き沈みを見つめてたのだが、今回の主人公は赤の他人のために、なにかしようと動き出すのだ。


港町ル・アーブルを地図で見てみると、パリからセーヌ河を下って海に至るその出口にあたる。
主人公の、見た目60は過ぎてるマルセルは、若い頃は芸術家を気取って、パリで自由気ままに暮らしてたが、今はイギリス海峡を望む港町ル・アーブルで、しがない靴みがきの身だ。

今日び革靴を履く人間も少なく、高級靴店の店先で客を待つと、店主から「このテロリスト!」などと、訳のわからない暴言を吐かれ、追い払われる。
これで生計立てられるのかと思うが、マルセルには「弟子」もいるのだ。ベトナム人の若者で、8年かけて身分証を手に入れた。だがそれは中国人のもので、だから彼はチャンと名乗ってる。

靴みがきの仕事は夜の方が実入りがいいので、それまでは地元のカフェでやり過ごす。女主人のクレールをはじめ、客はみな顔なじみだ。
甲斐性があるとはいえないマルセルだが、口数は少ないが情の深い妻のアルレッティが、愛犬のライカとともに、帰りを待ってる。ふたりには子供はいなかった。
晴れがましいことなど何も起きないが、それなりに幸せを感じて生活してたマルセルだが、妻のアルレッティが、腹痛を訴え、入院してしまう。

アルレッティは医者から「治る見込みのないガン」と宣告される。
医者は家族に伝える義務があると言ったが、アルレッティは、夫には辛すぎると、医者に懇願する。
本当のことは言わないでと。


港が騒がしくなってた。アフリカからの不法移民が隠れたコンテナが陸揚げされたのだ。コンテナはイギリスの港に着くはずだったが、手違いが生じたようだ。
コンテナを開けた時、少年がひとり逃げ出した。
警官が銃を構えて追おうとするが、モネ警視は「子供だぞ」と制止した。

マルセルはサンドウィッチを買って、港の埠頭で食べようと、ふと海面に目を落とすと、黒人の少年が水に浸かって潜んでいた。フランス語が話せた。
「ロンドンはどこ?」
「海の向こうだよ」
「腹へってるか?」
少年が頷くと、マルセルはサンドウィッチを階段に置いて立ち去った。

仕事を終えて妻のいない家に戻ると、愛犬のライカが吠えてる。様子を見にいくと、庭先の物置の中に、あの少年が潜んでるではないか。
マルセルはとりあえず、この少年を匿うことにした。
少年はイドリッサという名で、ロンドンにいる母親のもとに行くつもりだった。イドリッサはあの日、コンテナで祖父と離れ離れになった。


マルセルは祖父が送られた難民キャンプを訪ねることにした。自分でもなんでこの少年の助けになろうとしてるのか、だがしなくてはいられなかったのだ。
いつもツケで甘えている、近所のパン屋の女主人イヴェットに事の次第を話すと、彼女は快くイドリッサを預かってくれた。
バスに長い時間揺られて難民キャンプを訪れ、イドリッサの祖父と面会したマルセルは、孫をロンドンの母親のもとに届けると約束を交わす。

そうは言っても、船の密航費は3000ユーロもかかると知る。
弟子のチャンは貯金があるから使えと言ってくれた。結婚資金だという。相手はまだいないのだが。

マルセルが不法移民の少年を匿ってることは、すでにカフェや、近所の住人を知る所となってたが、みんなマルセルの行為に協力した。
だがただ一人それを快く思ってない住人がいて、その通報を得て、モネ警視がマルセルの周辺を嗅ぎ回り始めた。
住民たちのカンパを集めても、とうてい密航費には足りない。マルセルは一計を案じた。
マルセルが少年のために奔走してる頃、妻のアルレッティの容態は日に日に悪くなっていた。

ルアーブルの靴磨き.jpg

この映画とほぼ同じストーリー設定だったのが、一昨年の末に日本で公開されたフランス映画
『君を想って海をゆく』だ。
この映画の舞台ル・アーブルより北に向かい、ベルギーとの国境に近いカレーという港町が舞台となってた。
ドーバー海峡沿いにあり、ここから泳いでイギリスへと渡ろうとしたクルド難民の少年と、彼を手助けすることになる、地元の市民プールのコーチの関わりを描いていた。
このクルド人少年は、ロンドンに移住した恋人に会おうという一心だったのだ。
ストーリー設定は似てるが、内容はフランスの移民政策の現状を反映した、シビアなものだった。
結末もほろ苦い。


対してこのカウリスマキの新作は、「おとぎ話」かと思えるほどの、ポジティヴさと、人の善意をてらいなく描いている。
以前のカウリスマキなら、いい話にするにしても、正面きってやるのは照れくさいという風情があった。
それは世の中浮かれた人間が多いけど、運に見放されたり、事故に見舞われたり、しんどい思いを抱えて生きてる人達もいるんだよという視線でもあった。

だが今、ヨーロッパを見回しても、いや世界を見回しても、浮かれてるどころか、みんなうな垂れてる顔ばかりになってしまった。
カウリスマキは、もう照れてる場合じゃないなと感じたんだろうか。
「こうあってほしい」ということを、正面きって映画で語るのだ、そんな意思表示に思えた。
見終わって「ああ、よかったなあ」と素直に言える。

役者はみんないいけど、妻のアルレッティを演じるカティ・オウティネン。
1986年の『パラダイスの夕暮れ』以来、カウリスマキ映画のヒロインであり続けてるけど、彼女もこの映画の時には50才だ。正直50にしては老けてるなと感じるんだが、逆に『マッチ工場の少女』の時は「少女」と言うものの、すでに彼女は29才だったのだ。実年齢がわからない感じがあるね。
その彼女だが、相変わらず無表情だけど、なんか見てると胸に込み上げてくるものがある。
なんでかな。

少年イドリッサが、マルセルの代わりに病室に妻への届け物を持ってく場面がある。
そこでふたりは初めて顔を会わすのだ。
「あなたは誰?」
「友達です」
「マルセルといつから?」
「2週間前から」
そのやりとりの後に握手をする。いい場面だったなあ。

マルセルの弟子のベトナム人を演じてる役者もよかった。ベトナム人だけど、カウリスマキ映画の住人のように、淋しげ気な目をしてた。

映画の終盤にコンサートの場面が出てくるんだが、ル・アーブル在住で、「伝説」のロックンローラー、リトル・ボブという人。カウリスマキが大ファンらしく、俺は初めて知ったが、ブライアン・セッツァーと雰囲気が似てるかな。

カウリスマキの映画では、乗り物も魅力的に撮られていることが多く、『浮き雲』の市電だったか、あれも色かたちといい美しかったが、この映画でもル・アーブルの街中を走る乗り合いバスがいいんだよなあ。
フロント部分のジュラルミンの板とかたまらない。あんないかしたデザインのバスが走ってるのかフランスは。

そうそう、この映画のパンフだが、少年イドリッサの着てるセーターの柄を模した表紙になっていて、中のカラーの場面スチルも美しく、素敵な仕上がりになってる。

2012年6月4日

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