弟チャーリーにも巡礼させたかったんじゃないか? [映画ハ行]

『星の旅人たち』

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フランスから、ピレネー山脈を越えて、スペインまでの800キロを、ひたすら歩く「聖地サンティアゴ巡礼」は、過去に2005年の『サン・ジャックへの道』でも描かれていた。

この『星の旅人たち』は、実際に敬虔なカソリック信者としても有名なマーティン・シーンが、巡礼の旅の途中で、不慮の死を遂げた息子の遺灰を抱いて、同じ道を踏破しようとする父親を演じるドラマ。
宗教的な臭みはなく、それぞれに思いを抱いて巡礼に臨む人々との交流を、マーティンの実の息子のエミリオ・エステベスが監督し、平易な筆致で綴っていく。

おせっかいだが憎めないオランダ人の大男と、DV夫のトラウマを抱えたカナダ人の元人妻、巡礼者のエピソードを、本にしようと目論むアイルランド人ジャーナリスト。
マーティン・シーン演じる70代の眼科医と、3人の旅の道連れが織り成すドラマは、やや図式的というか、際立った見せ場があるわけではない。
だがベタついた感傷に流されないので、後味は悪くない。

現在「ヒューマントラストシネマ有楽町」で上映してるが、水曜の「1000円鑑賞デー」とはいえ、ほぼ満席の入りだった。俺は舐めてたんで、15分前位に行ったら、もう席は前の方しかなかった。


ここでは映画の内容のことより、エミリオ・エステベスと、父親マーティン・シーンのことを書こうと思う。

『地獄の黙示録』はウィラード大尉の、徹底した「傍観者」キャラに惚れ込んで、1980年の初公開時には、テアトル東京はじめ、都内の映画館を5館くらい見て回った。
その公開の3年ほど前から「コッポラの戦争大作には新人が主役に抜擢されてる」と伝えられてた。
映画自体は遅々として完成を見ないので、その間にマーティン・シーンの出演作が、劇場やテレビ放映などで、次々に紹介された。

彼は当時日本では無名だったが、1973年のテレンス・マリック監督のデビュー作
『BADLANDS』に主演したことで、海外では知名度が上がってたようだ。
その作品が『地獄の黙示録』に便乗するような『地獄の逃避行』という題名で、TBSの深夜に放映されたのもこの時期だった。

以前にこのブログで紹介した『カリフォルニア・キッド(連続殺人警官)』や、敵前逃亡の罪で処刑された、実在の兵士を演じた『兵士スロビクの銃殺』などの、印象深いTVムービーもあった。
1967年に彼が脇役で出た『ある戦慄』も、「トラウマ映画館」の著者・町山智浩と同じように、俺もこの時期にテレビの深夜放映で見て衝撃を受けた。

劇場公開作においては、『地獄の逃避行』の設定を模した、『ふたりだけの森』が1977年に公開されてる。主演はリンダ・ブレアで、元はTVムービーの作品だ。
同じ年にはジョディ・フォスター主演の『白い家の少女』で、最後に毒を盛られて絶命する男を演じてた。『地獄の逃避行』で共演したシシー・スペイセクも当時十代で、マーティンは少女とばかり出てる「ロリコン系」役者みたいなイメージつきかねない感じだった。

俺はマーティン・シーンの70年代の出演作は、ロバート・ケネディを演じたTVムービー『十月のミサイル』に至るまで、劇場公開作もテレビ放映作も、すべて見てると言っていい。
なのでこの役者には思い入れがあるのだ。


いよいよ『地獄の黙示録』も公開となり、マーティン・シーンのキャリアも華やかになってくのかと思ったが、その後は目ぼしい主演作は続かなかった。
彼は『地獄の黙示録』の撮影時に、あまりの過酷な環境で心臓発作に見舞われ、生死をさまよう経験をしてる。役者としての仕事に疲弊してしまったようで、1980年代以降は、役者としての野心を感じられなくなった。

元々彼は「演技賞」的なものには興味がないのだ。『地獄の逃避行』で、サンセバスチャン映画祭で主演男優賞に選ばれた折りにも、受賞を辞退してる。
それは前年の1972年に『激怒』で共演したジョージ・C・スコットの影響に拠る所が大きかった。
ジョージ・C・スコットは『パットン大戦車軍団』でアカデミー主演男優賞に選ばれながら、それを辞退してたのだ。
「俳優は演技の優劣を競うために役を演じてるのではない」
という、その考え方にマーティンも共鳴したのだ。


長男のエミリオは、父親が疲弊してた時期の、80年代前半に、役者としてのキャリアをスタートさせてる。
ちょうど80年代青春映画ブームで「ブラッドパック」の一員として、すぐに人気を博すが、エミリオは「キレるとやばい」という若者を演じることを好んだ。
これは父親が『地獄の逃避行』で演じた殺人犯キットのイメージを追ってるのだ。

そして1986年には、早くも監督第1作で主演も兼ねた『ウィズダム/夢のかけら』を発表。犯罪をおかして逃亡するカップルという、『地獄の逃避行』にオマージュ捧げるような設定の青春映画になってた。

1996年の監督3作目の『THE WAR/戦場の記憶』では、父親マーティン・シーンと「親子」の役で共演を果たしている。戦場で心に深い傷を負った若い帰還兵の物語は、やはり父親の
『兵士スロビクの銃殺』につながりを感じる。
エミリオは役者としては、父親マーティンのキャリアを追体験するように、演じてきたのではないか。
そして父親のキャリアをリスペクトしてる。

2006年の監督5作目となる『ボビー』は、ロバート・ケネディが暗殺された当日の、アンバサダー・ホテルに居合わせた人々を描いた群像劇だが、ここでも父親をホテルマンとして出演させてる。

これは身内だからということではなく、前述した『十月のミサイル』で、父親マーティンが、ボビーを演じていたということを踏まえてのものだろう。
ちなみにマーティンは1983年のTVミニシリーズ『ケネディ』でJFKも演じてるのだ。
マーティン・シーン近年の代表作となった、TVドラマ『ザ・ホワイトハウス』でのバートレット大統領役など、今や「アメリカで一番、大統領が似合う役者」となった。

だが皮肉にもアメリカ国民としてのマーティンは、反核や人権問題などデモ活動の常連で、67回の逮捕歴を誇るような、「体制に楯突く」立場なのだ。

エミリオは『星の旅人たち』のパンフに掲載されてるインタビューの中で、80年代以降の父親の役者としてのキャリアは、家族を養うために、役を選ばず出たようなものが多く、それもあってベテランの職業俳優に見られてると述べてる。
マーティンの関心が役者業より、社会の問題に向いていったということもあるだろう。

エミリオとしたら、父親の、役者としての本領を示すような映画を作ろうという心積もりがあったようだ。ここまで父親を敬愛する息子がいるだろうか?と思うよね。


この『星の旅人たち』でエミリオは、母親の死後に父親と疎遠となったまま、旅先で不慮の死を遂げる息子を演じてる。
ロスで眼科医を営む父親は、旅先の地フランスを訪れ、息子がスペインのサンティアゴ大聖堂を目指す「巡礼の旅」の途中だったことを知り、遺体を火葬にし、その遺灰を抱えて、同じ巡礼の道を辿ることにする。
自分が監督をして、死んだ息子として出演し、実の父親に「父親」を演じてもらい、自分の遺灰を運ばせる。映画とはいえ、演じるマーティン・シーンは、どんな心境だったんだろうか。
エミリオは、父親の巡礼の旅の先々で、ふとした瞬間に幻影として父親の前に現れたりもする。

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これは映画だが、エステベス親子のプライベート・フィルムと言ってしまってもいい位だ。
その親子の絆の再確認ぶりは微笑ましくもあるが、同時に、ここに次男のチャーリーの影すらないのが、淋しくもある。
あんまりにも父親と長男の絆が強すぎて、次男はスポイルされたんだろうか?

だが父親と映画で共演を果たしたのは、チャーリー・シーンの方が早かったのだ。
それが『ウォール街』だった。
マーティン・シーンの唯一の監督作『ミリタリー・ブルース』で主役張ったのは弟チャーリーの方だった。兄のエミリオも自身の監督・主演作『メン・アット・ワーク』と『キング・オブ・ポルノ』の2作でチャーリーを呼び寄せてる。

近年、DV騒ぎや、売春婦との乱痴気騒ぎなど、私生活荒れ放題でキャリアも混迷の度を深めてる次男だが、父親マーティンは「もちろん家族として心配はしてる。だがチャーリーの問題は、彼自身が克服しなければならないことだ」とコメントしてた。

若い頃からファンキーな性分だったのか、だが俺はチャーリーが若い頃、主演映画のキャンペーンで来日した時のエピソードを憶えてる。
インタビューの中で、最近「詩」を書きためてると語ってた。
「で、その詩を出版しようと、いろんな出版社に見せに行ったが、どこからもOKの返事来なかった」
「僕はハリウッドで有名になったから、その名前でどこか飛びつくと甘く考えてたんだ」
「なので、自費で出版することにした」とのこと。

その記事を読んでた南伸坊がエッセイで、
「多分チャーリーの書いた詩とやらは、大したものではないのだろう。だがそういう話を率直に語って、自費で出すことにしたという、そんな彼を悪くないなと思う」と書いてた。

若い頃のそういったナイーヴな感性が、どういう経緯で、あんなファンキーなことになってったのか。
それが彼自身の内面の問題なのか、エステベス家にも関わってくる話なのか、わからないが、エミリオが『星の旅人たち』で本当に巡礼させたかったのは、弟チャーリーなのではないか?
それも映画ではなく、実際に800キロの道のりを踏破させて、もう一度自分の魂と対話してみろと。


そんなことも思いつつ、しかし『地獄の黙示録』で、それこそ魂の闇を覗き見るような旅に赴き、自らも命の危険にさらされたマーティン・シーンが、いま息子の手によって、魂に光を差すような旅にいなざわれた。
その「映画的」な帰結のドラマに、長年のファンである俺は感じ入るものがあったのだ。

2012年6月8日

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