フランス映画祭②『愛について、ある土曜日の面会室』 [フランス映画祭2012]

フランス映画祭2021

『愛について、ある土曜日の面会室』

愛について、ある土曜日の.jpg

監督は31才の女性レア・フェネール。これが長編1作目で、すでに数々の映画賞を受賞してる。
それも頷ける出来栄えだ。
上映後のトークショーで、監督はカサヴェテスやキエシロフスキに影響を受けたと語ってたが、この題名も、キエシロフスキ監督の『愛に関する短いフィルム』を思わせる。
人物に肉迫しようという、強い眼差しは感じるが、突き放したり、酷薄さを追い求めるような方向ではなく、どこかに女性監督の「母性」の柔らかさも流れている、そんな感触がある。

3組の登場人物それぞれのエピソードが、土曜日の刑務所の面会室へと収斂されていく、その脚本は、レア・フェネール監督自身が、身内を刑務所に収監された家族をフォローするという、ソーシャルワークの経験などから紡ぎ出したものだという。


『ローラとアレキサンドルとアントワーヌの場合』

女子サッカーチームに所属する16才のローラは、帰りのバスの中で、アレキサンドルと名乗る青年に声をかけられる。
「この名前は俺自身がつけたんだ」
額に怪我を負い、ヤンチャそうだったが、ローラはこの青年に惹かれるものがあり、同じ停留所で降りる。
二人は夜の町を歩き続け、空き家となってるアパートに忍び込んで一夜を明かす。
二人がつきあい始めてほどなく、アレキサンドルが警官に暴行を働き、逮捕されたと連絡が入る。
刑務所に面会に行きたいが、未成年のローラには、成人の同伴が義務づけられてる。
彼氏が刑務所にいるなどと親には言えない。

ローラは偶然雨宿りした献血車にいた、病院スタッフのアントワーヌに、付き添いを頼み込む。
見知らぬ男と面会に来たローラを、アレキサンドルは訝しい目で見た。だが塀の中の寂しさを紛らわすように、アントワーヌの見てる前で、ローラの唇を欲した。

だがローラが妊娠してることがわかり、アレキサンドルも過酷な環境で毎日を過ごすストレスから、ローラへの優しさは失われていた。
最初は面白半分に若いカップルを見ていたアントワーヌの心の中も、ローラへの思いでざわめきつつあった。


『ステファンとエルサとピーターの場合』

ステファンはスクーターで、病院へ血液を運ぶ仕事をしてるが、配送時間を守れないなど、仕事ぶりは芳しくなく、母親に金を無心することさえある。
恋人エルサはそれがふがいなく、またステファンの母親とも、角突き合わす関係だ。
なにもかもうまくいかない。

ある日エルサは町で暴漢たちに絡まれ、怪我を負うが、ポールという男に追い払ってもらったという。
ステファンはエルサを見舞った病院で、ポールに礼を言うと、相手はステファンの顔を「信じられない」という表情で眺めてる。友達に瓜二つの奴がいると。
ステファンは飲みに誘われ、それ以来、頻繁にポールと会うようになる。

エルサは警戒感を滲ませてた。ポールはうさん臭いと。
身なりは整ってるが、どこか凄みを漂わせている。
エルサの予感通り、ある晩ポールはステファンに、奇妙な依頼を持ちかけた。

刑務所に君に瓜二つと言った男が入ってる。実はこの男は大金を持ってるんだが、本人が塀の中では金を動かすこともできない。
報酬ははずむから、面会に行って、すり替わってほしいと言うものだった。

ステファンは耳を疑った。自分はダメな男かもしれないが、犯罪に手を染めたことはない。
ポールは食い下がった。その男の身柄を安全な場所に移した時点で、弁護士を寄こす。
身代わりになったと言えば、指紋などですぐに分かる。罪は罪だが大した刑期にはならないと。
ポールの「カタギではない」雰囲気にも気圧されて、ステファンはその依頼を呑むことに。

だが決行の日が近づくほどに決意は揺らぐ。腹を括りきれないステファンに、ポールは恫喝し、なおも萎縮させることに。
そして仕事に必要なスクーターが何者かに盗まれたことで、いよいよステファンは窮地に陥る。


『ゾラとセリーヌの場合』

アルジェリアに住むゾラのもとに、息子の悲報が届く。フランスから遺体が空輸され、ゾラは遺体安置所で、変わり果てた息子の体を拭いた。その胸には深い刺し傷が残っていた。
息子はなぜ殺されたのか?ゾラはフランスへと渡った。

ニュースや新聞に、その殺人事件は取り上げられていた。息子を殺害した加害者は逮捕されたという。
加害者の告白を聞いた姉が、警察に通報したらしい。
胸を何度も突いていることから、愛情のもつれが原因ではないかと憶測していた。
加害者は男だった。

ゾラは、加害者の姉の居所を探し、その職場を突き止めた。
事務所の外から眺めてると、中で女性が泣き崩れている。
ゾラは中に入り、彼女に声をかけた。
「泣いてる理由はわからないけど」と慰めの言葉をかける。
女性はいきなり声をかけられ、拒絶するような仕草をした。
ゾラは謝罪して表に出た。すると女性は後を追ってくる。
それがゾラと、息子を殺した加害者の姉セリーヌとの出会いだった。

ふたりは公園でしばし話し込んだ。見ず知らずの人間に、優しい声をかけてくれるなんて。
セリーヌはゾラの人間性を見込んで、思いもよらぬことを口にした。
「私の子供たちの面倒を、昼間見てもらえませんか?」
セリーヌは出し抜けな依頼を断られると思ったが、ゾラは快諾してくれた。

ゾラが家に通うようになり、すっかり打ち解けた二人だったが、セリーヌのショックは癒えてなかった。どうしても刑務所に、弟の面会に行くことができない。ゾラは言った。
「私がかわりに行きましょうか?」
セリーヌは一瞬面食らった。なんの関係もない弟に、なぜ会いに行く必要が?
「身内であれ、誰であれ、面会に来てくれることが、刑務所で孤独に過ごす人にとって、どれだけ嬉しいことか」
と、弟の心情を代弁するようにゾラは言った。
ゾラは、姉の代わりに、弟の面会に行くこととなった。


ステファンのエピソードと、ゾラのエピソードには、ミステリー的な要素が仕込まれており、面会当日に何が起こるのか、目を逸らせない展開が見事だ。
これが長編1作目とは思えない、腰の据わった語りっぷりだ。

刑務所の中の世界は、甘えなど許されないシビアな世界だろう。自分のことを無条件で肯定してくれるような、肉親も恋人もそこにはいない。
だからといって、外の世界にも、安息があるわけでなく、生き難さを感じる人々の吐息が、ガスのように充満している。

刑務所の「面会室」という所は、離れ離れになって初めて、互いの存在の大切に気づかされ、抱擁を交わすほかない場所であり、塀の中も、外にも厳しい現実がある、この世界において、唯一の「人生の緩衝地帯」といえるのかもしれない。

面会室での「成り代わり」というのは、監督によると、フランスの刑務所では結構あることなんだそうだ。このエピソードに関しては、黒澤明監督の『影武者』を参考にしてる部分もあると語っていた。

俺が思い出したのは、リチャード・ギア主演の1992年のサスペンス『愛という名の疑惑』だ。
あの映画の中で、姉妹を演じるキム・ベイシンガーと、ユマ・サーマンが、やはり面会室で入れ替わる場面があった。
「どう見ても似てねえだろ」と、当時はツッコミ入れて見てたんだが。

ゾラのエピソードに関しても、1本思い当たる映画がある。
1998年の『HEART/ハート』だ。
交通事故で脳死判定を受けた、17才の少年の心臓を移植された男を突き止めた少年の母親。
彼女は男と愛し合うようになるが、最後には男を殺して、心臓を抜き取ってしまう。

それは狂気に陥った行為と思われたが、その少年の母親には、真の目的があった。
その殺人行為によって、刑務所に入れられた母親。
その同じ刑務所に、ハンドルを誤って、息子の命を奪うことになった女性が収監されてたのだ。
その目的が果たされようとするラストは底冷えするような怖さだった。

俺にはその映画の記憶があったんで、ゾラが面会室でどうするのか、固唾を呑んでしまったよ。

ゾラを演じてたのは、この同じ有楽町朝日ホールで先月見た『ジョルダーナ家の人々』に出ていたファリダ・ラウアッジ。
あの映画でも、ヨーロッパに渡ったまま消息のない娘を探しに、イタリアに密航して渡ってくる、イラク人の母親を演じていた。ベビーシッターをすることになる流れも同じだね。
『ジョルダーナ家の人々』での演技が、このゾラ役への起用につながったんだろうか?

それからびっくりしたのが、ゾラと出会うセリーヌを演じてるデルフィーヌ・シュイヨーだ。
彼女が出てくる最初のカットで
「えっ、シャーロット・ランプリング?」
と思わず目を疑った。もう髪の短さに至るまで、若い頃の彼女そのまま。

デルフィーヌシュイヨー.jpg

というより最初はシャーロット本人かと思い
「アンチエイジングってやつか?」とまで考えてしまったぞ。
『パンドラム』に出てるっていうけど憶えてないんだよな。

ひょっとしてシャーロットの娘なのか?いやここまで似てると俺もさすがに落ち着かない。
伊藤歩と木村文乃くらい似てる。
最後にどーでもいいことで締めることになってしまったのは忸怩たるところである。

2012年6月23日

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