伝説のガーリー・ムービー4時間半を見る [映画ハ行]

『花を摘む少女と虫を殺す少女』

花を摘む少女と虫を殺す少女.jpg

矢崎仁司監督の1990年作で、新作の中篇『1+1=11』が公開中の新宿「K'S CINEMA」にて、1週間限定で上映された。
ロンドンにロケした4時間37分に及ぶ大長編で、今まで上映の機会も少なく、ビデオ・DVD化もなされてない。
「伝説のガーリー・ムービー」としてカルト化してる映画なので、きっと混むだろうと、早めに入場整理券をとりに劇場に行ったんだが、拍子抜けするほど客は少なかった。

矢崎監督の1980年のデビュー作『風たちの午後』を、俺は当時どこかの自主上映の場で見た。
見ようと思ったのは「レズビアン」を題材にしてたからだ。
矢崎監督と長崎俊一監督が共同で書いた脚本は、都内のアパートで孤独に餓死したという、若い女性の記事をもとにしてた。

風たちの午後.jpg

美容師の美津は、アパートに同居するルームメイトの保育士・夏子を好きになってしまうが、女性同士なんで言い出すべくもない。
夏子には彼氏がいたが、美津はその彼氏を誘惑して、子供を妊娠してしまう。

それは彼氏を夏子から遠ざける意味もあったが、夏子を抱く男と肉体を交わすことで、間接的に夏子と結ばれ、彼女の子を宿したという、妄執としか言えないような心理もあった。
だがその行為は夏子を立ち去らせることになり、ひとり残された美津は、生きる気力を失う。

映画の中で、夏子の留守中に、彼女の出した生ゴミを床にぶちまけて、その上に寝転がってゴミをまさぐりながら、美津が陶然とする場面がある。
当時「ストーカー」という表現はなかったが、まさにその心理を描写した、ドン引きするほどに鮮やかな場面だった。

この「生ゴミ」というのも、人間が咀嚼した後のものという意味で、「排泄物」と捉えられるが、「排泄」は矢崎監督のモチーフになってるようだ。
この『花を摘む少女と虫を殺す少女』の「花を摘む」ヒロインとなる、ドイツ人ベロニカは、知人に勧められたと、毎朝トイレで排尿すると、それをペットボトルに入れて飲んでる。
「飲尿健康法」を実践してるのだ。


ベロニカは、ロンドンのバレエ団で『ジゼル』のヒロインに抜擢されたダンサーだ。ドイツから出てきて、まだ日が浅いようで、英会話学校に通ってる。
俺はドイツ人て英語も普通にしゃべれそうなイメージだったが、そうでもないんだな。

この映画は三角関係に至る男女の姿を、『ジゼル』をモチーフに描いていて、ベロニカも心臓が弱いというか、身体が弱そうな描写がある。朝なかなかベッドから起きられないとか、バレエのコーチが彼女の誕生日を手料理で祝うんだが、その彼の家の食卓で、食べた物をもどしてしまったりしてる。

ベロニカは生活費を稼ぐため、「スイス・コテージ・ホテル」という、小じんまりとしたホテルで、客室の清掃係のバイトをしてる。

その日もある部屋の清掃に入ったが、新しい宿泊客で、部屋はおびただしい数の衣服や下着が散乱してる。しばらく途方に暮れて眺めてるんだが、グレーのドレスに目が留まった。

なぜか着てみたくなってしまい、ベロニカはホテルの従業員服を脱いで、客のドレスを身につける。床に落ちてた真珠のネックレスを首に下げ、ベロニカは部屋の中で、ジゼルよろしく踊り出す。

この部屋の客が本当に不在なのか不安になった彼女は、風呂場のドアを開ける。バスタブに毛布にくるまれた人の気配が。「死体なの?」と恐る恐る毛布をめくると、若い日本人女性が眠っていた。
まだ寝ぼけていて「おはよう」と声をかけられたベロニカは、動揺して「グッモーニン」と挨拶してドアを閉めた。

部屋に戻り必死にドレスを脱ごうとするが、ファスナーが下りない。もたもたしてる間に、バスタブの女性が起きてきた。
気まずい表情で「アイム・ソーリー」と言うベロニカを、女性は手招きした。
「いいのいいの、アイ・ギヴ・ユー」
「それあなたにあげる。あなた似合ってるし」
「でもずっと着てられないわよね」
と、ナイフで背中のファスナーを切る。
彼女がナイフを手にする所は、その後の二人が辿る関係を暗示するようで、ちょっとゾクッとなる。

日本人女性は名をカホルといった。「ドレスを弁償したい」と言うベロニカに、カホルは
「じゃあ、そのかわりにロンドンを案内してくれる?」と。

あっという間にふたりは仲良くなった。ベロニカの方が英語はまだ話せる感じだが、ふたりは片言の英語でやりとりしながら、二階立てバスや遊覧船でロンドンの町を巡る。

カホルはロンドンに、好きになったカズヤという男を探しに来たのだという。
ベロニカは英会話教室で共に学んでいる、ケンという日本人男性と言葉を交わすようになり、二人は付き合い始めていたのだが、カズヤとケンが同一人物であるということは、ベロニカもカホルも、よもや知る由もなかった。


映画の題名には「少女」となってるが、ベロニカもカホルも少女という年齢ではないな。
メンタル的な意味合いでということだろう。

その二人の出会いとなる、ホテルの部屋の場面がまず良かった。
風呂場のバスタブの中で眠るカホルは、なにやらヴァンパイアのようでもあり、カホルはその理由を
「知らない土地のベッドでは落ち着いて寝付けない。バスタブの中が一番落ち着く」
と言い、ベロニカは「私も!」とそこで通じ合ってしまうわけだ。


「虫を殺す」ヒロインのカホルを演じてるのは川越美和。清純派としてキャリアを重ねてきた彼女が、この映画ではヘアまで見せるフルヌードも辞さず、このヒロイン役に賭けてる感じが伝わってきた。

彼女の身体は、失礼ながら女性にしては起伏に乏しいのだが、髪をショートにしてることもあり、
「両性具有」の雰囲気を醸し出してもいる。なので、ベロニカがすぐにカホルに心を通わせる感じもわかるのだ。

『風たちの午後』の生ゴミをまさぐる描写と、この映画の、見ず知らずの女の服を身につける描写にも、同じ官能の質を感じる。
ベロニカとカホルが、サウナのような場所で、素っ裸になって寝そべって語り合う場面は、天井から真俯瞰で捉えられており、アートっぽい絵面になってる。


一番いいと思った場面は、ずっとホテルの同じ部屋に滞在してるカホルを、ベロニカが起こす所。
もうバスタブではなくベッドに寝てるカホルを、清掃に来たベロニカがくすぐり攻めにする。
カホルはなにも着けてない裸の状態で、従業員服のベロニカに攻められて、身体をよじってる。ベロニカは執拗にくすぐり続け、カホルは手の甲に噛み付く。

時制は前後するが、ベロニカが手に包帯巻いて風呂に浸かってる場面があるんで、けっこう本気で噛まれたようだ。いやこの場面はエロかった。
女の子同士でこんな風にじゃれ合ってるのを4時間見せてくれてもいい位だ。

俺は「女の子がじゃれ合う」場面が「男が銃を撃ち合う」場面より、確実に好きなんである。
これは業という名の病である。愛という名の欲望である。

たしかこのベッドの場面は、カホルが地下鉄の通路でカズヤに再会して、セックスを交わす場面の後だ。その高揚は、カホルが、休日の市場で、連れ立って歩くカズヤとベロニカを、目撃してしまうことで、冷却されてしまう。
ベロニカはもちろんケンが、カホルの恋人カズヤだとは知らない。
そこであのベッドのじゃれ合いの場面になる。
なぜカホルが手の甲をあんなに強く噛んだのか、ベロニカはあとでわかるのだ。


まあしかし俺としては男女の三角関係になってからは、それまでのワクワク感はしぼんでしまった。
川越美和の「両性具有」ムードを生かして、男ではなく、もうひとり女を登場させて、
「女と女と両性具有」の三角関係にしてもらえたらな。


この映画はそもそも何で4時間半もかかるのかというと、登場人物たちが、会話を交わす場面より、それぞれが画面に向かって、インタビューに答えるような形式で話をする場面が多いのだ。
それと画面にかぶさる「独白」も多い。

この映画は全編ビデオカメラで撮影されており、その即物感といったものが、劇中の登場人物と、それを演じる役者たちの肉声(のように演出されてる)と、地続きのように感じさせている。
さらに劇中の登場人物は、そのまた劇中劇の『ジゼル』に関係が準えてあるという、虚と実が幾重もの「入れ子」構造のように組み立てられてるのだ。

川越美和はこの「肉声」の場面のしゃべり方が、普段しゃべりのようでいて、やはり芝居がかってるのが微妙な感じだった。
というより、俺はこういう形式があまり好きではないのだ。
まず画面に向けて語られてることが、ほとんど頭に残らない。

これは映画の側の問題ではなく、受け取る俺の問題なんだが、俺は映画のセリフというのは、わりと頭に残る方で、このブログでも印象的なセリフを書き起こしたりしてる。
だがそれは映画の中で、登場人物たちが会話を交わす、その芝居を通じてでないと、頭の中に定着しないのだ。40年近く映画ばかり見てきたせいで、俺の頭は「映画脳」になってしまってる。

なので現実の世界でも、人と会話してても、相手が何を話してきたか、後になってもほとんど憶えてなかったりする。よっぽど自分の興味のあるネタであれば別だが。
だからカメラに向けて、即ち自分に向けて語られるような形式のものは苦手なのだ。

多分『ジゼル』の内容とか、映画のテーマに関わる、自分の恋愛観や、死生観、家族の話なんかが語られてたと思うんだが。
最後の方に出てきたベロニカのバレエ団の団員が、ロンドンの夕日を眺めながら、「毎日この夕日が美しいと思う。そのために自分は踊ってる」みたいなことを語ってて、そこは印象に残ってるが。


俺は川越美和よりも、ベロニカを演じたニコル・マルレーネという女優に惹かれた。ルックスは美人ではあるんだろうが、とりたててという程ではない。
彼女の何がいいかというと、その動作だ。
最初の方でベロニカがホテルの部屋のベッドメイクをするんだが、それを黙々とこなす様子をカメラは捉えてる。
シーツを整えて、マットレスの下にはさむ様子とか、枕カバーをかえて、高さを均一に保つ動作とか、なぜかその仕事としての手さばきに官能を刺激される。

ベロニカにはお気に入りの場所が近所にあって、それは広場の銅像のある土台のスペースだ。
彼女は気持ちが沈むような時には、この場所に座ってじっと時を過ごしてる。銅像はバレリーナで、ベロニカはそのトゥーシューズの足裏をくすぐるように触れる。
ベロニカは「くすぐり好き」なんだね。くすぐるという行為は、性的な意味合いもこめられてる。

ベッドメイクであれ、銅像であれ、人であれ、彼女がその手触りに「生きること」への官能を探ってるように思えるのは、ベロニカが、自分の生命力があまり強くないことを意識してるからではないか。

ニコル・マルレーネという女優が、そのことを意識して演じてたかどうかはわからないが、俺には彼女から何かしら伝わるものがあったのだ。

バレエのコーチを演じてるのは、サイモン・フィッシャー・ターナー。ミュージシャンとして、デレク・ジャーマン監督の作品の映画音楽を手がけたりしてる。

カズヤを演じる太田義孝という青年は、英会話学校の生徒という設定だが、実際は英語に堪能なようで、ググッてみたら、現在は「海洋空間研究」というプロジェクトに関わってる研究者なのだな。当時は俳優業をしてたのか?
このカズヤがいつも同じジャケットを着てるんだが、赤と黒と白に分かれてて、なんかクラウス・ノミのステージ衣装みたいだった。キャスティングもユニークだ。

HDカメラではなかったと思うが、ビデオカメラでも美しい場面はいくつもあり、4時間という長い時間を使って、人間の動作をつぶさに捉えていくので、まったく間延びすることなく見ることはできた。

2012年7月7日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。