犬好きじゃなくてもこれは切ない [映画ア行]

『ウェンディ&ルーシー』

ウェンディ&ルーシー.jpg

ミシェル・ウィリアムズが主演した、2008年の日本未公開作。
女性ふたりの話ではなく、ルーシーは犬の名だ。

ウェンディは古いアコードにルーシーを乗せて、アラスカを目指してる。ルーシーの散歩中に、森で出会った若者たちからも、アラスカなら仕事もあるぜと聞かされた。
これは現代の話だが、大恐慌時代に、貨物列車で移動して、仕事のあてを探したホーボーのような若者たちがいる。


ウェンディはオレゴンの小さな町で立ち往生する。アコードのエンジンがかからなくなったのだ。
駐車場の警備員は、ウェンディの車を路上に出すように言うが、この犬を連れた若い女性のことを案じる様子でもある。
ウェンディはその年配の警備員から、整備工場とスーパーの場所を訊く。
ルーシーのエサも乏しくなってきた。旅の手持ちも心もとなくなってる。

ウェンディはスーパーでついドッグフードを万引きし、従業員につかまる。
警察に引き渡され、拘留されている間に、スーパーの入り口につないでいたルーシーの姿がない。
方々を探し回るが見つからない。

公衆電話から姉のデボラに電話をする。
ウェンディはインディアナにある姉夫婦の家に同居してたようだ。
なにか訳があって居づらくなったのか、人生を変えようと思ったのか。
受話器の向こうでは、妹に用立てるお金はないと言ってる。


疲れ果てて、とぼとぼと駐車場に戻ってくる。
犬がいなくなったと警備員に話すと、犬の収容センターが6キロほど先にあると教えられる。
ルーシーはレトリバーとの雑種だ。

その晩は動かないアコードの中で眠り、翌朝センターを訪ねるが、ルーシーはいなかった。
飼い主として自分の名前は記入できるが、住所もないし、ケータイも持ってない。

また駐車場に戻り、公衆電話の小銭の両替を警備員に頼むと、ケータイを貸してくれた。
「わしは一日ここにいるし、連絡係を引き受けよう」
ウェンディはその善意に一瞬言葉を詰まらせた。


アコードを整備工場に出すことにするが、距離が近くてもレッカー代は貰うと言われる。
旅の費用はどんどん目減りする。
ウェンディはセンターからの連絡を待ちながら、ルーシーの写真をコピーして、迷い犬のビラを町中に貼っていく。
シャッターを下ろした店が多く、不景気が町を覆ってる。

車を工場に預けたため、ついに町はずれの雑木林の中で、ウェンディは野宿するはめに。
夜、物音に目を開けると、ホームレスの男が立っている。
「こっちを見るな」
男は町の住民に対する恨みつらみを吐き出してる。
「俺は素手で700人殺してるんだ」
嘘であろうが、生きた心地はしない。
男は「負け犬が」と言い残して立ち去った。

ウェンディは荷物をまとめて、いつも体を洗ってる町中の公衆トイレに駆け込んで泣いた。
行き場もなく、駐車場の片隅にうずくまって過ごした。


翌朝、年配の警備員はいつもより遅く現れた。その日は非番だったのだ。
センターから連絡が入ったからと、ウェンディのもとにやってきたのだ。
車には警備員の娘が乗っていた。
ケータイを借りると、ルーシーがある住民の家で保護されてると教えられた。
警備員は「娘に見られるから、言い訳しないで受け取ってくれ」
と、数枚の紙幣をそっと渡して、車で立ち去った。

ほんのささやかな金額だった。
決して楽ではない生活の中から、他人に施せる精一杯なのだろう。

ウェンディは整備工場に出向くが、オーナーから、あの車はエンジンがやられてると告げられる。
修理代は高くつくし、廃車にするのなら、費用は貰わないと。
ウェンディは車を失ってしまった。

タクシーで、ルーシーを保護してる家を訪ねる。家人は丁度外出するところだった。
柵に囲まれた広い庭に、ルーシーの背中が見えた。


ウェンディはこのオレゴンの町で、犬を見失い、車を失い、手持ちの金も失っていく。
ルーシーは孤独を紛らわす心の拠り所であり、ルーシーの世話をするという気持ちが、自分を繋ぎとめる事にもなってた。
頼れる相手もなく、頼られる存在も失くしたら、自分は本当に根無し草になってしまう。
ウェンディが必死でルーシーを探すのは、見失うのが自分になってしまうからだろう。

ウェンディが下した決断は切なくはあるが、旅を続けるために不可欠だった。
ひとりでは生きていけない。ルーシーとふたりきりでは、いつもそこに閉じてしまう。
ウェンディには否応なしに、新しい人間関係が必要なのだ。
愛想笑いを覚えて、人とうまくやってくしかない。

ルーシーは犬だから、境遇に文句も言わず、寄り添ってるが、できればお腹いっぱいご飯を食べさせてやりたい。
ウェンディはそれが「飼い主」の責任と気づいたのだろう。


アラスカへの旅を描いた映画には、いい映画が多いのだ。
最近で一番知られてる所では、ショーン・ペン監督作の『イン・トゥ・ザ・ワイルド』がある。

『バグダッド・カフェ』で一躍名の知られたパーシー・アドロン監督の
1991年作『サーモンベリーズ』は、東ベルリンからアラスカの地へと逃れてきた女性が、自らの出生の秘密を調べる女性と出会う物語。
私生活でレズビアンをカミングアウトしてる歌手のk.d.ラングが、映画の中でも女性に好意を抱く役どころを演じてた。
映画の中盤に流れる彼女による主題歌『裸足』は名曲。
心の襞にまで染み渡るような歌声だった。

サーモンベリーズ裸足.jpg


1992年の『フォーエバー・ロード』は、人生を変えようと思った二人の女性が、偶然出会い、ともにアラスカを目指す。このブログでクリスティーン・ラーチのことを書いた時に、ちょっと触れた映画。
メグ・ティリーが可愛かったな。

先の読めない展開に引き込まれたのは、
1999年のジョン・セイルズ監督作『最果ての地』だ。

アラスカに流れてきた、子持ちの女性フォーク歌手が、地元の港町の便利屋と親しくなる。
3人はいい関係を築きつつあったが、便利屋の腹違いの弟が麻薬密売に絡んでたことから、トラブルに巻き込まれ、無人島に身を潜めざるを得なくなる。
廃屋に乏しい食料。ぎりぎりのサバイバルを余儀なくされるが、一機のセスナが3人を見つける。

操縦士は酒場の常連だった。燃料が不足し、無線も壊れてるから、もう一度燃料を積んで、戻ってくると言った。その操縦士が麻薬取引に絡んでることは、3人は知らない。
救助を待つ3人のもとに再び機影が見える。
なんと映画はそこで終わるのだ。
俺が心底おっかないと思ったエンディングの10本に入る。

最果ての地.jpg


この『ウェンディ&ルーシー』の撮影時、ミシェル・ウィリアムズは28才になってたが、青いパーカーをはおい、化粧っ気もないし、十代の家出少女のようにも見える。
反面、彼女は時折、老成した表情を見せることもあって、『シザーハンズ』なんかに出てたダイアン・ウィーストという熟女女優と印象が被ったりもする。
おまけにこの映画では、髪を栗色で短くまとめていて、ふと山崎邦正に見えたりもするから困る。

だが「私の顔はこう!」というハリウッド女優のくっきりした打ち出し方と違って、なんか隙があるというか、顔に関して無頓着な感じがするのが、ミシェル・ウィリアムズの面白さではある。


俺んちはペットというと鳥しか飼ったことなかったから、犬も別段飼いたいとも思わなかった。
なので犬がメインの映画にも興味はなく、ほとんどをスルーしてる。

しかしこの映画は良かった。
ルーシーが可愛いわけでもなく、冴えない感じの犬なのがいい。
チャップリンの『犬の生活』の昔から、言い方は悪いが、貧乏な人間の傍らに、なぜか犬は似合う。

2012年8月12日

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