インディーズ系日本映画の興行ハードル [映画雑感]

インディーズ系日本映画の興行ハードルを下げられないか?

昨日は、映画の当日料金¥1800が高いとはいえ、割引サービスを活用すれば、かなり財布の負担も減るだろうということを書いてみた。
¥1800が高いということより、封切られる映画が一律に¥1800であることの方に、俺などは違和感がある。
これを書くと「何十億もかけたハリウッド映画と、日本のインディーズのビデオ撮りの映画が同じ値段というのはおかしいという理屈だろう?」と思われがち。

そのことへの反論として、映画は制作費で価値が決まるもんじゃない、と当然意見が出るだろう。
それはもちろんそうだ。その反論が出るのを承知の上で言ってる。

だがその反論というのは、どこか作り手側の理屈にも聞こえる。
作り手が予算は少なくても、絶対の自信を持った映画を撮り上げたとする。
試写を見たプロやメディアの受けもいい。
その映画をなんでハリウッド映画と同じ¥1800で商売しちゃいかんのだ?ということだろう。
いや全然いかんことはないよ。

ただね、例えば同じ時期に、宣伝費もかけて認知度も高い、話題のハリウッド大作が映画館でかかってるとする。何を見るかはまだ決めてない客がいる。
デートだし、¥1800で確実に楽しめる映画を選びたい。
それは泣けるでも笑えるでも感動できるでも、なんでもいいんだが、いずれにせよ選択に失敗したくはないわけだ。

映画を料理に置き換えてみて、二つ皿が並んでいて、一つには、いろんな料理が山盛りで乗っかってる。見るからに豪華そう。
もう一つの皿には、地味に一品盛られてる。ただ素材は良さそうで、絶品な味かもしれない。
どっちを選ぶかということだよね。

大抵は同じ値段だったら、見た目で元が取れそうな方を選んでしまうだろう。
条件が同じ土俵で勝負すると、作り手の思い入れとは関係なく、身も蓋もない選択の場に晒されるということになる。

プライドがあるから、「金だけかけて中身スカスカの大作より、自分の映画が安く売られるのは我慢ならん」と作り手なら思う。
だがそこは逆転の発想があってもいいんじゃないかと思うんだよ。


HDビデオカメラが普及して以来、ビデオ撮りでもクォリティの高い画質の映画が作れるようになった。映画館のスクリーンにかけても、フィルム撮り作品と同等とまではいかないが、それほど見劣りしないレベルにまで来てると思う。
なのでここ数年は、日本映画の劇場公開本数が、夥しい数に上ってるのだ。

映画を撮りたいというクリエイターが、フィルムの場合よりも、ポストプロダクションの経費など、格段に安くできるようになったのはいいとして、完成した映画は受け手に十分に届いてると言えるだろうか?

今そういったインディーズ系の日本映画をかけるのは、ほとんどがミニシアターの役割となってる。
渋谷のユーロスペースをはじめ、オーディトリアム渋谷、アップリンクX、シアター・イメージフォーラム、テアトル・ヒューマントラスト系シアター、新宿のK'sシネマ、新宿武蔵野館。

こういった所で、全日というよりはレイト上映が多い。
配給会社側も劇場側も、宣伝費はかけられないから、一般の認知度は高まらない。

こういう映画を目ざとく探して見に行くというのは、コアな映画好きなのだ。
コアな映画好きはいつの時代も一定数はいる。
だがその数が右肩上がりに増えていくことはない。

映画に興味を持ってなかった若い人が、あるきっかけで映画にハマって、コアな映画好きになることは、もちろん継続的にあることだ。
反面、今まで浴びるように映画を見てた人が、結婚とか、仕事とか環境の変化で、ぱったり見なくなるということも、一定数はあるのだ。

もしインディーズ系の日本映画上映への入場を記名制にしてみたら、けっこう同じ名前が並んだりするんじゃないか?
ミニシアターでのこうした興行が、ブレイクスルーを起こすという例は、だから稀だといえる。


その2~3週間の上映が済むと、あとはDVDという「パッケージ」化に向かう。
ツタヤのような大きなレンタル店の棚に並ぶんだから、そこで認知度が上がるんじゃないか?
と考えそうな所だが、そうは甘くない。

レンタル店というのはさらにシビアな商売の場だ。
新作DVDはほぼ毎週のように入荷してくる。店の棚数は限られてる。
客の目線に入る位置には、話題作が大量に並べられる。

いま映画興行の場では「邦高洋低」の状態だが、DVDレンタル店の売り場は、洋画のスペースがまだまだ広く取られてる。
その限られた「新作邦画」の棚で、表紙を見せて並べられる話題作と一緒に入荷しても、もはや「インディーズ系」の邦画に十分なスペースなどない。

ツタヤでも都内の大型店には、映画マニアなスタッフがいるので、場合によっては、表紙を見せる分のスペースを確保されて、おすすめコメントもつけてもらえるかも知れない。
だがそれはもう店側の裁量にかかってるわけで、スタッフが一瞥もくれなければ、すぐに「背並べ」にさせられる。
DVDの背表紙はおよそ15mm程度のもので、縦に題名が書かれてるだけだから、よほど関心を持った客でなければ、手に取ることもない。
月に数回貸し出されただけで、すぐにトコロテンのように、新作棚から押し出され、もっと地味な旧作棚へ追いやられる。
こうなるともう棚の模様と化してしまい、こうして1本の映画は忘れ去られる。


日本映画は話題作でもないと、ほんとに短い賞味期限の中で、次々に消費されていってしまうというのが現状だろう。
話題作であれば、DVDになった時も商売の機会は十分にあるが、ほとんどのインディーズ系日本映画は、むしろDVDにパッケージ化される前までが勝負なのだ。
劇場にかかってる期間に、どれだけ認知度を高めることができるのか。そこに命運がかかってる。


現在、散発的に公開されてる、こういったインディーズ系映画を、もっとまとめて人目に触れられる、そういう機会が作れないものか。
「日本映画の未来を占うショウケース」というような形態で。

若い映画作家たちに発表の場を与えてるのは、PFFをはじめ、「映画美学校」や「バンタン」などの、映像専門学校ライン、あるいはシネコンの「ユナイテッドシネマズ」でも、定期的に上映の場を設けたりしてはいる。
TOHOシネマズにおいても、お台場シネマメディアージュにて、「第2回 日本学生映画祭」が、丁度本日開催されてた。

そういった取り組みがあるにはあるが、期間も開催場所もそれぞれ違うので、前述した「コアな映画好き」でないと、その情報が手にできない。
映画好きが鼻をひくつかせて、ようやく辿り着くレベルだと、一般的な認知度には程遠いのだ。

「在野」の映画作家たちの作品を、それぞれ支援してる組織などが、横のつながりをつけて、ひとつの
「ショウケース」にまとめてみる。
1回の開催につき10本ほどの作品を目安にして、それをできればシネコンでかけられるようにする。
どこの系列のシネコンであれ、できれば1箇所ではなく、全国数箇所レベルの規模で。
その際に入場料を¥800位に設定する。
無名の映画作家の作品なんだから、とにかく見てもらわないと始まらない。

シネコンで全日スクリーンを確保するのは難しいだろうから、レイトの時間枠を空けてもらう。
俺は都内近郊のシネコンを利用するけど、正直レイトショーになると客はいつもまばらだ。

1回の開催期間を3週ほどとして、年4回行えるようなローテーションを確立できれば、企画の認知度も上がってくだろう。こういうのは継続させないと意味がない。
単発的に行っても、すぐ忘れられてしまうのだ。

「ショウケース」の運営組織を設立して、HPを立ち上げて、上映作品の情報や映画作家へのインタビューなど、上映時期までマメに更新させていく。
宣伝も打ちやすくなるだろうし、メディアへのアピールもし易い。


思うんだが、第1作を世に出した監督にとって、なによりも重要なのは、次の映画が撮れるという状況を作れるかということじゃないか。
映画はそれ自体を完成させるよりも、むしろその後の道のりが険しいのだ。

「お蔵出し映画祭実行委員会」という組織がある。広島県尾道市と福山市の会場を使って、完成後に公開のメドが立たないでいる映画作品を公募して、上映するという試みを昨年から行っている。
今年の第2回は10月に決定してる。
つまりそういう催しが企画される位に、インディーズ系日本映画の、劇場公開へのハードルは高いということだ。

だが志のある映画作家たちの活動が停滞してしまうようだと、この先日本映画は本当に、テレビ局主導の、テレビドラマの映画化作品か、漫画の原作映画化作品しか残らなくなってしまいかねない。

インディーズ系日本映画が、映画マニアだけの発見の楽しみの対象としてではなく、もっと観客の裾野が広がっていくように、なにか大胆な試みをしてみる時期なのではないか?

2012年8月26日

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