ドノヴァンの歌とテレンス・スタンプ [映画ヤ行]

『夜空に星のあるように』

夜空に星のあるように.jpg

昭和の歌謡曲のような邦題がつけられてるが、ロマンティックな話とは言えない。
1967年のケン・ローチ監督のデビュー作。ケネス・ローチと表記されてる。

主人公で18才のジョイが赤ちゃんを産む場面で幕を開け、その子を腕に抱き、退院してまだ午前中の、淡い日差しのロンドンの街中を歩く。
そのバックにドノヴァンの歌が流れてる。

「責めないで、人生は短いのだから。」
「与えられるものなど何もない。」
「責めないで、金のために自分を売っても。」
「精一杯生きるしかないのだから。」
「責めないで、彼が嘘をついてたとしても。」
「時に心が石のようになっても。」
「責めないで、彼はじきに死ぬ。」
「何ひとつ学ぶこともなく。」
「責めないで、人生は短いのだから。」
「与えられるものなど何もない。」

この歌がこれから語られるジョイの生き方や、心情を先んじて表しているようだ。
ドノヴァンの歌声は寄り添うように優しいが、人生は苦いのだ。
ケン・ローチの視点はこのデビュー作から一貫してる。


ジョイはブロンドでゴージャスに見える美人だが、ワーキングクラスの生まれだ。
ロンドン下町の訛りがあり、上流階級にはコンプレックスを持ってる。
赤ちゃんの父親であるトムは、病院に迎えにも来ない。まともに働かず、泥棒で生計を立ててる。
またジョイもそのことを咎めるわけではない。

トムは「悪い仲間」を家に呼び、ジョイにも亭主風を吹かす。言い合いになると手も上げる。
そんな夫に嫌気が差してはいた。

トムは仲間とともに店を襲うが、その場で逮捕される。
一旦叔母の家に身を寄せることにしたジョイ。
叔母はもういい歳に見えるが、
「人生は楽しめるうちに」と、毎晩着飾って出かけていく。
初めての育児に追われるジョイだったが、トムの仲間で、唯一逃げおおせたデイヴと、つきあうようになってた。

デイヴはハンサムで、トムとちがって粗暴な所もなく、一緒にいると心が休まった。
だがデイヴも金はないので、二人はロンドンでも一番家賃が安い地区のアパートに部屋を借りる。

「オリヴァー・ツイスト」の時代から時が止まってるのかと思うような、貧民窟のような場所だ。
だが壁を塗り替えたり、柄物のカーテンをすればと、ジョイは前向きだ。


朝はデイヴが紅茶を入れてくれる。ギターをつまびいて、ジョイのために作った歌を聴かせる。
「僕の好きな色は、朝の黄色。君の髪が朝日に照らされる、美しい黄色」
素朴で他愛もない歌だが、ジョイには十分だった。

まだ小さなジョニーと3人でピクニックにも行った。
滝に打たれながら抱擁を交わした。
ジョイの人生で一番幸せな半年間は、あっという間に過ぎ去って行った。


デイヴが窃盗の際に、住人の老婆に怪我を負わせて、裁判で12年の禁固刑に処せられたのだ。
面会に行くと、4年で仮出所が認められるとデイヴは言った。
4年待てると約束し、手紙もマメに書いて出したが、ジョイ自身も子供を食べさせなければならない。
パブのウェイトレスの職は週給5ポンドだった。
ジョイはトムとの離婚申請のため、弁護士に会い、自分の境遇を話した。

同僚のウェイトレスから誘われ、撮影会のモデルでも稼いだ。
中年の男たちの舐めるような視線にポーズをつける。
パブの客とも、小遣いをもらってつきあうようになる。

ジョイは男がいないと駄目だった。
「人生は、男と子供と、住む家」
そんな風に思っていた。

パン屋の男は、早朝にパンを焼くと、余りを持ってジョイの家に来た。
金持ちの男もいた。
だが奥さんになれるとは思ってないし、上流階級の人間の中で、やっていける自信などない。

疲れ果ててベッドに倒れ込み、子供の面倒まで手が回らない。だが子供は日に日に成長してる。
ジョニーは同じアパートの女の子に手をひかれ、子供たちの遊びの輪に加わってる。


デイヴに面会に行くと、
「君が男と一緒に居るのを見た奴がいる」と言われる。
デイヴは塀で隔てられた場所で、猜疑心と嫉妬に苦しむ胸の内を率直にぶつけた。
「もし他に男がいるのなら、もう会いに来ないでほしい」

ジョイは息子のジョニーと二人で海水浴場に出かける。楽しそうな家族たち。
一方でボードウォークに並ぶ露店のそばには、老人たちがしどころなく、佇んでいる。

私とジョニーはふたりきり。
たまらない孤独感にジョイは見舞われてた。
面会の時デイヴが
「トムももうすぐ出所するはずだ」
という言葉も気になっていた。


その言葉通り、ジョイのアパートを出所したトムが訪れた。
離婚するつもりだとジョイは突き放すが、トムはヨリを戻したいと言った。
スーツを着て、身なりもきちんとしてた。
トムはきれいなアパートを見つけており、ジョイは再びトムと暮らすことになった。

トムの仲間の中でも高額の保釈金を払って、早くに釈放された者がいた。
「仲間に頼れなかったの?」ジョイの問いに
「人に金を貸す奴などいない。俺だって貸さない」
トムは友情などというものは信じてなかった。この世は金がすべてだと。

「警察官の制服を着てる奴で、賄賂を受け取らない奴は一人もいない」
「このアパートだって、金を包んだから借りれたんだ」

ジョイはデイヴとの暮らしの中で、「人生は愛だ」と感じてたが、トムにそんな思いはなかった。
ジョイに気がある管理人の元に、家賃を払いに行くが、
トムは「帰りが遅い」と責め立て、また手を上げる。
ジョイは家を飛び出し、あてどもなく町を彷徨う。
でも結局どうすることもできない。

家に戻るとジョニーの姿が見えない。
トムは「俺は子守りじゃないぞ」
もう7時を回ってる。ジョイは息子を探しに家を出た。

キャロルホワイト夜空に.jpg

ジョイを演じるキャロル・ホワイトは、それは男が放ってはおかんだろうという、あの当時の典型的なイギリスの美人女優の見た目だ。
『ダーリング』でブレイクしたジュリー・クリスティや、ジェーン・アッシャー、ヴァネッサ・レッドグレイブ、マリアンヌ・フェイスフルのように、ふわっとしたブロンドに、可愛らしい瞳をしてる。

男に頼って生きてくようなヒロイン像は、いまだと共感得られそうもない。
だが当時のしかも階級格差がはっきりしたイギリスでは、彼女のような生き方を強いられる若い女性は、少なくなかったのだろう。

デイヴを演じるテレンス・スタンプは、当時からスターではあったが、ロンドンに住む普通の青年をさらりと演じていて、これがいい。
いつものエキセントリックな影は見せない。


俺はケン・ローチの映画はずっと見続けてきてるが、肩の力を抜いたような近作『エリックを探して』は例外として、社会の歪みに向けられる透徹した視点に、居住まいを正されるような気持ちになる反面、その演出の頑迷さに肩が凝るという所もあるのだ。

今回DVDでこのデビュー作を見たんだが、まだ演出に隙があるというのか、いい意味で俗っぽさも感じられて、構えずに見れるのがよかった。
ジョイがウェイトレスの同僚と、町で道行く男たちを値踏みしながら、雑談に興じる、そういう呑気な場面が入ってるのがいい。

それでも作家としての視線はすでにはっきりと刻印されてる。
ケン・ローチの映画では、いつも子供たちの表情が活き活きと捉えられてるんだが、それは子供に余計な演技をさせないからだ。子供のありのままにカメラを向けてる。
この映画でも何箇所か、遊びに興じる子供たちをアップで追っている。

それと同時に海水浴場の場面などでは、老人たちの深い皺が刻まれた表情もアップになる。
自分の未来を疑うことのない、子供の無邪気な表情と、笑顔の消えた老人の表情。
その間にヒロイン、ジョイの暮らし向きを描くことで、イギリスという国の「希望のない人生」が身も蓋もなく提示される。

安アパートに暮らすジョイと息子の日常を、時折引きの画で眺めてるのも、なんともせつない気持ちにさせるのだ。
トムがジョイに話すセリフの中から、ケン・ローチ監督の警察嫌いがすでに表明されてたりする。


すでに名のあったテレンス・スタンプが出てるということも理由にあっただろうが、にしてもこの新人監督の小品といえる映画を買い付けてる、当時の日本ヘラルド映画の審美眼の高さはさすがだ。

だが完成度という点ではさらに高い1969年の第2作『ケス』の輸入は見合わされ、1996年にシネカノンによって、ようやく日本初公開の運びとなった。
『ケス』はその日本公開からだいぶ遡り、たしかNHKで『少年と鷹』の題名で放映されてて、俺はその時に見た。何年頃だったかは忘れたが。

2012年8月30日

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