白雪姫リリー・コリンズがキュート [映画サ行]
『白雪姫と鏡の女王』
物語が終わり「THE END」のあとに、白雪姫リリー・コリンズが歌い踊る、マサラチックなミュージカル・エンディングを見ながら、俺は思ったのだ。
「なんで最初からミュージカル仕立てにしなかったんだろう?」
リリー・コリンズは歌手のキャリアはないものの、父親フィル・コリンズの遺伝子を受け継いでるだけあり、歌声も堂に入ったものだったし、女王の家臣ブライトンを演じるネイサン・レインは、『プロデューサーズ』など、ミュージカル経験もある。
まあジュリア・ロバーツは歌えるって印象はないけど。
なにより音楽を担当してるのが、『美女と野獣』や『アラジン』など、ディズニーのミュージカル・アニメを手がけてきたアラン・メンケンなのだ。
わざわざ彼を起用してるのは、ミュージカル的な作りを当初は意図してたということじゃないのかな。
監督のターセム・シン・ダンドワール(この人、新作撮るごとに名前が長くなってる気が)にしても、映画撮る前はREMのプロモとか手がけてるし、音楽と合わせるセンスはあると思うが。
国王が不慮の死を遂げ、後妻となった継母である女王に、その雪のような肌を「ムカつく」と思われて、子供時代から18才に至るまで、断崖に立てられた塔に幽閉されてた白雪姫。
贅を尽くした城に住んで、浪費とアンチエイジングに余念のない女王は、大がかりな舞踏会を催す資金が足りないと、「鏡よ鏡」と、魔法の鏡を頼ろうとするが、日銀じゃないんで財産は増やせないと、すげなく断られ、貧しい暮らしを強いられる国民から、さらに税金を徴収するのだった。
この「魔法の鏡」の性格づけに新味がある。
この『白雪姫と鏡の女王』においては、鏡の中に現れるのは、もう一人の女王だ。
正確に言うなら、女王の潜在意識とでもいうのか。
ジュリア・ロバーツが二役を演じてるが、鏡の中の彼女は、蒼白く陰気な表情をしてる。
表向きは何もかも手にしてるように見える女王だが、浪費が祟り、貯えも底を尽きていて、美容に熱を入れるも、老いは確実にやってくる。鏡の中の自分は、
「そんなことわかりきってるでしょ」と冷めた視線を投げ返すのだ。
元々「白雪姫」の物語においても、魔法の鏡は、女王の不安の象徴として描かれているんだろうが、この映画では、はっきり本人自身を投影させてる。
18才の誕生日だというのに、女王に祝ってももらえない白雪姫は、隙を見て城を脱け出し、村人たちの生活を見に行く。
もはや父親である国王が生きてた頃の、活気に満ちた村ではなくなっていて、その貧しさを目のあたりにした白雪姫はショックを受ける。
一方、森で盗賊の小人たちに、身ぐるみ剥がされた隣国の王子は、その森でばったり白雪姫と出会う。
吊るされたロープを切ってくれた彼女が、王国の姫だとは知るべくもなく、二人の関係は意外な運命を辿っていく。
裕福だが、ガマガエルのような男爵から、求婚されてたが拒否ってた女王は、城を訪れた、がっつり年下の隣国の王子にロックオン。
王子と結婚すれば財政問題も解決すると、「惚れ薬」まで用意して、王子に色目を使う。
村から戻った白雪姫は、その実情を女王に告げるが、聞く耳もたれない。
王国を女王の手から取り戻さねばという一念で、
「法的には、王位継承者は私なんですけど」
と言い放ってしまい、継母をブチ切れさせてしまう。
家臣のブライトンは、白雪姫を森に連れて行って殺しなさいと命じられてたが、森に置き去りにしたまま去ってしまう。
森の魔物の気配に逃げようとした白雪姫は、頭をぶつけて昏倒し、気がつくと7人の小人たちに囲まれていた。
映画としては、この小人たちが出てきて、テンポがよくなってくる。
アコーデオンみたいな「バネ足」をつけて巨人に見せかけてる小人たちが楽しい。
小人たちの家には、女王が命じて村人から徴収した税金が袋ごとあった。
女王に届ける馬車を襲って巻き上げたのだ。それを聞いた白雪姫は
「お金は村人に返すのよ」と言い、小人たちの隙を見て、村へ返しに行った。
奪い返そうと村まで追っかけてきた小人たちは、白雪姫に村人たちの前で
「お金を取り返してくれたのは、小人のみなさんです!」
と紹介されてしまう。
これで盗みはできなくなったが、今まで偏見の目で見られてた村人たちから、英雄視されたことは満更でもなかった。
この白雪姫の機転を利かせた判断がすばらしいじゃないか。
この後、白雪姫は王国を女王から取り戻すため、小人たちから剣術を習ったりする。
『スノーホワイト』よりも、この映画の方が、7人の小人と白雪姫の結びつきが強く描かれてる。
アメリカ本国とは公開の順番が逆になり、日本では『スノーホワイト』が先行したわけだが、あちらがダーク・ファンタジーを志向してたのに対し、この『白雪姫と鏡の女王』ファンタジー・コメディとして、ファミリー向けに仕上げてある。
ターセム(以下略)監督はこれまで『ザ・セル』『落下の王国』『インモータルズ~神々の戦い~』ときて本作と、言ってみれば「血まみれ」「メルヘン」「血まみれ」「メルヘン」と交互に作ってるんで、次回作は血まみれを期待していいんだね?
つまり、常にどこかで「血」を欲してるような所がある人だから、ファンタジー・コメディをやろうとしてるんだけど、どこかそぐわない。
この映画もジュリア・ロバーツは、『スノーホワイト』のシャレが利かない、シャーリーズ・セロンの女王っぷりと比べて、ベテラン女優の余裕を見せる、コミカルな演技を披露してるんだが、ダイアログが今一なのか、監督の演出の呼吸が悪いのか、映画のノリ自体が、特に前半は空転気味なのだ。
白雪姫を演じるリリー・コリンズは、『ミッシングID』の時より、一段と眉毛が目立つんだが、石岡瑛子デザインのブルーのドレスに身を包んだ、そのルックスは、ディズニーの往年のアニメ版『白雪姫』を彷彿とさせる可愛らしさに溢れてる。
その彼女の個性も含めた上で、最初に書いたように、これはミュージカル仕立てになってた方が絶対楽しめたと思うのだ。
監督独特のヴィジュアル感覚と、これが惜しくも最後の仕事となった、石岡瑛子の艶やかカラフルな衣装が相まった、アーティスティックな映像世界は、ミュージカルの祝祭感にこそマッチすると思う。
ファンタジー・コメディとしては、弾け切らなかったのが残念だ。
2012年9月16日
物語が終わり「THE END」のあとに、白雪姫リリー・コリンズが歌い踊る、マサラチックなミュージカル・エンディングを見ながら、俺は思ったのだ。
「なんで最初からミュージカル仕立てにしなかったんだろう?」
リリー・コリンズは歌手のキャリアはないものの、父親フィル・コリンズの遺伝子を受け継いでるだけあり、歌声も堂に入ったものだったし、女王の家臣ブライトンを演じるネイサン・レインは、『プロデューサーズ』など、ミュージカル経験もある。
まあジュリア・ロバーツは歌えるって印象はないけど。
なにより音楽を担当してるのが、『美女と野獣』や『アラジン』など、ディズニーのミュージカル・アニメを手がけてきたアラン・メンケンなのだ。
わざわざ彼を起用してるのは、ミュージカル的な作りを当初は意図してたということじゃないのかな。
監督のターセム・シン・ダンドワール(この人、新作撮るごとに名前が長くなってる気が)にしても、映画撮る前はREMのプロモとか手がけてるし、音楽と合わせるセンスはあると思うが。
国王が不慮の死を遂げ、後妻となった継母である女王に、その雪のような肌を「ムカつく」と思われて、子供時代から18才に至るまで、断崖に立てられた塔に幽閉されてた白雪姫。
贅を尽くした城に住んで、浪費とアンチエイジングに余念のない女王は、大がかりな舞踏会を催す資金が足りないと、「鏡よ鏡」と、魔法の鏡を頼ろうとするが、日銀じゃないんで財産は増やせないと、すげなく断られ、貧しい暮らしを強いられる国民から、さらに税金を徴収するのだった。
この「魔法の鏡」の性格づけに新味がある。
この『白雪姫と鏡の女王』においては、鏡の中に現れるのは、もう一人の女王だ。
正確に言うなら、女王の潜在意識とでもいうのか。
ジュリア・ロバーツが二役を演じてるが、鏡の中の彼女は、蒼白く陰気な表情をしてる。
表向きは何もかも手にしてるように見える女王だが、浪費が祟り、貯えも底を尽きていて、美容に熱を入れるも、老いは確実にやってくる。鏡の中の自分は、
「そんなことわかりきってるでしょ」と冷めた視線を投げ返すのだ。
元々「白雪姫」の物語においても、魔法の鏡は、女王の不安の象徴として描かれているんだろうが、この映画では、はっきり本人自身を投影させてる。
18才の誕生日だというのに、女王に祝ってももらえない白雪姫は、隙を見て城を脱け出し、村人たちの生活を見に行く。
もはや父親である国王が生きてた頃の、活気に満ちた村ではなくなっていて、その貧しさを目のあたりにした白雪姫はショックを受ける。
一方、森で盗賊の小人たちに、身ぐるみ剥がされた隣国の王子は、その森でばったり白雪姫と出会う。
吊るされたロープを切ってくれた彼女が、王国の姫だとは知るべくもなく、二人の関係は意外な運命を辿っていく。
裕福だが、ガマガエルのような男爵から、求婚されてたが拒否ってた女王は、城を訪れた、がっつり年下の隣国の王子にロックオン。
王子と結婚すれば財政問題も解決すると、「惚れ薬」まで用意して、王子に色目を使う。
村から戻った白雪姫は、その実情を女王に告げるが、聞く耳もたれない。
王国を女王の手から取り戻さねばという一念で、
「法的には、王位継承者は私なんですけど」
と言い放ってしまい、継母をブチ切れさせてしまう。
家臣のブライトンは、白雪姫を森に連れて行って殺しなさいと命じられてたが、森に置き去りにしたまま去ってしまう。
森の魔物の気配に逃げようとした白雪姫は、頭をぶつけて昏倒し、気がつくと7人の小人たちに囲まれていた。
映画としては、この小人たちが出てきて、テンポがよくなってくる。
アコーデオンみたいな「バネ足」をつけて巨人に見せかけてる小人たちが楽しい。
小人たちの家には、女王が命じて村人から徴収した税金が袋ごとあった。
女王に届ける馬車を襲って巻き上げたのだ。それを聞いた白雪姫は
「お金は村人に返すのよ」と言い、小人たちの隙を見て、村へ返しに行った。
奪い返そうと村まで追っかけてきた小人たちは、白雪姫に村人たちの前で
「お金を取り返してくれたのは、小人のみなさんです!」
と紹介されてしまう。
これで盗みはできなくなったが、今まで偏見の目で見られてた村人たちから、英雄視されたことは満更でもなかった。
この白雪姫の機転を利かせた判断がすばらしいじゃないか。
この後、白雪姫は王国を女王から取り戻すため、小人たちから剣術を習ったりする。
『スノーホワイト』よりも、この映画の方が、7人の小人と白雪姫の結びつきが強く描かれてる。
アメリカ本国とは公開の順番が逆になり、日本では『スノーホワイト』が先行したわけだが、あちらがダーク・ファンタジーを志向してたのに対し、この『白雪姫と鏡の女王』ファンタジー・コメディとして、ファミリー向けに仕上げてある。
ターセム(以下略)監督はこれまで『ザ・セル』『落下の王国』『インモータルズ~神々の戦い~』ときて本作と、言ってみれば「血まみれ」「メルヘン」「血まみれ」「メルヘン」と交互に作ってるんで、次回作は血まみれを期待していいんだね?
つまり、常にどこかで「血」を欲してるような所がある人だから、ファンタジー・コメディをやろうとしてるんだけど、どこかそぐわない。
この映画もジュリア・ロバーツは、『スノーホワイト』のシャレが利かない、シャーリーズ・セロンの女王っぷりと比べて、ベテラン女優の余裕を見せる、コミカルな演技を披露してるんだが、ダイアログが今一なのか、監督の演出の呼吸が悪いのか、映画のノリ自体が、特に前半は空転気味なのだ。
白雪姫を演じるリリー・コリンズは、『ミッシングID』の時より、一段と眉毛が目立つんだが、石岡瑛子デザインのブルーのドレスに身を包んだ、そのルックスは、ディズニーの往年のアニメ版『白雪姫』を彷彿とさせる可愛らしさに溢れてる。
その彼女の個性も含めた上で、最初に書いたように、これはミュージカル仕立てになってた方が絶対楽しめたと思うのだ。
監督独特のヴィジュアル感覚と、これが惜しくも最後の仕事となった、石岡瑛子の艶やかカラフルな衣装が相まった、アーティスティックな映像世界は、ミュージカルの祝祭感にこそマッチすると思う。
ファンタジー・コメディとしては、弾け切らなかったのが残念だ。
2012年9月16日
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