俺の星座はフォードだ。シボレーでもいい。 [映画ラ行]

『ラスト・アメリカン・ヒーロー』

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ジェフ・ブリッジスはロスアンゼルス生まれではあるが、まだキャリアの浅い1970年代前半は「カントリー・ボーイ」のイメージが強い。
この1973年作では、アメリカ南部ノースカロライナ州のストックカー・レースに、彗星のごとく現れた、稀代の「飛ばし屋」ジュニア・ジャクソン(実際の名はジュニア・ジョンソン)の若き日を演じてる。

この主人公の生き方を象徴するような主題歌がオープニングを飾る。
ジム・クロウチが歌う『アイ・ガット・ア・ネーム』だ。

「俺にだって名前がある」
それは無名の若者が、レーサーとして世の中に名を知らしめようとする野心であり、歌詞のサビの部分は
「ハイウェイを飛ばすんだ、もっとスピードを上げよう」
「人生に追い越されないように」

という、自爆も怖れない「攻め」の走りで、しばしば他のレーサーとトラブルも起こしたとされる、ジュニアの内面を映し出している。

初めてストックカー・レースへの出場を認められたジュニアが、レーサーのグルーピーとして、レース場を回ってるマージと一夜をともにしたベッドで、
「あなた星座は?」
と訊かれて答えるのが、コメント題にしたセリフだ。


ジュニア・ジャクソンの一家は、ウィスキーの密造を生業としてた。
父親のジャクソンは密造とはいえ、そのウィスキーの味には絶対の自信を持っており、地元では、密造を取り締まる側の役人たちも、その味を認めるほどだった。

ジュニアは森の中の醸造所から、出来上がった酒をボトルにつめて、夜間に車で運び出していた。
ジュニアの車は黒のフォード・マスタングで、パトカーを振り切るほどの猛スピードと、ハンドルさばきだった。
ジュニアのレーサーとしての資質は、こうして磨かれたものだった。

アメリカ南部には、密造酒作りという「伝統」が脈々と受け継がれてるようで、特に1970年代の映画では度々描かれてる。
この映画と同じく1973年作『白熱』では、バート・レイノルズが、
また1977年作『ランナウェイ』では、デヴィッド・キャラダインが、それぞれ密造酒作りに精を出してる。

1977年作『ブーツレガーツ』は同じく密造酒作りをテーマにしたサスペンス・アクションだったが、この映画は当時、年に一度開催されてた外配協による「秋の映画まつり」で上映されたのみで、一般公開には至らなかった、幻の作品だ。

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主演が『オメガマン』や『ロリ・マドンナ戦争』の脇役ポール・コスロというもの地味すぎた。
俺はその時の上映で見てるが、話の中身はほとんど憶えてないな。


話を戻すと、醸造所が摘発され、父親が1年の禁固刑に処せられる。
賄賂しだいで刑務所内の待遇もよくなると聞かされ、ジュニアはレースに出て賞金を稼ごうと思い立つ。
もともと車に詳しく、地元の修理工場にも出入りして、メカニックとしても腕の良かったジュニアは、自ら改造を施したポンコツのピックアップ・トラックで、「デモリション・ダービー」にエントリーする。


デモリション・ダービーとは、広場に数十台の車を集め、ひたすらぶつけ合って、最後まで動いてる車が優勝という、「車のバトルロワイヤル」のようなもの。

ジュニアは車に仕込んだ鉄骨を、フロントからスライドさせて、目の前の車の車体に突き刺すという荒業で、会場を大いに盛り上げるが、興行主は違反だと難癖をつけ、賞金からさっ引いた。
ジュニアは、こんなケチなレースはしてらんないと、ストックカー・レースへの出場を目指す。

中古のレースカーを3000ドルで譲り受けたジュニアは、自分でエンジンを組み立て、レース出場の条件を満たした。
ゴールを競うレースカーは、ほとんどがスポンサーのついたメーカー製の車体で、レーサーは雇われてハンドルを握ってた。ジュニアは
「そんな奴らはヒモみたいなもんだ」
と軽蔑を露にする。


ストックカー・レースのオフィスで、秘書として働くマージと、ジュニアは出会う。
エントリーを取り計らってくれたのだ。
田舎育ちの純朴なジュニアに、マージの色気は強力に作用した。

遠征先のホテルの部屋を格安に取ってくれたマージに、ジュニアはお礼の花束を贈り、ふたりは急速に親しくなった。
自分のやり方でレースを貫こうとするジュニアに、マージは
「野心を持つのはいいけど、のぼせると袋叩きにあうわよ」
とアドバイスする。

ジュニアはマージとは真剣な間柄だと思いこんでたが、彼女はジュニアとベッドを共にした後、ナンバー1レーサーのキングマンを部屋に呼び入れていた。
マージはレーサーのグルーピーのような存在だった。
彼女はいままで、ジュニアのような若者を何人も見てきたのだろう。


ジュニアは恋の挫折だけでなく、レースでも挫折を味わった。
恐れを知らぬ走りぶりは観客を熱狂させ、その名は少しづつ知られるようにはなったが、レースカーの維持や、エンジンの交換など、経費はかさむ一方だ。
レーサーとしての腕は確かだが、自前のマシンの性能には限界があった。

以前からジュニアの走りに目をつけて、声をかけてきたコルト自動車の社長のもとをジュニアは訪れた。それまでは、「いいなりのレーサーなどにはならない」と申し出を突っぱねていたのだ。

ジュニアはメーカー製のレースカーで、自分の腕前を証明したかった。
頭は下げたが、取り分などの条件では引かなかった。
「コンコード500マイルレース」の大舞台で、ジュニアはキングマンを倒すべく、アクセルを踏んだ。


ジェフ・ブリッジスはこの映画で、「俺の星座はフォードだ」というセリフを吐いてるが、1988年に主演した『タッカー』では、そのフォード社など、大手の自動車メーカーからの妨害にもめげず、自前で理想の車作りを追求した、自動車会社社長を演じることになる。

このブログでトニー・スコットの追悼として『デイズ・オブ・サンダー』を取り上げたんだが、あの映画のストックカー・レーサーのトム・クルーズは、ほとんど内面が描かれなかった。
トム・クルーズ自身が、役の内面を演じようとしない役者だからで、あの映画では単純にレースの迫力を堪能するのみだった。
ジェフ・ブリッジスは、若い時分から、役の内面を感じさせる微妙なニュアンスを表現できる人だった。なのでこの映画は、レース場面も見応えはあるが、やはり「レーサー」を描いたものになっている。

ドライバーとしてもメカニックとしても、絶対の自信を持ってる若者が、「実」を得るためには、自分のやり方を曲げなければならない。
その局面に立たされた苛立ちや、諦めの気分と、反骨心が、鍋の中でグラグラと煮立ってる。

『ふたりだけの微笑』にも出てきたが、メッセージをテープに吹き込める「電話ボックス」のようなスペースで、ジュニアが家族に向けて、思いを吐露する場面がある。
その時のジェフ・ブリッジスの表情がいいのだ。
しかも全部吹き込んで、持ち出したテープを結局ゴミ箱に捨ててしまう。
こういう演技ができるから、この映画は青春映画としても機能してるのだ。


この映画はトム・ウルフが「エスクワイア」誌に寄稿した、ジュニア・ジョンソンに関する記事を元に、伝記ではあるが、細部はフィクションの色づけがなされてる。
トム・ウルフはこの10年後に、『ライトスタッフ』の原作者として、脚光を浴びることになる。

監督のラモント・ジョンソンは、1974年のマーティン・シーン主演のTVムービー『兵士スロビクの銃殺』や、1977年の、ロビー・ベンソンが高校のバスケ選手を演じた『ワン・オン・ワン』など、青春映画に手腕を発揮する一方で、性的被害を扱った1976年の『リップスティック』のような問題作も手がけている。

この監督の映画で見たいものが1本あって、
1981年の日本未公開作『キャトル・アニーとリトル・ブリッチェス(原題)』という西部劇だ。

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ミズーリやオクラホマを荒らし回った、実在の強盗団「ドーリン・ダルトン・ギャング」の一味に飛び込んできた、二人の少女の向こう見ずな青春を描いた内容ということ。

当時16才のダイアン・レインがリトル・ブリッチェスに、アマンダ・プラマーがキャトル・アニーを演じてて、ギャングのドーリンにはバート・ランカスター、ダルトンにはスコット・グレンという豪華キャストなのだ。ロッド・スタイガーやジョン・サヴェージも出てる。

アメリカ本国では公開当時、少女版『明日に向って撃て!』と呼ばれてたそうだが、日本公開は見合わされてしまった。西部劇が流行らないということだったんだろう。
テレビで放映されてるかも知れないが、俺は録画してない。

2012年9月18日

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