架空のバンドドキュメンタリーが斬新 [映画サ行]

『スパイナル・タップ』

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近々に封切られる新作で断トツに見たいのが『ロック・オブ・エイジス』だ。
トム・クルーズがカリスマ・ロックシンガーを演じてるという例のヤツだが、楽曲がほとんど、
1980年代の「産業ロック」系で固められてるというんだから、これは観客を選ぶだろうな。

本国アメリカではすでに「ラジー賞」の有力候補なんて言われてるらしいが、ラジーだかオジーだか、そんなこたぁ問題じゃない。

その高鳴る期待を胸に、露払い的に見るには最適と思われるのが
『スパイナル・タップ』だ。
ロブ・ライナーの監督第1作となる1984年作。

日本では劇場未公開に終わったが、ビデオがエンバシーから出てた。
廃版となり、しばらく経ってようやくDVD化されたのだ。


ロブ・ライナー自身が出演していて、スパイナル・タップという「架空」のロックバンドの、久々の全米ツアーに同行取材するという設定になってる。
いわば近年流行りの「モキュメンタリー」のはしりともいえる。

時代設定は1982年だ。スパイナル・タップは、デヴィッドとナイジェルの幼なじみ二人を中心に、1960年代半ばに、イギリスで結成された。
当初は「ザ・テムズメン」というバンド名で、ビートルズのフォロワー的な音を出してた。
当時のテレビ番組の演奏シーンが映るが、これももちろん作りこんだ映像だ。解像度の落ちたモノクロの画像がリアルに再現されてる。

その数年後には「サイケサウンド」に乗りかえ、ドノヴァンみたいなヴィジュアルで愛を唄った。
その後も時節を眺めつつ、節操なくスタイルを変えながら、アラフォーとなった現在は、ハードロック・バンドを名乗ってる。
彼らによると、計37人ものメンバーの出入りを経て、現在の5人になったという。

スパイナル・タップにはジンクスがあり、過去にドラマーだけが、相次いで変死を遂げてる。
一人めはガーデニングの最中に突然死し、別のドラマーはステージの演奏中に爆死して、緑色の液体が残されたという。


そんな彼らのライヴを見ると、ある時はチープ・トリック、ある時はシン・リジィ、またある時はブラック・サバス、そうかと思えば初期カンサスやスティクス風と、よく言えば何でもあり、でなければ一貫性がない。

70年代にはアルバムも売れ、全米ツアーもアリーナクラスの会場を回ったが、今回久々のニューアルバムを引っさげてのツアーは、前回の10分の1のキャパがほとんどで、人気の凋落ぶりは否めない。

しかもアルバムは完成して、タイトルも「手袋の匂いを嗅げ!」に決まってるのに、仕上がったジャケに、レコード会社が難色を示して、リリースできないでいる。

ハードロックにエロは不可欠と、首輪をはめて四つん這いになった女の、綱を引っ張る男が、手袋をはめた片手を、女の顔に押し付けてるというジャケだった。
デヴィッドもナイジェルも、その程度で猥褻ってことないだろと思ってる。

そして妥協策が示され、できたアルバムは真っ黒だった。
「顔が映るくらい真っ黒だぞ!」
プリンスの『ブラック・アルバム』を先んじたジャケとなったわけだ。


しかしアルバムの売れ行きはさっぱりで、大都市でのライヴは、キャンセルが相次ぐ。
意趣を凝らしたステージセットも裏目に出る。

『SF/ボディ・スナッチャー』みたいな繭の中から、デヴィッドとナイジェルとベースの3人が、イントロ部分で出てくるはずが、ベースの繭だけ開かずに、繭の中で窮屈そうにベース弾いてる。
スタッフにも開けることができず、ついにはバーナーで燃やし始める始末。

そうかと思えば、ナイジェルが作曲した壮大な組曲のために、巨大なストーンヘッジのはりぼてを発注したのに、ステージに下りてきたのは、パイプ椅子くらいの背丈しかなくて、もはや何を表現してるのかすらわからない。


この全米ツアーの混迷ぶりを招いたのは、デヴィッドが恋人のジャニーンを、勝手にツアーに同行させ始めたからだ。
ジャニーンは占星術に凝っていて、妙な意見を繰り出してくる。
ナイジェルは元々ジャニーンと反りが合わず、マネージャーもキレて、バンドから去ってしまう。

ジャニーンがツアーを仕切るようになるが、いよいよローカルな方向に進んで行く。
田舎のホリディ・インで、市民劇団と抱き合わせにライヴ。
空軍基地の兵士たちのパーティで、卑猥なバラード演ってドン引きされ、ナイジェルはギター叩きつけて、そのまま脱退。
残ったメンバーでブッキングされたのは、遊園地で人形劇と抱き合わせのライヴ。
今まで曲作りを担当してたナイジェルに替わって、ベースが提案した、フリージャズ・スタイルの演奏は観客から総スカン。
果てしない負のスパイラルに陥ってくのだ。


ギターのナイジェルの妙なこだわりが可笑しい。
彼のマーシャルのアンプは、音量メモリが「11」まである。
「ふつうは10までしかないだろ?」
「このひとメモリが大きくちがうんだよ」
「他のヤツが10までの音しか出せない所を、俺はその上の世界を創造できるんだ」

インタビュアーのロブ・ライナーが
「音量の設定を変えといて、メモリは10のままでもいいんじゃない?」
するとしばし黙りこみ
「いや、それはちがうんだよ」

クリーブランドのライヴステージでは、楽屋からバックステージの通路を辿って、ステージまで行く間に迷子になる。
配線工のオヤジに道順聞くけど、またオヤジの所に戻ってしまう。
それでも「ロケンロー!」って言いながら、ステージを探してるのが笑える。
バジェットはかけてなさそうだが、多分ロック演ってる人間なら、さらにウケるような小ネタが散りばめられてそう。


いちばんの肝なのが、スパイナル・タップが「ブサイク」なバンドだということ。
正直ハードロックやヘビメタで、イケメンが揃ったバンドなんてほとんど見あたらない。
ツェッペリンとかクイーンとかチープトリックとかは、特別な存在なのだ。

だがハードロックは顔じゃない。ギターのテクがあって、ヴォーカルがシャウトできて、いい曲作れれば、それでよかったのだ。
ハードロックやヘビメタは、女より男のファンに支えられてたからだ。

俺は70年代のイギリスのバンドで、スイートがお気に入りなんだが、彼らもあれだけカッコいい曲演れてんだから、もう少しルックスがよくてもバチはあたらんだろ、というくらいブサイク揃いだった。

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逆に言えばブサイクでもスターになれるのが、ロックの世界とも言えるのだ。
ただブサイクでなければ、2割増し位には売れてるだろうが。


映画は一旦バンドを離れたナイジェルが、ライヴ前の楽屋に
「日本で俺たちの曲が売れてるらしいぜ」
と報告にきて、デヴィッドたちを送り出す場面がいい。

袖でライヴを眺めてるナイジェルを、デヴィッドが視線で招いて、ステージに立たせる。
「やっぱり俺たちこうでなきゃな!」
と盛り上がる次の場面は、熱狂に包まれる日本公演だ。


このラストの展開は、2009年に公開された、ロック・ドキュメンタリーの傑作
『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』のラストと奇しくもそっくりなのだ。

もう世間から忘れ去られたと感じてた、ヘビメタバンド、アンヴィルが日本のロックフェスに何十年ぶりかで呼ばれる。

その日のトップを飾る出番で、アンヴィルのメンバーは、まだ客なんか全然いないんじゃないか?と不安な表情でステージに上がると、ヘビメタファンの大歓声に迎えられるという、
「これぞハッピーエンド!」と快哉叫びたい場面となってた。

架空のバンド、スパイナル・タップと、実在のベテラン・ヘビメタバンドのアンヴィルが、同じ帰結を迎えるというのが凄い。
つまり『スパイナル・タップ』は、アンヴィルの、あの胸熱なエンディングを予言してたように思えるのだ。

2012年9月20日

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