ラテンビート映画祭『Sugar Man』 [ラテンビート映画祭2012]

ラテンビート映画祭2012

『Sugar Man』

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昨年は8本を見た「LBFF」だが、今年の俺にとっての初日は、関東の台風直撃の日となった。

3本見る予定で出かけて、この『Sugar Man』は夜9時からの上映だったので、いよいよ天候も荒れる時間だ。電車も停まるかもなあ、と一時はパスも考えたんだが、いやパスしなくてよかった。

たぶんキャンセルした人もけっこういたのだろう、客席は淋しかったが、あの場に居合わせた観客は、みんな幸せな気分に浸って、バルト9から突風吹きすさぶ新宿の町にはけてったと思うよ。

音楽ドキュメンタリーだが、すでに角川書店が配給を決めてるというのもわかる。
俺はロドリゲスというアーティストのことをまったく知らなかったが、ポピュラー音楽の世界に、まだこんな驚くべき才能と、驚くべき逸話が埋もれてたとは。

この映画を誰が見るべきかといえば、まず『アンヴィル!夢をあきらめきれない男たち』に心震わせた人なら間違いなく必見だ。
あのラストシーンに匹敵するような、鳥肌もんの場面に出くわすから。
もう俺は後半は涙ボロッボロで、鼻グッシュグシュさせながら見てたのだ。
隣の席の女性にはバレバレだったろう。だが彼女も目を押さえてたから別にいいのだ。


メキシコ系のシンガー・ソングライター、ロドリゲスは、1970年に、デトロイトで
アルバム『COLD FACT』でデビューを飾る。

町の「ロンドンの霧のように」タバコの煙がたちこめるバーで、弾き語りをしてたロドリゲスを見出したのは、モータウン・レコードでスタジオ・ミュージシャンとしてサウンドの屋台骨を支えていた、マイク・セオドアとデニス・コフィーだった。
二人は独自のレーベル「SUSSEX」を運営してたが、その歌声を聞いて、アーティスト契約を結ぼうと即断したようだ。

それは映画の冒頭で流れる『Sugar Man』の歌声を聴けば納得できる。
当時その風貌から、ホセ・フェリシアーノと比較されることもあったようだが、とにかく声に磁力がある。シンガー・ソングライターといっても、フォーク系の唄い方ではなく、その粘り強さはR&Bシンガーの歌唱に近い。
歌詞はボブ・ディランを引き合いに出されてたが、デトロイトの路上の風景を、臨場感こもった表現で活写してる。


ロドリゲスはむろん弾き語りだけで食えてたわけではなく、メキシコ系の男たちの、一般的な職である建築作業員として働いていた。
そのブルーカラーの視線で語ることが一貫してた。
歌詞はシンプルだが、安っぽい言い回しは見られない。
歌を聴いていて、まったく時代の古さを感じないのだ。
そのまま「今」に通じる歌だ。
その生々しい詞が、モータウン仕込みの洗練されたサウンドアレンジで耳に運ばれる。

だがインタビューの中でデニス・コフィーは
「間違いなく、これは売れると思った」
という確信に反して、このアルバムはまったく売れなかったという。
2枚目の『Coming From Reality』も同様で、ロドリゲスはアメリカでは黙殺されてしまった。

ロドリゲスはその後、以前と同じ建築作業員として、黙々と働き続けた。
ロドリゲスには3人の娘がいて、彼女たちから見た父親の姿も語られてる。

父親は建築作業員として、スキルが高く、仕事に対する取り組み方も極めて真面目だったという。
一人で冷蔵庫を背負って階段を下りてくる所を見たことがあるし、水周りを含め、家に関することでは、誰よりも詳しかったと。

そして仕事の場では、自分がレコードデビューしたことがあるミュージシャンだとは、同僚にも話してなかった。この同僚の話もよかったな。

ロドリゲスはああいった肉体労働の場にも、洒落たスーツを着て通ってきた。
常に意欲的に仕事をこなしていて、単純労働と見られるような仕事でも、高尚さをそこに込めることができる人間だったと。
同僚はロドリゲスの歌は知らなかったが、その働く姿は芸術家のものだと感じてたと。

「この世の中を変えることができるのは芸術家なんだよ」とも。

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だが忘れ去られたシンガーだったはずのロドリゲスの歌声は、その数年後、1970年代後半、アパルトヘイト政策下の南アフリカで突然響き始める。
ロドリゲスのレコードは南アフリカに輸出されてたわけではない。
誰かがアメリカからの土産に持ち帰ったらしい。
そしてそのレコードからテープにコピーされ、次第に人々の耳に届くようになっていった。

火をつけたのは、『COLD FACT』の中に収められた『アイ・ワンダー』という曲だった。
「何度セックスすれば気が済むんだろう?」
などと、恋人との間の率直な感情を、親しみ易いメロディで表現した曲で、検閲の厳しかった当時の南アフリカ、ケープタウンでは、ラジオで流すこともできない。

『COLD FACT』には他にも、麻薬に関する歌や、権力を打倒するような内容の歌が収められ、どれもラジオでは流せないし、正規のレコード発売もできない。
つまりは「ブートレグ」としてケープタウンの若者たちの間に流通していったのだ。


若者たちはロドリゲスの歌を、政府へのプロテストの象徴に感じて熱狂するが、肝心のロドリゲス本人のことがわからない。
動いてる姿を映した映像もないし、アルバム・ジャケットの写真しかないのだ。
今生きてるのか、死んでるのかすら。
そのうち、都市伝説のように、噂が広まっていく。

ロドリゲスはあるライヴで、ステージの条件も悪く、客の反応も最悪だった中、
「聴いてくれたことを感謝する」
と言うと、ステージ上で、拳銃自殺を遂げたのだと。


今はケープタウンで中古レコード店を営む、“シュガー”という名の中年男性は、
当時『COLD FACT』をアメリカから輸入しようとしたが、「SUSSEX」はプレスしておらず、在庫は1枚も残ってないと言われたという。
だから南アフリカで流通したのは、ブート盤だったのだ。

ロドリゲスという謎のシンガーのアルバムが爆発的に売れている。
同じく南アフリカ在住の、クレイグという音楽ジャーナリストはそのことに強い興味を惹かれ、ロドリゲスの消息を辿ることを試みた。

探偵を雇い、アルバムに収められた曲の歌詞に出てくる地名などから、手掛かりを掴めそうな場所をあたらせた。なんと行方不明児の捜索で使われる、牛乳パックにも、ロドリゲスの顔のイラストを載せたりした。
ロドリゲスのレコードをリリースした「SUSSEX」レーベルすら、その事実は知らなかったのだ。


もうね、ここから先は「事実は小説より、映画より奇なり」でね。
こんな魔法のようなことが人生には起こるんだなあという。

だがそれはアーティストとしてのロドリゲスの部分より、彼のゆかりの人たちによって語られる、
「生活者」としてのロドリゲスの、背筋の通った生き方があったからだろうと思う。

娘たちが父親について語る、その眼差しを見てるだけで泣けてくる。
建築現場の同僚の「あんたは詩人か?」と思えるような、見事な例えでロドリゲスの人となりを語る、その内容にも泣けてくる。


ああ、台風を押して見に行ってよかった。
しかしこんないい映画が、東京では「バルト9」の1回しか上映がない。
今からでも是非追加上映を決定すべき。
まあこんなブログ、関係者は読んでないだろうが。
横浜の「ブルク13」で追加上映でも決まれば、また駆けつけたい。
本公開は来年春の予定にはなってるが。

今年のベスト1はこれでもいいよ俺は。「LBFF」グッジョブ!

2012年10月1日

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