違和感あるラブコメ③『ラブ・アクチュアリー』 [映画ラ行]

違和感あるラブコメ

『ラブ・アクチュアリー』

ラブアクチュアリー.jpg

映画の最初と終わりに、イギリスのヒースロー空港の到着ロビーで、人々が抱擁しあう様子が収められ、日本公開時の宣伝コピーには
「それはあなたの物語」とあるが、そうじゃないよな、これはイギリスの白人のための物語だよ。
主要な登場人物で、キーラ・ナイトレイの結婚相手になるキウェテル・イジョフォーが黒人、コリン・ファースが見初めるルシア・モニスがポルトガル人の他はみんな白人。

俺もヒースロー空港の入管審査で2時間以上並んだことあるけど、あそこは種々雑多な民族で溢れてた。
インドやパキスタンの人たちが目立ったな。
なのでこの映画の、白人たちばかりの愛のエピソードを並べられて、空港に集う世界中の人々誰しもに当てはまる話と括られても、それは大きく出過ぎでしょ。

それにエピソードがヘテロセクシャル限定でね、ゲイもレズビアンも無視されてる。
「クリスマス映画だから、そのあたりは無難な感じで」
と製作者は言い訳するかもしれんが、それにしちゃ、ポルノ映画のスタンドイン(カメラ位置を決めるための代役)を担当する男女のエピソードとか、女優はオッパイ見せちゃってるし、無難に家族では見れないぞ。
ポルノ映画にスタンドイン使うって話も聞いたことないけどな。

キーラ・ナイトレイのエピソードは、結婚式でビデオを回してる新郎の親友がいて、キーラは以前から自分に対して素っ気ない態度の親友に、自分は嫌われてるのかと真意を尋ねると、その親友の回したビデオにはキーラの顔ばかりが写ってたというもので、新郎の親友がキーラのことを想い続けてたことがわかる。
この場面はキーラ・ナイトレイの表情が生かされてて、悪くはないんだが、むしろ新郎の顔ばかり写ってたという方がサプライズ感が出たと思うが。ゲイネタNGってことなんだろ。


この映画は登場人物がみんなどっかしらで繋がってるという設定になってるが、映画の撮影現場のケータリングをやってる若い男のエピソードはひどい。
女とヤリたいんだが全くモテない。そこで「アメリカに行けばイギリス男はモテまくり」と聞いて、荷物まとめてウィスコンシン州に移住を決意。
なんでウィスコンシンなのか知らんが、たぶん田舎の方がモテると聞いたんだろう。

空港からバーに直行し、カウンターで酒を注文すると、そのアクセントに隣の女が即反応。そこに『24』に出てたエリシャ・カスバートも現れ、
「この娘は特にイギリス男にぞっこんよ」とか言うことで、
「ホテル決まってないなら、私たちの家に泊まらない?」
となり、楽しく5Pしましたって、これのどこがクリスマス映画なんだよ!
オチもなにもないぞ。その若い男がジュード・ロウみたいなんだったら未だしも、ブサイクな奴だし、あり得んわ。
映画は135分もあるが、この男と、ポルノ撮影カップルのエピソードを削れば、120分位には収まったはず。

リーアム・ニーソンが妻に先立たれ、後に残った義理の息子の初恋を応援しながら、絆を深めるエピソードは、『アバウト・ア・ボーイ』の短縮版みたいなもんで、どうということもない。
その『アバウト・ア・ボーイ』で好演してたヒュー・グラントはなんとイギリス首相の役。
このエピソードはファンタジーとして楽しめるし、このジャンルはお手の物のヒュー・グラントなんで、安心して見てられる。
首脳会議でイギリスにやってくる合衆国大統領が、ビリー・ボブ・ソーントンというのも凄いジョークだが、その合衆国大統領の傲慢さを、首相会見の席でやりこめる場面は、イギリス人には気持ちいいだろうが、日本人には関係ないね。

恋人を弟に寝取られたスリラー小説家を演じるのは、『英国王のスピーチ』でついにオスカー俳優となったコリン・ファース。がっくりきたまま、執筆のため滞在したポルトガルの別荘で、家政婦のポルトガル人女性に惚れてしまう。後ろ髪引かれる思いで、一旦はイギリスに戻るが、踵を返して彼女の住む家へ。
彼女が夜間働いているというレストランを訪れる。その店は吹き抜けの2階構造になっており、下から呼びかけると、彼女は階段の踊り場まで下りて、小説家が必死で憶えたポルトガル語のプロポーズの言葉を聞く。
ここは「ロミオとジュリエット」の場面を模していて上手い。いつも演じすぎないコリン・ファースの良さは、出番の短いオムニバス物でも十分に伝わる。

精神に問題があって施設に入れられてる弟の世話で、結婚できないでいるローラ・リニーのエピソード。
こういうジャンルの映画に彼女が出るのも珍しいんだが、これは彼女が、家族の問題を抱えた役柄をよく演じてきたというキャリアに基づいてのものだろう。
一方で同じデザイン事務所の年下のイケメンに恋してて、初めて彼を家に呼ぶくだりとか、こんな乙女チックな演技させられてるのも他では見れないんで、貴重といえば貴重。

そのローラ・リニーが働いてるデザイン事務所を経営してるのがアラン・リックマン。彼と映画でのつながりが深いエマ・トンプソンが、危機を迎えた夫婦を演じるエピソード。ここがひっかかる。
子供もいるし、夫婦としては刺激を失ってる。そんなアラン・リックマンは、会社の若い女性社員と頻繁に視線を交わす。大きな目で色目を使われるが、それは彼の方も誘いに乗るような素振りでいるからだ。
クリスマスの買い物に行くと社を出ると、その彼女から電話で
「私にもなにかプレゼントを」と。
「文房具的なものかい?」などととぼけると
「もっとキラキラしたもの」

一緒に買い物する妻の目を盗んで買った高価なネックレス。妻のエマ・トンプソンはそれを夫のポケットに見つけ「いつも素っ気ない態度でごめん」
などと書いてあるから、てっきり自分への贈り物と思う。
クリスマスの夜、家族でプレゼントを見せ合う場で、夫から渡されたのは、同じような大きさの箱に入ったジョニ・ミッチェルのCDだった。
「君はファンだったろ?」と。

浮気を悟った瞬間のエマ・トンプソンの演技はさすがに見せるが、そのネックレスを、結局アラン・リックマンが会社の彼女に渡したのかどうか、そこには触れてないし、妻にネックレスの件を問いつめられ
「僕がどうかしてた」と謝ったことで、夫婦も丸く収まるクリスマスみたいになってるが、会社の彼女はポツンとひとり家で過ごしてる。

「夫婦の仲を裂くような女にクリスマスはやってこない」ってことなのか。


でもこの映画の「それぞれの人生の幸せを描く」意図に反してないか、それって。
いや別にリア充が幸せを確認するために見るような映画があったって、それはかまわんけど、クリスマスってのは、なるだけ多くの人が幸せに過ごせますように、って願いがこめられたイベントだろう?
だったら何らかの事情で、淋しいクリスマスを迎えなくちゃいけない男女に
「幸せを掴めるチャンスはきっと来るって」
と肩を叩いてくれるような、そういう映画であってほしいと思うが。
というかラブコメの美点てのは、そういう所にこそあるんだよ。

ラブアクチュアリービルナイ.jpg

いろいろ文句ならべたが、俺がこの映画見に行ったのは、ビル・ナイが『スティル・クレイジー』と同じような、年食ったロックシンガーを演じてるのを見たかったから。
本人も言ってたが、あのクソみたいなクリスマス・ソングは最高だったよ。

2011年12月5日

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