「午後十時の映画祭」50本⑥作品コメ [「午後十時の映画祭」]

引き続き、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「シ」と「ス」を。



『幸福の旅路』(1977)アメリカ 
監督ジェレミー・ポール・ケイガン 主演ヘンリー・ウィンクラー、サリー・フィールド

サリーフィールド幸福の旅路.jpg

これも70年代アメリカ映画の特徴のひとつである「ベトナム帰還兵」ものの一作。
帰還後、戦争の心の傷から、社会復帰もままならず、陸軍病院に入院してる青年ジャックが、戦地で
「国に帰ったらミミズの養殖をやろう」
と誓い合った戦友との約束を果たすため、カリフォルニアを目指して旅に出る。
病院の仲間からカンパされた旅費と、養殖の元となるミミズを入れた箱を抱えて、バスターミナルに着くと、結婚間近で自分を見つめなおそうと、旅に出ようとしてるキャロルと知り合う。

ロードムービーなんで、当然いろんな事件やエピソードで物語が運ばれていくわけだが、ジャックを演じるのはヘンリー・ウィンクラー。いかにも気のいい兄ちゃんという風情で、タレ目と大きな口が人なつこさを感じさせる。
ロン・ハワード監督のラブコメ『ラブINニューヨーク』でも好演してた。彼はアダム・サンドラーにとってはヒーローらしく、アダムの『ウォーターボーイ』や『もしも昨日が選べたら』に呼ばれてる。

キャロルを演じるサリー・フィールドは、これと同じ年の『トランザム7000』の2本が一番キュートでいいと思う。演技派を意識し始めてからの彼女は、俺にはつまらない。
二人が旅の途中で出会う、ジャックの戦友のひとりをハリソン・フォードが演じてる。『スター・ウォーズ』のまさに前夜で、この頃は「役者が駄目なら大工に戻ればいい」と思ってたそうだ。

脚本のジム・カラヴァトソスは実際にベトナム従軍経験があり、後の1987年に、戦場での過酷な体験をもとに綴った『ハンバーガー・ヒル』の脚本で大きな注目を集める。

俺はこの『幸福の旅路』は封切りの時見てるが、ほとんど話題にならなかったんで、後にテレビ放映されたのを見た人が多いようだ。
ビデオ・DVD化されてないのは、楽曲使用権の問題かもしれない。
エンディングに当時人気のあったプログレ系バンド、カンサスの『伝承』が使われたりしてるからだ。
地味ではあるけど真摯に作られた映画だと思う。



『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)アメリカ 
監督ノーマン・ジュイソン 主演テッド・ニーリー、カール・アンダーソン

ジーザスクライストスーパースター.jpg

今頃になって『オペラ座の怪人』にすっかりヤラれてしまってる俺だが、この映画が公開された頃のことはよく憶えてる。作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーの名を知らしめた舞台劇の映画化で、公開前からラジオでは挿入歌の『ジーザス・クライスト・スーパースター』や、イヴォンヌ・エリマンの歌う『私はイエスがわからない』がさかんに流れていて、クラスの中でも、大人びた趣味や思考を持った奴がしきりに反応してた。

イエス・キリストの最後の7日間をミュージカル仕立てにしてること、イエスを欠点もある人間的なキャラに描いてること、ユダがなぜイエスを裏切ることになったのか、その経緯にも独自の解釈がなされていて、単なるミュージカル大作じゃないのだという空気が感じられた。
なので当時の大人の間ではどうだったか知らないが、俺ら思春期のガキとしては、これを見とくことが進んでるってことだという、妙な認識があったのだ。

ノーマン・ジュイソンという監督は時代を読むというか、機を見るに敏なところがあって、1967年の『夜の大捜査線』では黒人の刑事が、南部人の人種差別に鉄槌をくだすような場面を描いたり、ローラーゲームが流行れば、アレンジして『ローラーボール』を作ったり。
この『ジーザス・クライスト・スーパースター』の作品世界も、1960年代後半からのカウンター・カルチャーに呼応するような内容を持っていて、衆目を集めるのは間違いなしと睨んでただろう。

だがそんなジュイソン監督の作品群を今見直すと、演出自体は古めかしさが目立ってしまっている。
役者の存在に助けられてる部分も大きい。この映画も演出的には所々かったるい部分があるんだが、楽曲のよさと、ユダを演じるカール・アンダーソンの、歌唱の迫力などでカバーされてる感じもあるね。

これもNHK-BSでは放映されてるのに、ビデオ・DVDは楽曲使用権がネックで発売できず。
JASRACもいいかげん何とか考えろよ。
それはともかく、一度シネコンのいい音響で、デジタルリマスター版で上映してもらいたい。



『シンジケート』(1973)アメリカ 
監督マイケル・ウィナー 主演チャールズ・ブロンソン

シンジケート.jpg

ブロンソンは1968年のドロンと共演した『さらば友よ』あたりから主演作が引きも切らなくなるが、意外にも刑事役はこれが初めてなんだね。マックイーンやイーストウッドを横目に「俺も乗り遅れちゃいかん」ということだったのか、背広もビシッと決めてダンディに登場するが、やり方は無茶。
「まず撃て、それから尋問しろ」って、さすがブロンソンだよ。

ユダヤ系、アイルランド系、そしてイタリア系のマフィア同士の血で血を洗う争いに、「ウェクストン」と呼ばれる、ベトナム帰還兵で構成された殺人部隊が絡んで、その中に男ブロンソンが飛び込んでいくという、ほんと人が死にまくり。
その後の「デスウィッシュ」シリーズのエスカレートぶりを暗示するようなマイケル・ウィナーの演出ではある。

この映画は当時相当な規模で宣伝が打たれていて、ブロンソン主演作としても、都内最大キャパの有楽座で公開されてるんで、このあたりがブロンソン最盛時だったかな。

イタリアの大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが前年の『バラキ』とこの翌年の『狼よさらば』で、ブロンソン主演作を連続製作してるが、アメリカ映画のバイオレンス描写がえげつなくなってきたのも、このあたりからだね。
1980年代に、キャノン・プロでアクション映画を量産したメナハム・ゴーランはイスラエル人だが、キャノンの映画も血生臭ささでは際立ってた。
その後を受けるようにカロルコ・プロを設立し、スタローンやシュワルツェネッガーの映画を量産したマリオ・カサールはレバノン人。
特にポール・ヴァーホーベンの『氷の微笑』などは殺人描写がキツかった。
アメリカ映画の暴力描写をエスカレートさせてるのは、外国人プロデューサーたちではないかと、俺は思ってる。

それはともかく名画座でもさんざ上映され、テレビでもよくやってた、この『シンジケート』がなんでパタリと見れなくなったのか?
ビデオもDVDも出てない。音楽絡みじゃなさそうだし、ディノのところで何か揉めてるのか?

音楽は『狙撃者』のロイ・バット。メインテーマのシンセがテルミンみたいに「ヒヨヨヨヨーン」って響くのは時代を感じるが、まあそれも味だね。



『スカイエース』(1976)イギリス 
監督ジャック・ゴールド 主演マルコム・マクダウェル、ピーター・ファース

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第1次世界大戦の、イギリス空軍の戦闘機パイロットたちを描いた戦争映画。ちょうど今年2011年に、ドイツの撃墜王マンフレート・フォン・リヒトフォーヘンを主役にした『レッド・バロン』が公開された。テーマ曲もカッコよくて、俺は映画館に2回見に行った。
この『スカイエース』の年代設定は1917年で、リヒトフォーヘンはこの年の7月に頭部に重症を負い、4ヶ月近く実戦から離れてる。この映画にはレッド・バロンは出てこなかったと思うので、その期間の話か、別の戦線だったのか。

イギリス映画で空軍が主役となるのは、1969年の『空軍大戦略』が代表格だろう。あちらの映画は第2次大戦の空の戦いを、晴れがましく描いたような、オールスター・キャストの大作だったが、こちらは戦闘機パイロットたちの葛藤や、酒や女に明け暮れるような地上の生活ぶりなんかを描写していて、戦意高揚な感じではない。
だが空中戦ではイギリス空軍の名機を呼ばれるSE5を中心に、ソッピーズやブラックバーンの雄姿を見れるし、もちろん戦う相手はドイツの誇るアルバトロス編隊だ。

あのマルコム・マクダウェルが操縦桿を握るというんで、後の『ブルー・サンダー』みたいな、サイコな感じかと思いきや、航空隊を率いるエースパイロットという、なんだまともな役じゃないかと、拍子抜けするやら、ホッとするやら、複雑な心境で見てたのを憶えてる。
冒頭の新人パイロットたちの入隊式での演説とかカッコいいんだもの。

物語の中心にいるのは、その新米のピーター・ファースだ。彼は『ダニエルとマリア』『エクウス』など、繊細な若者を演じさせたら、当時のイギリスでは随一みたいなポジションにいたが、この映画では、戦場の現実にショックを受けつつも、任務を重ねながら戦闘機乗りとして成長していく姿を好演してる。
そのピーター・ファースを精神的にもサポートするベテラン・パイロットにクリストファー・プラマー。彼は『空軍大戦略』にも出てるんだね。2度の世界大戦の空で戦ったわけだ。

今年公開された『レッド・バロン』ではドイツ側から、そしてこの『スカイエース』ではイギリス側から、一つの空の戦いを双方から見れるわけだから、これが映画の良さだよね。
DVDは以前パイオニアLDCから出てたんだけど、当然廃盤となってる。



『ストレート・タイム』(1978)アメリカ 
監督ウール・グロスバード 主演ダスティン・ホフマン、テレサ・ラッセル

ストレートタイム.jpg

公開当時に見てるが、その時はこういうド直球な犯罪者の役はダスティン・ホフマンには合わないと感じた。
いろんな役になりきるカメレオン俳優ではあるが、自分から暴力を振るうというイメージがないからだ。なので無理して演じてるんじゃないか、と思ったのだ。
だが後年見直してみて、それは違うということに気づいた。

原作は『こんな獰猛な野獣はいない』という題名で、作者のエドワード・バンカーは自身、刑務所を出たり入ったりを繰り返してきた経歴の持ち主。ちなみに映画にもちらほら顔を出していて、『レザボア・ドッグス』ではMr.ブルー役で最初の方に出てくる。
つまり自身を投影したような、犯罪の世界に生きるしかないような男を描いている。
そういう男をハリウッドの俳優という職業で生きてる人間が演じて、どの位のリアリティが出せるのか。その人物造形に、ダスティン・ホフマンの鬼の演技力が、絶対必要だったのだ。
似合う似合わないの問題じゃなかった。

刑務所を仮釈放で出てきた男が、保護監察官のもとに出向き、職探しをするが、犯罪歴を理由に断られ、前科仲間を頼ることとなり、また負のスパイラルに入り込む。
文字にするだけなら至極単純な道筋でしかないんだが、カメラは常にホフマンの表情やしぐさを追ってるので、そういう道筋を辿るしかないということが、ほとほとリアルに納得させられてしまう。
犯罪者の役を、犯罪者が似合う役者が演じるという、タイプキャストでは掴み得ないような機微まで、こういう人が演じると伝わってくるということだ。

ウール・グロスバードという監督は、見てくれのいい画面を作ろうとはせず、俳優の持ち味を引き出そうと、辛抱強く待つような演出をする人だ。なのでこの監督の映画では脇役が光る。
この映画では一緒に銀行を襲う仲間のハリー・ディーン・スタントンがいいし、ホフマンが職安で知り合うテレサ・ラッセル。彼女はこれが2作目で21才の時の出演だが、やさぐれた世界の人間たちに囲まれて、その清新な瞳が印象的だった。

それと、この映画はいかにも70年代の、アメリカの犯罪映画の空気というか、「美学」とかいうものとは無縁の、ささくれた感じが俺なんかにはたまらないのだ。
ビデオにはなってるが、DVD化はされてない。


そんなわけで今年も終わりだ。訪問してくれた方には感謝を。

では、よいお年を。

2011年12月31日

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