「午後十時の映画祭」50本⑦作品コメ [「午後十時の映画祭」]

年またぎで、この映画が観たい「午後十時の映画祭」50本(70年代編)のタイトルリストに沿ってのコメントを。
五十音順で、今日は「セ」と「ソ」を。



『1900年』(1976)イタリア・フランス・西ドイツ 
監督ベルナルト・ベルトルッチ 主演ジェラール・ドパルデュー、ロバート・デ・ニーロ

1900年.jpg

いや新年早々こんな文章になるのは心苦しいのだが、五十音順のめぐり合わせでこうなってしまった。
この映画のことを語るとなると、避けては通れない描写があるということなのだ。

小作人からファシストに変貌するアッチラを演じるドナルド・サザーランドが、悪役の極北を見せる。
5時間16分の大長編であり、公開時は途中休憩が当然はさまれたが、その前半の最後に、家の塀に手足を縛りつけた猫に目がけて、アッチラが道路の向こう側から走りこんで、頭突き食らわして殺すという、猫好きは卒倒しそうな場面があって、イヤな感じで休憩に入るという流れになってた。

トイレを済ませ、売店でつまめる物なんかを買い込み、気を取り直して後半に臨んだ観客の前に、またしてもアッチラが。
今度はある地主の幼い息子を屋根裏部屋のような所に連れ込んでる。アッチラの女房も一緒だ。
二人してその子を犯したようだ。直接的な描写はないが、その子がズボンを履き直してる。アッチラは
「このことはお母さんに言うんじゃないぞ」
と言うと、その子の両足を持って、ブンブンと部屋の中で回り始める。女房も笑って見てる。
すると遠心力で止められなくなり、アッチラが「アーッ!」と叫ぶとともに、家具に子供の頭がガンガン打ち付けられ、その男の子は絶命する。

俺は映画館で「その場の空気が凍りつく」というのを、まさにその時に味わった。売店の食べ物も喉を通らないという感じだった。
最近の韓国映画に見られる、あくどい位の暴力描写も、ここまでではない。
ベルトルッチが地主の子と、小作人の子の係わり合いを軸に、20世紀前半の「イタリアの血の時代」をまる掴みして描こうとした野心作だが、ファシズムのおぞましさを、アッチラというキャラクターに集約させたせいで、そこだけが突出して印象に刻まれてしまうという結果に。

主演ふたり以外にもドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリが『暗殺の森』以来の共演を果たしてたり、バート・ランカスターやスターリング・ヘイドンといった大ベテランが最初の方だけ出てくるような、極めて贅沢なキャスティングだし、ヴィットリオ・ストラーロの印象派絵画のようなカメラも凄いし、エンニオ・モリコーネの音楽も耳に残る名スコアだし、見どころ満載なはずなんだが、アッチラが持ってってしまった印象なのだ。
サザーランドは当時、町歩いてて、石投げられるなんてこと無かったんだろうか?

あと、せっかく『タクシー・ドライバー』と同じ年にデ・ニーロが出てるんだから、なんかやらかしてくれるのかと思ったが、彼は地主の息子役で、アッチラの暴虐にも目をつぶるような、煮え切らなさで、印象薄いのが残念。

なお映画は1976年作だが、日本では6年後の1982年にようやく公開が実現してる。
ビデオには一度なってるし、昔レーザーディスクで販売されてた。
多分まだフランス映画社が権利を保有してるんじゃないかと思うが。版権料高そうだしどうかな。



『センチュリアン』(1972)アメリカ 
監督リチャード・フライシャー 主演ステイシー・キーチ、ジョージ・C・スコット

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ポスターのキー・アートは、拳銃を握って突入せんとする、ジョージ・C・スコットの勇ましいショットが使われてるんで、同じフライシャー監督のものとしては『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』の警官版の趣を勝手に想像してたんだが、一本とられた。
『チョコレート』の時のヒース・レジャーとか、『エグゼクティブ・デシジョン』のセガールとか、あんな感じですよ。見てる人はわかると思うけど。
なんで実質的な主役はステイシー・キーチでね。

これは原作が、この「午後十時」の1本に入れた『クワイヤボーイズ』と同じ、もとロス市警の巡査部長だったジョセフ・ウォンボーによるもの。
あの映画の警官たちの脱線ぶりとは対照的に、ローマ時代の「センチュリアン(百人隊)」に自分らを準えた、ロス市警の警官たちの、任務と私生活との葛藤なんかをシビアに見つめた辛口のドラマだ。

ステイシー・キーチは警察学校での訓練を終えて、ロサンゼルスでも犯罪が多発する地域に配属された新米警官。同期の警官にエリック・エストラーダがいる。後に『白バイ野郎ジョン&パンチ』で白バイ警官になる布石が打たれてたね。

新米警官がジョージ・C・スコット演じるベテラン巡査に教えを請いながら、事件の現場の場数を踏んでく展開は、アメリカ伝統の「師弟」ものだが、ステイシー・キーチという役者がそもそも辛気臭い表情をしてるんで、明朗な展開にはなるはずもないのだ。
また行く先々で災難に遭うんだよ彼は。映画の終わりのセリフが
「やっとわかりかけてたとこだったのに…」
みたいな感じだったし。

この内容の映画をポリス・アクションのように売ろうとした、当時の配給会社の苦労も偲ばれるってもんだが、こういう渋い警察ドラマが最近見られないのが淋しいね。
数年前にDVDスルーで出た、エドワード・ノートンとコリン・ファレルが共演した『プライド・アンド・グローリー』は警察官一家を描いて、70年代のテイストを意識したような演出だったけど。映画館で見たかった。
この『センチュリアン』もビデオ・DVD化はされてない。
コロンビア映画なんで、オンデマンドの可能性はあるかな。



『狙撃者』(1971)イギリス 
監督マイク・ホッジス 主演マイケル・ケイン、ブリット・エクランド

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マイケル・ケインという役者の魅力はガキにはわかりにくいんじゃないか?俺も最初の頃は、あのウェーブかかった七三分けの髪型が嫌味ったらしく見えたし、なんか睫毛が目立ってゲイっぽい感じもあるし、突き放した物言いも、冷たい性格なんじゃないかと思ったし。
しかし彼の映画を何本も見てくうちに、段々わかってくるんである。
スルメのような役者といっていい。

この『狙撃者』は封切りの時には、俺はまだ映画館通いなんかしてない頃だし、テレビの深夜に初めて見て、そのカッコよさにブッ飛んだものだ。

公開時のポスターのデザインがひどいね。だってド真ん中でスコープ銃をかまえてるのがマイケル・ケインじゃないんだから。「誰だよこれ」って。
マイケル・ケインはその下の部分に、ライフル持って歩いてる、ラストの方の場面写真が小さめに貼られてるだけ。
しかもカラーじゃなくて2色刷り。日本でのこの役者の扱われ方がわかるね。

映画はオープニングのロイ・バッドの音楽からしてクールだ。これは随分後になって、日本のクラブミュージックのシーンでサンプリングで使われたりして、時ならぬ注目を浴びたりしたけど。
スタローンによるリメイク版『追撃者』でもアレンジして使われてた。

あのリメイク版は、やはり別もんと考えた方がいい。
マイケル・ケインは律儀だから、特別出演したりしてるが、なにしろ主役の殺し屋ジョン・カーターの複雑な人間性が面白みだったのに、スタローンが演じると、そこがすっぽり抜け落ちてる。
なぜ『狙撃者』がカルト化してるのかという事への理解が、根本的に欠けてるんだもの。
筋立てだけ再生しても意味ないのだ。

もう恐ろしく芸暦の長いマイケル・ケインだが、この『狙撃者』の時が38才。本人としても勢いに乗ってる時期で、裏切った女がトランクに入ったままの車が、海に沈んでいくのを眉ひとつ動かさずに見てる場面の、冷酷な色気とでも呼びたい風情は、アメリカ人の役者には出せない性質のものだろう。
女に優しいんだか冷たいんだかよくわからん感じだし、兄を殺した組織の人間への復讐も徹底してる。

ブリット・エクランドが、カーターと情を通じるボスの妻を演じていて、ヌードも拝めるんだが、出番が少ない。あの頃の彼女は可愛いかった。
カーターを助ける、凄腕の女性ドライバーが出てくるんだが、演じるジェラルディン・モファットは、他の映画では見たことない。でも彼女がカッコいいのだ。

2000年に公開された『ギャングスター・ナンバー1』というイギリス映画があったけど、丁度1960年代末のスウィンギン・ロンドンを舞台にしてたことと、ポール・ベタニーのニューロティックな役作りなんかが、どっかしら『狙撃者』の線を狙ってるかなと感じたりした。ちょっとサイコすぎたけどね。

『追撃者』が公開された時に、オリジナル版もDVD出るかなと期待したが無しのつぶて。
今に至るまで、ビデオも何も出てない。
MGM作品なんで、『組織』がオンデマンドで買えるようになったということは、ツタヤに期待していいのかな?



『空飛ぶ十字剣』(1977)台湾 
監督チャン・メイ・チュン 主演パイ・イン

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俺の3D映画初体験はこの『空飛ぶ十字剣』だった。当時のメガネは紙製で赤と青のセロハン貼っただけというシロモノだったが、それでも帰りがけには回収されてしまったのだ。
だがなかなかの飛び出し感が得られたように記憶する。というのも一々立体感が得られるようにアクションを演出してるからで、長い槍とかをビヨーンとカメラに近づけたり、あざとさ満点であった。
でもそれでいいのだ。3D映画は見世物なんだから。

ベストみたいになってる金属製の刃織物を、バッと脱いで腕をグルングルン回すと、いつの間にか風車の羽根のような形状の十字剣に早がわり、その先端が飛び出してくるわけだ。カッチョいい!と思って見てた。これを使うのが正義の味方側ではなく、敵の大将だったんだが。

その大将を演ってたパイ・イン(白鷹)は、後になってから見たキン・フー監督の『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』『侠女』などの常連俳優なのだと知った。
どの映画でも一番の武術の使い手を演じてたから、この映画でも強いわけだ。

これは3Dを売りにしてたが、たしか年齢制限があったように思う。
武侠映画なんで、残酷な描写も含まれてるのだ。
俺が憶えてるのは、パイ・インは小指に鉄の爪サックをつけてて、意にそわぬ人間を捕らえると、真ん中がくり貫かれた木の板を、その頭にはめる。そして爪をグイと即頭部に突き立てると、そのまま一気に円を描くように頭蓋骨を切断。むきだしとなった脳みそを、その爪でえぐって食べるという…

いや新春早々またこんなことを書いてしまった。しかし当時の青少年としては軽いトラウマとなるような描写だったな。
その場面はさすがに3Dではなかったが、全体的には「飛び出してたよねえ」と満足できるものではあった。
なので、あれから40年近くもたって、他のテクノロジーは格段に進歩を遂げてるのに、『タイタンの戦い』を見ても『インモータルズ』を見ても、同じ実写でやってるのに、全然その飛び出し感に進歩が見られないのはどういうこった?赤青セロハンに負けてるぞ。

40年前の3Dでもこれだけ飛び出してたんだぞ、という所を見せてやるためにも、ひとつリバイバルお願いします。

2012年1月1日

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