ヒッピーとドヴォルザークとチェコから来た監督 [映画ハ行]

『パパ/ずれてるゥ!』

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ミロス・フォアマン監督が母国チェコを離れ、アメリカに渡って撮った、ハリウッド第1作となる1971年作。
公開以来、テレビ放映はされてるんだが、ビデオ・DVD化はされてなく、昨年キングレコードからようやくのDVD化。画質もいい。
60年代後半から70年代初頭の「ベトナム厭戦時代」を背景にした、ジェネレーション・ギャップ・ドラマなんだが、この監督独特と言っていい語り口の面白さで、一気に見れてしまう。

冒頭、ニューヨークのイーストヴィレッジで、歌手発掘のオーディションの風景が描かれる。その中に、ボボ・ベイツという芸名の頃の、キャシー・ベイツが、なかなかいい歌を聴かせてる。本人には大変申し訳ないが、俺はキャシー・ベイツにも若い頃があったんだよなあと思いながら見てた。『ミザリー』以降のイメージしかないもんね。
あとカーリー・サイモンも出てきて歌ってる。『うつろな愛』で大ヒット飛ばす前だね。


親に内緒で、そのオーディションを受けにきたジニー。受付で15才半と答えてる。オーディションは夜に行われていて、夜中になっても帰ってこない娘に、母親リンは、友達夫婦を呼んで、父親ラリーと友達の夫を、娘を捜しに行かせる。ラリーと友達は、警察へ出向き、捜索願いを出すと、あとはバーに行って飲んでしまう。
娘を心配しつつも、友達の妻と「女のはなし」で盛り上がってしまう母親リンの前に、ジニーがふらりと帰ってくる。何も言わないが、何か楽しそうだ。
実はジニーは歌う前に、女の子から「声がうまく出せるのよ」と、ドラッグを勧められてたのだ。結局マイクが怖くて歌えず仕舞いだったが。
「クスリをやってるの?」
とリンが問い詰めてる所に、ヘベレケになった父親ラリーが帰宅。娘につい手を上げてしまう。
大人たちが揉み合ってる間に、ジニーは本当に家出してしまった。もうすっかり夜は明けていた。

その日からラリーはイーストヴィレッジ周辺を探し回るが手がかりはない。だが探してる最中に偶然出会った、同じく家出した娘を持つアンという母親から、「S.P.F.C.」という会のことを知らされる。
「家出した子供を持つ親の会」の略称だった。
その会のことを知らせるために家に電話を入れたラリーは、逆にリンから、ジニーが500キロも離れた町で、万引きで補導されてると聞かされ、夫婦で急行する。
だが警察署で面会したのはジニーではなく隣の家の娘だった。親にバレたくなくてとっさにジニーの名を出してしまったと。500キロの道のりを車を飛ばして徒労に終わった。

なんだか娘の心配ばかりしてバカバカしくなったラリーは、自分たちも羽根のばそうと、帰り際にアトランティック・シティ(多分)に立ち寄り、ホテルでアイク&ティナ・ターナーのショウを楽しんで一泊した。
リンは新婚当時のような色目を使ってきた。

そんなこんなでニューヨークに戻った二人は、早速「S.P.F.C.」の集まりに参加する。アンとベンのロクストン夫妻が声をかけてきた。
そこで会の主催者は驚くべき発言をした。
「子供たちがもし見つかっても、子供を理解してなければ、また家出してしまう」
「理解するには子供たちを夢中にさせてるものを我々も経験しとくべきだ」
紹介を受けて出てきたのはスキャベリという名の、マリファナの常習者だった。
彼は筒状に巻いたマリファナを参加者たちに配り、事細かに吸い方をレクチャーし始める。
ラリーは禁煙中だったが「マリファナにニコチン成分はない」と言われ安心する。
もうかなり年齢のいった参加者たちは、初めてのトリップに夢心地となってく。

ラリーとリンは、ロクストン夫妻を家に招いた。マリファナですっかりハイな気分になってて、パーティを続けようというのだ。ロクストン夫妻がポーカーをやろうと言い出す。ただのポーカーじゃない。テキサス式と言って、1枚づつめくって、一番弱いカードの人間が1枚服を脱ぐという「ストリップ・ポーカー」だった。
ラリーとリンは勝負に乗った。
だが彼らは知らなかった。家出してた娘のジニーが自分の部屋に戻ってたことを。


ジニーが家出した朝の町の風景を映す場面に、同じチェコの作曲家ドヴォルザークの『新世界より』を流したり、ミロス・フォアマン監督の、新天地アメリカでの最初の仕事という思い入れが感じられる。
「反体制」という気風の中にあった若い世代と、彼らの親の古い価値観の世代を風刺してはいるが、例えばイギリス人のジョン・シュレシンジャー監督が『真夜中のカーボーイ』で描いた、ニューヨークの人間模様のような冷え冷えとした辛辣さはない。


ミロス・フォアマンは1968年にチェコで盛り上がった民主化運動「プラハの春」が、ソ連が主導する「ワルシャワ条約機構軍」の戦車隊によって、抑えられるのを機に、西側に亡命している。
60年代のチェコは、アメリカに代表される西側文化への憧れが強かったようで、フォアマン監督は、憧れのアメリカの現実を、皮肉よりはユーモアを持って眺めようという姿勢が感じられるのだ。

ラリーを演じるバック・ヘンリーが上手い。小柄で風采も冴えない感じはウディ・アレンに似てもいるんだが、この人も才人なんだよな。
『卒業』とか『キャッチ22』とか『イルカの日』とか、ユニークな視点の脚本を書いてるし、『天国から来たチャンピオン』では監督も手掛けてる。
役者としてはペーソス滲む演技もできるし、ウディ・アレンに比べて、日本での認知度低すぎるね。

マリファナの常習者スキャベリを演じるのが、役名と同じヴィンセント・スキャベリ。この後ミロス・フォアマン監督の渡米2作目『カッコーの巣の上で』にも患者の一人として出てる。
もうこの人のルックスはね、ひと目見たら絶対忘れないよ。最初『カッコー』で見た時「この人、出ていい人なの?」と思った位ギリに見えた。田中邦衛の顔を少し溶かした感じだもの。
でもその後も順調にキャリアを積んでて『ゴースト ニューヨークの幻』では地下鉄に現れる「先輩」ゴーストを演じて印象残した。

それから家出するジニーを演じてるのがリニア・ヒーコックという女の子。後にも先にも映画出演はこれ1作だけ。
可愛かったのにね。水に合わなかったのかな。
たまにいるねそういう子。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマイケル・J・フォックスの彼女を演じてた子とか。

2012年1月13日

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