「午後十時の映画祭」(80年代編)⑦作品コメ [「午後十時の映画祭」]
この映画が観たい「午後十時の映画祭」(80年代編)50本の作品コメントも、、今日が最後となる。
五十音順リストの「マ」行以降を。
『マイ・ライバル』(1982)アメリカ
監督ロバート・タウン 主演マリエル・ヘミングウェイ、スコット・グレン
モスクワ五輪を目指す、陸上の「女子5種競技」の、二人の女性アスリートが、レズビアンの関係になってくという、「スポーツの世界と同性愛」を、正面からテーマにした異色作。
『俺たちに明日はない』『チャイナタウン』などの名脚本家ロバート・タウンが満を持しての初監督に、挑戦的な題材を選んだ。
ただその部分だけが突出してるわけではない。日本だと「オリンピック強化選手」の日常なんていうと、禁欲的なイメージがあるが、この映画では選手たちは競技大会が終わると、酒呑んだり、マリファナ吸ったり、セックスも奔放に描かれてる。
そのあけすけな感じが、スキャンダラスな視点でなく、「若いんだからね、体力もある連中だし」と、ごく普通のことのように描写されてるのが面白かった。
マリエル・ヘミングウェイは色気を感じない女優だったんで、レズシーンも期待してなかったが、それよりも、彼女は手足が思ったより長くて、ハードルを越える様子など、カモシカのような足をしてる。こんなにアスリート体形だったとは。
彼女が最初は記録会で揮わず、声をかけて慰めてくれた先輩の女子選手と肉体関係を結ぶんだが、その後、コーチのスコット・グレンとも寝てしまう。マリエルとスコット・グレンが一緒にトイレに入る場面は、ちょっと衝撃的ではある。
ロバート・タウンの演出は、扱う題材のわりにはベタついた感触がなく、競技シーンも躍動する身体の美しさを捉えようとしてる。
ビリー・ジョエルの『ロザリンダの瞳』という、メジャーではない曲を効果的に使ったり、センスを感じる。
先輩アスリートを演じた、陸上選手上がりのパトリス・ドネリーのさばさばした個性もいい。
ビデオは出てたがDVDにはなってない。
『マルホランド・ラン 王者の道』(1981)アメリカ
監督ノエル・ノセック 主演ハリー・ハムリン、デニス・ホッパー
これを上映してたのは新宿プラザだったかな。今でこそ日本でも『頭文字D』とか、ドリフト族も普通に認知されてるけど、この映画はその魁と言えるもので、D・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』の、あの丘陵の湾曲した道を、ドリフト走行で競うドライバーたちを描いてるのだ。
過去にそのレースの王者として君臨してたのが、デニス・ホッパーで、彼得意の役作りの例に漏れず、今はすっかりアル中のスピード狂に成り果てている。
彼の駆るマシンが凄いことになってる。コルベットC2なんだが、異様なまでのチューンナップを施し、邪魔なもんはいらんと、リアウィンドーからボンネットまで取っ払ってて、まさに「愛のむきだしコルベット」だ。
主人公を演じるハリー・ハムリンが、そのコルベットに挑戦するわけだが、彼のマシンはポルシェ356スピードスターだ。
だが全編レースという展開ではなくて、主人公の走り屋仲間の作曲家ジョセフ・ボトムズのサブストーリーなどがあり、レースも音楽もと欲張った分、散漫になってるきらいはある。
そのサブストーリーもあってか、当時のヒット・ナンバーが使われたりしてるから、その楽曲版権がネックになって、今までビデオにもDVDにもなってないんだろう。
そもそもこの映画、ポリグラムというレコード会社が製作してるのだ。
『メイトワン 1920』(1987)アメリカ
監督ジョン・セイルズ 主演クリス・クーパー、デヴィッド・ストラザーン
ジョン・セイルズは1980年代以降の最も重要な、アメリカの映画作家であるにも係らず、ほとんどDVD化がされてない。理由のひとつには、彼がメジャーな映画会社と契約せず、常にインディペンデントな製作環境で映画を撮り続けてるということがある。映画の版権がそれぞれ別の場所にある、その煩雑さがネックとなってる部分がある。
日本では2003年の『カーサ・エスペランサ 赤ちゃんたちの家』が公開されたのが最後だが、その後も3本作ってる。2010年のものが最新作だ。
入ってこないのは、日本人にとって馴染みにくい題材を扱ってることもあるだろう。歯痒いもんだ。
どっか太っ腹な会社が、まとめて権利を引き取ってBOXで出してほしいもんだが、今の日本にそんな酔狂な会社もないだろう。
この『メイトワン』は1920年のウェスト・ヴァージニアの炭鉱で起きた事件を元にしてる。
クリス・クーパー演じる労働組合のオルグが中心人物になるが、例えばマーティン・リットー監督や、山本薩夫監督が描くような、「社会告発」ものとは、ちょっと趣がちがってた。
もちろんイタリア系や黒人など、当時安い賃金で雇える労働者を「山」に入れてくる会社側と、最低賃金の切り下げに反対を唱える地元白人労働者との対立の構図は、現在の日本に置き換えて見ることも可能な、「社会的視点」は感じるが、山で暮す人々の生活ぶりを細やかに描いていることで、叙情を感じるし、アパラチア山脈の緑や黄色の木々などが、美しいカメラで捉えられていて、メッセージが前に出過ぎない懐の深さがあった。
対立が沸点に近くなり、ついに会社側が実力行使に出た時、それまで静観していた町の保安官が動く。
クリス・クーパーとともに、ジョン・セイルズ映画の常連のデヴィッド・ストラザーンが銃を手に表に出ると、映画は一転して『ヴェラクルス』かと思うような西部劇の世界へ。
見ながら「カッコいい!」と呟いてしまったよ。
黒人労働者のリーダー格をジェームズ・アール・ジョーンズが貫禄で演じてた。
これはパルコPART3で見たはずだ。
昔ビデオにもレーザーディスクにもなってたがDVDにはなってない。
スクリーンで見たいね、もう一度。
『夜の天使』(1986)フランス
監督ジャン・ピエール・リモザン 主演ジャン・フィリップ・エコフェ
リモザンの映画は『天使の接吻』もそうなんだが、ストーリーとかほとんど憶えてないのだ。
だけどもう一度見たいと思うのは、とにかく繰り出されるショットがいちいちカッコよかったから。
この映画も主人公は夜は私設の夜警をやってるんだが、昼間は自動車泥棒という、アンビバレンツというのか、行動にほとんど一貫性がない。恋人が別の男になびこうとすると、その男を追っかけて銃で狙ったりとか、基本ろくでなしである。
しかし、ろくでなしが出てくる映画が好きな俺としては、この映画はマイク・リーの『ネイキッド』や、ギャロの『バッファロー'66』などと並ぶ「ろくでなし映画」の殿堂に入れたい位だ。
撮る前からキメキメに狙ったショットを「どうだ!」とドヤ顔で出してくるんじゃなく、ポンポンと軽快につながってく、あるいはブツ切りにされる絵が、結果としてカッコいい。
プールの場面なんか、なんでもないのに、ちょっと鳥肌立つ感じで、不思議だった。
初期のゴダールとか好きな人なら気に入るだろうな。
これはどこで見たのか、パルコPART3だったか、シネマテンだったか。
監督のリモザンも、2002年の『NOVO/ノボ』とかエロくてよかったんだが、その後は入って来ないね。
ジャン・フィリップ・エコフェもこの映画は最高なんだが。
昔ビデオになってたがDVDにはなってない。
『ラスト・カーチェイス』(1980)アメリカ
監督マーティン・バーク 主演リー・メジャース
これはどこで見たのかすら憶えてないんだよね。浅草あたりかなあ。都内ではちゃんと公開されなかったんで、チラシもパンフも見たことない。
この映画を見ようという人の動機は二つだろう。
一つはテレビ『600万ドルの男』のリー・メジャースが、同じSFというジャンルの映画に主演してるということ。
もう一つは、監督1作目の『パワー・プレイ』の面白さに、マーティン・バーグの才能を信用して。
俺は両方だったけど。
石油が枯渇し、自動車の運転はおろか、国民の移動の自由まで制限されてる、近未来のアメリカ。
荒涼とした大地を映しとけばいいから、予算がかからない、ありがちなデストピアSFの設定だ。
リー・メジャースは昔はレーサーだった男で、自宅にポルシェ917を分解して、燃料とともに隠し持っていた。国家体制に失望した彼は、偶然出会った、凄腕ハッカーの大学生を助手席に乗せ、アメリカ大陸で唯一の自由自治区となってる、西海岸の「フリー・カリフォルニア」を目指して、ポルシェを走らせた。
「カーチェイス」といっても、他に車は走ってないしね。男の反乱行為に気づいた国家保安委員会は、一機だけ残ってたF-86セイバー戦闘機で後を追うことに。操縦桿を握るのは、元空軍の老パイロットだ。その役を『ロッキー』シリーズのバージェス・メレディスが演ってる。
しかし『世界が燃えつきる日』みたいに大サソリがでてくるわけでも、『マッドマックス』みたいなバイカー軍団が襲撃するわけでもなく、荒涼とした大地を淡々と走ってく、寂寥感すら感じる不思議なSFではあったね。
ビデオもDVDも出てないのはなんでだろ?
『リトル・ダーリング』(1980)アメリカ
監督ロナルド・F・マックスウェル 主演テイタム・オニール、クリスティ・マクニコル、マット・ディロン
クリスティ・マクニコルって人気あったねえ、この頃は。健康そうで「部活系」の女の子という、さっぱりしたキャラだったんで、同性からもウケがよかったように記憶してる。
この映画は15才という設定で、煙草をプカプカやってる彼女と、良家のお嬢さんテイタム・オニールが、「サマー・キャンプ」で顔を合わす。女子たちの間でも一際目立った二人だったんで、自然と派閥が分かれる。その成り行き上、クリスティとテイタムと、どっちがこのキャンプの期間内にバージンを捨てるか、という競争になる。
クリスティが男子生徒のマット・ディロンに照準合わせるのはいいとして、テイタムが狙いつけたのは、大人の運動コーチ。
その役を演じてるのがアーマンド・アサンテだからね。今や「マフィアといえばこの男」ってポジションの役者。でもデビュー当初は「アル・パチーノに似た男」という、名誉なんだか失礼なんだかわからんような紹介のされ方してたんだよ。
こっちでいえば角川映画の『彼のオートバイ、彼女の島』の頃の竹内力を見る感じかな。
基本アイドル映画のノリなんで、際どい場面はほとんどない。クリスティ・マクニコルの胸ポチに反応したくらいか。
DVDになってないのは、内容というより、ブロンディなんかの楽曲絡みじゃないか。
この監督とクリスティはこの後も『さよならジョージア』で組んでいて、こっちも実はもう一度見たい。デニス・クエイドと兄妹役のロードムービーなんだが、カントリー歌手役のデニスが歌声を披露してて、それが上手い。たしか歌手としてアルバムも出してたはず。
『ル・バル』(1983)フランス・イタリア・アルジェリア
監督エットーレ・スコラ
これを見たのも歌舞伎町の「シネマスクエアとうきゅう」だ。
監督のエットーレ・スコラはイタリア人だが、舞台となるのはパリの一軒のダンスホールだ。なぜパリなのかというと、元々はフランスのテアトル・デュ・カンパニョールという劇団による舞台劇なのだ。その劇団員たちがそのまま、映画でも演じている。
1930年代、大戦前夜から80年代の「現在」に至るまでの現代史を、このダンスホールからカメラを一歩も外に出すことなく描いてる。しかもセリフも一言もなし!
すべては、時代時代に流行った音楽に乗せて、流行の服に身を包んだ男たち、女たちがダンスに興じる様子だとか、店を出入りする人間を眺めるだけで、それがいつの時代かわかる。その着想が素晴らしい。
さすがに古い時代の曲は知らないものも多かったが、グレン・ミラーとか、リトル・リチャードとか、ビートルズに至るまで流れるから、見飽きる聴き飽きるということがない。
字幕がいらないので、どこの国の人間でも楽しむことができるという、画期的な映画。
フランス語のセリフ一つないのに、その年のアカデミー賞「外国語映画賞」の候補に上がってるのも妙な話だった。
ビデオは出てたがDVDは出てない。出すならブルーレイでお願いしたいが。
2012年2月6日
五十音順リストの「マ」行以降を。
『マイ・ライバル』(1982)アメリカ
監督ロバート・タウン 主演マリエル・ヘミングウェイ、スコット・グレン
モスクワ五輪を目指す、陸上の「女子5種競技」の、二人の女性アスリートが、レズビアンの関係になってくという、「スポーツの世界と同性愛」を、正面からテーマにした異色作。
『俺たちに明日はない』『チャイナタウン』などの名脚本家ロバート・タウンが満を持しての初監督に、挑戦的な題材を選んだ。
ただその部分だけが突出してるわけではない。日本だと「オリンピック強化選手」の日常なんていうと、禁欲的なイメージがあるが、この映画では選手たちは競技大会が終わると、酒呑んだり、マリファナ吸ったり、セックスも奔放に描かれてる。
そのあけすけな感じが、スキャンダラスな視点でなく、「若いんだからね、体力もある連中だし」と、ごく普通のことのように描写されてるのが面白かった。
マリエル・ヘミングウェイは色気を感じない女優だったんで、レズシーンも期待してなかったが、それよりも、彼女は手足が思ったより長くて、ハードルを越える様子など、カモシカのような足をしてる。こんなにアスリート体形だったとは。
彼女が最初は記録会で揮わず、声をかけて慰めてくれた先輩の女子選手と肉体関係を結ぶんだが、その後、コーチのスコット・グレンとも寝てしまう。マリエルとスコット・グレンが一緒にトイレに入る場面は、ちょっと衝撃的ではある。
ロバート・タウンの演出は、扱う題材のわりにはベタついた感触がなく、競技シーンも躍動する身体の美しさを捉えようとしてる。
ビリー・ジョエルの『ロザリンダの瞳』という、メジャーではない曲を効果的に使ったり、センスを感じる。
先輩アスリートを演じた、陸上選手上がりのパトリス・ドネリーのさばさばした個性もいい。
ビデオは出てたがDVDにはなってない。
『マルホランド・ラン 王者の道』(1981)アメリカ
監督ノエル・ノセック 主演ハリー・ハムリン、デニス・ホッパー
これを上映してたのは新宿プラザだったかな。今でこそ日本でも『頭文字D』とか、ドリフト族も普通に認知されてるけど、この映画はその魁と言えるもので、D・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』の、あの丘陵の湾曲した道を、ドリフト走行で競うドライバーたちを描いてるのだ。
過去にそのレースの王者として君臨してたのが、デニス・ホッパーで、彼得意の役作りの例に漏れず、今はすっかりアル中のスピード狂に成り果てている。
彼の駆るマシンが凄いことになってる。コルベットC2なんだが、異様なまでのチューンナップを施し、邪魔なもんはいらんと、リアウィンドーからボンネットまで取っ払ってて、まさに「愛のむきだしコルベット」だ。
主人公を演じるハリー・ハムリンが、そのコルベットに挑戦するわけだが、彼のマシンはポルシェ356スピードスターだ。
だが全編レースという展開ではなくて、主人公の走り屋仲間の作曲家ジョセフ・ボトムズのサブストーリーなどがあり、レースも音楽もと欲張った分、散漫になってるきらいはある。
そのサブストーリーもあってか、当時のヒット・ナンバーが使われたりしてるから、その楽曲版権がネックになって、今までビデオにもDVDにもなってないんだろう。
そもそもこの映画、ポリグラムというレコード会社が製作してるのだ。
『メイトワン 1920』(1987)アメリカ
監督ジョン・セイルズ 主演クリス・クーパー、デヴィッド・ストラザーン
ジョン・セイルズは1980年代以降の最も重要な、アメリカの映画作家であるにも係らず、ほとんどDVD化がされてない。理由のひとつには、彼がメジャーな映画会社と契約せず、常にインディペンデントな製作環境で映画を撮り続けてるということがある。映画の版権がそれぞれ別の場所にある、その煩雑さがネックとなってる部分がある。
日本では2003年の『カーサ・エスペランサ 赤ちゃんたちの家』が公開されたのが最後だが、その後も3本作ってる。2010年のものが最新作だ。
入ってこないのは、日本人にとって馴染みにくい題材を扱ってることもあるだろう。歯痒いもんだ。
どっか太っ腹な会社が、まとめて権利を引き取ってBOXで出してほしいもんだが、今の日本にそんな酔狂な会社もないだろう。
この『メイトワン』は1920年のウェスト・ヴァージニアの炭鉱で起きた事件を元にしてる。
クリス・クーパー演じる労働組合のオルグが中心人物になるが、例えばマーティン・リットー監督や、山本薩夫監督が描くような、「社会告発」ものとは、ちょっと趣がちがってた。
もちろんイタリア系や黒人など、当時安い賃金で雇える労働者を「山」に入れてくる会社側と、最低賃金の切り下げに反対を唱える地元白人労働者との対立の構図は、現在の日本に置き換えて見ることも可能な、「社会的視点」は感じるが、山で暮す人々の生活ぶりを細やかに描いていることで、叙情を感じるし、アパラチア山脈の緑や黄色の木々などが、美しいカメラで捉えられていて、メッセージが前に出過ぎない懐の深さがあった。
対立が沸点に近くなり、ついに会社側が実力行使に出た時、それまで静観していた町の保安官が動く。
クリス・クーパーとともに、ジョン・セイルズ映画の常連のデヴィッド・ストラザーンが銃を手に表に出ると、映画は一転して『ヴェラクルス』かと思うような西部劇の世界へ。
見ながら「カッコいい!」と呟いてしまったよ。
黒人労働者のリーダー格をジェームズ・アール・ジョーンズが貫禄で演じてた。
これはパルコPART3で見たはずだ。
昔ビデオにもレーザーディスクにもなってたがDVDにはなってない。
スクリーンで見たいね、もう一度。
『夜の天使』(1986)フランス
監督ジャン・ピエール・リモザン 主演ジャン・フィリップ・エコフェ
リモザンの映画は『天使の接吻』もそうなんだが、ストーリーとかほとんど憶えてないのだ。
だけどもう一度見たいと思うのは、とにかく繰り出されるショットがいちいちカッコよかったから。
この映画も主人公は夜は私設の夜警をやってるんだが、昼間は自動車泥棒という、アンビバレンツというのか、行動にほとんど一貫性がない。恋人が別の男になびこうとすると、その男を追っかけて銃で狙ったりとか、基本ろくでなしである。
しかし、ろくでなしが出てくる映画が好きな俺としては、この映画はマイク・リーの『ネイキッド』や、ギャロの『バッファロー'66』などと並ぶ「ろくでなし映画」の殿堂に入れたい位だ。
撮る前からキメキメに狙ったショットを「どうだ!」とドヤ顔で出してくるんじゃなく、ポンポンと軽快につながってく、あるいはブツ切りにされる絵が、結果としてカッコいい。
プールの場面なんか、なんでもないのに、ちょっと鳥肌立つ感じで、不思議だった。
初期のゴダールとか好きな人なら気に入るだろうな。
これはどこで見たのか、パルコPART3だったか、シネマテンだったか。
監督のリモザンも、2002年の『NOVO/ノボ』とかエロくてよかったんだが、その後は入って来ないね。
ジャン・フィリップ・エコフェもこの映画は最高なんだが。
昔ビデオになってたがDVDにはなってない。
『ラスト・カーチェイス』(1980)アメリカ
監督マーティン・バーク 主演リー・メジャース
これはどこで見たのかすら憶えてないんだよね。浅草あたりかなあ。都内ではちゃんと公開されなかったんで、チラシもパンフも見たことない。
この映画を見ようという人の動機は二つだろう。
一つはテレビ『600万ドルの男』のリー・メジャースが、同じSFというジャンルの映画に主演してるということ。
もう一つは、監督1作目の『パワー・プレイ』の面白さに、マーティン・バーグの才能を信用して。
俺は両方だったけど。
石油が枯渇し、自動車の運転はおろか、国民の移動の自由まで制限されてる、近未来のアメリカ。
荒涼とした大地を映しとけばいいから、予算がかからない、ありがちなデストピアSFの設定だ。
リー・メジャースは昔はレーサーだった男で、自宅にポルシェ917を分解して、燃料とともに隠し持っていた。国家体制に失望した彼は、偶然出会った、凄腕ハッカーの大学生を助手席に乗せ、アメリカ大陸で唯一の自由自治区となってる、西海岸の「フリー・カリフォルニア」を目指して、ポルシェを走らせた。
「カーチェイス」といっても、他に車は走ってないしね。男の反乱行為に気づいた国家保安委員会は、一機だけ残ってたF-86セイバー戦闘機で後を追うことに。操縦桿を握るのは、元空軍の老パイロットだ。その役を『ロッキー』シリーズのバージェス・メレディスが演ってる。
しかし『世界が燃えつきる日』みたいに大サソリがでてくるわけでも、『マッドマックス』みたいなバイカー軍団が襲撃するわけでもなく、荒涼とした大地を淡々と走ってく、寂寥感すら感じる不思議なSFではあったね。
ビデオもDVDも出てないのはなんでだろ?
『リトル・ダーリング』(1980)アメリカ
監督ロナルド・F・マックスウェル 主演テイタム・オニール、クリスティ・マクニコル、マット・ディロン
クリスティ・マクニコルって人気あったねえ、この頃は。健康そうで「部活系」の女の子という、さっぱりしたキャラだったんで、同性からもウケがよかったように記憶してる。
この映画は15才という設定で、煙草をプカプカやってる彼女と、良家のお嬢さんテイタム・オニールが、「サマー・キャンプ」で顔を合わす。女子たちの間でも一際目立った二人だったんで、自然と派閥が分かれる。その成り行き上、クリスティとテイタムと、どっちがこのキャンプの期間内にバージンを捨てるか、という競争になる。
クリスティが男子生徒のマット・ディロンに照準合わせるのはいいとして、テイタムが狙いつけたのは、大人の運動コーチ。
その役を演じてるのがアーマンド・アサンテだからね。今や「マフィアといえばこの男」ってポジションの役者。でもデビュー当初は「アル・パチーノに似た男」という、名誉なんだか失礼なんだかわからんような紹介のされ方してたんだよ。
こっちでいえば角川映画の『彼のオートバイ、彼女の島』の頃の竹内力を見る感じかな。
基本アイドル映画のノリなんで、際どい場面はほとんどない。クリスティ・マクニコルの胸ポチに反応したくらいか。
DVDになってないのは、内容というより、ブロンディなんかの楽曲絡みじゃないか。
この監督とクリスティはこの後も『さよならジョージア』で組んでいて、こっちも実はもう一度見たい。デニス・クエイドと兄妹役のロードムービーなんだが、カントリー歌手役のデニスが歌声を披露してて、それが上手い。たしか歌手としてアルバムも出してたはず。
『ル・バル』(1983)フランス・イタリア・アルジェリア
監督エットーレ・スコラ
これを見たのも歌舞伎町の「シネマスクエアとうきゅう」だ。
監督のエットーレ・スコラはイタリア人だが、舞台となるのはパリの一軒のダンスホールだ。なぜパリなのかというと、元々はフランスのテアトル・デュ・カンパニョールという劇団による舞台劇なのだ。その劇団員たちがそのまま、映画でも演じている。
1930年代、大戦前夜から80年代の「現在」に至るまでの現代史を、このダンスホールからカメラを一歩も外に出すことなく描いてる。しかもセリフも一言もなし!
すべては、時代時代に流行った音楽に乗せて、流行の服に身を包んだ男たち、女たちがダンスに興じる様子だとか、店を出入りする人間を眺めるだけで、それがいつの時代かわかる。その着想が素晴らしい。
さすがに古い時代の曲は知らないものも多かったが、グレン・ミラーとか、リトル・リチャードとか、ビートルズに至るまで流れるから、見飽きる聴き飽きるということがない。
字幕がいらないので、どこの国の人間でも楽しむことができるという、画期的な映画。
フランス語のセリフ一つないのに、その年のアカデミー賞「外国語映画賞」の候補に上がってるのも妙な話だった。
ビデオは出てたがDVDは出てない。出すならブルーレイでお願いしたいが。
2012年2月6日
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