ザッカーヴァーグと似てるJ・エドガー [映画サ行]

『J・エドガー』

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この映画でJ・エドガー・フーヴァーの若い頃の場面の中で、彼が同僚たちから「スピード」と呼ばれてるというエピソードがある。上司からその理由に思い当たるか尋ねられて
「早口だからですかね」と答えてる。
『ソーシャル・ネットワーク』でジェシー・アイゼンバーグが、まくしたてるような口調で表現してた、ザッカーヴァーグの人物像にダブる部分があるんじゃないか?
二人とも天才肌で革新家であるという点。

J・エドガーは大学生の時に働いていた、国立国会図書館で、本の検索が飛躍的に早くなる分類方法を編み出している。司法省に入り、事件現場に足を向けるようになると、それまでの捜査では行われてなかった「指紋採取」こそ、犯人検挙への近道だと、その後の科学捜査の先鞭をつけている。
ザッカーヴァーグの「フェイスブック」によって、コミニュケーション・ツールが、国家権力を打倒するまでのパワーを獲得するに至るのと、ちょっと違う意味で、J・エドガーは個人情報のファイリングや盗聴を駆使して、時の権力者たちの首根っこを押さえてきた。

この2本の映画のつながりを感じたのは、『ソーシャル・ネットワーク』でハーバード大の双子を演じてたアーミー・ハマーが、J・エドガーと最も絆の深かったトルソンを演じてたからでもある。
『ソーシャル…』の中で、ザッカーヴァーグの人物像は掴みどころがない。家族も出て来ないし、彼が「フェイスブック」をどうしていこうとか、野望めいたことを考えてる様子もなかった。
だがそういう人物の生み出したものが、世界を変えようとしてる。
革新的なツールが次々に提供され、モラルはつねにその後を追いかけていく。

今、俺たちが生きている世界がどうなってくのか、『ソーシャル・ネットワーク』は見た後にそんなことを考えざるを得ない気分にさせられたもんだが、この『J・エドガー』は、「なぜ今、この男の伝記なのか?」という部分がわからない。

ザッカーヴァーグとちがって、この映画の中でJ・エドガーは、40過ぎても母親と一緒に暮す「マザコン」で、トルソンとはゲイの関係ではなかったか?と、そのプライベートをかなりあからさまに描かれてる。
だがその彼のパーソナリティと、48年に渡って、政治家の干渉を許さない、ある意味「治外法権」ともいえるような権力を持ち続けた、その動機づけというか、そこのところが、明瞭に結びつかなかったのだ、俺には。
つまり「マザコン」だろうが「ゲイ」かも知れなかろうが、それ重要なことだったのか?と思うのだ。

俺の興味は今まではケネディ家側からしか描かれることがなかった、J・エドガーと、ケネディの暗闘を、もう一方の側から検証するというような、J・エドガーがアメリカ現代史にどれだけ深く係ってきたのか、そこんところを見てみたかった。


J・エドガーが若い頃に担当した、チャールズ・リンドバーグの赤ちゃんの誘拐事件のシークェンスは面白かったが。あの事件はFBIの科学捜査によって、犯人が特定され、ドイツ系移民のブルーノ・ハウプトマンが逮捕されるが、後にあれは冤罪ではなかったかと言われてる。
1976年のテレビムービー『リンドバーグ2世誘拐事件』にその全容が描かれていた。ハウプトマンを演じたのは、アンソニー・ホプキンスだった。

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イーストウッド監督は、今や日本の職人でいえば「人間国宝」クラスの腕前を持ってるから、この映画でも一人の強大な権力を持った男の人生を、まったく淀みなく筆を滑らして描いてるとは思うが、
「お手並みを拝見いたしました」
以上のものは残らない。

これは個人的な嗜好の問題だが、カメラの色調がここんとこずっと同じなんだよね。
イーストウッドの映画は2002年の『ブラッド・ワーク』以降ずっとトム・スターンが撮影監督なんだが、「銀残し」というのか、彩度を落とした映像になってて、「渋い」といえばそうなんだが、ちょっと飽きたよ。
元々は『セブン』のダリウス・コンジのカメラとか、『プライベート・ライアン』のヤヌス・カミンスキーあたりが、この色調でやり始めたんだよな。

ディカプリオは『アビエイター』のハワード・ヒューズに続いて、ミステリアスな権力者の内面を演じようとしてる。
俺は思うんだけど、彼は『シャッター・アイランド』もそうだったが、20世紀前半のクラシックな格好がしたいんじゃないか?
この映画の中で『民衆の敵』とか『Gメン』を映画館でJ・エドガーが見る場面があるけど、ディカプリオは自分の中に、ジェイムズ・キャグニーを見い出してるのかも知れない。キャグニーも老けてるのか童顔なのか、不思議なルックスをしてた。

70代まで演じるというのは、厳しい感じはあったね。声が老けてなかったし、トルソン役のアーミー・ハマーは声はともかく、目元が若すぎる。
二人の男優に比べて、ナオミ・ワッツは歳を重ねてる感じが、自然に表現できてたと思う。
ディカプリオはまだ38才なんだね。挑戦しがいのある役を選んでるのはわかるんだが、渋く演じようという背伸びが感じられる。もう少し年相応というか、軽めのラブストーリーとか、女性ファンが喜ぶような役をやってもいいんじゃないかと思うよ。

2012年2月7日

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