TNLF『友達』安部公房原作をスウェーデンで [トーキョーノーザンライツフェス2012]

『友達』

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「トーキョー・ノーザンライツ・フェスティバル(略してTNLF)」にて、日本公開から24年ぶりに発掘上映されることとなった、安部公房の小説の映画化作。
セゾン・グループの総帥・堤清二が製作総指揮を執った日本とスウェーデンの合作だ。
製作の翌年1989年にシネセゾン系のミニシアターで公開されたと記憶してるが、当時は見逃した。

この映画をずっと見たいと思ってたのは、「まだ肥えてない頃」のステラン・スカルスガルドの貴重な一作でもあるからだ。
『ドラゴン・タトゥーの女』では、スウェーデン舞台ということもあり、その代表格として、重要な仇役を振られてたが、彼がハリウッド映画に顔を出すようになったのは、1990年の『レッド・オクトーバーを追え!』で、まさに追う側のソ連潜水艦の艦長を演じたあたりからだ。
その後『ウインズ』でヨットの設計士を好演してた。
日本で顔を知られるようになったのは、1996年のラース・フォン・トリアー監督作『奇跡の海』での、半身不随でベッドに寝たきりの夫を演じて以降だろう。

俺は前もこのブログで書いたが「北欧好き」なんで、もうだいぶ昔になるが「北欧映画祭」で上映された1987年作『ヒップ・ヒップ・フラー!』で、19世紀の北欧の若い画家を演じたステランを見て以来のファンなのだ。
その時期には本国ではかなりなスターだったようで、スウェーデン軍の特別捜査官を演じた「カール・ハミルトン」シリーズに2作主演し、アクション・ヒーローを渋くキメてた。
これは『神々のテロリスト』『D(デッド)スナイパー』という題名で、共にマイナー・メーカーからビデオ・スルーで出てたのだ。
近年では画家ゴヤを演じたりもしてるが、ハリウッド映画では、ドスを利かせた仇役が多いね。40代以前のスリムなステランを知ってる日本人が少ないのが残念だ。

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というわけで、この『友達』なんだが、安部公房なんで「不条理劇」だ。
日本・スウェーデンの合作だが、舞台はアメリカで、主演も『ヤング・ゼネレーション』が「午前十時の映画祭」で上映されてた、なつかしのデニス・クリストファーだ。


バブル真っ盛りのアメリカ、主人公のジョンは、高名な法律事務所の弁護士助手として、高給を取り、ガラス貼りの高層マンションのペントハウスを借りてるという身。
サラというフィアンセには結婚をのらくらと先延ばしして、独身貴族を満喫している。

だがある日、ジョンがシャワーから上がると、見も知らぬ家族6人が、ジョンの部屋に入ってきてる。しかもいきなり我が家のようにくつろぎ始める。わけがわからないジョンは最初は「ドッキリ」かと思うが、そうではないとわかると、6人を出ていかそうとする。だが
「ひとりで居るのはよくない」
「我々は君の孤独を救おうとやってきたんだ」
などと言い出す。

ジョンは管理人を呼び出し、警官にも来てもらい、事情を説明しようとするが、6人の家族たちは警官を言い含めてしまい、埒があかない。
出社時間も迫り、面倒臭くなったジョンは
「僕が帰るまでに出て行け!」
と言い残し、家を出た。帰宅しても当然6人はまだ居た。
ジョンはたまらずサラの家に。だがサラは結婚を引き延ばすジョンの不誠実さに不満があり、やがてサラまでもが、6人の家族に丸めこまれてしまう事態に。

ジョンも6人の家族の一方的なペースに巻き込まれる内に、慣れが生まれてきてしまう。
その家族は結束が強いようで、それなりに家族内に問題を抱えてるようでもあり、その末娘に惹かれるようになったジョンは、一緒に逃げようと持ちかける。
だが6人との生活のせいで、仕事にも支障をきたし、ジョンは精神的にも追いつめられていく。


「見知らぬ闖入者によって生活を乗っ取られる」というプロットは、『世にも奇妙な物語』のネタにもなりそうな感じだが、実際あのテレビシリーズの一編くらいの長さで描かれたエピソードと、内容は変わらないという印象だ。
つまりこの映画、上映時間は86分と、短めにも係らず、間延びして感じてしまう。
ひと言でいうと「なんかヘタ」。

まず主役のデニス・クリストファーが、リアクションにしろ「浅い」んだよね演技が。シリアスなんだか、一種のブラックコメディとして演じたいのか、中途半端なのだ。
これはむしろ演出プランに問題があるんじゃないか?
人物設定も、主人公のジョンが、高給を取るような有能な仕事ぶりは見られないし、フィアンセに内緒で自堕落な生活してるしで、そんな男が迷惑な目にあったとしても、本人の身にはなれない。
この6人の家族は新興宗教のメタファーのようでもあり、また「勝手な価値観のもと、標的に近づいていき、用なしと思うと切り捨てて、次の標的を探す」という、団体様による『ステップ・ファーザー』のように見ることもできるし、もう少し面白くしようがあったんじゃないか?

これを見てる間、連想してたのが、ブレット・イーストン・エリスの小説『アメリカン・サイコ』だ。
クリスチャン・ベイル主演の映画版は、原作の濃縮なゴア描写を100倍位に薄めた「へっぴり腰」な出来で、話にならなかったが、小説は最高だ。それこそ園子温監督に撮ってもらいたかったよ。

実はこの『友達』の主人公の設定とよく似てるのだ。
時代背景が80年代バブルのアメリカで、高給マンションに住むヤッピーで、フィアンセがいるのに、「フーゾク」に手を出すような主人公。
この映画のジョンとちがう所は、『アメリカン・サイコ』の独身貴族ベイトマンは、殺人狂なのだ。
なのでもしこの映画の6人の家族が、ジョンではなくベイトマンの部屋に入り込んでたら、どうなるだろうと。
多分最初の内は6人のペースに乗せられた振りをして、油断を見たところで二人の娘をギッタギタに陵辱してから、チェーンソー振りかざして、6人を切り刻んでくだろうね、ベイトマンなら。

とまあそんな凶暴な妄想に駆られてしまうほどに退屈してしまったのだ。
主演のデニス・クリストファーと、フィアンンセ役の女優はアメリカ人で、6人の「家族」はスウェーデンの俳優が演じてる。ジョンを誘惑する上の娘には、まだ若いレナ・オリンが扮してる。

先のステランは長男役で、実にスリムだ。だがいかにも80年代なビニールコートが気恥ずかしい。
誰の歌だがわからないんだが、これも80年代の「産業ロック」風のバラードが流れてたり、まあ当時はカッコいいとされてたんだろうな。
ファッションにしろメイクにしろ、例えば70年代もダサい感じはあったけど、それは1周回って「それもアリ」なファッションと捉えられてるけど、80年代のダサさは、これから何周回っても、やっぱりダサいままかも知れない。

そんなわけで、貴重な物を見れたという以上の手応えは得られなかった。

2012年2月17日

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