TNLF『マンマ・ゴーゴー』 [トーキョーノーザンライツフェス2012]

『マンマ・ゴーゴー』

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今回の「トーキョー・ノーザンライツ・フェスティバル」で特集が組まれている、アイスランドを代表する監督フリドリック・トール・フリドリクソンの、今の所最新作となる2010年作。

この監督の作品が最初に日本で紹介されたのは、1991年作『春にして君を想う』だった。
最果てのような風景の土地で、妻に先立たれ、一人農家を営んでた老人が、町のアパートに住む息子夫婦の家に引き取られる事に。一緒に連れてはいけないので、長く生活を共にした老犬を銃で撃ち、土に埋めて、土地を去る。その冒頭から、厳しい映画なのだということがわかった。
老人は息子たちと折り合わず、老人ホームに入れられる。そこで幼なじみの老女と再会。彼女が死ぬ前に訪れたいと願ってる島を目指して、ホームを脱走するという物語だった。
老人ふたりの「心中行」のような旅と、湿気を含み、霧が立ち込めるアイスランドの、幽玄的な風景が響き合うようだった。

後にピクサーの『カールじいさんの空飛ぶ家』を見た時、既視感に襲われたんだが、『春にして君を想う』みたいな展開だと思ったのは、主人公の名がフリドリクセンだったということもある。


この『マンマ・ゴーゴー』は、フリドリクソン監督が、『春にして君を想う』を完成させた直後あたりから、母親にアルツハイマーの症状が出だしたという、実体験をもとにした物語となってる。
映画が終わった後に、フリドリクソン監督のインタビュー映像が映され、その中で監督は、劇中の主人公である映画監督に、自身は投影してないと語ってた。

そこが複雑なとこなんだが、映画の主人公は『春にして君を想う』を完成させたばかりの映画監督だ。完成披露上映会に母親を招待して、「この映画を母に捧げます」とスピーチしてる。
だが時代設定は1991年ではなく、登場人物がケータイを持ってたりするし、現代の話となってる。

『春にして君を想う』が本国で封切られた当初は、全くの不入りで、銀行から融資を受けた制作費の返済も滞り、自家用車が差し押さえられ、家も手放す寸前まで追い込まれるという窮状や、アカデミー賞の「外国語映画賞」の候補に選ばれる事に一縷の望みを託してるなど、あの映画に関するエピソードは事実なのだろう。
実際この映画では描かれてないが、『春にして君を想う』はその年の「外国語映画賞」の5本の候補作に選ばれ、受賞こそならなかったが、その効果は絶大で、最終的には本国アイスランドの人口26万のうち20万人が見るという大ヒット作となったのだ。

『マンマ・ゴーゴー』では、自分の監督作の不入りによって、経済的に追いつめられてくのと平行するように、母親のアルツハイマー症状が進んでいき、悩みの種が絶えないという映画監督の、マゾヒスティックなまでの肖像が描かれていて、深刻なんだろうけど、ちょっと可笑しくもある。
母親のエピソードは部分的には事実を元にしてるんだろうが、母親目線の描写も織り交ぜてるので、リアルさを追求してるわけではない。


母親ゴゴを演じるのは、アイスランド映画界の名女優と謳われるクリストビョルグ・キィエルド。
彼女には時折、先立たれた夫の幻影が見えるのだが、その夫を演じてるのも、ベテランの名優グンナル・エイヨウルフソンで、彼女と夫との若い日々の甘い追憶の場面には、演じる二人の俳優が、若い頃に共演した映画の場面が使われてるという、洒落た趣向が凝らされてる。

映画で、母親ゴゴは息子から「老人ホームに入ってほしい」と告げられ
「老人ホームから逃げ出すような映画を作ったあんたが、母親をホームに入れるのかい?」
と言い返す。
いやこれを言われちゃあ、二の句も告げないよね。さすが母親。

映画の最後で、ゴゴは入所させられたホームを抜け出し、夫の眠る墓地に花を手向けに訪れ、そこで倒れる。
フリドリクソン監督の母親は今も90を過ぎて存命だということだが、映画の中で、ホームの母親に会いに来た息子が、今まで伝えられなかった思いのたけを、母親に語りかける場面は、監督自身の思いが強く込められているように感じた。

もっと早く母親を大切に思う気持ちや、感謝の念を伝えておけばよかった。
今その思いを伝えようとしても、母親は無反応に座ってるだけだ。
あの母さんはどこにいってしまったんだ?

劇中で母親のことを気にかけてばかりいる息子に、嫁が「ほんとマザコンよね」と呆れてる場面があるが、この映画はリリー・フランキーの『東京タワー…』に似てるかも知れない。
「息子が母親に愛情を示すことのどこが悪いんだ?」という視点が。

主人公にはしんどい状況ばかりが描かれるが、決して暗く沈んだようなタッチではない。
その底には静かなユーモアが流れてるからだ。

母親ゴゴが夫が生きてれば今年は100才になるからと、息子に記念の行事をやれと言う。
石を切り出して、父親の好きだった詩を刻んで、その碑を建てることになる息子。
だがなぜかその式典に母親ゴゴは参列せず、息子は電話の向こうの母親に、参列者が詩を歌ってる声を聞かせると
「その詩は父さんは嫌いだったよ」

俺のとこでは父親にアルツハイマーの症状が出始めてきてる。介護する母親のことも時々わからなくなるようで、お手伝いさんかなにかと思ってる。
「こんな夜中にまで申し訳ないねえ」と言われたと。
次の日には母親本人と認識してて
「あの人にはちゃんと金を払ってるのか?」と。
足が悪いから徘徊される不安はないが、症状は進んでいきこそすれ、改善することはないようなので、この映画に描かれることは他人事ではないな。

2012年2月19日

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