暴走台風シャーリーズ・セロン [映画ヤ行]

『ヤング≒アダルト』

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こんなに痛快な映画とは思わなかったよ。シャーリーズ・セロンの一挙手一投足から目が離せない。
多分もう1回、いや2回見に行ってしまうかもしれない。映画全編をもう1回というより、1場面1場面をすべてもう1回味わいたいという感じだ。

ミネアポリスの高層マンションに住む自称人気「ヤングアダルト」小説作家の、37才バツイチのヒロインが、高校時代の元カレの夫婦から、赤ん坊の写真の添付とともに、誕生パーティへの誘いのメールを受け取り、故郷の田舎町に戻るというストーリー。

シャーリーズ演じるメイビスは、毎朝二日酔いで目を覚ますような生活。同居するのはポメラニアン。美人だからバーに行けば男が声をかけてくる。そのまま寝る。
作家というが、実のところゴーストライターで、唯一の執筆作も不人気であと1回で打ち切り。ベランダからミシシッピ川を眺める顔も虚ろだ。

あのメールは高校時代に彼女を戻す。
学校一の美人で、誰もが憧れる存在だった私。田舎町の人間が「ミニアップル(小ニューヨーク)」と呼ぶ、大都会ミネアポリスで、キャリアも人生も輝いてるはずだったのに。
いきなりメールを寄こしてきた元カレのバデイ・スレイドは、こちらも学校一のイケメンで、メイビスとはまさに似合いのカップルだった。

メイビスはそのメールを「サイン」だと思ったのだろう。
これは歓びの報告なんかではない。バディはあんな田舎町でくすぶってて、幸せなはずはない。本当は私とヨリを戻したがってるのだ。だから私が行って、バディを奪還しなければ。


ここから閑静な田舎町を舞台に、恐ろしいカン違いとともに暴走していくメイビスと、誕生パーティでのカタストロフまでが、まさに次第に近づく巨大台風を中継するように、ハラハラ感を増して描かれていく。
昔の栄光のまんま時間が止まってるようなメイビスの激痛ヒロインぶりを、笑って見ることになるんだが、そもそもあのメールの意図は何なのだ?

まずメイビスはミネアポリスに出て来て以来、あの田舎町には戻ってないようだ。20年音信を絶ってたことになる。町の住人との会話から、作家として成功してると噂にはなってる。だが誰もメイビスの書いた本を知らない。そりゃゴーストライターだからね、名前がわかる訳ない。
20年前の元カレが何で彼女のメルアドを知ってたのかはともかく、元カノに結婚した自分の赤ん坊の写真送って「誕生パーティに来ない?」なんてことしないだろ普通。
ではあれはバディの意志ではなく、夫婦合意のもと送ったものなのか?

俺は見てて、解釈に困ったセリフがあった。あの誕生パーティでメイビスが場を震撼させた後、ガレージから間の抜けた登場の仕方をしたバディに向かって、
「なんで私をパーティに呼んだりしたの?」
とメイビスが食ってかかる
「あれは僕が呼んだんじゃない。妻がそうしろって」
「なぜなら、妻は君があまりに孤独で、惨めそうだったから」
と言われる。これは田舎町にメイビスが戻ってからの、彼女の行状を指してるのか。

たしかにその前にバディからホテルに滞在するメイビスに電話が来る場面がある。そこで
「週末までこっちに居るなら誕生パーティに来ないか?」
とバディが言ってた。だがそもそもメールでその誘いは送ってるわけだろ。ということはメールの時点で、バディの妻はメイビスの現況を知ってたのか?そんなことはないよな。
そこんとこが、もう一度見て確認したいとこだ。

で、そのメールに戻るが、夫婦して元カノの彼女に赤ん坊の写真を送る意図は?
そこに悪意はなかったのか?
バンドを組んでるバディの妻の仲間は、メイビスの高校時代の同級らしく
「いけ好かないビッチ」とメイビスを呼んでた。
女王のように上から目線で高校に君臨してたメイビスが想像できる。
都会に行って成功してると皆が憧れる存在と言われる一方で、その女が20年経って、どんだけ色褪せてるのか、みんなで見てやろうという、そんな投網にまんま引っかかったんじゃないか?

アメリカの高校というのは、日本では想像できないような「階級制度」が敷かれてるようで、メイビスのような美人は卒業式のパーティで「プロム・クイーン」に選ばれるような、いわば「最上級」に属してる。
メイビスが故郷の田舎町のバーで最初に再会する、小太りのマットは、オタク気質で「階級」の最下位に属してた存在。高校時代にゲイと疑われ、ジョックス(体育会系)の生徒たちから暴行を受け、足や局部に重症を負い、20年経った今も後遺症が残ってる。
だがメイビスは、ロッカーが隣同士だったという、このマットに当時から全く意識が向かず、この晩も呑んでて彼の杖を見て、ようやくこの小太りが誰か気づくという位だ。

マットにとって憧れの存在だったメイビスだが、彼女がこの町に戻ってきた真意を聞かされ、「相変わらず美人だが、イカレてるかもしれない」と思い始めるあたりはホント可笑しい。

呑んだ勢いで、マットにバディの自宅前まで案内させ
「たしかここだよ、彼の車はリバティだったから」
「リバティですって?自由のない結婚生活を送ってるのに?ウハハハハハ」
このシャーリーズ・セロンのバカ笑いはすごかった。

すごいといえば、誕生パーティでバディを「ふたりきりで話しがあるの」と空き部屋に誘って、キスを迫るところで、バディから思いっきり拒否られるんだが、その拒否の仕方がね。
「キスの拒否」にこんなやり方がと、なんか子供が思わずイヤなものを遠ざけるような感じだった。


この映画はヒロインの成長が描かれてない、なにも解決していないという見方もあって、そこに物足りなさを感じる向きもあるようだ。
俺はそうだろうか?と思う。
誕生パーティをカタストロフの場に変えたメイビスは、マットの自宅で、さすがに「私はイカれてる」と消沈するんだが、ここにマットの妹サンドラが大きな役割を担って登場する。

すっかり自分に嫌気がさしてるメイビスを鼓舞するのだ。
「こんな田舎町の人間なんか無よ」
「いいとこなんか何もない」
「あなたは変わる必要なんかないわ」
「あなたが正しいんだから」
思いもかけない言葉に、メイビスは今まで多分一度も心をこめて言ったことがなかった
「サンキュー」
と言う一言を漏らした。

田舎町の人間の前であれだけの醜態を晒したんだから、それこそもうこの先の人生で戻ることもない。
つまり過去は強制的に吹っ切ったことになる。
それにドン詰まりと思ってた37才の現在の自分も肯定される言葉をもらった。
メイビスは成長はしてないかもしらんが、これで確実にダンジョンは1コ上がった。
彼女の無意識の中にあった「輝いていた高校時代の私」というコンプレックスの呪縛から解き放たれたからだ。
つまり今の自分のまんまで無双になってやるってことだ。すがしがしいまでのラストシーンだな。


(追記)あれから2回目を見てきて、あの会話の意味がわかった。
バディからメイビスの元にメールで送られてきたのは、赤ん坊の「誕生パーティ」への誘い。
場違いな格好や行状を、町に戻ってから繰り返してるメイビスに、バディが電話で誘いを入れたのは、赤ん坊の「命名パーティ」のことで、二つのパーティは違うものだった。何かにつけパーティだな、あっちの人間は。

メイビスはバディとベスの夫婦の自宅に夕食に呼ばれた際に、ウィッグをつけてデビー・ハリーみたいな髪型でやってくる。その後、ベスが一員となってるママさんバンドのライブをバーに見に行くんだが、そこでバディが昔メイビスに贈った「フェイバリット・ソング」を演奏されてショックを受ける。
その辺りの様子をベスは眺めていて、「あまりに孤独で、惨めそうだったから」とメイビスを「命名パーティ」に誘うようにバディに言ったという訳だ。
昔の元カノに、赤ん坊の「誕生パーティ」の誘いを出す男もどうかとは思うが、バディに悪気はないのだろう。
田舎に暮らす「善い人」なのだ。だが善い人であるがゆえの鈍さも感じさせる。

バディの妻のベスは、自閉症の子供のカウンセリングをする仕事に就いてる。部屋にはいろんな表情の子供の絵が貼ってあり、「この絵を見せながら、泣くとか笑うとかの表情を教えていく」のだと。
メイビスが
「無表情ってのがないわね」と言うと
「自閉症児はみんな無表情なのよ」
だがそういうベスがなんか無表情で、メイビスはその顔も「イケ好かない」と思ってる。
またベス役の女優がそう見られるのもわかるような、絶妙なルックスをしてるのだ。
バディと一緒でまったく悪い人間ではないのに、イラつかせる感じがある。

しかしそれは「ひねくれ者」の見方であって、脚本のディアブロ・コディが、自分がひねくれてることを前提に書いてるから、ここまで絶妙な感じが出せるのだ。
そしてそれに反応するというか、共感持てるというのは、俺もひねくれてるってことか。
この映画を見て痛快に思えた人間はひねくれてるってことだ。
でもそれでいいじゃないかって結論なんだよな。

2012年3月12日

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