押し入れからビデオ⑬『ラリー 驚異の人間記録』 [押し入れからビデオ]

『ラリー 驚異の人間記録』

ラリー2.jpg

まず今日はすごい本が出たということを、ここに紹介しておきたい。
映画評論家・石上三登志の『私の映画史』
全588ページの大著で、3800円(税別)なり。いや全然高くないぞ、俺にとっちゃ。

俺が中1の時に初めて「キネマ旬報」を買った当時からすでに同誌に連載を持ってた人で、特にSF、ミステリー、スパイ映画に関する造詣の深さと、キネ旬ベストテンの選出作品のユニークさは、他の追随を許さないという感じだったのだ。
3部構成の第1部は70年代のキネ旬に連載していた、氏の自分史的な作品評論集。年代ごとのベストテンも掲載されてて、「こんな映画選んでる」と楽しい。
第2部はスパイ映画、ペキンパー、ロジャー・コーマンなど、偏愛ジャンルや映画人に関する博識的考察。
そして圧巻は第3部の「TVムービー作品事典」だ。
こういうのが欲しかったんだよお。

TVムービーというのは読んで字の如し「テレビ用の映画」の事だ。アメリカのテレビ局が製作するもので、ごくまれに『激突!』のように出来がいいと、海外では劇場公開されたりするが、基本は日本でもテレビ放映されて、そのほとんどはビデオ化すらされてない。
映画であれば、年鑑や公開リストなど、記録に残されてるものだが、TVムービーは今まで、まとまった形の評論などなかったのだ。
この本に掲載されてるのは、1970年代に放映されたTVムービーで、氏が当時評論してた作品を集めている。評論してた人自体がほとんど居なかったのだ。
製作規模としては映画のように金をかけられる訳じゃないんで、アイデア勝負な作品が結構あった。

例えば1972年の『ザ・マン 大統領の椅子』は、アメリカ初の黒人大統領の誕生を、近未来のアメリカの出来事として描いていて、今となれば「バラク・オバマ」を予見してたかのような内容。大統領役にはジェームズ・アール・ジョーンズだから、説得力も十分だった。

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或いは大統領つながりで言うと、同じ1972年の『暗殺 サンディエゴの熱い日』は、マイケル・クライトンが原作じゃなく監督を務めたサスペンス。

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サンディエゴに遊説に来る大統領を、軍が開発した毒ガスを使って、市民もろとも殺害しようと企てた政治家が、毒ガスをセットした直後に事故死する。
犯人亡き後、毒ガスの在り処を推測する国防省捜査官にベン・ギャザラ。しかも政治家は自分を追うであろう捜査官の人事記録を入手しており、その捜査パターンを読んで、毒ガスをセッティングしてるという筋書き。
未曾有の災害をセッティングした犯人が死んでいるというのは『機動警察パトレイバー 劇場版』の第1作を思わせる。
その他にも、もう1回見たくても見る手立てがない作品が沢山あるのだ。ホント貴重な資料だと思う。
この本を毎日少しづつ読み進めてくのが目下の楽しみだ。

そんなわけで、この本には掲載されてなかった、70年代のTVムービーを選んでみた。



『ラリー 驚異の人間記録』という題名だが、なにか超人的な能力を持った男の話でも、ギネスに認定されるような記録を作った男の話でもない。『アルジャーノンに花束を』のような話だ。
これも実話に基づいている1974年製作のTVムービーで、ビデオ・DVD化はされてない。1984年にテレ東で放映されたのを録画してあった。


カリフォルニアの州立精神病院に移送されてきた、26才のラリー・ハーマン。応対した看護人のナンシーは、その様子から重度の精神薄弱であると思った。呼びかけには応じず、デスクに置いてある輪ゴムの束を口に放りこんだりする。ラリーの資料には生まれてすぐにネバタの精神薄弱児の施設に預けられ、そのまま今日まで過ごしてたとある。

ラリーは入所してほどなく、ほかの精神薄弱の患者と異なった行動を示した。色の好みがあり、赤よりも黄色いパジャマを選んで着た。テレビもアニメよりも、ショウ番組を見た。消灯後にひそかに絵本をめくったりもしていた。
「文字が読めるのだろうか?」

ナンシーは院長のマケイブに、ネバタで撮影されたラリーの診断ビデオを見てもらった。その中でラリーは医師の言葉を反芻し「M」という単語を発音しようとしてるように見えた。
ナンシーは、ラリーが精神薄弱ではない証明をさせてほしいと掛け合うが、マケイブ院長は
「君はヘレン・ケラーになるつもりか?」
と取り合おうとしない。だがナンシーには確信があった。

何日か経って、ナンシーは院長を同席させ、ラリーに形合わせパズルをさせた。ラリーはすんなりとクリアし、さらに簡単なジグソーパズルも完成させた。
「物事を理解し、記憶する」実践として、ナンシーは、4つの動作を順番にこなすことを要求し、ラリーは間違えずに行った。まだ半信半疑な院長の前で、ナンシーはラリーに質問する。
「想像するって、どういうことかしら?」
するとラリーは目の前に置かれたコップを床の上に下ろし、腕をコップがあった場所に持っていき、コップを握るフリをして、それをナンシーに手渡す動作をした。
院長もラリーが物の概念を理解してることを、納得せざるを得なかった。

ラリーは学習能力は高かったが、動作はぎこちないままだった。専門医が診ても、脳に異常は見られなかった。
だが筋肉が萎縮してしまってる。マケイブ院長は推測した。
ラリーは何かの間違いで、生まれながらに精神薄弱児の施設に入れられた。周りの子供たちの動作が自分にも身についてしまったのではないかと。
そしてなにか他の子と違う行動を取ったら、罰を受けたのかも。
罰への恐れから、周りとの同一化が進んだのだろうと。

IQは人並みであっても、生活習慣や人前でのマナーなど、ラリーはなにも教えられずに育ってきた。髪をとかすことすら最初はストレスだった。だがナンシーの献身的なサポートで、筋肉も普通に動かせるようになったラリーは、院長やナンシーとともに、外出できるまでになった。
初めて見る外の世界は、ラリーにとって刺激に満ち溢れてたが、一人で行動させると、すぐに手持ちの金を失ってしまう。他人に言われるままに払ってしまうからだ。
ラリーに、人を疑うことは教えてなかった。ラリーは
「外の世界に優しい人はいない」
と、引きこもるようになっていた。

その頃、膨大な資料から、ラリーの出生の秘密の糸口が見つかった。ラリーに毎月のように送金してくる人物がいたのだ。モーリン・ホイットンという名の女性の自宅を、ナンシーと院長は訪ねた。もう年配のモーリンは重い口を開いた。

彼女は昔、精神病院の院長と付き合っていて、妊娠し、出産もその病院内で行った。院長は産まれてくる子を自分の養子にすると言ったが、約束はなされなかった。
そして院長から赤ん坊が精神薄弱であると告げられたと。彼女は事実を確かめることもなく、院長の言葉を信じて、そのまま施設に預けてしまったと言う。
そして今さら何を言われても、自分の子とは思ってないと言った。

マケイブ院長は、ラリーの状態が思わしくないことを理由に、ナンシーを担当から外し、臨床医のトムに任せた。
トムは車の運転を教えてやったり、就職面接を受けるためのスーツを買いに、町に連れ出したりした。
ナンシーはラリーをこの病院で働かせればいいと考えてたが、院長は
「彼はここにいるべき人間じゃないんだ。外で暮らすべきなんだよ」
と言った。
だがラリーは試着したスーツを着たまま、逃げ出してしまった。

値札をぶら下げたまま町を歩き回る。夜になり、公衆電話をかけようとすると、若い女性に小銭をせがまれ、渡してしまう。彼女は電話したあと、ラリーが最後の小銭を自分に渡したことを知り驚いた。
「あなたどこに住んでるの?」
「州立精神病院さ」
「お医者さん?」
「いや患者だよ」
「あなた、話し方も普通だし、患者に見えないわ」
「ねえ、ヤブ医者ってわかる?へんな医者にかかると、
病気でもないのに、病気にさせられちゃうのよ」
その若い女性は礼を言って去って行ったが、彼女の言葉はラリーの心に引っかかった。

ラリーの行方を探していたナンシーは警察から連絡を受けた。ラリーはあの後、性質の悪い商売女に声をかけられ、有り金を奪われた上に、暴行を受けていた。
ナンシーは、ラリーが州立精神病院で引き続き暮らしていけるよう、役所からの承認を得た。
すでに傷の癒えていたラリーは、そんなナンシーに言った。
「ここを出ていきたい」
「外ではイヤな思いもするけど、生きてるって感じがした」
「ここではただ毎日を送ってるだけだ」
「ナンシー、僕は君のことが好きだ。本当だよ、君は僕の恩人なんだもの」
ラリーは泣いていた。
ナンシーはその言葉に頷くしかなかった。


このドラマのエピローグはとてもさりげなくていいのだ。
ラリーはトムの手配でアパートを借り、図書館での仕事を得て、自立への道を踏み出す。当初は週1回、ナンシーたちは顔を見に行ってたが、ラリーはその面会を疎ましく思うようになった。もう自分は病院生活とは無縁になったのだからと。
そして久しぶりにみんなで食事でもしようと、ラリーのアパートをナンシーたちが訪ねると、すでに部屋は空っぽだった。大家が言うには、ラリーは友達を頼って、サンフランシスコへ移ったらしい。
その後の消息はわからないという結び方だった。


ラリーを演じたのはフレデリック・フォレスト。前年1973年に『ザ・ファミリー』で映画初主演を果たした直後に出たTVムービーだ。重度の障害を思わせる導入部から、少しづつ回復していく過程を、きめ細やかな演技で見せる。

ナンシーを演じるタイン・デイリーは、この2年後の『ダーティ・ハリー3』で、ハリー・キャラハンの相棒に大抜擢されるが、このドラマでも意志の強さを感じさせる人物像を嫌味なく演じてた。

監督のウィリアム・A・グラハムは、このドラマと同じ1974年に『愛の花咲く家』という、詩情を感じさせる家族の物語を撮っている。これは劇場未公開で、地上波とWOWOWで放映されてるが、ビデオ・DVD化はされてない。

2012年3月15日

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