ジョナサン・デミは新作撮らないのか? [映画ラ行]

『レイチェルの結婚』

レイチェルの結婚.jpg

おととい『メランコリア』をくさして書いたのは、惑星衝突とは別に、披露宴を台無しにする花嫁というプロットが、二番煎じに思えて白けたからだ。
何の二番煎じかというと、この『レイチェルの結婚』のだ。これは2008年のジョナサン・デミ監督作だが、類似点が散見する。

アン・ハサウェイ演じるヒロインのキムは、姉のレイチェルの結婚式に参加するため、麻薬中毒者の更正施設から一時的に退院して、コネティカットの自宅に向かう。父親が車で施設に迎えに来てるんだが、自宅への車中も、家族の問題児に対して、父親が距離を測ろうとしてる様子が伺える。
自宅に着いたキムはドレスを選ぶ姉と、その親友のエマと顔を合わせる。姉と再会のハグはするが、彼女たちの間に、微妙な緊張も漂ってる。

キムは更正施設からのいいつけで、毎日地元で尿検査をして、麻薬中毒者たちが互いに苦悩を語り合って、更正の道を歩む「12 STEPS」という集まりに通わなければならない。
父親に車を貸してと頼むが「運転だけは遠慮してくれ」と言われ、自転車でかなりな距離を行くことに。
集まりに遅れて参加したキムの隣にはジャージを羽織ったキーランという男が、麻薬に溺れてた頃の虚しさを語っていた。
自宅に戻ったキムは花婿で黒人のシドニーを紹介される。その付添人として顔を見せたのは、あのキーランだった。キムは偶然を面白がり、キーランを屋根裏部屋に誘ってセックス。
「付添人同士がヤルのが流行るわよ」
と言うキムに、キーランは
「花嫁の付添人はエマだと聞いてるが」と。

キムは姉のレイチェルに気色ばんで問い質した。
「だってあなたは来れるかどうかわからなかったもの」
結局レイチェルはエマに謝って、キムを付添人にするが、エマは当然面白くない。
早くも不穏な空気が充満してきた。

両家の身内と親しい友人だけを集めたリハーサル・ディナーは、音楽業界で働く新郎の人脈によって、音楽が溢れる楽しいものだったが、祝いのスピーチのマイクを渡されたキムは、緊張からか、自分が麻薬中毒者の施設に入ってることや、家族にとって厄介者であることなど、場にそぐわない話を繰り出し、場を真っ白な空気に変える。
ディナーが終わり、家族だけのリビングで、レイチェルがキムのスピーチに怒りをぶつけたことから、この家族の抱える感情の軋みが露になる。


家族にはキムの下に、歳のはなれた弟イーサンがいた。
キムが16才の時、母親から留守中の弟の面倒を任された。その時もクスリでラリっていたキムは、チャイルドシートに弟を乗せ、車を運転中にハンドルを誤り、橋から転落。イーサンは死亡した。

父親と母親は離婚し、母親は今夜のディナーには顔を出したが、この家には寄り付かなくなっていた。
父親はキムの心の傷を慮るあまり、キムのことばかり気にかけ、姉のレイチェルは疎外感を募らせて暮らしてきた。キムはそんな父親の干渉を疎ましく感じてたし、レイチェルはキムに対し
「中毒から回復できないなら、死ねばいいと思った」とまで言った。
「運転だけは遠慮してくれ」と父親が言ったのはそんな訳があったのだ。
互いの腹の中にあったことを吐き出して、その場は落ち着いたが、翌日さらに状況は悪化した。

姉妹で町の美容室に髪を整えに行くと、店内で若い男がキムに話しかけてきた。以前「12 STEPS」でキムの告白を聞いて、勇気をもらえたという。キムはその時、少女時代に姉と自分が叔父から性的虐待を受けてたという話をしていた。
キムと若い男の会話を聞いていたレイチェルは激怒して店を出た。そんな事実などないのだ。
更正するなどと言って、家族をダシにして平気で嘘をついてるなんて!
キムは自宅には戻れないと思い、母親の家を訪ねる。だがそこでもイーサンの話になってしまう。
「なんで私なんかにイーサンの面倒を頼んだのよ!」
「あなたが、イーサンの前でだけは穏やかにいられたからよ」
そのうち母親も感情が昂ぶり
「なんであの子を死なせたの!」
と母娘で殴り合いの喧嘩となる。
母親の車を奪って走り始めたキムだが、ほどなく藪に突っ込んでしまう。

翌朝、顔を腫らし、憔悴したキムを、レイチェルは黙って迎えた。
妹を風呂に入れ、体を洗ってやってると、肩のタトゥーが目に入った。
服を着てる時はわからなかったが、そのタトゥーには「イーサン」と彫られていた。


『メランコリア』では花嫁キルステン・ダンストの不安定な精神状態が、披露宴にカタストロフをもたらすんだが、この映画では花嫁の妹が、披露宴を脅かす存在になってる。
姉妹の間に葛藤があるのも同じだ。
『メランコリア』の中で、姉のシャルロットが妹に
「時々あなたのことがたまらなく憎らしくなる」と言ってる。
姉が妹を風呂に入れてやろうとする場面もある。
キムがいきなりキーランと屋根裏部屋でヤル場面の唐突さも、キルステンが若い招待客の男と青姦する場面につながる。
そしてどちらの映画も母親がエキセントリックな人物に描かれている。

だが『メランコリア』の場合は、この映画のような背景がまるで描かれないので、キルステンの不安定さが、惑星接近によるものなのか、マリッジブルーなのか、はたまた母親との関係性の中で育まれた性格的なものなのか、よくわからんままだ。


この『レイチェルの結婚』は、ジョナサン・デミ監督の演出スタイルが、終始手持ちカメラでの撮影や、即興のような場面もあるし、極力人工的な照明をたかないで撮ってる感じは、ラース・フォン・トリアー監督はじめデンマークの監督たちの間で提唱された「ドグマ95」の演出法に則ってるようでもある。回想シーンとかもなかったしな。
なのでトリアー監督が、この映画を見て気に入ることは十分考えられる。

で、そのジョナサン・デミ監督がもし「ドグマ95」の演出を意識していたとすれば、多分ドグマ第1作の1998年作でトマス・ヴィンターベア監督の『セレブレーション』を見てたんではないか?

セレブレーション.jpg

『セレブレーション』はデンマークの鉄鋼王と呼ばれる人物の還暦を祝うパーティで、一同に会した一族の口から次々に家族の恥部が明かされていくという話。
なので『メランコリア』は『レイチェルの結婚』を元にして、『レイチェルの結婚』は『セレブレーション』を元にしてると推測してみる。


ジョナサン・デミはシネフィルとしても年季の入った人で、2002年の、パリを舞台に撮った『シャレード』のリメイク版などは、微笑ましい位に、ヌーヴェルヴァーグへの憧れが塗りこめられていた。

さらに遡って1979年の日本未公開作『LAST ENBRACE』は、もう全編ヒッチコックからの引用かというマニアックなスリラーだった。主演はロイ・シャイダーだが、日本ではビデオにもDVDにもなってない。

ラストエンブレス.jpg

1990年『羊たちの沈黙』が大成功収めたことで、大きな予算の映画を撮るようになったジョナサン・デミ監督だが、実は80年代末までのキャリアの方に、個性的な作品が並んでるのだ。

元々はロジャー・コーマン門下生で、低予算アクションでキャリアをスタートさせてるが、1977年に『アメグラ』のポール・ルマットとキャンディ・クラークのコンビを起用した
『HANDLE WITH CARE』で、演出を評価される。

ハンドルウィズケア.jpg

これは小さな町の市民無線を通じて描いた人間ドラマで、脚本をトム・クルーズの名作『卒業白書』を撮ったポール・ブリックマンが書いてる。日本未公開で、全く見る手立てもない。

監督としての評価を決定的にしたのは1980年の『メルビンとハワード』だ。
これも日本未公開だがWOWOWで過去に放映されてる。
アリゾナに住むごく平凡な牛乳配達人メルビンが、砂漠で倒れてた晩年のハワード・ヒューズをそれと知らず助ける。その出来事も忘れかけてた時、いきなり一通の通知とともに、メルビンが大富豪ヒューズの遺産相続人の一人に選ばれたと知る。その遺言状の真偽を巡って裁判が開かれるという、実話に基づいた物語。
『HANDLE WITH CARE』に続いてポール・ルマットが起用され、気のいいメルビンを好演してた。
この映画はNY批評家協会の監督賞をはじめ、アカデミー賞でも脚本賞と、メリー・スティーンバーゲンが助演女優賞を得るなど、数々の賞に輝いてる。

『レイチェルの結婚』は、監督キャリアの初期の時代に撮ってたこうした人間ドラマに立ち返ったような所があるのが、俺としては嬉しかった。
だがこれを撮ってからもう4年目になるが、海外の映画データベースで調べてみても、劇映画を撮るような予定が入ってないね。ジョナサン・デミという人は、ミュージックビデオやドキュメンタリーなど、いろんな分野を手がけてきてるから、また気が向いたらということなのかも知れない。

2012年3月21日

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