イランもアメリカも日本も介護の悩みは同じ [映画ハ行]

『別離』

img3754.jpg

イラン映画で家族が題材というと、一時期ミニシアターでかかっていた『運動靴と赤い金魚』のような、素朴で温かな作劇の映画を想像してしまうが、この映画は現実を見据えた、非常に厳しい視点で語られてる。
だが厳しすぎて気持ちが沈むという感じでもなく、なにより展開が、固唾を呑んで見守るしかないというものなので、見る人を選ばない。まず面白いのだ、映画として。

そしてイランの人々の抱える問題は、日本人となんら変わらないし、アメリカとも変わらないことがわかる。
敵国と見なされるかもしれないイラン映画に、今年のアカデミー外国語映画賞が授与されたのは、宗教や政治いかんに係わらず、現代に生きる人間の悩みは普遍的なのだと、気づかされたからだろう。


二組の夫婦が出てくる。テヘラン市内のアパートに暮らす中流階級の夫ナデルと妻シミン。二人には11才になる娘テルメーがいる。シミンは娘の将来を考え、海外に移住を考え、その許可も下りた。
だがナデルの父親がアルツハイマーを発症し、夫は家で介護するこいとに拘り、移住を固辞する。

シミンは娘のためなら離婚も辞さない構えだが、ナデルは離婚には応じるが、娘は手元に置くと言う。
裁判所での協議も平行線に終わり、妻シミンはしばらく実家へと戻る。
アパートには夫と中学生の娘と、介護の必要な父親が残された。

ナデルは姉の紹介で、家の掃除と夫の父親の介護を任せるラジエーという女性を雇う。ラジエーは中流階級より下の暮らしをしていて、幼い娘を伴って、片道2時間かけてナデルのアパートまで来た。
彼女のお腹には二人目の子供がいたが、そのことは告げてなかった。具合も優れないし、報酬も満足できる額ではないが、夫は失業中で、すぐにでも仕事が必要だった。

ナデルは彼女に父親の世話を頼み、仕事に出た。娘のテルメーも学校だ。
ラジエーは家人が不在の中で、いきなりナデルの父親が失禁してることに気づき、動揺する。
敬虔なイスラム教信者のラジエーは、他人の男の体に触れることも、ましては下の世話をするなどとは、教えに反すると思った。
ケータイで聖職者に事情を説明し、ようやく覚悟を決める。
ナデルの父親は酸素吸入が必要になる時もあるが、自分の足で歩き回ることはできる。その父親が、ラジエーが目を離した隙に、外のスタンドに新聞を買いに出てしまう。

身重でこの仕事は割に合わないと感じたラジエーは、帰宅したナデルに辞めたいと言う。失業中の夫に代わりに来てもらうと。
翌日ナデルは職場に、ラジエーの夫ホッジャトに来てもらい面談する。だがホッジャトは約束通りにアパートには来ず、結局ラジエーがその日も来ることに。
娘のテルメーに、ラジエーの幼い娘も懐いたようで、両者の関係もうまくいくかに見えた。


だがある日ナデルが娘と帰宅すると、ラジエーと娘が見当たらない。寝室を覗いてナデルは驚愕した。
ネクタイで腕をベットの支柱に縛られた父親が、床にうつぶせに倒れていたのだ。幸い息はあった。
気が動転するナデルの前に、ラジエーと娘が外から戻って来る。
なぜあんな真似をしたのか、ナデルは激しく問いただす。ラジエーはどうしても出る用事があったと。だがそれがどこかは口をつぐんだ。
ナデルは奥の部屋の引き出しの金も無くなってると言った。ラジエーはこれには激しく反発した。
敬虔なイスラム信者の自分が盗人呼ばわりされたのだ。黙ってはいられなかった。

出て行かせようとするナデルと、報酬を受け取ってないと言うラジエーは玄関先で揉み合いとなる。
ナデルは突き飛ばすようにドアの外へ追いやる。
その直後に階段上の住人が集まってきた。ラジエーが階段に倒れてるという。
彼女はそのまま病院に運ばれた。
ナデルとラジエーとの諍いは、妻シミンの耳にも入った。

とりあえず夫婦で、ラジエーの入院先へと向かう。そこにはラジエーの夫と、彼女の姉がすでに来ていた。
看護士から流産を告げられ、彼らは激高した。
ラジエーの夫に殴りかかられ、妻のシミンも鼻血を出した。
事態は双方の夫婦の裁判となった。

ナデルは故意に流産させたということで、「殺人罪」で告訴された。イランでは19週目に入った胎児は「人間」と認められ、殺人罪が適応されるのだ。
問題はナデルがラジエーの妊娠を知っていたのかという点だった。ナデルは
「聞かされてないし、気づくこともなかった」
と言った。だがラジエーは直接でなくても、テルメーの担任教師が家を訪れた時に、自分は産婦人科の先生を紹介してもらっており、その会話は聞こえてたはずだと言う。

この告訴が受理されると、ナデルは拘置され、高額な保釈金は妻の家を担保に作るしかない。ナデルは妻に借りを作ってしまうことは我慢できない。
それならとナデルはラジエーを、父親への虐待行為で告訴すると出る。
双方の夫婦の争いは「泥仕合い」を呈してきた。


娘のテルメーは父ナデルに
「本当に妊娠のことは知らなかった?」と何度も訊く。
父親の言動の不自然な点を、この娘は冷静に捉えているのだ。

父のナデルは娘の前でついに「知ってた」と告白する。
もし自分が罪に問われ、刑務所に入れられれば、娘は父親はどうなると考えると、本当のことは言えないと。
そして娘テルメーも裁判の証人に呼ばれ、担任教師とラジエーとの会話について訊かれることに。

一方、ラジエーにも、あの日外出した行き先を話せない理由があった。
裁判ではナデルとシミン夫婦が、多額の示談金を払って決着をつける方向に行きそうだったが、コーランの教えに照らすと、彼女はその金を受け取ってはならなかった。


この物語に出てくる夫婦は、どちらにも悪意があるわけではない。
だが双方がひとつの「嘘」を抱えているがゆえに、問題がこじれていく。
日本人の感覚だと、恥を忍んで「すみません、あれは嘘でした!」と撤回することもできると思うんだが、宗教によっては「嘘」の罪深さというものが格段に違うのだろう。

実はこの物語のキーパーソンになってるのが、ナデルの娘テルメーだ。
彼女は裁判所での証言を終え、父親の運転する車の中で涙を流す。ナデルがついている「嘘」と、ラジエーがついている「嘘」、そのどちらとも性格の違う「嘘」が彼女を泣かせたのだ。
大人の間に起きた諍いが、少女の心を深く抉るように傷つけてしまった。
娘の将来のためと言ってた母親も、娘の教育は自分が果たすと言ってた父親も、その互いのエゴが、一番娘を傷つけることになった、その事に気づかない。

親の介護の問題と宗教観が、まだ相容れずに国民を苦しめている、イランの現状を知ることができたし、国民の間にある、格差が生む相互不信など、争いの局面局面で浮き彫りとなる今日的な問題を、見事なまでに脚本に落としこんでいて、上質なサスペンスとしても堪能できるのだ。

2012年4月8日

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。